写真を撮る時に、フク君に気づかれてしまったら、それを感じて、リリ姉も起きてしまった。
ガッハッハッ❗️
産地のために、大ヒントを教えてあげようと、長~い文書を書いていた。
しかし、情報をばら蒔くだけになりそうだから、止めた‼️
自分で勉強すれば良いだけの事だものね(笑)
はくばく主催の「花キラリ説明会」の大阪会場と名古屋会場で使用された、各産地の資料を見て、「う~ん」と思ってしまった。
資料を見て一瞬で判るのが、自分のお米を産地が判っていないという事。
だから、言いたい事が無い、なにを伝えて良いのかも判らない。
ずいぶんあっさりとした資料。
ゴチャゴチャしていて見辛い資料。
シッカリと書いているのだが、絶対に眠くなる資料。
何を説明したいのか、全く判らない資料。
「良く作っているな」という産地は、極少しかなかった。
殆どは、ただ15分間を埋める話をするだけの資料ばかりだった。
此れは、文句を言われても仕方がない。
「マンネリ」と言ってくれただけ、まだマシかもしれない。
今年初めて発表した「福井県いちほまれ」の資料の方が、圧倒的に出来上がっているというのは、大・大・大問題。
「いちほまれ」は、全ての会場で説明をしているので、参加している産地は、絶対に聞いているはずである。
資料を見れば判るだろう。
話を聞けば判るだろう。
明らかに差がありすぎる。
連続して参加している産地も多い。
だからこそ、参加している産地は、思いっきり反省しなければならない。
15日の東京会場も、このレベルなのだろうか。
だとしたら、そうとうシンドイ1日になってしまう。
思いっきり、悪酔いしそうである。
JA北魚沼は「北魚沼米憲章」について書いていなかった。
JA四万十は、JA合併によって変わる、新ブランド名を発表しなかった。
これから発表するJA新すながわは、「新すながわ ゆめぴりか憲章」を言えるだろうか?
どうなっているの?
大丈夫なの?
時間は止まってくれないよ。
昨日の午後、差別化米を専門に取り扱っている「はくばく:旧 和穀の会」が、大阪会場と名古屋会場の「花キラリ説明会」の資料を、汗だくで持ってきてくれた。
環境を考えて、時代はペーパーレス。
なので、資料はCD。
今日から、1産地ごとに、ジックリと見ていく事にする。
15日は結局、「花キラリ説明会」の東京会場に行く事になったし・・・・
なので、担当者の汗が引くまで、名古屋会場の「食べ比べ」と、産地のマンネリ化について、話し合っていた。
特にブランド化などを考えていな産地は、新しい情報と言うものを持っていない。
なので毎回、どうしても同じ説明しか出来ない。
それが米屋から「マンネリ」と指摘されている。
だから、ブランド化をしている産地に対して。
昨年との違いと変更点。
修正と改善、目標と成長。
何処を目覚しているか。
どんな産地に成りたいのか。
等を説明するように指示をしている。
しかし現実、1年1作のお米なので、毎年新しい事が出来ているかと言うと、そんな事は有り得ない。
1つ試して、1回目の結果が出るのは、最短で3年。
つまり、2年~3年は、産地から新しい情報は出てこない。
特にこれからは、JA新すながわ・JA北魚沼・JAしまね隠岐地区本部などに作成をお願いした「憲章」を作ってしまうと、今度は「憲章を遵守する事」が大切になる事から、「憲章」の中に付け加えていない限り、新しい取り組みというものは無くなってくる。
そういう事を考えると、10年ほど続けてきた「花キラリ説明会」のあり方、そのものを考え直す時期となっているのだろうと話していた。
今のままでは、来てほしい産地、行きたいという産地を選ばなくてはならない。
1つでも多くの産地に来て、話をしてもらうためには。
効率の良い説明会を作るには。
3会場から2会場。
もしかしたら1会場となってしまうかもしれない。
「はくばく」と契約をしているのに、全く取引をしていない米屋も多くいるらしい。
「はくばく」が取り扱っているのに、産地と米屋で話を進めて直接仕入れをしているという、抜け駆けをしている米屋もいるらしい。
年間契約をしているのに、平気で契約を無視している米屋もいるらしい。
次の時代に進むにあたって、「はくばく」自身も、色々と考えなければならない時期となっているようだ。
自分は、表に出す必要がある、価値があると判断出来た産地については、これからも「はくばく」には紹介していく。
だが、「この産地は、もう駄目だ」と判断した場合、「はくばく」の体力を無駄に消費させないために、「契約を止めてほしい」とお願いしていく。
いままで、「はくぱくにお願いすれば、何とかなる」と、甘く考えていた産地は、これを期に、頭を切り替えてほしい。
「1つでも多くの産地に生き残ってもらいたい」と言い続けていた自分でさえも、見切りをつけたら、平気で産地を切り捨てていく。
産地として生き残りたいと考えているのなら、自分も行動していかなければ駄目な時代である。