寒い寒いといいつつ、ふと気が付くと、3月は目の前。
昨年秋に兄弟会をしたときに、こちらの勝浦のひな祭りにいらしてと誘った、夫の姉夫婦といとこが月曜日に来て、こちらを案内しながら、「勝浦ビッグ雛祭り」に行って来ました。
まず、金谷港に迎えに行った月曜日、お昼も間近なので、よくテレビで紹介される漁港直送食堂「ばんや」で昼食。
私は、夫があまり釣ってこない魚、ほうぼうのから揚げを
夫や姉と従妹はそれぞれ、鮮魚のお寿司や、フライを頼み、義兄は金目のアラ煮を。
そのアラ煮がね、すごいの! 三匹分が大皿に煮つけて入ってきて・・
食べ終わってからの写真だから、こんな感じだけど、あまりのすごさにみんなですごいスゴイと言い、お魚を食べるのが上手な私は、おすそ分けを頂きましたの。兄は茅ヶ崎育ちなので、お魚食べるのとっても上手なんです。
・・で、何匹分?と・・・目玉が6こだったから3匹だわ!ということになりました♪
その後、そこから車で30分、我が家からは45分ぐらいの 鋸南町の山間にある、佐久間ダムの河津桜を見に行きました。その昔、源の頼朝がこの地へ逃げて住まいしたということから、伊豆から贈られた河津桜1600本の湖畔です。ここではそれにちなんで「頼朝桜」と呼んでいます。まだ、すこし早目でしたが、日当たりのよい所は、もうかなり咲いていました。
ダムを湖を臨む高台からだと
一つ一つが濃いピンクで、こちらの冬桜「元朝桜」とはまた品種が違いますね。
可憐です
そこからまた30分ほど足を延ばし、いつもお客様を案内する千倉の白間津のお花畑へ
今はストックが主ですね。
露地でも良く咲いています
花と美女(?)
菜の花は終わりに近いですが、黄色は元気の出る色で、周りの花たちを圧倒していました。
さて、本題の雛祭り♪(これは翌日の火曜日、良く晴れて絶好♪)
ここで有名な、遠見崎神社の階段を使ったひな壇
数は覚えていませんが、千体に近い数のお雛様を天気を見て毎日飾り付けています
これは、よく写真にも載る、覚翁寺の山門前
町なかには、こんな風にして、空き地や、格店前にも飾られています。
図書館や、廃校となった小学校などにも、各地から寄せられた、いろいろなお雛様、こうして見ると時代の物、その当時に流行った物など、さまざま、人形の顔、形、表情、みんなそれぞれで、興味深い物もあります。
商店の中にはその家に代々伝わるお雛様も飾られ、明治の初期のころのヒイばあちゃんのお雛様なんていうのもありました。
御殿雛というのでしょうか、立派な御殿の中に鎮座しています
翁と媼びな
かつては、こんなに若かりし頃も・・
おとぎ話からとったのか、こんなのも・・
女性はスズメ・・
これはなんでしょう・・竹取物語でしょうか・・
そして、最後にこんなに大きな享保雛!
全身が120センチ以上あるのです。
これは当時を参考に新しく作った物なのですが、江戸中期の享保のころ、町は栄え、贅沢のできる、その見栄を競うのに、大きなお雛様が作られたとか・・・
これを飾るのには、それなりの大座敷も必要でしょうから、かなりの財力のある所にしか、贈れませんよね^0^
こんな派手なお雛様・・・そう長くは続かなかったようですけど・・・
我家だったら、人間の寝るところがなくなる、まして、金四郎の居場所なんて・・・いやいや
金四郎ちゃんだけはお家の中よね♪
これね、私たちが出かける時は、いつも僕もですか?って 落ち着かなくいそいそとするので、かわいそうだからおやつ上げて、その間にそぉ~っとでちゃうんだけど、この日は、くわえたまま、固まっちゃいました^^;
ここからすぐに 出て行かれるの、分かっちゃったんです・・^^;
でも・・帰ってきたら、あちゃこちゃに置いておいた、オヤツ、ちゃんとなくなっていました♪
そうそう、私たちは、そこでお昼に今、流行の「勝浦担担麺」も食べました。
町には40件近いお店があるのですが、その中でもあまり辛くない魚介だしので、老人(?)の口には程よく合って、美味しかったです^^
今回は我が家に泊まって頂き、夜遅くまでおしゃべりしたり(男性群は早目に沈没)、観光も楽しく、心地よい時間を沢山持ちました。
しかぁ~~し、わがダンナ殿、あんなにお雛様が大好きと言ってたひとは・・
「あそこまで、お雛様見ちゃうと、もういいな、あれだけあると、家にある、小さなお雛様がなんだかとってもいい感じに見えてくるよ♪」
だそうですーー;
昨年の今ごろを考えると嘘のような今日、この頃。
生きているからね、元気でいるから過ごせる、こんなささやかな日々を幸せに思える・・・
生ある者たちにとって、少しでも穏やかに過ごせる日々であることを心から願っています。
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昨年秋に兄弟会をしたときに、こちらの勝浦のひな祭りにいらしてと誘った、夫の姉夫婦といとこが月曜日に来て、こちらを案内しながら、「勝浦ビッグ雛祭り」に行って来ました。
まず、金谷港に迎えに行った月曜日、お昼も間近なので、よくテレビで紹介される漁港直送食堂「ばんや」で昼食。
私は、夫があまり釣ってこない魚、ほうぼうのから揚げを
夫や姉と従妹はそれぞれ、鮮魚のお寿司や、フライを頼み、義兄は金目のアラ煮を。
そのアラ煮がね、すごいの! 三匹分が大皿に煮つけて入ってきて・・
食べ終わってからの写真だから、こんな感じだけど、あまりのすごさにみんなですごいスゴイと言い、お魚を食べるのが上手な私は、おすそ分けを頂きましたの。兄は茅ヶ崎育ちなので、お魚食べるのとっても上手なんです。
・・で、何匹分?と・・・目玉が6こだったから3匹だわ!ということになりました♪
その後、そこから車で30分、我が家からは45分ぐらいの 鋸南町の山間にある、佐久間ダムの河津桜を見に行きました。その昔、源の頼朝がこの地へ逃げて住まいしたということから、伊豆から贈られた河津桜1600本の湖畔です。ここではそれにちなんで「頼朝桜」と呼んでいます。まだ、すこし早目でしたが、日当たりのよい所は、もうかなり咲いていました。
ダムを湖を臨む高台からだと
一つ一つが濃いピンクで、こちらの冬桜「元朝桜」とはまた品種が違いますね。
可憐です
そこからまた30分ほど足を延ばし、いつもお客様を案内する千倉の白間津のお花畑へ
今はストックが主ですね。
露地でも良く咲いています
花と美女(?)
菜の花は終わりに近いですが、黄色は元気の出る色で、周りの花たちを圧倒していました。
さて、本題の雛祭り♪(これは翌日の火曜日、良く晴れて絶好♪)
ここで有名な、遠見崎神社の階段を使ったひな壇
数は覚えていませんが、千体に近い数のお雛様を天気を見て毎日飾り付けています
これは、よく写真にも載る、覚翁寺の山門前
町なかには、こんな風にして、空き地や、格店前にも飾られています。
図書館や、廃校となった小学校などにも、各地から寄せられた、いろいろなお雛様、こうして見ると時代の物、その当時に流行った物など、さまざま、人形の顔、形、表情、みんなそれぞれで、興味深い物もあります。
商店の中にはその家に代々伝わるお雛様も飾られ、明治の初期のころのヒイばあちゃんのお雛様なんていうのもありました。
御殿雛というのでしょうか、立派な御殿の中に鎮座しています
翁と媼びな
かつては、こんなに若かりし頃も・・
おとぎ話からとったのか、こんなのも・・
女性はスズメ・・
これはなんでしょう・・竹取物語でしょうか・・
そして、最後にこんなに大きな享保雛!
全身が120センチ以上あるのです。
これは当時を参考に新しく作った物なのですが、江戸中期の享保のころ、町は栄え、贅沢のできる、その見栄を競うのに、大きなお雛様が作られたとか・・・
これを飾るのには、それなりの大座敷も必要でしょうから、かなりの財力のある所にしか、贈れませんよね^0^
こんな派手なお雛様・・・そう長くは続かなかったようですけど・・・
我家だったら、人間の寝るところがなくなる、まして、金四郎の居場所なんて・・・いやいや
金四郎ちゃんだけはお家の中よね♪
これね、私たちが出かける時は、いつも僕もですか?って 落ち着かなくいそいそとするので、かわいそうだからおやつ上げて、その間にそぉ~っとでちゃうんだけど、この日は、くわえたまま、固まっちゃいました^^;
ここからすぐに 出て行かれるの、分かっちゃったんです・・^^;
でも・・帰ってきたら、あちゃこちゃに置いておいた、オヤツ、ちゃんとなくなっていました♪
そうそう、私たちは、そこでお昼に今、流行の「勝浦担担麺」も食べました。
町には40件近いお店があるのですが、その中でもあまり辛くない魚介だしので、老人(?)の口には程よく合って、美味しかったです^^
今回は我が家に泊まって頂き、夜遅くまでおしゃべりしたり(男性群は早目に沈没)、観光も楽しく、心地よい時間を沢山持ちました。
しかぁ~~し、わがダンナ殿、あんなにお雛様が大好きと言ってたひとは・・
「あそこまで、お雛様見ちゃうと、もういいな、あれだけあると、家にある、小さなお雛様がなんだかとってもいい感じに見えてくるよ♪」
だそうですーー;
昨年の今ごろを考えると嘘のような今日、この頃。
生きているからね、元気でいるから過ごせる、こんなささやかな日々を幸せに思える・・・
生ある者たちにとって、少しでも穏やかに過ごせる日々であることを心から願っています。
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