金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

3つの「お」も大事でした

2020-10-24 19:59:56 | 日々の暮らし、思い出
15年も経つと当たり前になってても、始めに驚いたのはお祭りの豪勢なことでした。これ一番です!

10月の第二土曜日から日曜日がその日で、その日に向けて、踊りや、笛、太鼓など、一か月近く前から、練習日の日程が回覧されてくるのです。

私は東京でも郊外の生まれ育ちですから、子供時代はそれなりに盆踊りとか学校の校庭などで地域や子供会で踊ったことありますけどね、、母の手作りの浴衣を着て、、それはそれで、見よう見まねで人の輪に入って適当に櫓の上からかかる音楽に合わせましたわ♪

こちらでは、従来の「東京音頭」「炭坑節」などと、地方色豊かに「白浜音頭」「和田浦音頭」後ねぇ‥題名忘れたけど、ナントカ節やら、時には現代的なリズムで「幸せハッピー」だったかなぁ・・

地域でもかなりの踊り手だった大工さんの奥さんに誘われて、言われるまま公民館や集会所に通って、練習して、踊りましたよ♪

前は

こんな祭り半纏を土地の呉服屋さんで購入しまして・・ね・・みなさんお揃いのをまとめて購入もするそうでしたが、私は声もかかりませんで、一人で、買いに行きました。
結構良いお値段だったような(^^♪

着てた写真あったはずなんですが、どこを探しても見つかりません、消去したかも・・

この話もいつだったかブログにしてますから簡単に説明すると、この日は土地の人には特別な日で、日ごろご無沙汰してるとかお世話になってるとか、親類縁者を家に招待して、親交を暖める日でもあるのです。
ですから、凄いご馳走です
私も、始めは大工さんの家にお呼ばれして、伊勢海老や、その日の為に取っておいた、アワビ、鯨料理、、色々と味わいました。

だから、お祭りが近くなると、ご近所さんにも、その日はどこから、誰が来るのか?と聞かれたり・・・我が家は・・・息子も娘家族も遠いし、、だいたいこの習慣ないし・・で・・暇で‥私は、その踊りが駅前や、山車と一緒に、綱を引きながら、途中の空き地で踊るときだけ参加して、踊りましたよ♪

お祭りも済んだある日、土地の顔見知りの男性に、「どこかで踊り習っていたの?どこかで踊っていたの?」と聞かれて、全然!初めて!!と答えたら、ビックリされました(^^♪

「手つきも良くて、音楽の流れに乗って、凄くカッコよかったから、どこかでやってたんだって‥みんなと話してたんだ!」って♪

あはははは・・まっさかねぇ~~~!
でも、大工さんの奥さんから手先の使い方とか、足の動かし方なんて入念に習いましたのよ。
彼女にしたら、よそ者の新顔、自分の紹介で連れてきてるんだから、、優秀な生徒さんじゃないとね♪
・・って、まぁ褒められて悪い気はしませんでした。


2番目の「お」
おこもり


これも別ブログにしてありますけど、ざっと紹介します。

土地の女性だけの、だんな様や舅姑に遠慮なく堂々とその家の主婦が、食事に出られる日なんです。


だいたい、同じような年代の人たちのグループで、私はその大工さんの奥さんに誘われてでしたから、私の年齢の上下5歳違い位だったでしょうかしらねぇ

土地の年輩のおば様方は、集会所に一か月に一回、今も続けていますが、そこにお弁当屋さんに頼んだり、仕出し、出来合いのおつまみやらお菓子やら、持ち寄って、当番を決めて、お昼過ぎから、おしゃべりやら、なにやら・・・・

私たちは、その大工さんの奥さんが、近所のおばさんに誘われたけど、それじゃぁ嫌だからって、みんな車運転できるし、、、で、館山、、この辺では都市部ですわ‥その辺のレストランや、食べ物屋さんで、食事会しました。

何のために?
情報交換もあるし、、、女のおしゃべりですから、その辺は、それ・・ほら・・で・・後はちょっと変わった料理とかね・・・サザエ入りのパスタとか、春菊が入って美味しかったサラダとか・・土地の物を使った料理はとても参考になりましたし、、滅多に人様に作ってもらった物食べる機会ないから、その楽しみもありました。
でも・・・そんな時は、家族のある人は、その日の夕食を早めに作ってとか‥私も、夫の食事、お弁当スタイルにしたり、私は美味しい物食べるから‥インスタントラーメンと言う訳にはいかなかったですのよ(^^♪

この「おこもり」の語源は分かりません、、土地の男性が、あんたらは、誰誰の「こもり仲間だね」と言うのを聞いて、昔、お互いに忙しい時期、子供の面倒でも見合った間柄のことかしら・・なんても思ったのですが・・定かではありません。
こんな言葉、地方によって、ある所はあるのでしょうね♪


3つ目の「お」は、お神楽


これも写真あったのに・・・無い!!
もう縁がないと消したのかしらねぇ・・

これは、1月の第2週の日曜日、町の青年団の当番が、お獅子をかぶって、各家を回って、玄関先で、鈴、いくつも重なってる大きな鈴をシャンシャンと鳴らしながら、ヒョイヒョイと形だけ舞って、おひねりならぬ、ご祝儀を頂いて行くのです。
まぁ青年団の臨時収入源でしょうね(^^♪

このお獅子が来たら、金四郎を家の中にしっかりと入れておかないと大変です!
いつだったか、庭に出してたら、隣の庭もすっ飛ばして、お獅子の列を追いかけていき、止めるの大変だったんです(;^ω^)

これはこの間も載せた写真ですが・・・

獅子舞が来ました、怪しい奴が・・と・・滅多に吠えないのに、準備してます


やっぱり、ただ物じゃない!!


と、落ち着きません

・・・で、帰ると、ふ~ん、と思ったか、やれやれ、やっと帰ったか・・で、落ち着きはしますが、まだ見えるうちはね・・こうして見張ってました。




思い出と言うか、今も続いてる習慣でもありますが、それでもお祭りは、昨年の台風の大災害で取りやめになり、今年はコロナで中止となり、コロナなんて、あまり関係なく生活してる地域でもいつもの賑わいの無いこの時期は寂しいものです。

おこもりも、この年齢になると、同居家族の健康問題や、自分の事でもなにかしらあって、だんだん遠くなり、引っ越したり、亡くなったりする方もあって、もうしばらく・・そう・・もう7年以上行っていませんね。

お神楽も・・
今年のお正月は来ましたが、青年と呼ばれる人も、60歳近くなって、、おじんの集まりで・・でも、これは風習として、存続はしていますが、すっかり忘れてて・・慌ててご祝儀を・・・ひどい時はティッシュに包んだり‥(;^ω^)

本当に始めの頃は珍しいこと、新しいこと、本当にこの地で生きていくのだろうか!と、何だか信じられない生活をしていた時もあったし、慣れてきても、人の繋がり方だけは慣れないことも多かったり・・
この地に何十年住んでも、我々は、土地の人間ではないという言葉「新戸」(しんこ)と呼びます

と言われて、よそ者ぞ!!
と言うことであります。

ところが、普通だと、私が移住者と言うことを忘れて、当たり前のように近隣の出来事を話してきて、んん??ッという顔すると、あぁぁあながこの土地の人じゃないという事忘れてた!と・・

ありがたいことです

今朝はこんなに素敵な空と景色を山の夫の畑で見ました



遠く見える海には普段見ない大きな船が!タンカーでしょうか、停留していました



その畑には
まだ、ピーマンが

息長いですね・・今年もしっかり11月までは実をつけそうです

畑に誰が植えたか、勝手に出て来たかのビワの木

花がつぼみを抱えています


しし唐もね・・まだ花をつけてて・・こんな花ですよ・・可愛いんですけど‥今頃のは辛くて・・

でも、何とかして食しております

住めば都と申します。

これからも何も大きな変化もなく過ごして行かれれば、こんな幸せなことはございません。

長々とつまらない思いを書き綴りました。
コメントは、次回から開けられるような内容にしていきたいと思っています。


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