昨年秋より病気療養中だったHUZUさんの容態が急変し、本日未明お亡くなりになりました。
HUZUさんは私の30年来の友人であり、またよきブログ仲間でもありました。
50歳過ぎてから何を思ったのか突然バイクの免許を取得しました。
スリムなボディに革ジャンをまとい、ロングヘアーをなびかせてハーレーにまたがってやってくるという、とてもかっこいいおばさんでした。
語学系の女性でもありました。
しかし一人で入学するのは恥ずかしかったのでしょう。必ず私を誘いました。
私が断ることが出来ない性格であることを見抜いていたのかもしれません。
彼女と一緒に英語教室に3年通い、彼女が止めた中国語教室には、もう10年も通っています。
最近では彼女は、韓国語教室に通っていました。
韓国語スピーチコンテストで入賞したと喜んでいたことがありました。
常に元気いっぱいで行動的。
ひとつところに留まらぬ風のような女性でした。
だからブログタイトルも【風のハーモニー】
カテゴリーに[マダムH]を追加しました。
記事を読み返してみたら、私はこの年下の友人にいつも大切にされ、しかも導かれていたことに気がつきました。
私以外にも
「彼女亡き後、一体どうしたらよいのだろう?」
と途方に暮れている友人たちがいました。
それほどHUZUさんは頼りになる大きな存在だったのです。
60歳と2ヶ月の早すぎる死でしたが、ご家族や友人達に見守られ、静かにとわの眠りにつかれました。
安らかなご冥福を心からお祈り申し上げます。
HUZUさんは私の30年来の友人であり、またよきブログ仲間でもありました。
50歳過ぎてから何を思ったのか突然バイクの免許を取得しました。
スリムなボディに革ジャンをまとい、ロングヘアーをなびかせてハーレーにまたがってやってくるという、とてもかっこいいおばさんでした。
語学系の女性でもありました。
しかし一人で入学するのは恥ずかしかったのでしょう。必ず私を誘いました。
私が断ることが出来ない性格であることを見抜いていたのかもしれません。
彼女と一緒に英語教室に3年通い、彼女が止めた中国語教室には、もう10年も通っています。
最近では彼女は、韓国語教室に通っていました。
韓国語スピーチコンテストで入賞したと喜んでいたことがありました。
常に元気いっぱいで行動的。
ひとつところに留まらぬ風のような女性でした。
だからブログタイトルも【風のハーモニー】
カテゴリーに[マダムH]を追加しました。
記事を読み返してみたら、私はこの年下の友人にいつも大切にされ、しかも導かれていたことに気がつきました。
私以外にも
「彼女亡き後、一体どうしたらよいのだろう?」
と途方に暮れている友人たちがいました。
それほどHUZUさんは頼りになる大きな存在だったのです。
60歳と2ヶ月の早すぎる死でしたが、ご家族や友人達に見守られ、静かにとわの眠りにつかれました。
安らかなご冥福を心からお祈り申し上げます。
盛岡で一緒に焼き肉と冷麺をご馳走になった、私と本名が同じの、綺麗なHさんですよね?
人の死について何を言っても言葉の重さが追いつきませんが、21世紀に入ったあたりから、結婚式にはとんと呼ばれないのにやたらに葬式が増え、中でも本人も周囲も或る程度覚悟や準備が出来ている年齢の人ではない、あまりに早すぎる人の死については、ご本人と、ご家族と、そして「残される」自分という三者それぞれの悲しさや淋しさや悔しさ、無念さなどが、何とも重いです。
三者の中では一番軽いはずの「私の思い」だけしか私には実感できないわけで、そこから推測される「本人や家族」の思いはいかばかりであろうと、いかにも切なくやるせなく、古来言い古されてきた「諸行無常」という感覚が、つきつめられた真理であることを実感させられます。
昨年 11月に、法律の勉強を教わるというきっかけからお世話になり、後には何度も飲みに行ったり旅行に出かけたりして友達づきあいをしてもらっていた弁護士の先生が、50代前半で突然、本当に突然亡くなりました。
オトナになってから「友達」と呼べる人が、意外なことにできたと思ったら、そうしていなくなってしまいます。
「神は、奪うのならば何故与えるのでしょうか」というような、言い古されたフレーズを思い出してしまい、しかしそれでも「それならば出会わなければよかったのか」と言われればそれは違う。
遺された者たちは、故人と共有した時間や思いや会話などを、生きている限り胸に抱いていくことしかできず、またそういうものを持ち続けていられることこそが、それだけが遺された者にとっては故人と関わった証であり、遺された者たちがそういうものを抱えて生き続けている限り、故人はその人達の胸に、という形で生き続けるのであろうと、そんなふうに無理にでも考えて生きてゆくしかないのであろうかと、思います。
HUZU さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ブログ上でお付き合いが始まった時彼はすでに病を得ていましたから、いつかはそんな日が来るとは分かっていたのに、ご長男がアップされた訃報の記事を読んだ時には思わず涙が・・・
実際にお会いした事が無くてもそんな状態ですのに、30年来のご友人であったというHUZUさんの訃報は切ないですね。
HUZUさんのご冥福をお祈りいたします。
人がいなくなってしまうことに対する感性が、年齢とともに違う性質のものになっていくような気がします。
ライダーブログを探して読んでいた彼女が
「とても素敵なブログを見つけたのよ!」
と言って喜んでいたのが又三郎さんのページでした。
なかなか見る目がある(^_^) 凄い!
彼女のお蔭で、私も又三郎さんと知り合いになった次第です。
千葉の病院に入院した時には既に、もう盛岡に戻って来られないかもしれないという見通しの暗い状態だったそうです。
だから彼女の最後の記事は、古里に戻ってきた喜びで溢れています。
温かいお別れの書き込みをしてくださいましてありがとうございました。
雨の盛岡・・・今となっては三人で、冷麺をすすり焼き肉鍋を囲んだことがよき思い出です。
私達三人とも同じ嗜好の持ち主で、遠慮なしに話が弾みましたね。
「雨さえ降っていなければ途中までご一緒して 案内するのに」と言って残念がっていたHUZUさんでした。
最近同世代の方々の死亡通知を受け取ることが多くなっています。
とは言え、いつも身近で親しくしていた友の死は、私にとっては初めての経験です。
何とも辛く切なくて、この悲しみは時間の経過とともに更に深くなるかもしれないものです。
もう彼女が仕事をさぼって我が家に一休みをしにくることはないんだなと思うと寂しい限りです。
早すぎる友の死というのは、かなり応えるものですね。
何かにつけては彼女のことを思い出しグスグスしています。
HUZUさんはかなり珍しく難しい癌だったそうです。
でも「私の癌は死なない癌なのよ。安心してね。」と言っていたので、
その言葉を最後まで信じていました。
私も「私より先に死ぬことは許さないからね」と脅したりして・・・
震災から始まって、今年は辛い別れが多い年になりそうです。
盛岡にも、そして今日のミニツーリングにも、タンクバッグ(バイクのタンクのところに取り付けるカバンです)の内側に写真を入れて連れて行っています。
彼が逝ってしばらくは、見る夢は彼が「死んだ」ことについてのものでしたが、数年を経て「生きている」彼がときどき遊びに来るようになりました。
不思議に思ったのですが、当初は彼の「死」が自分の中で重く、インパクトがあり、そのことが第一だったのでしょう。
それが時を経るにつれて、それまでの長いつきあいの日常が、彼がいなくなってしまったという事実とそのインパクトの上に覆いかぶさっていったのだろうかと分析することとなりました。
そして人間とは悲しいもので、また強いもので、最近では「たまには顔出せよ」と思うくらいに、あまり出て来ません。
でもどういうわけか、(きっと一人になって、そして特に考えることも無いからなのでしょう)風呂に入っているときだけは、そいつと、それから昨年の 10月に先に逝ってしまった若い先輩のこととが、どうしても思い出されます。
しばらく我慢していると、そのうち元気な姿で出てきますよ、きっと。
60歳・・・早すぎますね。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
今は悲しみと無力感でいっぱいですが、早く元気にならなければと思っています。
未だにお友達の写真とともにツーリングをされているという闘魂さんの男の友情。
じんときて泣きそうになりました。
HUZUさんも岩手山の麓に大好きな場所がありました。
その場所に立ったら、私も彼女と対話できるような気がします。
>夢で逢えたら
嬉しいですね。
私も時々亡き両親の夢を見ることがあります。
そんな日は一日いっぱい温かく幸せな気分で満たされます。
何かよいことが起きそうな予感がするので、必ず宝くじを買いますが、当たったためしはありません。
早くHUZUさんも私の夢の中に現れてほしいと思います。
そのときもきっと私は宝くじを買うことでしょう(^_^)