金四郎 たのんまっせぇ~

夫、老柴犬金四郎と南房総に移住して16年を過ぎ、今や身も心もすっかり房総人。亡き愛犬との思い出と共に綴る日々の出来事

ベトナム北部旅行記ー4-ハノイ観光

2019-04-28 21:50:41 | 旅行
4日目はハノイ市内観光である。

昨夜はかなり長い道のりを休憩しながらとはいえ、外で夕食を食べて(これもトゥアンが計画予約してた店)の帰宅だったけど、疲れてた・・・

夫にもちょっとしたトラブルもあって(って大したことじゃないけど、これは最後に書くわ、あまり思い出したくない・・イミシン?(笑))

この日は朝8時半ホテルホールに集合。

日本人はいつも時間厳守で、みんな早すぎるぐらいに集まってる・・8時25分に下りて行ったら、一斉に見られて、少々恥ずかしかった・・・当然、少々繊細なところのある兄夫婦(兄だけね繊細なのは。お嫁ちゃんは兄にくっついてご機嫌損ねないようにしてる、これは小姑根性ではないですよ(笑))はいるから、私たちが遅くても、遅れたわけじゃないからみんな心配はしてないけど・・でもねぇ~~~ダンナ殿、お疲れ気味でして・・(笑)

ちょっと外に出ても、玄関前に来てるエアコンの利いたバスに乗るとホッとするからね・・

まず、この国の独立、統一の父、偉大なるホウおじさん、「ホーチミン」のお墓、ホーチミン廟を見る

って・・近くなって、バスから見る行列にビックリ!!!

延々と続く・・まだ、まだ・・・まだ・・まだ・・・どこまで?
終わりが見えない・・

トゥアンは心得たものだ、この行列を待っていては午後になっても入れないから逆から見ましょうと・・

この建物は、ホーチミンの資料館らしい・・入らないで外から見るだけ・・見てるだけぇ~~~@」@

ホーチミンはサイゴンの生まれ、良い家庭に育ったらしいけど、中国に攻め込まれた時も断固戦い、アメリカとの戦争・・あの長いベトナム戦争の時も、戦い抜いて・・でも、タバコ吸い過ぎおじさんは、肺がんになって無念の死を。
1969年の事・・だから、1975年の解放、統一を知らないで、旅立ったという。
でも、彼の遺志を継いだ民族の勇士たちの頑張りで、今日のベトナムが築けたということで、英雄なのである♪

トゥアンの説明に寄りますと・・・ネ♪


こちらがその遺体が保存安置されてる本当のお墓(保存方法も話してくれたけど省略します)

これを見てから先ほどの資料館を回るので、一日かかる・・これを午前中に見ようと思う人は午前3時過ぎから並んでるとのこと!!

毛沢東や、金日成を思う・・そうね・・社会主義国家の最たる部分だわ。

だから、お勉強に必要のない観光客は、お手柄をとる必要のない外国人は外からだけねぇ~~♪♪♪

。。。で充分でありました♪

少し行くと、今度は文廟・・孔子が祀られてるお寺みたい・・これには、あまり説明は無く・・と言うより聞き逃した^^;

でも、中に入ると

孔子の像がど真ん中にあり、その建物の前では沢山の学生らしい人たちが記念写真を撮っている

白い服を着て頭に花飾りをつけた女の子や、背広風制服の男子たちが・・沢山集まってる・・

「何してるの?」日本語で彼らに聞いても、全然ダメ!!

「Anyone speaks English?]と 聞いたら、ほとんどが首を振ってダメ!

でも、その中でひとりの男子生徒が
「I can't speak English」と・・・ああそう、と、理解を示すが・・それは話せてるよ(笑)
まっ、日本人でもお決まりの言葉だわ(笑)

トゥアンのように大学で日本語なら日本語、別の外国語ならそれを4年間学ぶ以外は日本のように、英語など、外国語は勉強することはほとんどないらしい・・。


・・で、後から聞いた話では、もうすぐ大学の卒業式で、勉学の神様であるこの孔子のお寺で記念写真を撮りに、修学旅行、いや卒業旅行に来てるのだそうだ・・・

なぁるほどねぇ~~~

庭を回ると


これは、この国も中国の影響でその昔は、科挙なる物があって、、科挙、御存知かしら・・今でいう、キャリア試験のような物で、これを合格するのはとても大変!
だから、通過して高級官僚になった人の名前をこの亀の上にある石碑に名前を刻んだという・・が・・数名の名前が、かなり削れてる・・

それは、せっかく立派な地位についたのに、後から汚職などをして名誉をはく奪されたので、恥ずかしいから名前を削った跡なのだいう。

ほぉ~~~~~~~~~日本なんか、今でも名前削りたくても頑張ってる政治家いるのに・・ねぇ~~(笑)

お庭がきれいでねぇ


マンゴーの木にまだ青い実が沢山付いてたわ♪

ココでもダンナ殿、予定外行動。
ここではトイレタイムなしだったんだけど、その朝からイマイチ事情でね・・^^;

有料トイレなんです・・
ベトナムの観光地は、決まった場所や契約してるところ以外は有料トイレなの・・・で、慌ててお金かき集めて持って行ったんだけど、払う場所がなかっと言って戻ってきたら、トゥアンがそのお金を持って、銭函に入れて来たわ^0^

彼女曰く「払わないとカメラが見てて、後からお客さんって・追いかけて来るよぉ!」って・・

金額は2000ドン、ものすごい額でしょ? じつは10円!! このお金に関しては最後にお話しします♪

それからホアンキエム湖、街中に有る湖、これの由来は分かりません、上野の不忍池みたいな感じかなぁ・・土産物屋や屋台が出てたけど・・。


旧市街を散策して

間口の狭い、上に高い、長さのある建物

なんだか、物々しい垂れ幕のある建物、誰も何も思わないで通り過ぎるから大きな声で

「トゥアン!これはなぁに?」って・・当たり前のように「あぁぁ人民委員会の場所です」

これこれ・・その名前・・・そうだった・・ここは社会主義国だった・・この町、このハノイ市の代議員は人民委員だった・・。

そして、各地の家々の前に、ベトナムの旗が昔の日本の祝日のように出され、こんな赤い垂れ幕がかかってたのは、この4月末がベトナム開国記念日があることと、もうすぐメーデー・・労働者のお祭りがあるからなのだという、、これは田舎に行くバスの中からもよくあって、質問する前にガイドさんは説明してくれたわ。

どの市街を歩いても・・

この電線の束!!
各家庭にはちゃんと電気が通っている。 どこかの国のように時間制限なく・・立派な火力発電所も何か所かバスの窓から見ることができたから、発電は十分あるようだけど・・日本ほどまだ電化製品もないから、足りてるようだけど・・でも、この配線!!

ごっちゃごちゃ!!

必要になったところに必要な分だけ分電機から取り分けちゃってる・・やっぱり文化度の低さは感じるわよね。

アブナイ・・素人でも思うけど・・

アブナイと言えば・・ハノイの交通事情はすごい!!
これも後からね・・ゆっくりと・・先ずはお昼を食べなくちゃぁ~~^0^

一応頂いた旅程表には、この日の昼食はベトナム料理の「フォー」をどうぞ、と書いてある・・

ホテルの夜も、船でも、朝のバイキングでもフォーは有ったけど、いよいよ本物!と思ったら・・


たしかにフォーです・・が・・高級ねぇ

その後から、また後からと・・

魚介のトマト煮


揚げ春巻き


牛肉とナスの煮物。

お味はどれも美味!

でも、行くところ行くところ、観光客用のレストランの次々出てくる料理にはいささか飽きて来てた・・・贅沢な話である。
これにいつも真っ白に炊いた、タイ米が山のように真中に出てくるんだから!!

場合によっては、チャーハンだったり・・

そんなぁ・・大体70歳前後の年寄軍団にこれは多すぎます!!

ほとんど残す!

ガイドはお店に案内して、飲み物(別料金だからね)などの交渉が終わると、その食事の現場にはいない。
彼女は、別の場所で食事をしてくる。

この食事はあくまでも観光客用なのである。

そして、飲み物料金を徴収しに来て、残してる現場を見るとその後に必ず

『日本人は腸が弱いねぇ~~~』という・・それを言うなら「」でしょ!!って、他の人が言ってたなぁ。

後から聞いたら、ベトナムでは、みんな普段はこんなにご飯を食べられないって・・白飯もね。

野菜が多いけど、だいたい空芯菜のような青菜を煮たり、スープのような物でご飯の上にかけて食べるか、勤め人は外の屋台で、フォーなどを食べるという・・フォーは日本のラーメンのように、各店や、その地域で入れる物、スープの出しが違うという、それなりに特色はあるみたい♪

たしかに、色々なフォーには出会ったけど、どれも美味しかった♪♪

ただねぇ~~~やっぱり牛肉はほとんどが硬かった・・働けるまで働いて、働けなくなったら肉になる運命の牛肉を・・始めのうちは

「老牛さんごめんねぇ~~いただきまぁす♪」なんて冗談言って口に運んだけど、だんだん飽きてくると、口にも運ばなくなる!

私たちは、なんて恵まれてるんだ!!

食事の度、残すの嫌いだから、頑張って食べても食べきれないで残る物を見る時、色々な思いが駆け巡り、だんだん外での食事が苦痛にすらなってきた。

食事の後は、少し歩いて他の場所で待ってるバスで、ホテルに。

トゥアンはこの日も、2時間ほど休んだら、小物や夜のマーケット、ハノイ駅を見たり、北朝鮮のキムジョンウンが来た時の様子を話したり、夜の食事も案内すると・・オプションを組んでいたけど、この旅の始まりには乗り気だった人たちも、今日が終わってホッとして、一人だけ、マッサージを希望した以外は、誰も参加者がなくて・・・

トゥアンには、副収入になるはずの彼女の言葉で「応援お願いします」に、応える人はいなかった。

この日の夜、夕食はホテルから歩いて、数分のマーケットで食料を買い込んで兄夫婦の部屋で「乾杯」

気楽でホッとした夕食と語らい時間だった。

やっぱりね・・・旅に来たら、地元の店で、買い物して、周りを見回して、自分の目で見る!

これをやりたかったの♪

ただね・・犯罪が多いのは確か!

いつも、貴重品を入れたリュックやバッグは体の前で抱えて、一人でふらふらとは歩かない!が原則!!

旧市街を歩いてる時もトゥアンは言ったわ

「大事なバッグ気をつけてね・・ここは泥棒、すり、かっぱらい(懐かしい日本語!)1メートルに7人いるよ!!」って!!(笑)


















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北部ベトナム旅行記ー3-市場、ハロン湾クルーズ

2019-04-27 21:46:18 | 旅行
帰宅してから4日しか経っていないのに、遠い昔に行った様な記憶になってきてる・・・ヤバイぞ^^;
前回はどこまで書いた?

自分の記録のためとはいえ、あまり長くすると、収拾がつかなくなるからね・・しかし・・どうまとめようか・・なんて書いてないで、さっさと内容書けばよいのだ!!

・・・と自分を激励して・・・

博物館を出てから、なんだか大きなお寺に行った・・神社じゃぁないよね^^;
派手な建物で、石段を数段上がってとりあえず世界平和を祈ってね。

観音様でした


それから、市場へ、野菜、果物、魚、食料品の数は多い!しかし冷蔵設備が無く、今日とれたものは今日の内・・の感覚らしい。

午前中訪れるのは観光客。
昼も過ぎて売れ残らないようにドンドン安くするらしく、地元民は午後来るという・・確かにまけさせるには良い時間が有りそうだ♪



果物を主体として、バナナはほとんどが青い、黄色のは日にちを経てるので、熟させるのは買った人たちが個人ですることらしい


ねっ、バナナ、青いの♪


これはお花やさん、菊の花も沢山!仏教の国なので、お花はお供えに必需品という。


魚・・・鰆の仲間だわ!
これは、まだ下に氷が有るけど、小さいのは酸素を入れたタライに、ぶくぶくしながら泳いでるし、エビはそれこそ毎日の料理に出てくるエビは店先で女性が剥きながらポイポイとざるに入れて山にしてる。

いくらか聞いたら(トゥアンがね)一キロ3000円だと言う。60万ドンだ!ありえへん!!観光客値段だな!!と踏む。
どうせ買わないから・・・

それを思ったのが、このマンゴスチン

とにかくおいしい。
トゥアンが、歩道の自転車にかごいっぱいにして売ってるのを買ってごちそうしてくれた。
その場で、ナイフで半分に割って、皮をむいて食べる・・甘い、半透明のキョトキョトの実はライチ風だが、前回の竜眼といい、マンゴスチンと言い、味も違うし、食感は似てるがとにかく美味!!

だから、一緒に歩いてたツァー仲間が翌日、違う天秤棒で担いでる引き売りから買おうと思ってトゥアンに頼んだら、10万ドンだと。
それを聞いてトゥアンは

「やめときな、ダメダメ、昨日、あたしが買ったのは7万ドンだったから、これはぼったくりねぇ~~」と・・

トゥアンの案内する店はそれなりに紹介料程度のご褒美があるのか、何も知らない身にすれば安心して買い物してしまう。


写真をとり忘れたらしい、いくら探しても無いから・・ランブータンという少々変わった種類の果実もまたしかり。
直径5~6センチぐらいの赤に近い橙色の楕円の周りに、チクチクのような大きなとげを出してる、触ってもそれほど痛い物ではなかったけど、それも見た目をはるかに超す美味しさだった♪

マンゴーはまだ成熟時季ではないが、早目にとって成熟させたものを食べたが、美味しい。

ホテルの食事はバイキングだったけど、そこに出てたグァバのジュースも絶品だった!

市場を抜けるとこんな小さな漁港が有って、ココから朝早く漁に出たお父さんが帰ってくると、お母さん(奥さんね)がそれを受け取り、この市場に出して、売り子をする・・本当に家内商業(工業じゃないからね♪)だわね♪


魚やさんに出てたカブトガニ、持たせてくれた!重~~い!5キロはあったと思う!グロテスクだけど食べると美味しいそうだ、知らないうちに食べてたんだろうか・・


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市場から乗る船のある港に戻る途中、いつだかNHKでやっていたという壁の芸術品を見た


メイン道路に沿って、世界各国が絵になっている・・すべて焼き物でできてるそうだ・・

ちなみに日本は


は~い富士山


船着き場では、このように何隻もクルーズ船が停泊して、乗る船の乗員たちが上のデッキから手を振って迎えてくれた♪
悪い気分じゃないね♪

ハロン湾は、太古の昔、火山隆起によってできた石灰岩の岩山が沈殿、隆起を繰り返してできた、奇岩で有名の所で、世界遺産になっている。
大小3000以上の島々がワンの中に点在してる。

(これはパンフレットから・・雄鶏とめんどり岩と、間には潮が引くと卵に当たる小さい岩が有ると言う)

ベトナム旅行というと、ハロン湾と言われる昨今、いらした方も沢山あると思う。
、ブロ友さんの中でもいらしたわ♪

私は、海のそばに住んでるし、写真で見る奇岩やその風景にはあこがれたが、実際を見たら、ごめんなさい・・正直それほどの感銘なかった。
それよりも、観光船の多さとそれによる海の汚れの方が気になってしまった、どうも観点が違うようだ・・。

岩の形も気にはなったけど、デッキに出ても、暑いので、あまり長く風景を眺めていたくはなかった^^;
海風は少しあったけどね・・

まっ、それでも記念に夫婦でね♪

遠くに岩がこんな風に点在


眺めは悪くはないんですよ♪

地図で見るとこの点々がその島数らしい

夕日


とりあえず記念写真

下半身デブ丸出し^^;

船では最上階デッキで揚げ春巻きの実演をやったり、朝はお客さんを集めて太極拳実習をやったり、色々と催し物が有った。
参加はしてみた。夫は涼しい船室ベッドでお休みでした♪

乗船して船が沖に出て、日没前に船に取り付けて来たタグボートに乗り換えて、この湾での水上生活者の村を見に行った。

乗る時はこうやってちゃんとライフジャケット(救命胴衣)をつける

イカ釣り船かしら?



ココがメインの村の中心部。
ちゃんと役所の出張所みたいのもあって、学校も結婚式場もある!小さいけどね・・会場になってるの♪


こんな風に、ドラム缶で床を浮かせて、土地の替りのいかだ状の上に家を建て、隣へは飛び渡ったり、近くへは船で移動してる・・生業は漁業。

夕方、学校も終わってやることないと、こんな風にハンモックを揺らして楽しんでる子供もいた。

テレビでこんな風景見たことあるけど、実際見てみるとやはり感覚は違う。

不自由だろうとか、何が面白いんだろう・・とか、下世話な考えは吹っ飛びますね。

これが自然、当たり前に生活してる・・それだけ・・沢山の洗濯物があちこちの家の脇に干したまま、あれは洗濯物なんだろうか、タンス替わりなんだろうか・・と義姉と話す・・が、タンス替わりだったら、雨が降った時にしまうところ無くなっちゃうから、やっぱり洗濯よ・・と・・なるが・・主婦だねぇ~~^^;

犬だっているんだから、ご主人様が離れたところから帰ってくると嬉しそうにしっぽを振ってワンワンと出迎えてる♪

どうしても、こんな所に目が行くのは・・やっぱり金四郎と結びつくからなんだわ♪

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翌日は、朝食はバイキング。

今回の旅のホテルは全部バイキングでした。食事内容は最後にでも・・

朝食後、こういった岩山の中にできた鍾乳洞に案内される。これは珍しくて面白かった。

普通、鍾乳洞は石灰岩が浸食されて、出来るから、上からしずくが落ちてきたり、水がたまり、異常にひゃ~~と感じるが、ココはそれが無い。

なぜなら、もう生きてないから!と、トゥアン説明。

そっかぁ~~納得、まだ浸食作用など進行中なら、上からしずくなどが落ちてそれが逆つらら状になったりするが、これは歴史が古すぎて、すでに終了してると言うことだと言う。
納得・・トゥアンは、知りたいこと、興味を持ちそうなこと、よく勉強してるね♪

ガイドだから・・(笑)


写真だとよくわからないけど、中はすごい絶壁!!

ごつごつ岩を、真っ暗い中を手も使いながらよじ登っていく

ガイドさんが照らしてくれるLEDのペンライトがわずかな便り

必死で上った先には


突き当りになってて、正面がキラキラしてる


銀だという!!

砂金状に石灰岩の中に含まれて、こまかな光を出していた。

これは興味深かったけど・・・

さて、登ってくるまでは必死で両手も使うからいいけど、下りるときは・・おしりを着きながら、滑らないように一歩一歩、一段一段、本当にここでスッテンコロリンは出来ないと慎重に下りて行った。

途中で、まだ下から来る違う日本の一団に遭う。

「まだぁ~~?この上、何が有るんですかぁ?」と一人がすれ違う時に聞いた、

義姉がすかさず、「イケメンがいるのよ!」という。

「エッ?イケメンですか?」

私が付け加える・・この真っ暗な洞窟の中だもんねぇ

「そう~~イケメンの白骨があるのよ~~!!」って・・悪い人よね、私♪

そしたら
「え~~~!!白骨ですかぁ~~!!」・・って・・チョットしたら・・

下の方から

「ねぇ~~白骨だって・・イケの・・白骨だって・・」

「へぇ~~白骨があるってさ・・」


オイおいおい。。。これはインパクトのある言葉なんだわねぇ~~~白骨が独り歩きしてしまった^^:

フェイクニュースとはこうやって流れるんだわねぇ~~~~

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この鍾乳洞見学が終わって、船に戻り、飲んだお酒などの清算をして、10時には下船。

また200キロの道のりを4時間かけて、ハノイへと戻ったのであります。

途中、トイレタイムは、国営のお土産店が入る、道の駅でとり、そこは信用できるとのことで、色々とお土産を買いこみました。

そこには、店内に体の不自由な人たちが、手が利く人が、沢山、小物の刺繍をしていました。

大きな大作に取り組んでいる人もいました。

トゥアンは、下りる前にそういう人が沢山、刺繍とか彼らなりにできる仕事をしています、国の方針で。
でも、足や片手が不自由だったり、決して嬉しい姿ではないので、カメラを向けないで下さい。と言いました。

そうそう、この回の最後です・・忘れてました。

もう一回の休憩所は、陶磁器の村、バッチャン村でした。

ここもすべて手作り!

ろくろはありますが、絵付けは同じ茶碗でも、すべて手に置いて筆を持ってスラスラスラ~~と・・。

ベテランさん達、5年以上はずっと同じ仕事をしてるとか・・

可愛らしいカップや、ぐい飲み風の器に夫は、心を動かし、記念に欲しそうでしたが、とにかく最低限の荷物で来てるので、帰りの持ち帰りを考えると無理!!

・・で、、一つだけ?って聞いたら・・いい・・って、首を振ったのでやめましたが・・・。

これからも観光して回ったハノイ市内のお土産屋さんでも、バッチャン焼きは沢山見たのですが・・

トゥアンはね・・

「じっちゃんが作ってもバッチャン焼きですからぁ~~」って・・日本なら、「さぶ~~~」って言われそうな洒落を言っていましたよ♪































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北部ベトナム旅行記その2

2019-04-26 14:46:47 | 旅行
クルーズ前に宿泊したホテルでの食事は、総勢16名なので、大きな中華料理屋さんを思わせる円卓に8名ずつ、ランダムに座る。

ベトナムに来て初めて食べる料理だから、興味津々

自己紹介もなく、皆それぞれ、真中に出された料理を適当にとり分けて回し、黙々と食べるので、写真の撮り忘れが多かった^^;

ベトナムは野菜料理が多いとは前情報にある・・確かに

白菜と中心とした、炒め煮、薄味でも、出しが利いてる感じで美味しい


エビの素揚げ、生春巻き。両方とも日本でも慣れ親しんだ味で、でも本場のパクチーは決して癖は多くない。
私自身、パクチーは好きなので、もっとパクチー臭くてもいいかなぁとすら思う。イカも柔らかく炒め煮になってて、、料理の分量が年代的には多すぎる感あり。

圧巻はこの魚の丸揚げ!

さしづめ、日本の中華料理で出てくる鯉の丸揚げのあんかけの様だ。

ガイドに何の魚か聞くと「バッサ」だという・・そして「スズキよ」と・・

夫も、スズキの様だけど、形はいささか違うな・・と・・味は・・美味とは言えない。
この魚は、これからも度々出て来るが、最後まで美味しいとは思えなかった。

デザートは写真を撮れなかったが、まん丸い、キウィ色した直径3センチほどの果実。
割ってみたら、ライチのような白っぽい半透明のきょときょとの実が出てきて、甘くておいしい。

ライチみたい・・でも違う・・と・・
またガイドに、聞いたら「竜眼」という・・・確かに、あちこちで見かける絵や像に出てる龍の目玉のようだ。

それにしても、美味しい・・・ベトナム料理は日本人の口に合う。・・・と・・この時は嬉しかった♪

写真撮れなかったが、初めのスープもコーンが入ってる透明感のあるのだし、その後に出てきたホーもまた春雨ほどの太さ・・日本で食べたことある、太さではなかった。

翌日は、船は午後3時ごろの乗船となるので午前中からガイドさんの企画するオプショナルツァーに参加する

日本円でひとり3000円という。

ベトナムのお金事情はもう少し後でお話しますね♪

先ずはバスで、近辺では一番大きな博物館へ


立派な建物


ここで、今までのベトナムの歴史や、鉱物資源、火力発電の元になる石炭の発掘などを知る。

ベトナムはとにかく資源の宝庫と言われるほど地下資源などは豊富であるがゆえに、他国から目をつけられて侵攻されたり、植民地化されて絶えず戦争の中に有った。

石炭は日本のようで地下から坑道を掘っていくのではなく、山自体が石炭なので、山から切り崩し、いわゆる露天掘りである。

ガイドのトゥアンはとても勉強していて、日本では坑道に入っていくから危険であること、ベトナムは違うけど、ものすごい重労働で大変な仕事だから、ここで働くと沢山、普通の何倍もの賃金がもらえる・・でも、悪いガスも、粉じんも吸うす、体には良くないから、家が大変だと男はこの仕事に就くけど、あまり長くは生きないね・・と・・。

宝石、鉱石も豊富で、かつて、フランスに100年支配され、その前はモンゴル、その後は中国、そして第二次世界大戦まで続いたフランス支配が無くなると、中国とアメリカ・・共産主義対資本主義国家の戦いの中に巻き込まれてしまい・・・あの悲惨なベトナム戦争となる・・それが、約30年ほど続く・・・

私たち年代なら記憶に新しい、アメリカによる北部ベトナムへの空爆から、枯葉剤噴霧で、ベトコンならぬ、一般民間人にまで及ぼした悲劇。

べとちゃんドクちゃんの話も彼女はしてくれた。
本当に詳しく・・それは日本で受けた大手術でドクちゃんだけが助かって、今ドクちゃんには男の子と女の子の双子がいる、その名前は、フジとサクラだとも・・・胸が熱くなった。


そして、日本も世界大戦の時はベトナムに入ってはいるが、、、(本当は石油資源が欲しかったのだけど←陰の声ね)・・でも、そうではなく、日本は悪いことしなかった・・だから、ベトナム人は日本人、日本の国は好きだ・・とも言った。

単なるおべんちゃらではなさそうだった・・色々と近隣諸国に脅かされ、いまだに大変な思いをしてることも・・

韓国や、日本の大企業や、ODAによるであろう、建設物をその場所を通るたびに、大きな声を上げて

「この道、日本のMいS友、あの橋はT,K、建設にO組ね~~~」と名前を上げて、とても助かってると言う。

今や大国となった国に今でもODA援助をしてる日本という国を考えながら、この国にはもっと真の援助が必要なのかも・・と・・

高速道路と言いながらも日本では考えられないほど揺れるバスの後ろ席に乗って色々と考えさせられた。

博物館には、そのほかに文化の変遷や、出土した物や、古代からの歴史的な物も展示され、生活様式なども人形があって、展示されていた。

それぞれとても興味深く見て、始め思ったよりも夢中で眺めて来てしまった・・。

ここから市場に向かったのです。

・・・なぜか写真が取り込めなくなったので、次号に回します。










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ハノイを中心とした北部ベトナム旅行記・その1

2019-04-25 21:31:23 | 旅行
4月18日早朝未明に我家を出発して、23日いや日にちをまたいで24日の夜中午前1時半前帰宅。
2番目の兄夫婦とハノイを中心としたハロン湾クルーズを含んだベトナム旅行に行って来ました。
アッ!もちろん海外旅行初心者ちゃんの夫も一緒です♪



ベトナムって、こんな形の国です。昔は北ベトナム、南ベトナムと別れてて、1975年ベトナム戦争終結後統一された社会主義国家です。

さて本題

連休前の格安旅行ですから、羽田空港内の旅行者窓口で航空券をもらったら、チェックインから搭乗まで自分たちで手続きです。

だから、8時55分発の飛行機で集合時間は6時55分まで!
羽田空港まで行くバス停までは我が家から車で高速を使っても1時間10分、駐車場に入れる時間などを考え逆算すると、4時15分に出発となる・・ということは、3時半起き!♪

年寄には可能な時間~~♪♪でもないけど・・^^;(笑)



羽田空港までは、車で1時間半ぐらいで行くんだけど、空港内の駐車料金は一日3500円位、と半端ない、ゲッ!!
ということで、時間>料金となって、、早起きね♪


6時20分空港着、東京に住む兄夫婦よりも15分も早く到着♪
「遅いぞ~~!!」とメールする、年甲斐もない妹(笑)

義姉から
「今、着いた!すぐ行くぞ!!」と返信有り♪ 余談でありますが・・・気持ちは高揚してるからねぇ~~♪

順を踏んでチェックインするも前日までにネット予約をしないで、当日にしたら、4人連続して取れる席がない^^;
並びは二人が一個と、離れたところの3列シートの真中を縦に二つとなってしまったが、旅慣れてる兄夫婦が、海外初めて夫の為に、譲ってくれて、私は夫と二人並んだ(本心ありがたくもないが・・ゴメン、夫よゆるせ!)


それでも通関、搭乗までの待合室で眺める飛行場の景色はいつでも、楽しい。


目の前にANAの飛行機。

搭乗口近いのでこれだ!

何となくはしゃぐ心を抑えて、朝ご飯もまだだったので、カツサンドや、ミックスサンドなんぞ買って、窓際に席をとって4人で食べる♪

ところが・・飛行機、離陸してベルトはずしたら、間もなく、おしぼり、好きな物がチョイスできる飲み物や、あられが配られ・・夫はビール、私はまずはおとなしく、グァバジュースで・・。

それから30分もしたら、食事が・・
シーフード系と、チキンを主体と2種類から選べる・・夫は肉、私はシーフード。

夫曰く
「こんなに早く食事が出るなら、サンドイッチ食べなければ良かった」と・・・だよね~~~

しかし、残せない、残したくない根性が、全部平らげてしまい・・・この旅の悲劇の始まりだった(笑)


本来8時55分発の飛行機で、この機は、5時間半かかる予定で、時差2時間を考えると、ハノイにはあちら時間で12時半ごろの到着予定となる。
・・が・・

出発時間を過ぎても、なかなか動く気配のない機内にアナウンスが流れた
「ただいま、搭乗予定ですがまだご搭乗にならないお客様をお待ちしております」と・・・

しばらく待って、20分ほど過ぎたら
「お待たせして申し訳ございません、搭乗予定のお客様がご搭乗をお取りやめになったため、機内に運び入れたお荷物ちを出しております」と来た!!

満杯の空席ひとつない客の荷物の中から、どうやって一個を探し出すのか?
私たちは帰りの時間が遅いので、下りてからの時間を節約するために夫にも話して、すべて機内持ち込みOKサイズで、手荷物で入れたけど・・貨物室からよ!!

腹立ちよりもその手順や、様子を見てみたくなった・・・。

ということで、予定より40分ほどオーバーしての出発になった。

当然、ハノイのノイバイ空港には、遅れての到着、18日午後1時過ぎ。

現地ガイドは、空港内には入れない規則とかで、日本を出る時に、ハノイに着いたらA2番出口から出てお待ちくださいと言われてた。

最少催行人数6人からというツァーだったけど、最終的には16人。

それも、みな60歳以上から最高齢と思われる77歳まで、似たような年齢の夫婦や友達連れ♪

何となく気が合いそう♪

合った~~~~~♪♪♪

どこだ、ココでいいのか・・誰がガイドだ・・とワイワイやってたら、来ましたよ、現地ガイドさんが。

この旅行を企画した会社のバッヂをつけてるのを見つけて、

「こんにちは~~~^0^、はぁい皆さんこんにちは~~~、バスまでご案内しまぁす」まさに現地ガイド。

日本語は堪能だが、少々分かりにくい言葉でね♪



名前はトゥアン、36歳で、11歳の男の子と5歳のお嬢さんのお母さんだという。

言葉にはかなりの癖があるが、聞けばちゃんと応える能力が有り、感じも悪くない。
彼女については、また後から話しましょう♪

先ずは、翌日19日から一泊クルーズをするハロン湾に向かう。

その日は港近くのホテルに一泊。

すごい人ごみと事前情報よりかなり暑い、それも異常な蒸し暑さ!  バスに乗ってホッと一息。

空港を離れるとすぐにこんな緑が車窓に映る。


お米は一年に3度も収穫できる二期作ならぬ三期作で、収穫多すぎる「豊作貧乏ね~~」と彼女。

「日本のお米は美味しいでしょう~、仙台のひとめぼれ~こしひかり~などね~~。こちらはそうじゃない!形、違う、タイ米ね~~~。日本お米、冷たくなっても美味しいねぇ~。おにぎりちゅくれるねぇ(作れるねぇ)タイ米は、バラパラだからぁ~~一番いいのはチャーハンでしゅぅ~~」

沢山勉強してるんだね~、良く知ってるねぇ~~。

畑のあちこちには牛や大きな角を持った水牛が放し飼いになって、黙々と食餌をしてる姿があり、それを

「こちらの農業は全部、人間がするんです。牛がそれを助けます。日本は大きな機械使うでしょう!こちらは、それが全然ありません、この牛たちは、仕事が済んで食事も済んで夕方になると自分で家に帰ります、えらいでしょう~~♪   
そして年取るまで沢山働いて、働けなくなるとお肉になりますぅ!@」@だから、こちらの牛肉は硬いですよぉ~~、日本人皆しゃん硬いねぇ・・って言いますぅ~」って・・・

最近まで金四郎を身近にしていた身にすると、なんとも切ない気持ちになった^^;


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ハロン湾が近くなってくると海が見え、特有の奇岩が見え隠れするようになった。



港に近い「スターシティハロンベイホテル」にこの日は泊まる。

とにかく暑い、蒸し暑い!それだけが第一印象のこの日、ホテルに入ってまたホッとして・・・テーブルにはバナナがあり、ペットボトルが2本。それは無料だと言う、冷蔵庫の中はみんな有料だって♪
なぜかバナナは味が濃くて美味しかった♪


この日、ガイドさんに受けた注意は、たとえホテルと言えど、洗面所でもどこでも蛇口から出る水は生で飲んではいけないこと。
ベトナムは地質的に石灰岩土壌なので、水はすべて硬水で、日本人の体には合わないという。

お風呂もシャワーを主体にしてバスタブが有っても、あまり使うと、各部屋でそれが一辺だと、お湯が水になったり、水勢が落ちて細くなったりでなくなるので、出来るだけシャワーだけで・・と・・。それは了解♪


そして、もっと驚き、これからもかなり悩まされるというか、戸惑ったことは、トイレ。

水洗ではあるが、ウォシュレットは当然ないのは仕方ないが、使用後の紙をトイレの中に流せないことである。
水圧が弱いため、水流が悪く、詰まってしまうのだそうだ。

そのため、そばに有る、少し大きめのクズ籠に入れるのだ。

蓋が付いてればまだよいが、ホテルはもとより、これから訪れる観光地のほとんどが蓋なしの、普通のくず入れであることは、正直辟易した。


ほんの1週間たらずだけど、話は長くなるので、今回はここまで。

続くので、その間はコメントお休みします♪






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年を忘れることに・・・できないなぁ

2019-04-17 09:56:05 | つれづれ思うこと
14日は誕生日でした。

こちら地域で属してるママさん(ババサン)コーラスの合同発表会でもありました。

近隣のコーラスグループ、4団体が共催で大きな会館の小ホールを借りて、それぞれ前半後半で2曲ずつ、計4曲を歌ってきました。

今までご主人の看病、介護で一年以上休まれていた指揮、指導者先生も、ソプラノの一員として復帰しました。
私と一回りちがう、生まれ月も一緒の方でその年とは思えない声を持っていましたが、やはり長いこと声を出していない不安はあって、音程はしっかりしていても・・・でしたが・・いや、見事に溶け込み、ソプラノにボリュームが出て、アルトとしては歌いやすかった・・・本音です。

ソプラノさん、皆さんきれいな声なんですが、とにかく細い!蚊の鳴くような声みたいな・・(笑)
それが、6人しかいない所に二人都合が悪くなったという・・アルトからメゾタイプの人が応援することになっていたけど、そこに先生が(元ね)が加わった途端、カツ!!が入って(笑)

最終練習日になって、ソプラノのオブリガートの音程がどうにも不安定でアルトとしては、もうねぇ・・こうなったら知らん顔して歌いきることだ、と思ってたんだけど・・それが・・突然

「あぁぁダメダメダメ!!!」と列のど真ん中から来た!!!

それから、何回も何回も・・(笑)
そんなねぇ・・今までそれで通ってきた物がそうそう治るわけもなく、でもナントカ皆さん頑張って、出来ました
花丸です♪


81歳を真中にして、皆さん良いお顔で~~(って見えないね♪)

そう・・声が一番年を取らないと言うそうなんです。
たしかに歌ってるとそう思えるときもあります。
だって、混声ではソプラノ歌ってるんだけど、学生がコンクルールで歌う音域で、声、出るんですから・・

でもねぇ~~
続かない・・・トホホホ・・ですよ・・息がね・・どうして、ここにブレスが無いの?みたいに、、もうどこでもぶっつぶっつに切ってしまってねぇ~~やっぱり年ですねぇ~~^^;

2月に千葉の一番大きなホールで開催した、あちらのコーラスグループとの合同演奏会では

100名近い人数で、学生時代のコンクール曲だった「水のいのち」を組曲5曲全部歌ったのですがね。

若い人が多いでしょ?
声量、呼吸、やっぱり違うんですよねぇ~~^^;

あぁぁあ嘆いてもしょうがない・・年なんだぁ~~となるわけです。

この中にいるんざんすぅ~~(笑)この時はまだ68歳だったけどね♪

日頃、動いてる時、年忘れてます。

でも、運転・・ん?反射神経、落ちてる・・判断力鈍くなってる・・ふと思います。

家事、庭仕事、・・一生懸命やった翌日は、体中痛い・・だるい・・なかなか疲れが取れない・・はぁ~~

ゴルフも、ドライバーしか救いようなかったのにそれがあまり飛ばなくなって・・技術の無い、頭の悪さでスコアも伸びず・・・

そういいながら、誕生日前、誰も何も買ってくれないから・・誰って、誰?(笑)
だから、自分で買ってやった!
新しいゴルフバッグ、キャディバッグというやつを!!


どうだ!!カッコいいだろう~~!!   せめて、せめて・・ね・・・どこかで景気をつけないと(笑)

・・とこぼしごとばかりのブログになってはいかんいかん、年は年だけど、その年なりに遊ばなくちゃぁ・・張り切って、やりたいことやらなくちゃぁ~~~

と、思い直し、頑張って、明日かベトナムへ行って来ます♪
夫は初海外です。
私も若い時からは、6ヶ国目ですが、14年半ぶりです。 かなり緊張してます、自分にではなく夫に・・(笑)

金四郎、留守番頼んだよ!


そんなのかぶって、嫌なんだけど・・って?(笑)


・・ということで、しばらくブログコメント、皆さまへの訪問もお休みさせていただきます。。




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