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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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マダムには秘密がある

2012-02-13 10:00:00 | おすすめ記事
 

  



 ローズマリー 生姜 シナモンスティック ブラックペッパー カルダモン クローブ  
これらの薬草や香草などと紅茶の葉をしばらく煮出し、その後砂糖や牛乳を入れ沸騰しないように温める。
インド式ミルクティー『チャイ』の出来あがり。
これはぜひお試しいただきたい。スパイスの力は偉大だ!
部屋中に贅沢な香りが漂って、いつもの居場所が極上の空間に変わることを請けあう(注 幻なので現実に戻るのも早いデス
 
 いろいろなレシピがある。
ハーブやスパイスの種類、茶葉やミルクや砂糖や水の量は自分のお好みの量でよい。

               


                  ★  ★  ★



 
 マダムKは、とても75歳とは思えないほど若々しく美しい素敵な人生の先輩だ。
早くにご主人に先立たれたが、長男夫婦や孫たちに囲まれて賑やかに暮らしている。
彼女は大層な車好きだ。
次から次へと車を乗り換えていたが、先年、トヨタのプリウスを人生最後の車とすると宣言して手に入れたばかりだった。
しかしこの日我が家に...あらら?新発売のハイブリッドカー・アクアで颯爽とやってきた。

 プリウスに乗っているうちに、どうやらもう少し小さい車が欲しくなったらしい。
しかし長男に相談したら
「母さん、少しは落ち着いてほしい。買い換えは控えてよ!」
と猛反対されてしまった。

 確かに子どもというものは、ある時期から親の買い物にうるさく口を挟むようになる。
マダムKにしてみれば、自分のお金を自分が自由に使って何が悪いと言う理屈。
反対されればされるほど欲しくなり、そこでみんなに内緒で購入した。

 色はプリウスと同じ白。
ところがプリウスとアクアは、きちきちのガレージに正面を向けて停めていると、ちょっと区別がつかないほどそっくりなのだ。
「これは私のヒミツなの。まだ家族の誰からも気づかれていないのよ。」
 新車を手に入れた嬉しさだけではなく、自分を指図しようとする家族に対する挑戦でもあるかのように婉然とほほ笑むマダムK。
ああ、ばれたら果たしてどのような騒動になるのだろうか? 頑張れ、マダムK!


 マダムHは生前大変いい女だったから、もしかしたら秘密もたくさんあったかもしれない。
でも秘密をいつまでもじっと胸に潜めておける殊勝なタイプではなかった。
そんな彼女が珍しく
「夫には知られたくないの。絶対に内緒にしてね。」
と打ち明けてきた秘密たるや...いやはや驚くではないか!

 何と夫に黙って土地を購入したと言うのだ。
それも彼女が愛して止まない岩手山の麓の別荘地を。
老後は朝な夕なに岩手山を仰ぎ見て暮らしたいというのが彼女の切なる願いだった。
夫はロマンを決して理解しようとはしない、反対されるのは目に見えているので内緒で決めたと言っていた。

 「いつの日かここに小さなお店を作って、母親の手作りの品物を飾ったり、訪れるライダーたちに美味しいコーヒーを飲ませてあげたい。手料理はnihaoさんの担当よ。手伝ってね。」
と楽しい夢を語っていた人が一番先に逝ってしまうなんて...

 秘密の別荘地の存在を知った時のご主人の驚きはどのようなものだったのだろう。
私はそれを想像する度に快哉を叫びたくなる。
マダムたちの秘密のスケールは大きい。







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仲良きことは難しき哉

2011-12-08 09:45:00 | おすすめ記事
 姪っ子の結婚式に出席するため茨城県水戸市に出かけた。
盛岡水戸間約500㎞。オットーの運転で車で行った。

 この地は初めて。ああ、なんとゆったりした美しい街並みだろう。
遠くまで見渡せる水戸市の広大なパノラマは、四方を山々で囲まれている岩手人にはとても気持ちよい眺めだ。


                   


 水戸市のあちこちの家の庭や公園で咲き誇っていたのがこの花↑
さてこの花の名前は?
一瞬のことだったが走る車の中から花の名前を書いた看板を見つけた。

タチカンツバキだって!」(nihao)
サザンカだとよ!」(オットー)

 二人同時に全く違う名前を叫んでいた。
同じ花、同じ看板を見ている筈なのに、何故に認識の不一致が生じるのか?
はたして椿なのか、山茶花なのか、どっちなのか大変気になる。
後で調べたら、寒椿は椿の名前を持ってはいるが山茶花の仲間で、このふたつはほとんど同義語として使われていることを知った。



    


 今年は悲しいことばかり続いたので、一年の最後を晴れやかな結婚式で締めくくることが出来たのは嬉しい。
終始笑顔を絶やさず、この世のすべての幸せをふたり占めしている新郎新婦。
この日の感激を忘れず、ふたりで努力して揺るぎない家庭を築いてほしい。
ふたりともイベントの企画運営に精通している人たちなので、サービス満点、見所満載の演出で、大変愉快で素敵な結婚式だった。


 我らの結婚式はどんなだったか?
正直な話、私は結婚式を挙げる意味を最期まで見いだすことが出来なかった。
強硬に反対する理由もみつからなかったのでやったようなものだ。
主役であることが恥ずかしく居心地悪く、時間が早く過ぎ去ってくれることだけを願っていた。
本心を言えば、嬉しさよりも「ついに負けた」という悔しさの方が強かった。
オットーに負けた訳ではない。私を呑み込む古き悪しき体制に負けた...
今で言うマリッジブルーのようなものか?
現代の若者たちは実に堂々としていて美しいが、はたして一点の曇りも疑念もないのだろうか?

 ところで先日、いつも強気な態度で突っ張って生きている娘が
私は仕事も遅く料理も下手で、いつまで経っても良き妻になれない
と珍しく弱気な発言をして落ち込んでいた。

 仕事や収入が充実してきて夫としてのスキルを上げている婿殿に比べて、妻のスキルが全然上がっていないことに気がつき、これでは夫に釣り合わず申し訳ないと嘆いているのだった。
冗談ではなく、これは本気の悩みだと母親にはすぐ分かる。
とっさに思いついたアドバイスがこれ↓

 「良き妻になれないのなら仲良き妻になればよい!
 
 簡単に言えば仲良き妻とは、夫と仲良く出来る妻、つまり夫のことが大好きな妻のことだ。
大好きだから夫を敬い大切にする。いつもにこにこ笑顔でいられる。
良き妻はその立派すぎる存在ゆえに、煙たがられ離縁されることがあるかもしれない。
しかしいくら家事に疎くても、仲良き妻を離縁する夫はいないだろう。
世の多くの男性の本質は、良き妻より仲良き妻の方を望んでいるのではないかと私は思う。

 すると娘は我が意を得たりという顔で
私、仲良き妻にならなれそうよ。お母さん、ありがとう!
と喜んでいたが...ちょっと待て! そんな簡単に結論を出してよいものか?

 娘よ、主婦としての経験値とスキルを上げれば、誰でもいつかは良き妻になることが出来るのだよ。
それに比して、仲良き妻になることはどれだけ大変なことであるか。
自然体で出来るのならよいけれど、仲良き妻を演じるのなら、かなりの鍛錬と自己犠牲が強いられる。
夫と仲良くすることは、もの凄く難しいことなのだよ。


 





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赤い靴

2011-11-05 13:45:00 | おすすめ記事
 童話【赤い靴】は、赤い靴に魅せられた少女が、死ぬまで踊り続けなければならない呪いにかけられるという、アンデルセンによって書かれた作品です。
原作はとても残酷で怖い内容です。

 踊り続け疲れ果てた少女の最終的な選択は、自分の足首を切り落とすことでした。
少女は首切り役人の前に自分の足を差し出します。
切り落とされた足と靴は、ぴょんぴょん跳ねてどこかへ去っていきますが、生まれ変わって真面目に生きようとする少女の前に、なおも時々姿を現し、しつこくつきまといます。
大切な自分の足を犠牲にしても許されることのない少女の罪
この靴の正体は一体何なのでしょう。すごくやり切れない作品です。


 幼い頃に読んだ幼児向けの作品では、改心した少女の祈りが天に届いて靴が脱げるという内容になっていました。
それでも私は子供心に
むやみに我が儘を言って親を困らせたり、ものを欲しがらないようにしよう。
と結構本気で反省したものでした。
死ぬまで踊り続けることがどれほど残酷な罰であるか、想像するだけでも強烈な痛みを伴いました。
赤い靴の教訓は、よい子の読者を震えあがらせるだけの効果があったのです。


 少女期に再度『赤い靴』を読んだ時は、なんと理不尽な作品であるかと思いました。
貧しく不幸な少女が、たまたま目にした赤い靴を自分のものにしたいと願っただけで、なぜそのような重い罰を受けなければならないのか、いくら考えても納得がいきませんでした。
しかも心からの反省や祈りすら通じないのです。
このような出口なしの世界では、何を拠り所に生きていったら良いのでしょう?
でも深く考えることの苦手な私は
罰が当たってもいいさ。欲望には忠実であろう!
という開き直った結論を導き出し、赤い靴の呪いから少し自由になりました。


 最近私が考えていることは...
人間は、いや命あるものは皆生まれた時から赤い靴をはいていて、その力によって生かされているのではないかということです。

 私たちは、ふと立ち止まって自分と自分を取り巻く世界について考えることがあります。
でもよく考える暇もなく、気がついた時にはもう次の一歩を踏み出しています。
迷ったり、逃げだそうとしたり、闘おうとしたり、深く考えようとしたりしなくても前へ前へと進めるのは、赤い靴をはかされているからではないでしょうか。
赤い靴は、目に見えない足枷でもあるけれど、日々のノルマをこなすために必要不可欠なアイテムであるのかもしれません。
このように考えて初めて、子ども時代から囚われていた私の中の赤い靴の呪いは去っていきました。
私もいつの間にか知らないうちに、ずいぶん遠くまで歩かされてきたものです。
歩くことを止めるのは私ではなく赤い靴。まだまだ歩かなければならないのでしょうか?


 最近我が家の老犬ももちゃんも、玄関に落ちたり家具や壁にぶつかって痛い思いをしながらも狂ったように歩き回っておりました。
私にはももちゃんが危険を顧みないのではなく、ももちゃんの赤い靴が好き勝手をしているような感じにしか見えませんでした。
1週間ほど前からはよく転倒するようになりましたが自力では起きあがれません。
立たせてあげると2・3歩歩き、また転びまた立たせ...前進することしか望んではいないようでした。。
しかしももちゃんもついにその赤い靴を脱ぎました。11月3日13時40分永眠

 すっかり力尽き命の灯が消えそうになってからも、左前足を何度も床に叩きつけ立ち上がって歩こうとしていました。
きっと元気に野原を駆け回っている夢を見ながら死んでいったことと思います。
私は何度も「あなたの赤い靴を脱ぎなさい」と言ったのですが、ももちゃんの赤い靴の到達点は、まだまだ遠くを示しているかのようでした。






  ※カテゴリーに『ももちゃん』を追加しました







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温泉マダムの大失態

2011-01-31 12:50:00 | おすすめ記事
 自室の机の中を整理していたオットー、3年前に頂いた一万円の旅行券を見つけた。
ふたりで旅行する時の足しにしようと思っているのだが、老犬ももちゃんの現状を考えるとなかなか使用する機会がない。
そのうち期限切れになってしまう。さてどうしようか?

 「オレが留守番しているから、おまえひとりで温泉にでも行ってこい!」

 えっ、ホント?
オットーの気が変わっては大変と、すぐに私はT温泉のホテルSに予約を入れた。


            



 私、ふだんはお安い国民宿舎とか公共のお宿しか利用しないから、こんな立派な旅館に泊まることなど滅多にない。
旦那もこぶもついていない。嬉しさと開放感がじわじわとこみ上げてくる。

 広すぎるゴージャスな部屋の中で、すべての私だけの時間を、道尾秀介(祝直木賞受賞!)の『球体の蛇』というミステリー仕立ての青春小説を読むことに費やした。



            


 お腹いっぱいになったら、本を読んで、またうとうとして....目が覚めたら温泉へ。
マダムにお似合いの贅沢な時間が流れる。
ああ、お願いだから時間よ、止まれ!

 翌朝は5時に目が覚め温泉へ。
先客のスリッパが3組あったが、浴槽には誰もいなかった。
みんな露天風呂の方に入っているのだろう
私はのんびりと極楽気分を味わっていた。
すると露天風呂の扉が開いて
突然私の眼前にタオルで前を隠したひとりの男性が現れた。

  はぁ~っ、どうしてこんなところに男が(女が)いるの?

 私たちは、見知らぬ土地で遭遇した異星人のように、暫くはポケッと口を開けたままお互いの顔を見つめ合っていた。
漫画家の蛭子能収(えびすよしかず)さんにそっくりの男性だった。

 こんな時、若い女性なら「きゃ~っ、変態!」などと黄色い声を張り上げて大騒ぎするのだろうが、私くらいの歳になるとさすがにそんなことは出来ない。
なぜか不思議と肝が据わってしまう。
さて、どのようにしてこの変態男を撃退しようかと湯船の中に深く浸かりながら考えていたら、先にえびすさん(?)の方から声をかけてきた。

 「あの~、こちらは男湯ですよ!」 
 え゛~っ! ホ、ホント? ど、どうしよう? 

 そう言えば...温泉って日が変わると男湯と女湯を交換する。
私、寝ぼけていて全然確認しなかった。昨夜の記憶のままに行動していた。
超恥ずかしい! 超ドジった! 超困ったよ。
私は自分の身体を隠すタオルすら持っていない。
えびすさんは、ひたと私を見つめたまま視線をそらさない。
この局面、一体どのように乗り切っていけばよいのだろう?

 仕方ない。どうにもならない。私は諦めた。

 「大変失礼いたしました。ごめんなさい。
    あの~、ちょっとの間だけ目を瞑っていただけますか?」

 とお願いして脱兎の如く脱衣所に向かったが、はたしてえびすさんは目を瞑ってくれただろうか?

                    ☆


 以上の話は実話です。
書こうかどうしようか迷いましたが、皆さまの参考になることもあるかもしれないと思い直し(?)正直に書きました。
馬鹿な私...って、今、ホントに反省しています。
娘に話したら「えびすさんの方がお気の毒だわねぇ。」と言われました。
私はえびすさんでよかったと感謝しています。
阿部寛だったら...その場で卒倒していたかもしれません。

 えびすさんと朝食バイキングで鉢合わせしたら大変と、私はお腹が空いていたけれど我慢して大幅に時間をずらして食堂に行きました。
この日はどこかの大きな会社の宿泊研修会があったらしくて、ホテルは壮年の男性たちで溢れていました。
行き交う人の全部がえびすさんに似ていて、生きた心地がしなかったです。



                   ※エロチック・コメントは遠慮してね(^_^)


                




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最後の一葉

2010-12-03 20:00:00 | おすすめ記事


        
          (最後の一葉)



《マダム・N》ねぇ、O・ヘンリーの『最後の一葉』ってお話、知っている?
《オットー》おお、知ってる。知ってる!
      岩手競馬の最終レース、最後の一葉さんを握りしめて馬券売り場へ...
      おっとっと、その一葉さんではなかったな。 

《マダム・N》馬鹿ね、相変わらず!
     これは昔から不思議と日本人に愛されている物語よね。
       確か...若い画家志望の女性が重い病気にかかって
       窓の外の蔦の葉っぱが全部落ちた時自分の命もおしまいになると...
《オットー》それを知った老画家が、壁に本物そっくりの蔦の葉を描きあげる。
      女性は絶対に落ちない蔦の葉を見て再び元気になったけれど
      無理をした老画家の方が死んでしまうという悲しくも感動的なお話だ。

《マダム・N》小学校の国語の教科書に載っていたわね。
《オットー》道徳の[自己犠牲]の教材として使われているのじゃないか?

《マダム・N》自己犠牲...尊い行為だと思うけれど、あなたには全く無縁な言葉よね。
      もしも、もしもよ、私がこの女性と同じような状況になったとしたら?
《オットー》あはは!
      下手な絵を描いても仕様がないし、糊で貼り付ける訳にもいかないし
      思いっきり木の幹を揺らして早くスッキリとさせてあげるよ!
《マダム・N》こ、この人殺し!


 このような夫婦の会話が本当にあったかどうかは別として...
熟年夫婦の話の最後がブラックユーモアに陥るのは特に珍しいことではありません。


 落ち葉掃きに忙しい今日この頃。
梅の枝に必死にしがみついている最後の葉っぱをぼんやりと眺めていました。
風に揺れて小刻みにふるえているのに落ちそうでなかなか落ちません。
「この諦めの悪い葉っぱの名前はフレディだろうか?」

 私の落葉のイメージは、人生の終末と言うよりも生の循環のイメージの方が強いです。
だから【最後の一葉】よりは【葉っぱのフレディ】のお話の方が好き。
裸になった木の枝先には、春を待つ新芽がこんなにたくさん用意されているのです。
樹木の一生は人の一生よりも遙かに長く凄いけれど...もしかしたら退屈かもしれません。

 最後の一葉が地に落ちたらきっぱりとした冬がやってきます。
でも今年は、なんだか生暖かく気持ちの悪い12月です。
私も、どことなくすっきりとしない日々の中で淀んでいました。

 先月は開店しているのに休業状態だったblog-cafeでした。
体調が悪かった訳でもパソコンの不調でもありません。
強いて言えば老人性鬱病? いや、年寄りの気まぐれか?
自分でも持て余し気味ですがどうにもなりません。
またぼちぼちと始めます。







 
      
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妻をめとらば

2010-09-16 10:45:00 | おすすめ記事




      『漱石の妻』 鳥越碧 講談社 06年5月


 明治の歌人与謝野鉄幹は、その詩【人を恋うる歌】で
「妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある」と歌っている。
若い人は意味が解らないかもしれないので簡単に解釈すると......
「嫁にするならば、賢くて見た目が美しくて優しい心根のある女性がよい」と言っているのである。
「みめ美わしく」は簡単に外見から判断できるが「才たけて情けある」かは一緒に暮らしてみないとなかなかわからない。

 女性の側からすると「おふざけじゃないわよ!」と言いたくなる歌詞だが
男性の側からすると、理想の妻像を実に簡潔かつ完璧に言い表している。
夢と理想と情熱に燃えた明治の若者たちは、このような歌を声高らかに歌いながら若いエネルギーを鼓舞していたのだろう。

 ちなみに『人を恋うる歌』は三高(現京都大学)寮歌。
現代の女性たちの結婚の条件も三高(高学歴・高収入・高身長)だ。
男性はロマンを追求し、女性はリアルを追求していることがよくわかる。


 ところが「才なくみめ美わしくなく情けもない悪妻」として、つとに有名だったのが、明治の文豪夏目漱石の妻・鏡子夫人。
近代日本悪妻史というものがあるのなら、おそらく夏目鏡子さんのトップの座は揺るがない。
この作品は多数の資料を参考にしながら、悪妻と言われ続けた鏡子夫人の新婚時代から晩年に至るまでの半生を小説で再現している。

 漱石は周囲の人たちに夫人のことを悪妻と断言して憚らなかったし、作品中でも夫人をモデルにしてその悪妻ぶりを書いている。
しかし漱石は、当時の文士にありがちな恋愛問題などを外で起こした形跡は見られないし、経済的に夫人を困らせていた風でもない。
なによりも七人もの子どもを作っているのだから、夫婦仲が悪かったと傍目が判断するのは早計である。

 悪妻のイメージを広く世に伝えたのは、寺田寅彦、鈴木三重吉、森田草平らの漱石の弟子たちの証言によるところが大きい。

 漱石は弟子たちを可愛がりとても面倒見がよかったそうだ。
弟子たちもまた漱石を敬愛し、その傾倒ぶりは異常とも思える熱烈さで、師の存在をほとんど神格化していた。
そのような弟子たちの目には、夫の仕事を全く理解しない横柄で浪費家の妻は、師の妻として最もふさわしくない女に映っていたのだろう。
面と向かって「漱石先生がお気の毒」と言う弟子もいたと言うから余計なお世話だ。
私も自らを悪妻とへりくだって(?)笑いとばすことは平気だが、赤の他人から言われたら猛然と反撃に転じるだろうな。

 この小説を読んだ限りでは、確かに鏡子夫人の生き方には、目から鼻へ抜ける賢さのようなものは感じられない。
しかしおおらかで気丈で堂々とした明治の女性像が浮かび上がってくる。
何はともあれ七人の子どもを生み育て、弟子たちの世話をして、病気がちで気難しい天才作家に長年仕えた妻を、男性の視点からだけで悪妻と評価するなどけしからん話だ。
「漱石の妻は悪妻」というこれまでの通説を覆した面白い作品だった。
 

 ところで先日、お昼のワイドショー『DON!』を見ていたら「夫と妻の呼称」に関する興味深い事実が判明した。

 『DON!』調査によると、夫の呼び方は「旦那→主人→亭主→夫」の順番で身分が低くなるそうだ。
「旦那」は仏教用語ダーナ(お布施をくれるありがたい人)からきていて、「夫」は単なる男人(おひと)のことで全然敬意が込められていない言葉らしい。

 妻の場合は「細君→奥さん→女房→家内→かみさん→妻→嫁」の順。
「細君」は女性の君主の意味で「嫁」は単なるよそ者の女という意味だそうである。

 さて、知ってしまったからには使い方を考慮しなくてはならない。
では...私は従来通り奴を「夫」と呼び、奴には私を「細君」と呼ばせることにしようか。


 
          ※土曜日からしばらくの間、北の大地に行ってきます!


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アルルカン洋菓子店の熱き夜

2010-09-04 12:45:00 | おすすめ記事
                                    
            




 昨夜は、アルルカン洋菓子店の第三回東北お寺巡りライブだった。
昨年の様子はこちら→【悩む前のどんぶり君
哀調を帯びたMITSU君のギターの調べにのせて、自作の詩を朗読し歌う行動する詩人・明川哲也さんの熱いライブは期待を裏切らない。

 昨年の作品『クロコダイルの恋』は、鳥肌が立つような凄い演奏だった。
切なさと辛さに胸が締め付けられ、私自身までが泥の川に身を潜めて適わぬ恋に身を焦がしている一匹のワニになったような気分がしたものだ。
今年のツアーのテーマは『ファーブル・アルチュールランボー・チャップリン』
さてどのような作品に仕上がるのだろうかと楽しみにしていた。

 明川哲也さんと言えば、ドリアン助川さんの名前で『叫ぶ詩人の会』を結成し、金髪先生として若者たちの人生相談相手としても有名だった。
今回は、少年時代のファーブルやチャップリンやランボーたちが明川さんに悩みを打ち明け、彼らの後世の活躍と成功を知っている明川さんが「心配ないよ!」と、ちゃっかりと回答を寄せるという形のしゃれた構成だった。

 圧巻はアルチュール・ランボー編。
ランボーが16歳の時に書いた長編詩『酔いどれ船』を、明川さん自らが翻訳し10分間かけて朗読を熱演した。
難解な詩なので、我ら凡人には目で読んでも全然理解出来ないと思う。
明川さんからの「難しいので何も考えないで聞いてください」とのアドバイスに思わず苦笑い。
私も理解しようとするのはやめて、言葉に寄る酔いどれ船のイメージだけを楽しむことにした。

 私の中のランボーのイメージは、映画『太陽と月に背いて』のレオナルド・ディカプリオ。
無理矢理誘って一緒に行った夫とM嬢は、演奏寸前までシルヴェスター・スタローン演ずるベトナム帰還兵のことだと思っていたらしいのだが、そんな彼らにしてもランボーが乗り移ったかのような明川さんの迫力に驚かされていた。
この時の感動をうまく言葉にすることが出来ない自分の貧困なる表現力が悲しい。

 それにしても明川哲也さんは言葉の遣い手であり言葉の匠である。
ライブの中でもその才能は遺憾なく発揮され、お馴染みの『人生相談コーナー』においては、選ばれたひとりの聴衆のお悩みを即興で歌にして回答してくれる。
昨夜は「感情の起伏が激しくて困っている」と言う女性の悩みを、あっという間に「心の地図を描いて、いろいろな感情を旅するように自己コントロールしてみよう」という歌になったが、その見事な手法には脱帽する。
温かい思いやりとまなざしに満ちた言葉で捧げられた世界でたった一つの歌だ(...ああ、私の悩みも歌にして貰いたかった...)

 ライブの最後には、数名の聴衆から言葉のお題を集めて、それらを即興で歌にしてくれる。
この比較が適当かどうかは疑問だが......今年大ブレイクした「なぞかけ問答」のねづっちも、言葉をお笑いの道具にする遣い手として面白いと思うが、同じようにオチをつけた言葉遊びでも、人生の機微を即妙に歌い上げる明川さんはもっと凄い。
この日は私も突然「お題提供者」に選ばれ、嬉し恥ずかしのドキドキ体験をした(...ああ、人生相談の方で選ばれたかったなぁ...)

 何が原因なのか?
おそらく宣伝が足りないのだとは思うが聴衆が少ないのがとても残念だった。
アルルカン洋菓子店製作のクッキーまでお土産に頂ける得するライブなので、もし機会があったら現代に舞い降りた吟遊詩人たちに会いに足を運んでみるのはいかが?







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あれもこれも

2010-08-24 11:55:00 | おすすめ記事
 先日あるトーク番組を見ていたら、東大教授の【姜尚中】さんが、現代女性の生き方は「あれかこれか」の二者択一型から、何でもかんでも欲しがる「あれもこれも」型になってきているという指摘をされていた。
詳しい説明はなかったのだが、おそらくこういうことではないだろうか。

 私たちは本来、何かをしたいとか何かを得たいと考えた時は必然的に選択を迫られる。
「バッグを買おうか?靴を買おうか?」「このケーキ、食べるべきか?我慢すべきか?(ダイエット女子)」のような些細な事象から
「結婚をとるか?仕事をとるか?」「馬鹿な金持ちを亭主にするか?賢いが貧しい男を亭主にするか?」などの深刻な事象まで、人生のあらゆる局面で二者択一を求められながら生きてきた。
人の能力には限りがあるから、一方を実現した場合に他方を諦めて生きるのは道理であった。
選択肢を間違えて不幸になった女性もたくさんいることだろう。


 ところが最近は......「バッグも欲しいし靴も欲しい」「痩せたい、でも食べたい」「仕事をしないで楽な暮らしがしたい」「金持ちで賢くて優しくて二枚目の夫が欲しい」など、あれもこれもと欲望が増大して、身の丈に合った選択が出来ずに破綻してしまう女性が増えてきている傾向があるのも事実だ。
能力は有限だが欲望は無限、このバランスを崩して不幸になった女性もたくさんいることだろう。
ちなみに作家・林真理子さんのブログのタイトルは【あれもこれも日記
なんとなくうなずけるが、林女史は、あれもこれも手に入れるために人の何倍も努力した女性なのだ。
要するに「あれかこれか」の選択に成功したら「あれもこれも」の人生を送ることが出来るのかもしれない。


 もう30年も前の話だが......
今のように大型の安売り家電販売店がまだなかった時代は、一家に一軒の馴染みの電気店があって、電話をかければすぐに修理に駆けつけてくれた。
以下はある若き電気店主の体験談。
家庭用のビデオテープレコーダーが流行し始めた頃のことである。

「いや~ぁ、今日あるお宅に掃除機の修理に伺ったんですが、あんまり古い掃除機だったので新調することを勧めたけれど首を縦に振らない頑固な奥さんで......
じゃぁ奥さん、ボーナスで思い切ってビデオデッキを買いませんか?!
映画でも料理番組でも裏番組でも、録画しておいたら暇なときに何度もゆっくり見ることが出来てとても便利ですよと勧めてみたところ......
なんとなんとこの奥さん、私はビデオが大嫌いだと、とんでもないことを仰る!

 奥さん曰く、ビデオはなにやら人間を駄目にする道具なんだって。
都合が悪くて見られなかったら、人間は諦めることも肝心なんだそうで。
料理番組はメモしながら見ればよいし、見たい番組が重なればどちらを見ようかとよく考えて選択することが大切なそうで。
見逃した番組を後からいつでも見られるような機械は、人間から集中力と思考力と緊張感を奪い、選択の意志を低下させる以外のなにものでもないと.....

 オレは、この奥さんはただ単にビデオデッキを買う金がないだけだと思うんだけれど、まさかこんなにぼろくそに言われるとはね。
全く感じの悪いイヤな女だよね!!」


 はい、お察しの通り感じの悪いイヤな女とは私のことだ。
確かにビデオデッキが買えなくて悔しまぎれに言った言葉ではあるが、この頃から私は
「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」の生き方を真剣に考えて実践していたのである。

 ※現在の切なる願いは多重録画出来るビデオデッキが欲しいことです。




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ドクターG

2010-07-20 11:00:00 | おすすめ記事
 朝起きたら、たまらなく全身が痒かった。
虫にさされた覚えもないし、痒点がどこかもはっきりしない痒さだ。
お昼頃になったら、腕に湿疹のようなものが出てきたので、消えないうちにと急いで近所のかかりつけ医院に行った。

 この医院、昔は患者が入り口から溢れるほどの繁盛ぶりだった。
もう25年以上のつきあいで、家族全員なにかとお世話になってきた。


●息子が入試の前日に突然40度の熱を出した。
「何とかしてください!」と慌てて駆け込んだら、翌日にはすっかり回復して受験することが出来た(熱は下がったが試験は落ちた)

●電子レンジでゆで卵を作る実験をしていた私、ふたを開け中を覗き込んだ途端に大爆発。
ミクロに粉砕された卵の殻や黄身・白身などが毛髪や皮膚や衣服にべったりと張り付いた(危険です。絶対に真似をしないでください!)
見るも無惨な私の姿にドクターもナースも身体を揺らしながら笑いを噛み殺していたが、顔のやけどは五日間で跡形もなくきれいに治療してくれた。

●ここ数年来胃薬を処方してもらっている。
ドクター曰く「忘れてもよいから必ず飲み続けるように」
意味の解らない言葉だが、このように言われると却って忘れてはいけないと努力するので、私の胃はすこぶる快調だ。

●医療法の改定で、慢性疾患の場合の薬は何ヶ月分でも出してもらえるようになったと聞き及んだ夫。
2週間ごとに通院するのは面倒だし医療費も嵩むので「三ヶ月分処方してください」とお願いしたら
「あんたはなんて非常識な人間なんだ!」と叱られ衝撃を受けていた。
この歳になると、ご親切に非常識だなどと注意される事は滅多にないことだからよかったのか?


 最近はドクターが歳のせいか偏屈になって愛想も悪く、少々評判を落としている。


 さて、この日、全身の痒さに見舞われた私。
診察室で「どこが痒いのですか?」と聞かれたので
「どこが痒いかわからないけれど凄く痒いんです!」と訴えたら......
「自分のことなのにどこが痒いかわからないとは、なんてあんたはヘンな人なんだ!」
と、突然叱られた。

 私、なにかいけないことを言ってしまっただろうか?
「どこが痒いかわからないほどの得体の知れない痒さ」と言うのは、文学的表現すぎて、理科系の医師には通じない言葉だったのだろうか?
ヘンな人という自覚もない訳ではないが、ここまでハッキリ言われたら私も引き下がることは出来ない。
言われてもいないのに自らパンツを脱いで証明した。

 結局充分な説明のないまま(怖くて聞けないし)に注射され、飲み薬と塗り薬を処方されたが、その日のうちに症状は改善された。
なぜかこのドクターの見立ては正しく薬もとてもよく効くので、いろいろ文句も疑問もあるのだが、いまだに彼に替わるホームドクターは見つからない。


 NHKBS2及びHIビジョンTVで放送中の【総合診療医ドクターG】は、画期的な知的医療エンターテイメント番組だ。
Gは総合を意味するジェネラルの頭文字。
この番組を見ると、総合診療できるかかりつけ医の重要性がよくわかる。
患者のために日夜研鑽努力する医師や研修医の誠実な姿勢にも頭が下がる。

 我が町のドクターも年々立派な『ドクターG』(Gは傲慢のG)となりつつある。
我らも立派な『クランケG』となって対応していかなければならない。




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男の美学

2010-04-07 11:45:00 | おすすめ記事
 ひとりの悩める男がいる。
彼の名を仮にMr.メランコリーとでも名付けておこう。
数年前に大病をしたが、献身的な妻の看病と熱心な子どもたちの祈りによって九死に一生を得た。
ああ、それからもちろん高度先進医療によるところも大きかった。

 奇跡的な生還を成し遂げたMr.メランコリー。
それ故に、病名は異なるが似たような状況の読売巨人軍の木村拓也コーチの急逝は身につまされる思いがした。合掌。

 Mr.メランコリーは順調に回復し、その外見は以前と同じく剛健だが、深刻な病原を抱えていることに変わりはない。
彼は退院後、身体障害者手帳を交付されることになる。
そして彼にとっては、この手帳が実に悩みのタネとなる。

 この身障者手帳なるもの、時と場合によっては黄門様の印籠の如き効力を発揮することがあり
「控えおろ~っ!」と見せびらかせば、みんなビックリして急に親切にしてくれる。
バス代や動物園や博物館の入場料が割引になることもある。
しかし彼の妻...仮にその名をMrs.クレヴァーとでも名付けておこうか...が
「黄門様、そろそろ印籠をお出しになる時間では...」
と進言しても、彼はもじもじするばかりで一向に出そうとはしないのである。
Mr.メランコリーは身障者であることを恥じている訳ではない。
どうやら身障者手帳を提示することがきまりが悪いようである。

 現在Mr.メランコリーはバス通勤をしている。
下車するときに手帳を見せれば料金はもちろん割引となるが、この瞬間が彼の一日の苦悩の始まりだ。
貧乏なのでバス代が安くなるのはありがたいが、幸運にも退職後も職を与えられ
Mrs.クレヴァーに全部横取りされているとはいえ給料も戴いている。
 (こんな私が割引の恩恵を受けてよいものだろうか?
毎回彼の良心は大いに痛むのだが、結局は貧乏には勝てず手帳を出してしまう自分がまた情けない。

 彼は心臓が悪いので、朝から良心を酷使するのは御法度だ。
「ではすっぱりと印籠を御上に返上したらいかがでしょうか?」
Mrs.クレヴァーは提案してみたが、これは不測の事態が発生した時に困るので却下。
Mr.メランコリーの周囲の人たちは
「当然の権利を行使することに何をためらっているのだ?」
と口を揃えて疑問を呈するが......

 Mrs.クレヴァーは考える。
義務は忘れても権利だけは主張する人間が増えている昨今。
Mr.メランコリーのような団塊の世代は、権利の主張が挫折感につながることを全共闘運動を通して知っている。
卒業後は経済・社会の中枢で闘士となり、義務は忠実に守ってきたが権利を主張することに慣れてはこなかった。
だからきっと黄門様の印籠の如き手帳を戴いても、自分には行使する資格があるのだろうかと、ついためらってしまうのではないだろうか?

 「一体なにをくだらないことで悩んでいるのよ?馬っ鹿みたい!」
とMrs.クレヴァーが夫を糾弾すると思ったら大間違いだ。
自らの権利の前でためらい悩むMr.メランコリーの姿に、実は男の美学をかいま見ているのだ。



 
 
 
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