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トルストイの家出

2010-12-08 12:27:00 | Weblog


(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 1828~1910)

   
 今年はロシアの文豪トルストイ没後100年の年にあたる。
代表作は『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。
誰もが知っている世界一有名な作家だが、さて作品を読むとなるとなかなか大変。
もちろん私も読んだことがない。

 ETV(教育テレビ)特集『トルストイの家出』を見た。
トルストイとその妻ソフィアの日記を、舞踏家の田中泯さん・女優の余貴美子さんの朗読で交互に比較しながら、夫婦の真実及び家出の謎に迫ろうとする興味深い番組だった。

 トルストイは、心の通わぬ妻との生活に辟易し82歳で家出をし、その数日後、田舎の小さな駅舎で肺炎にかかり死に至った。
富裕なロシア貴族として生まれ、当代一の人気作家として人々からあまねく尊敬され、しかもあり余る財産を手にしていたトルストイ。
なぜこのような寂しい晩年を過ごすことになってしまったのだろう?

 トルストイは広大な領地と屋敷を持ち、召し使いたちにかしずかれる生活をしていた。
だが、ロシア国内の抱える問題や状況を見るにつけ、自分自身の贅沢な生活を恥じ、私有財産を持つことに疑問を抱くようになる。
さて、そこでトルストイは考えた!
私の印税や財産、著作権などのすべてをロシアの国民にあげることにしよう!
ソフィアとの間に13人もの子どもをもうけたのだが、我が子の利益よりも民衆の利益を優先しようとしたトルストイ。
領地の地代も拒否していたというから、なんとも寛大な領主さまだ。

 さて、そうなると...もちろん黙ってはいられない妻ソフィア
夫の気高い理想主義など理解できる筈がない。
私だって《戦争と平和》の清書を手伝ったのよ!
あなた!頭おかしくなったんじゃないの?
自分の子どもがどうなってもいいの?
と大反対。
持てるものの全てを貧しい人に与えようとするトルストイ。
家族の権利を守るために必死に闘うソフィア。
夫婦の接点は見いだせず、ふたりの関係に大きな危機が訪れて、絶望したトルストイはついに家出するのだが......

 ところでソフィアは、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェと並び世界三大悪妻と称されている。
夫の仕事や信念を理解しないというだけで悪妻にされるなんて...これはひどい話だな。
それとも夫が逃亡したくなるほどソフィアは怖い妻だったのだろうか?

 トルストイの私有財産に対する見解は、この時代にしては大変希有で貴重な考え方だと思う。
しかしソフィアの主張もよく分かる。
どちらにも正義はあるのだから、うまく解決できる方法はあったはずだ。
そこで私もソフィアの身になって考えてみた。
老いた夫を家出先で死なせる訳にはいかないもの...

あなたの莫大な財産の半分を家族に!半分を民衆のために使いましょう!
                       (by賢夫人 nihao)

                                


※実はオットーの再就職先の期限がもうすぐ切れる。
奴はもう完全リタイアしたいようだ。
でも私としてはこれ以上家でゴロゴロとされたくはない才能(?)を存分に外で発揮してもらいたい...と思う訳。
そこで口うるさく就活をすすめているんだけれど...あまりしつこく言うと家出されるかしら?




 

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8 コメント

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ジョセフィーヌは? (燃える闘魂)
2010-12-08 21:54:45
ナポレオンの妻もそうじゃなかったっけ?

まあ、「世界三大夜景」は五つくらいあるし、というのが定番ではあるが。
あと、ウチのかみさんは? ああ、世間的に有名じゃないってことか。

ところで、頸椎の手術を終え、昨日退院してきました。ボチボチ療養してます。
返信する
調査報告書 (風の又三郎)
2010-12-08 22:49:57
『ところでソフィアは、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェと並び世界三大悪妻と称されている。夫の仕事や信念を理解しないというだけで悪妻にされるなんて...これはひどい話だな。それとも夫が逃亡したくなるほどソフィアは怖い妻だったのだろうか?』

和尚様、そうなんですよ。調査結果によるとじょせふぃーぬは最悪でした。以下、コピペですが詳細を報告いたします

クサンティッペ(哲学者ソクラテスの妻)コンスタンツェ・モーツァルト(作曲家モーツァルトの妻)ソフィア・トルストイ(作家トルストイの妻)の名が挙げられている。異説では、ソフィア・トルストイの代わりに、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(ナポレオン・ボナパルト第一夫人)これらの女性を悪妻と見なしたのは後世の人であり、中には悪妻であったという逸話が後世に作られたといわれるものもある。しかしながら、そうした逸話も含めて、彼女達を悪妻とする根拠として挙げられるのはおよそ以下の事項である。


①クサンティッペ

悪妻であったとされるが、それは後世の作り話であるとも言われる。プラトンの著作『パイドン』の中では、クサンティッペが獄中にあるソクラテスを思って嘆き悲しみ、取り乱すという描写がある(とはいえ、対話の舞台設定がソクラテス刑死の直前になっているだけで、『パイドン』が事実をそのまま述べているとは限らない)。クサンティッペを悪妻とするエピソードには、以下のようなものがある。

ある時クサンティッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。ソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った。ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。
「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」
ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」
「そんなにひどい妻なら別れたらいいじゃないか」と言った人に対し、ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。「この人とうまくやっていけるようなら、他の誰とでもうまくやっていけるだろうからね」
実在の姿は、不明な点が多いながら、現代まで天才とされる歴史上の人物には奇行、あるいは当時の常識では受け入れられない行動を取る例も多い。単に「常識人であり、常識人からすればソクラテスを理解できなかったのだ」という意見もある。 これに関して、作家の佐藤愛子(彼女自身も、元夫に頭から水を浴びせたエピソードが有名)が「ソクラテスの妻」という小説を発表、後に「ソクラテスのような男と結婚すれば、女はみんな悪妻になってしまう」との旨を述べている。なお、同作品は、第49回芥川賞候補(1963年)となっている。

②コンスタンツェ

彼女を悪妻と見なすのは後世の観点であり、世界三大悪妻に数え上げるのも妥当とは言えない。彼女を悪妻とする人はいくつかの論拠を挙げているが、いずれも反駁しうるものである。
モーツァルトの伝記はコンスタンツェの視点から描かれており、自分に不都合な事実には触れていない。浪費家であった。モーツァルトが死んだ時、別荘で遊んでいた。自筆の楽譜や書簡を売却している。特に自分に不都合な書簡は破棄している。モーツァルトの葬儀をないがしろにした(ゆえにモーツァルトの墓がどこにあるかわからない。共同墓地に葬られたからである)。再婚した(ゆえに不貞であるとされた)。モーツァルト死後に生まれた子供(父親は公式にはモーツァルト)に、モーツァルトの弟子ジュースマイヤーの名前をつけている(フランツ・クサーヴァー・モーツァルト、モーツァルト二世)。ゆえに生前から二人は関係があったのではないか?という憶測。これらのうち幾つかは、生活のためにやむを得ず行ったこともあるであろうし、また、モーツァルトという音楽家を偉大であると評価するあまりに、史料の損失の責任を彼女に被せすぎている面も否めない。批判の出典を調べていくと同時代の記録どころか後世の悪意に満ちた推測であることもまた多い。これら批判に対する反論としては例えば以下のようなものが見られる。周囲の人々の手紙などで残された人物評によれば教養が高く家事にも熱心な快活な娘であって、不精で愚かであるとする悪妻説の人物像は当てはまらない。何よりモーツァルト自身が妻への愛情に溢れた手紙を残している。モーツァルトは実際には晩年もかなりの収入があり、夫妻(モーツァルト自身もかなりの浪費家であった)とも収入に見合った出費をしていた。もともと病弱でモーツァルトの死の前にコンスタンツェも病に倒れており、モーツァルト自身が別荘での療養に行かせた。コンスタンツェは夫の死の前に帰宅しており、別荘で遊んでいたわけではない。楽譜等を売却したのは、子供を抱えての夫の死後の生活を支えるためである。モーツァルトの葬儀が薄葬であり、埋葬も共同墓地であったのは皇帝ヨーゼフ2世の葬儀合理化政策と慣習に従ったものにすぎない。再婚自体も生活を支えるためであり、夫ニッセンとともにモーツァルトの名を高めるために尽力している。コンスタンツェは「思慮深く、経済観念も発達していて、夫の作品を守ったことは、多くの資料が証明している」(ミシェル・パルティ)とする意見もある。こうした意見を受けてか「アマデウス」では生活苦に陥っても夫の作品を誇りに思い、作品の屈辱的な扱いに憤慨するという一面が描かれた。

③ソフィア
なぜか情報がありませんでしたので、代わりに

④ジョゼフィーヌ

1779年にアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚、一男ウジェーヌ(1781年 - 1824年)、一女オルタンス(1783年 - 1837年)をなしたが、当初から2人は夫婦仲が悪く、1783年に離婚した。後にボアルネ子爵は、フランス革命中の1794年7月23日にギロチンで処刑されてしまう。離婚後、マルティニーク島の実家に戻っていたジョゼフィーヌも、島での暴動の多発に不安を感じ、フランスに戻ったが、夫や友人の助命嘆願が罪に問われてカルム監獄に投獄されてしまう。獄中では、ルイ=ラザール・オッシュ将軍と恋人同士となったと伝わる。しかし、ロベスピエールの処刑により、8月3日に釈放された。その後、生活のために総裁政府のポール・バラスの愛人となり、親友のテレーズ・カバリュス、ジュリエット・レカミエと並ぶ社交界の花形であり、「陽気な未亡人」と称された。このころ、年下のナポレオンの求婚を受け1796年に結婚。バラスが彼女に飽きてナポレオンに押しつけたともいう。この結婚について、ウジェーヌは反対、オルタンスは賛成だったと伝えられている。しかし、彼女はナポレオンを無骨でつまらない男と見ており、次々と愛人を作り浮気を繰り返した。そうしたこともあって、ナポレオンの母や兄弟姉妹たちとの折り合いは悪かった。イタリア遠征中にナポレオンが彼女にあてた熱烈な恋文は有名であるが、受け取った彼女は遊び回りろくに読むことも返事を書くこともなく、「ボナパルトって変な人ね!」とその手紙を友人に見せて笑いをさそっていた。彼女は夫が何度も戦場へ来るよう促したが、ごまかして行こうとせず、ナポレオンは妻のそっけない態度にしばしば絶望的な状態になっていた。それに気を揉んだ総裁政府の命令で、彼女は渋々イタリアへ向かった。エジプト遠征中に、ジョゼフィーヌと美男の騎兵大尉イポリット・シャルルとの浮気を知ったナポレオンは、フランスにそのことを嘆く手紙を送った。この手紙を載せたフランス艦がイギリスに拿捕され、手紙の内容が新聞に掲載されてしまう。大恥をかいたナポレオンは離婚を決意し、妻が戻る前に家から荷物を叩き出してしまった。しかし、彼女の連れ子のウジェーヌとオルタンスの涙ながらの嘆願と、ジョゼフィーヌへの愛から離婚は思い止まったのである。なお、この直後のブリュメールのクーデタの際には、クーデタ成功のための要人対策にジョゼフィーヌも一役買っている。 ジョゼフィーヌは、初めの離婚騒動あたりから、徐々にナポレオンを真摯に愛するようになっていくのだが、反対にナポレオンのジョゼフィーヌに対する熱烈な愛情は冷めていき、他の女性達に関心を持つようになっていく。その後、妹のカロリーヌから紹介されたエレオノール・ドニュエルやポーランドの愛人マリア・ヴァレフスカとの間に息子が生まれた事などもあり、1809年に嫡子が生まれないことを理由にナポレオンはジョゼフィーヌを離縁。離婚式での彼女は娘のオルタンスが支えなければ歩けないほどショックを受けた様子であった。それ以降、彼女はパリ郊外のマルメゾン城で余生を送ったが、多額の年金を支給され、死ぬまで皇帝の妻として「皇后」の称号を保持し続けていた。マルメゾン城のナポレオン居室は、皇帝が去ったままの状態でジョゼフィーヌの手によって保たれ、彼女はこの部屋のものを「聖遺物」と称したという。離婚後も皇帝と皇后はよき話相手ではあり、マリア・ルイーザ (パルマ女公)の嫉妬を受けるほどだった。ナポレオンの没落後は気落ちしがちであり、かつての夫が百日天下で帰還するのを待たずに肺炎になって急死してしまう。最後の言葉は「ボナパルト、ローマ王、エルバ島……」であったという。

う~ん・・・悪妻とかけて・・・
「ぬかみそ」と解く

その心は!
味わい深いのですが・・・
「あ、臭い・・・」

お後がよろしいようでテケテンテンテン!


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燃える闘魂さんへ (nihao)
2010-12-09 09:32:26
ナポレオンの妻も悪妻で有名ですが...
>あと、ウチのかみさんは?
あらっ、闘魂さんの奥様も?
悪妻は六十年の不作とも百年の不作とも言われていますが
現実には、夫に甲斐性があるから妻が悪妻になるのではないでしょうか?
「悪妻の陰に悪夫なし」「英雄、悪妻を好む」って...  
こんな諺なかったかしら(^_^)

ところで頸椎の手術をされたとのこと、それは大変でございました。
働き盛りの男性に多いそうですね。
どうか回復されるまでゆっくりご静養なされますよう。
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又三郎さんへ (nihao)
2010-12-09 09:40:10
お~っ、非常に分かりやすい三大悪妻の一覧表、ありがとうございます。
三人とも偉大過ぎる夫に負けずに頑張っていますね。
それにしても彼女たちがそんなに酷い悪妻には思えないのは...
男性の視点のみで悪妻を語っているから?
賢者や英雄の人生をもっと面白くするために脚色した部分が多いから?
みんな、すごくのびのび生きた可愛い女性に思えるnihaoです。
ジョセフィーヌもね。

三大悪妻があるからには三大悪夫があってもよいのに、それはなぜない???
それはおそらく....あまりたくさんいて珍しいことではないからでしょう(^_^)
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Unknown (うらら)
2010-12-09 10:31:17
トルストイよりもドストエフスキーの方が好きでした。
何冊か読んだのに、今では「罪と罰」しか記憶にありません。


我が家、夫は結婚以来いつも何か遊びに夢中になっていました。
麻雀にパチンコ、いまではゴルフ。
自分のしたい事は何があってもする。
そんな男と連れ添ってきた私は良妻に間違いありません!

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うららさんへ (nihao)
2010-12-09 16:02:07
トルストイとかドストエフスキーとかの名作は、若い頃に読んでおかないと駄目ですね。
『戦争と平和』なんか、登場人物が凄く多い!
今から読むのはかなり無理があります。

>私は良妻に間違いありません!
夫婦に歴史あり!
他人に悪妻などと言われたくないですよね。
そう言えば「私って良妻?悪妻?」などと、あらたまって聞いたことなどありません。
自己評価が一番正しいと思います(^_^)
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Unknown (およよ)
2010-12-12 16:27:54
悪妻と言われるのは オトコ目線で残った話が多いからでしょうか?(笑)
ある一面が全ての様に語られてしまったのかも…?
案外 有名偉人の性格は価値観や生活観が違いすぎて今なら『障がい児』に分類されるかもしませんね~。

ワタクシ?
配偶者は家出することも、死ぬことも無く傍らに生活しておりますから、当然、、、、ホホっ
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およよさんへ (nihao)
2010-12-12 18:49:01
>有名偉人の性格は価値観や生活観が違いすぎて
そうそう!凡人にはない苦労をされているかもしれませんね。
でも悪妻と呼ばれてもいいから、有名偉人の妻になってみたかったワタシ...

英雄とか偉人の妻に悪妻と言われている女性が多いのは、狂信的な弟子たちが後世に言い伝えている場合が多いです。
「あんな妻では先生がお気の毒...」と言う、世間を知らない弟子たちの戯れ言かも?
それにしてもウチのオットーには弟子がいなくてよかったわ(ホッ)
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