goo blog サービス終了のお知らせ 

雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第四回 新三郎、辰吉の元へ

2015-02-27 | 長編小説
 辰吉(たつきち)は考えこんでしまった。三太郎先生は手紙をだしておこうと仰った。自分が三太郎先生のところに居ることが分かってしまう。そうなれば父亥之吉はまたしても信州に訪れるであろう。
   「正義感の強い父のことだ」
 おそらく自分に自訴をさせるだろう。
   「遠島か、斬首か、どちらも嫌だなぁ」
 暫く考えていた辰吉であったが、やはり熱りが覚めるまで股旅暮らしをしようと思った。ここを抜けて上方へ行き、道修町というところにある福島屋善兵衛のお店に寄り、何食わぬ顔で未だ見ぬ祖父に会って行こうと思い立った。

   「辰吉さん、辰吉さんは居ませんか?」
 三太郎の奥方、お澄が辰吉を探している。
   「辰吉さんに何かご用ですか?」
 尋ねたのは若先生の三四郎である。
   「いえね、旦那様が朝出掛けに『辰吉さんが早まったことをしないように気を付けて見守るように』と言っていたのですが、辰吉さんの姿が見えなくなったので心配しているのですよ」
   「辰吉さんなら、さっき『卯之吉さんのところへ行ってくる』と言って出掛けました」
   「場所は知っておいでなの?」
   「私が教えました」
   「旅支度をしていませんでしたか?」
   「そう言えば、そうでした」
   「あなたそれを私に、何故知らせてくれなかったの」
   「お知らせするべきでしたか?」
   「辰吉さんが早まったことをしないか、旦那様が心配なさっていたのです」
   「奥様は、何故そんな大切なことを我々に知らせてくれなかったのですか」
   「すみません」

 その頃は、辰吉はもう卯之吉の店にやってきていた。
   「いらっしゃいませ、今日は法蓮草がお買い得ですよ」
 こんな股旅姿の渡り鳥が、法蓮草など買いに来るだろうかと、店番の女に辰吉は一言いいたかった。
   「客じゃありません、卯之吉おじさんに会いに来ました」
   「うちの亭主のお知り合いですか、これは失礼を…」   
   「俺は江戸の辰吉、元の名を福島屋辰吉です」
   「これは福島屋亥之吉さんのご家族の方でしたか、お見逸れしました」
   「いえ、それで卯之吉おじさんは留守なのですか?」
   「はい、朝から野菜の仕入れに行っておりまして、まだ帰らないのですよ」
   「そうですか、では帰りましたら辰吉が会いに来たと伝えてください」
   「わかりました、それではご用のむきなど教えて頂けませんか?」
   「ただ懐かしくて寄っただけですので…」
   「それで辰吉さんはこれから何方へ?」
   「上方の祖父に会いに行きます」

 辰吉が帰って小半時(30分)ほどして、卯之吉が荷車を引いて戻ってきた。
   「えっ、辰吉が?」
 卯之吉は胸騒ぎがした。商家の若旦那が、さしたる用事もなく股旅姿で江戸から信州くんだりまで来る訳がない。何か余程の切羽詰まった用があったのだろう。
 恩ある亥之吉兄ぃの嫡男である。
   「このまま放っておいては、義理に背く」
 卯之吉は旅支度を始めた。
   「お仙、俺は辰吉を追いかけて見る」
   「お前さんごめんよ、あたいが留めなかったばっかりに…」
   「いや、いいのだ、店を頼むぜ」
   「あいよ」

 と言って出掛けてきたものの、若い辰吉の脚に追いつく自信はない。一昔の事とは言え、卯之吉とても脛に傷を持つ身、鵜沼までは行けない。夕暮れ時になると旅籠という旅籠を片っ端から覗いたものだから、ますます遅れて木曽の棧を越え、大田の渡津までは追いかけたが、卯之吉は諦めざるを得なかった。

 その頃には、辰吉は京の都は京極一家に草鞋を脱いでいた。
   「池田の亥之吉どんのご子息ですかい」
   「お控えなすって…」
   「いいから、いいから」
   「てめえ生国と発しますは…」   
   「江戸菊菱屋の政吉どんはお元気でしたかい?」
   「江戸と言いやしても、些か広うござんす」
   「そうですかい、今は菊菱屋の旦那に収まっているのでしょうね」
   「江戸は京橋銀座…」
   「もういいから、真面目に返答しておくんなせぇ」
   「俺は真面目です、ちっとは控えてくださいよ」
   「政吉どんは、あっしの弟のようなものでしてね」
   「もう、嫌だ」

 ここは皆、親分子分ではなく、親分と殆どが舎弟である。先代親分が亡くなった時に居た子分は、新しい親分の舎弟であるからだ。

 若い舎弟が、辰吉の面倒をみてくれた。
   「池田の辰吉どん、さ、さ、こちらへ」
   「俺は、江戸の辰吉です」
 親分さんが、辰吉を見て懐かしそうに言った。
   「お前さんも天秤棒を持ってなすったねぇ」
   「おれのは、天秤棒ではありません」
   「ふーん、似たような物やけど」
   「父の天秤棒を知っているのですか?」
   「知っていますとも、天秤棒を持った亥之吉どんは強かった、あんな強いのがうちの舎弟だったら、いつ殴り込みを掛けられても安心や」
   「へー、そうなのですか」
   「丁度、亥之吉どんがおいでなすった時に果たし状を持った男が来ましてな」
   「親父は逃げたのでしょ」
   「いいや、独りで相手の一家に出掛けて行って、脅して丸く納めてくれた」
   「脅してですか」
   「言い方が悪ければ、強さを見せつけてかな?」
   「あんまり変わりませんが…」
 親分は、当時を回想している様子であった。
   「辰吉どんが泊っているときに殴り込みがあったら、辰吉どんはどうする?」
   「そりゃあ、一宿一飯の恩義に報いて…」   
   「報いて?」
   「戸板に隠れて、声援します」
   「亥之吉どんと同じことを言った」
   「父子ですから」

 
 翌日の夕、辰吉は一家の親分と舎弟たちに挨拶をして、上方へ発った。伏見から三十石舟に乗って淀川を下り、翌朝淀屋橋に着いた。そこから歩いて道修町(どしょうまち)まで、少し迷ったが昼前には福島屋本店に着いた。

   「江戸から辰吉が来たと、お爺さんに伝えてください」
   「お爺さんですか?」
   「はい、善兵衛お爺さんです」
   「あ、はい、ご隠居さまですか、ちょっと待っておくなはれや」
 どうやら、使用人らしい。一旦奥に消えて、すぐに出てきた。
   「ご案内します、どうぞこちらへ」
 通されたのは奥座敷、ご隠居の寝所だった。   
   「辰吉か、よく来たなあ」
 病んでいるのか、ちょっと弱々しい声であった。
   「お爺さん、初めてお目にかかります」
   「そやなあ、亥之吉は独りで帰ってきても、辰吉を連れて帰ってはくれなかったからな」
   「親父は、急用のあるときしか上方へ来なかったので、俺を連れていては足手まといになるからです」
   「そうか、辰吉大きくなってたんやなあ、それで独りで帰ってきたんか?」
   「はい、独りです」
   「亥之吉のとこは、けったいやなあ、一人一人別々にパラパラと帰ってきよる」
   「え、誰か帰って来ているのですか?」
   「はいな、この前、三太が独りで帰ってきた」
   「本当ですか、三太兄貴に会いたい」
   「ほな、呼びに行かせましょうか?」
   「いや、俺が会いに行きます」

 嘗てチビ三太が奉公していた店、相模屋長兵衛の場所を教えて貰い、辰吉は喜び勇んで出掛けていった。
   「何や、辰吉はこの儂に会いに帰って来たのやないのかいな」
 善兵衛の長男、現福島屋の旦那圭太郎が辰吉と入れ違いに入ってきた。
   「お父っつぁん、今出て行った若いのは妹お絹の子だすか?」
   「そやねん、三太と聞いたとたんに、会いたい言うて飛び出して行きよった」

 相模屋のお店へ、辰吉は息せき切って入って行った。
   「三太兄い、お兄ちゃんいますか?」
   「何や? 三太の弟かいな」
   「そうです、会わしてください」
   「会わさないでもないが、三太に弟なんか居なかったと思うが…」
   「それが居たのです、江戸の辰吉と言います」
   「さよか、ほな今呼びますから、ちょっと待っとくなはれや」
 奥から、懐かしい声が聞こえて来た。
   「辰吉坊ちゃんが来たのですか、独りで?」
   「知りまへんがな、お兄ちゃん言うてまっせ」
 それ程も長いこと会っていなかった訳でもないのに、三太は無性に懐かしかった」
   「あ、ほんまや、辰吉坊っちゃんや」
 この店の主人、長兵衛が怪訝そうに三太に尋ねた。
   「誰や?」
   「福島屋善兵衛さんのお孫さんだすがな」
   「ほな、江戸のお絹さんの子だすか」
   「そうだす、若旦那、よくここへ訪ねてくれはりました、会いたかったのです」
   「わっ、兄ちゃんだ」
 大きな形(なり)をして、辰吉は三太に抱きついた。
   「ほんまによう来てくれはった、話したいことがおましたのや」
 辰吉が行方不明になって、三太は探しに行きたかったが、江戸十里四方所払いの刑を受けた身、持っている通行手形を見せたらそれを知られてしまい、一々詮索されて自由に動きがとれないのである。

 今夜は、三太が福島屋へ行き、ゆっくりと話しをするつもりである。
   「新さん、辰吉に憑いて、辰吉が早まったことをしないか見張っていてくれませんか」
 三太は守護霊の新三郎にお願いをした。むしろ、これからは辰吉を護ってやって欲しいのだ。
   『よし、分かった、任せてくだせぇ』
 辰吉は、今夜三太と話が出来ると、晴れ晴れとした笑顔で福島屋に帰って行った。

  第四回 新三郎、辰吉の元へ(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚相当)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第三回 父の尻拭い?

2015-02-20 | 長編小説

  信州小諸藩士山村堅太郎の屋敷はすぐには見つけられなかった。小諸の城下町で尋ね歩いても、知っている人が居なかったからだ。罪を犯して追われる身で小諸城へ足を運べず、武家屋敷の佇まいの中をうろつき、屋敷から出てきた使用人らしき男を見つけて尋ねた。
   「西村堅太郎様というお武家の屋敷を探しているのですが…」
   「西村さまなら、この道を真っ直ぐ行って、家並みが途絶える辺りにあります」
   「ありがとう御座いました」
 男に頭を下げると、辰吉(たつきち)は駈け出して行った。
 
 山村の屋敷は、質素な佇(たたず)まいであった。辰吉は門前に立ち、潜戸を叩いてみたが応答が無かった。潜戸を押してみると、「ぎーっ」と音を立てて開いた。
   「御免下さいまし、何方かお出(い)になりませんか」
 何度か声をかけて、漸(ようや)く応答がたった。
   「はい」
 堅太郎の奥様らしき女が、母屋から出てきた。彼女は堅太郎の妻お宇佐と名乗った。お宇佐は、鵜沼の卯之吉の妹である。一時は源蔵と名乗っていた卯之吉は、もとの卯之吉に戻り、今は八百屋文助の娘と夫婦となって、別の場所で八百屋の主人に収まっている。
   「山村堅太郎さまにお会いしたくて参りました」
   「主(あるじ)は登城しており留守ですが、どなた様でいらっしゃいますか?」
   「江戸から参りました福島屋辰吉と申します」
   「おや、福島屋さんとおっしゃいますと、福島屋亥之吉さんのご家族のかたですか」
   「はい、倅です」
   「それは残念です、亥之吉さんは昨日お帰りになりました」
   「そうですか、江戸へ帰ると言っておりましたか?」
   「さあ、それは…、そうそう、夫、堅太郎の弟、斗真がおります」
 話が聞こえたのか、見慣れた真吉(斗真)が七・八歳の男の子と一緒に出てきて、兄の子供だと紹介した。
   「若旦那、どうしてこちらへ?」
   「旅の途中で、天秤棒を担いだ男が居たと聞きましたので、もしや父ではないかと思い、やってきました。
   「そうです、旦那様ですよ、若旦那はどうして旅に出られたのですか?」
   「父の影響を受けたと言いますか、突然旅がしたくなって家出をして来ました」
   「女将さんはご存知なのですか?」
   「いいえ、家出ですから」
   「いけませんねぇ、女将さんが死ぬほど心配していらっしゃいますよ、きっと」
   「でしょうね、仕方がなかったのです」
   「突然旅がしたくなったというのは嘘ですね、何か訳がありそうですが、今はお聞きしないでおきましょう」
   「すみません」

 父、亥之吉が江戸へ向けて帰って行ったのなら、どこかで出会った筈である。
   「父は、どこへ行くとも言っていませんでしたか?」
   「帰るとしか聞いていません、てっきり江戸へお帰りなったものだと思っていましたが、出会わなかったのですね」
   「はい」
   「それでしたら、緒方先生のところへ行ったのではないでしょうか」
   「十年ぶりですから恐らくそうですね、今からそちらへ行ってみます」
   「私も付いて行きたいのですが、店を出す準備がありますのでここを出られません」
   「上田の城下で尋ねて行きますから独りで大丈夫です」
   「ところで辰吉坊っちゃん、路銀は十分お持ちですか?」
   「そちらも大丈夫です」
   「そうですか、亥之吉旦那様にお会いしましたら、お世話になりましたと真吉が言っていたとお伝えください」
   「わかりました」
   「もし、私にできることがありましたら、いつでも訪ねて来てください、くれぐれも軽はずみなことをしてはいけませんよ」
 
 斗真とお宇佐に見送られて、辰吉は山村の屋敷を後にし、同じ信州の上田藩に向かった。


   「おい、其処行く杖をついたガキ、ちょっと待ちやがれ」
 辰吉は、人相の悪い遊び人風の男に呼び止められた。見れば右手首に晒しを巻いている。
   「お前、天秤棒を担いだ男の身内じゃないのか?」
   「そうかも知れまへん」
   「確か、池田の亥之吉とか名乗っておった」
   「へえへえ、俺の親分だす」
   「やっぱりそうか、あいつも上方言葉だった」
 どうやら、親父の尻拭いをさせられそうな気配になってきた。
   「この腕を見ろ、お前の親分にやられたのだ」
   「へー、さよか、あんさんたち、わいの親分に何か悪さをしたのでっしゃろ」
   「お前の親分は賭場荒らしだ」
   「嘘つきなはれ、親分は立派な侠客だす」
   「それが、沓掛の時造とつるんで、いかさまをしやがった」
   「親分はいかさまどころか、博打は一切やりません、おおかたその時蔵さんがおっさん達に襲われていたのを、俺の親分が助けたのやろ」
   「喧しい、憂さ晴らしにお前の右腕を斬り落としてやる、覚悟しやがれ」
 男は、いきなり長ドスを抜いて両手で持ち、辰吉の右腕に斬りかかった。牛若丸程ではないが、辰吉も身が軽い。ぴょんと後ろへ飛び退くと、ドスは空振りした。その手首を辰吉が六尺棒で思い切り打ち据えた。
   「ぎゃっ」
 男の手首に巻いた晒に血が滲んできた。
   「おっさん、顔ほどでもないなぁ、親分は歳をとっているさかいに手心を加えたのやろが、わいは若いからそうはいきまへんのや、手首折れたかも知れんが堪忍してや」
 男は悔しいのか、痛みの所為か涙を堪えて顔をしかめている。

 
 上田藩城下に入り、商家で緒方三太郎の診療所を尋ねると、親切にも手代と思しき若い男が先に立って案内してくれた。建物は辰吉が思っていたよりも大きくて、名前は「緒方養生所」と変わっていた。
   「先生にお会いしたいのですが…」
 女が出てきたので伝えると、ちょっと首を傾げた。
   「先生は三太郎、佐助、三四郎と三人おりますが、どの先生でしょうか?」
   「緒方三太郎先生です、江戸の福島屋辰吉が来ましたと、お伝えてください」
   「あの、福島屋亥之吉さんのご子息ですか?」
 親父は、やっぱりここへ来ていたのだ。
   「はい、そうです」
   「ご案内いたします、どうぞお上がりください」

 先生は、親父や三太の兄貴が言っていたように、優しそうで親父と同年代と聞いていたが、親父より可成り若く見えた。この先生が甲賀流剣道の達人かと思うと、辰吉は「ぶるっ」と身震いをする思いだった。
   「亥之吉さんは、今朝早くお発ちになりましたが、上方へ寄って帰るのだとおっしゃっていました」
   「そうですか、一足違いだったのですね」
   「辰吉さんが強くなったと、お父さんがよく自慢をしていましたよ」
   「お恥ずかしゅうございます」
   「私は、あなたがまだ小さいときに一度お会いしていますよ」
   「はい、父とお手合わせしているところを薄っすらと憶えております」
   「そうでしたね、昨日もやったのですよ、お陰で腰が痛くて…」
   「父も、今頃腰を擦りながら歩いていることでしょう」
   「そうかも知れません、ところで辰吉さん、亥之吉さんの後を追うのが目的の旅ではないでしょう」
   「はい」
   「何か訳がありそうですね、今夜から暫くここへ泊まって行きなさい、話はじっくりお聞きしましょう」
   「ありがとう御座います、お察しの通りです」

 その夜遅くまで、三太郎は辰吉に付き合った。
   「辰吉さん、どうやら何か仕出かしたようですね」
   「はい、喧嘩をしてドスで刺されそうになったのですが、揉み合っているうちに相手を刺してしまいました」
   「そんなことだろうと思いましたよ、その相手の男は死んだのですか?」
   「はい、多分」
   「それで…?」
   「父の迷惑にならないようにと、その脚で旅にでました、もう店に戻ることは出来ません」
   「そうですか、実は私も人を刺したことがあるのですよ」
   「お侍のときに悪人を刺したのでしょ」
   「いいえ、私の実の父親です」 
   「えっ」
 辰吉は驚いた。
   「父の暴力から母を護るために、自分の意志で刺したのです、まだ子供でしたがね」
   「今でも心の傷になっているのですか」
   「なっていないと言えば嘘になりますが、止むを得ないこともあるのだと自分に言い聞かせています」
   「お強いですね」
   「反対です、弱いから強く居ようと思うのです」
 辰吉には、父を殺すなどということは有り得ないことだが、先生にはそうしなくてはならなかったのだろう。
   「辰吉さんもそうだろうと思いますよ、やってしまったことは有耶無耶には出来ません、悪人であれ人の命を奪ったのです、その罪意識を供養として強く生きて行ってください」

 父を追いかけて上方へ行こうかと思った辰吉だったが、先生のお言葉に甘えてここで心を鍛えようと思った。先生も、「そうしなさい」と、快く辰吉を受け入れてくれることになった。
   「お絹さんと三太さんが心配しているでしょう、私が手紙で知らせておきます」

  第三回 父の尻拭い?(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚相当)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二回 小諸馬子唄

2015-02-18 | 長編小説
 今夜は旅籠のふわふわ布団でゆっくり眠れるぞ、世の中どうにかなるものだと辰吉(たつきち)の足取りは軽かった。 
   「真吉兄ぃどうしているかな、親父は今頃何をしているのかな」
 考えながら歩いていると、道の傍(かたわ)らにいた十二・三の女の子が辰吉の前に出てきて立ち塞がった。
   「兄さん、あたいを買っておくれよ」
 まだ年端もいかない小娘が、何をやっているのだと辰吉は驚いた。
   「明るいうちから、ガキが何のつもりだ」
   「だからー、あたいは体を売っているのだ」
   「お前、自分の言っていることが分かっているのか?」
   「あたいはもう子供じゃない、近所のガキに押さえつけられてやられた時は痛くて大泣きしたけど、もう大丈夫さ」
   「どう大丈夫なのだ」
   「相当でかいものでも、するりと入る」
   「お前、いやらし過ぎ」
   「だからさあ、あたいを今夜一晩抱いてお金をおくれよ、おっ母の医者代が無くて困っているのだ」
   「おっ母が病気なのか、幾らいるのだ」
   「二両さ」
 娘は、俯(うつむ)いて呟いた。
   「二両か、それでおっ母は医者にかかれるのか?」
   「うん」
   「その後は」
   「また、辻に立って客を探すさ」
   「よし、二両出そう」
   「出会茶屋かい?」
   「お前の家に行こう」   
 辰吉はまだ女知らずである。この娘を抱く意志はない。病気の母を見舞ってやるつもりだったのだ。
   「やめとくれ、おっ母は病気なのだ」
   「おっ母の前で何もするものか、お見舞いするだけだ」
   「お見舞いなんか要らないよ、体を売っていることをおっ母に勘ぐられるじゃないか」
 娘は、先に金をくれないかと言った。医者に金を払って、今夜自分が留守の間に母を医者に診てもらうのだそうである。辰吉は、娘に二両渡してやった。
   「ありがとうね、この路地の奥に薮井宗竹先生の診療所があるの、ちょっと行って頼んでくるから待っていてね」
   「うん、わかった」
 辰吉は、返事をしたものの、到底娘が戻って来るとは思えなかった。どうせこの路地は抜け道があって、娘はそこからとんずらする積りであろう。

 案の定、待っても娘は戻って来なかった。辰吉は路地に入ってみると、薮井なんたらと言う診療所なぞ無かった。奥で老婆が溝掃除をしていたので、「今娘がここへ来たと思うが」と、尋ねてみた。
   「あはは、あんたあの娘に金を払ったのかね」
   「二両はらった」
   「おっ母が病気で、医者に払う金が要るといわれたのじゃろう」
   「言われた」
   「嘘じゃよ、あの娘に親兄弟は居ない、スケベの旅人を掴まえては嘘を言って金をせびり、贅沢三昧をしているのさ」
   「そうか、よかった、不幸せじゃなかったのだ」
   「あんたも金持ちの爺さんみたいに、お人好しでスケベじゃな」
   「放っといてください」
 江戸生まれの江戸育ち、江戸っ子辰吉、うっかりすると親の影響を受けていて、ベタベタの上方言葉が出るのである。

 向こうから、花売りの女が来る。まさか自分に声が掛かるとは思っていなかったが、意に反して辰吉の傍に寄ってきた。
   「お兄さん、花いりませんか?」
   「なんでやねん、旅の男が花を買ってどうするのだ」
   「女の子にあげたら喜ばれますよ」
   「アホかと思われるわい」
   「そんなことおへん、粋なお兄さんに花貰ったら、私やったらお腰の一枚でも脱いであげようかと思います」
   「やらしー、お腰の一枚やなんて、お姉さんお腰何枚はいていますのや」
   「五枚どすえ」
   「あほらし、ところで姉さん京の人だすか?」
   「いいえーな、京の大原女の真似どす、兄さんは上方どすのか?」
   「いいえーな、江戸でおます」
 こんなところで、花が売れるのかと聞けば、主に旅籠が買うらしい。
   「床の間に、花が活けておますやろ」
   「ほんなら、旅籠へ行かんかい」
   「ここらで売れたら、はよ帰れますがな」
 横着な花売りである。

   「金魚ーぇ、金魚」
 人通りも疎らな田舎道で、金魚売りとは…
   「おっさん、売れますか?」
   「ときたまな」
   「そやろなぁ、そこら辺の川を網で掬ったら金魚くらい子供でもとれるやろ」
   「それは、鮒だ」
   「おっさん、金魚一匹何ぼや」
   「へい、大坂(おおざか)の兄ちゃん、一匹十文からです」
   「ほんなら一匹、尾頭(おかしら)外して、三枚におろしてもらうのやが」
   「へーい、毎度ありー」
   「その黒いのと赤いの、どっちが旨い?」
   「それは黒い方ですが、黒はちょっと高いですよ」
   「黒いのはなんぼや?」
   「黒いのは、出目金ですから一両です」
   「たかっ、ほんなら赤い十文の方でええわ」
   「へーい、赤いのを一匹、三枚おろし」
   「ほんまにおろす気かいな」  
   「へい、何でもさせて頂きますぜ、おいら、元は大坂商人ですから」
   「わさびも付けてや」
   「へい、お付けします」
   「持っとるのかいな、わさび」
   「醤油かけときます」
 辰吉、金魚屋をからかったつもりが、一匹買う羽目になった。それで、辰吉その金魚どうしたかと言えば、小川の土手に埋めて、お墓を立ててやったりして。

峠の茶屋で休憩をとった。お茶と安倍川を頼むと、婆さんが持って出てきて辰吉の六尺棒をジロジロみている。
   「当世の旅人は棍棒を持ち歩くのがはやっているかい」
   「他の人も持っていたかい?」
   「大坂の商人風の人が、天秤棒を担いで持っていたよ」
   「ここで一服したのかい?」
   「そうだよ、六人のやくざに絡まれてどうなるかとハラハラしていたら、あっと言う間にその天秤棒でやっつけてしまった、強かったねえ」
   「それ、多分俺の知り合いだよ」
   「そうかい、顔が似ている、兄弟だろう」
   「えっ、そんなに若かったのかい」
   「年の頃なら、二十四・五ってところだったねぇ」
   「親父、喜ぶよ」
   「なんだ、お父っつぁんかい、すると、あんた親不孝者だろう」
   「どうして?」
   「どうしてはないだろ、そんなやくざの形(なり)をして」
   「うん」
 辰吉は、胸にズンときた。

 茶店から離れると、悪そうなガキに囲まれた。
   「おい旅鴉、長ドスも持ってねぇのかよ」
   「これが俺の長ドスだ」
 辰吉は、六尺棒を振って見せた。
   「ただの棍棒じゃねえか、それとも杖か?」
   「馬鹿にするな、それにしてもこの辺は何なのだ、次々と変なやつが現れて…」
   「弱そうな男が独り旅では、狙われるのはあたりめえじゃねぇか」
   「お前らも、俺の懐が目当てか?」
   「そうさ、たんまりもっているのだろう、怪我をしないうちに渡しな」
   「それはこっちの言うセリフだ、江戸の辰吉、ガキどもに怪我を負わされるほど軟(やわ)じゃねぇぜ」
   「よし、やってやろうじゃねぇか」
   「この俺をやるのは、とてもお前らには無理だぜ」
   「何を言いやがる、やっちまえ!」
 一見、軟弱そうな辰吉だが、動きが素早くて、まるで鋼(はがね)がブンブン暴れまわるようである。三太譲りの強さで、忽ちガキどもを捩じ伏せてしまった。
   「どうだ、まだやるか?」
   「やらねえ、勘弁してくれ、おいら辰吉兄ぃの子分にしてくだせぇ」
   「鬼ヶ島へ鬼退治に行くのだが、付いてくるか?」
   「えっ?」
   「嘘だよ」

 初めて通る道なのに、やけに懐かしい。
   「そっかー、親父と真吉兄がここで休んだのか」

 辰吉の草鞋は、小諸に向いた。

  ◇小諸出てみろ浅間の山に 今朝も煙が三筋立つ

  第二回 小諸馬子唄(終)-次回に続く- (原稿用紙11枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第一回 坊っちゃん鴉

2015-02-17 | 長編小説
 主人亥之吉が旅に出て不在の江戸京橋銀座の雑貨商福島屋に何者かが忍び込んだ。誰も居ない筈の旦那様の座敷から、「ガタン」と音がしたのを一番番頭の勝蔵が聞きつけて、様子を見に行った時は、もう賊は逃げたようであった。
   「何か盗られたものはおまへんか?」
 女将のお絹が番頭に問うたが、旦那様の座敷からは、何も盗られたものは無かった。手文庫も持ち去られておらず、どこからも金を盗まれた形跡はなかった。
 子供たちは皆寺子屋に行っている時間帯なので、拐かされた気配もない。一体何が目的で押し込んだのか不明であった。
   「もしや…」
 お絹は、喧嘩で相手を刺して姿を暗ました長男の辰吉(たつきち)ではなかったのかと、慌てて手代たちに表を探させたが、そこらに辰吉の姿はなかった。
   「辰吉の武具はありきすか?」
 亥之吉の天秤棒とは違って、丸棒を少し平らに削った六尺棒が辰吉の武具である。父親の亥之吉から伝授された武芸なのだが、主に手をとって教え込んだのは小僧の時からの番頭三太であった。
   「ありません、賊だと思ったのは、若旦那だったようですね」
   「旦那さんが若いころに使っていた道中合羽や三度笠が無くなっとります」
   「若旦那様は、旅に出られたのでしょうか」
   「三太が身代わりになって罪を被ってくれたと言うのに、辰吉は何も知らずにどこへ行ってしまったのやろか」

 急遽店を閉めて、店の者に日本橋方面など心当たりを探しに行かせたが、夕刻になって何らの手がかりはなく、みんなが手ぶらで帰ってきた。
   「居りまへんだしたか、こんなとき旅好きのだんさんか三太が居てくれたら心丈夫やのに…」
 お絹は、勝蔵を呼び寄せて言った。
   「勝蔵はん、旦那さんから訊いたと思うがこの店はあんさんに総てお任せをする積りだす、お店(たな)とお店の衆の面倒はよろしく頼みまっせ」
   「へい、よく心得ております」
 お絹は辰吉が居なくなり気力をなくして、子供たちの世話だけで精一杯、お店の切り盛りが手薄になっていたのだ。
 

 江戸の生まれで江戸育ち、江戸の辰吉十七歳、二度と再び江戸の地に草鞋の先を向けまいと、心に誓って旅に出た。親父のお古の旅支度、縞の合羽に三度笠、手には武具の六尺棒、懐には母親がくれた小遣いの二両ぽっきり、「何とかなるさ」と、風の吹くまま、気の向くまま、当てのない旅に出たものの、小諸生まれの真吉に店を持たすべく親父が歩いたであろう小諸への街道を、知らず知らずに辿っている辰吉であった。

 辰吉にとって、生まれて初めての道標(みちしるべ)を頼りの独り旅である。不安は無いと言えば嘘になる。後から江戸の役人が追ってくるのではないか、辰吉が刺した男の仲間が待ち伏せしているのではないかと、きょときょとしながらの街道旅である。

 しばらく歩くと川の岸に佇(たたず)んでいる女と、その傍(かたわら)で泣いている四歳位の女の子を見つけた。
   「どうしました」
 放っておけずに、辰吉は声を掛けた。
   「路銀(ろぎん)を使い果たして、三日前から野宿で何も食べていません、行く当てもないので川へ飛び込もうと思ったのですが、この子が不憫でどうしても道連れに出来ません」
   「死んではいけません、この先に食物屋がありそうです、とにかく何かを食べてから考えましょう」
 辰吉は女を背負い、女の子の手を引いて次の宿場まで行くことにした。途中、女が「気持ちが悪い」と言い、辰吉と女の子を残して脇道に入っていった。嘔吐か尿意を催したのであろうと、辰吉は街道で女が戻って来るのを待っていたが、一向に戻る様子は無かった。
 そのうち、五人の男たちに取り囲まれた。
   「此奴、ふてえ野郎だ、お千代坊を拐(さら)って売りとばす積りだったのだろう」
   「いえ、拐ってなんかいません、女の人から預かったのです」
 男たちは、お千代に聞いてみた。
   「お千代坊を拐ったのは、この男か?」
 お千代はしっかりと答えた。
   「ううん、女の人」
 男たちは、辰吉から事情を訊いた。
   「そうか、それは済まないことを言った」
   「いえ」
 他の男が辰吉に訊いた。
   「旅人さん、懐のものは大丈夫か?」
   「えっ?」
 辰吉は、自分の懐へ手を入れて驚いた。二両の入った財布が無くなっていたのだ。
   「女は、子供を使った騙り掏摸(かたりすり)だ」
 女が消えてから、時間が経ち過ぎていた。いまから役人に届けても、掏摸は捕まらないだろう。その上自分は脛に傷を持つ身だ。下手に届けて江戸からの追っ手に見つかれば辰吉自身が捕まってしまう。ここは、諦めるよりすべは無かった。

   「さて、今夜からどうしょう」
 野宿をするにしても、食うものにありつけないのは若い辰吉にとっては辛いことだ。とにかく宿場町に入り、どこかの貸元のところへで一宿一飯の恩義を受けようと思うのだが、俄旅鴉のこと、仁義もさえ切れない。兄貴の三太が冗談でやっていたのを聞き覚えていたが、巧く言える自信はない。

 歩きながら、前から親父の亥之吉が歩いてくるような気がして佇んでしまうこと暫し、苦労知らずの自分が情けなかった。
   「こんな事になるなら、鵜沼の卯之吉おじさんに博打のやり方を教わっておくのだった」
 

 夕暮れ時、中山道浦和の宿場町、大山金五郎一家の前で足を止めた。若い者が出たり入ったりして、辰吉はちょっと臆病風に吹かれるが、勇気を出して入ることにした。
   「お控えなすって」
 声が小さかったのか、無視されてしまった。
   「お控えなすって!」
 何度か叫んで、ようやく若い男が辰吉に気付いてくれた。
   「早速のお控え、有難うござんす」
 辰吉は、中腰になり、右手を出し手のひらを上に向けた。
   「軒下三寸借り受けまして、たどたどしい仁義、失礼さんにござんす」
 辰吉は、ふざけた三太の仕草を思い出していた。
   「手前生国と発しますは、お江戸にござんす」
 江戸は銀座のど真ん中、堅気の商家に生まれましたが、長じるに従い重ねる親不孝、いつか逸れて江戸無宿の辰吉と発します」
   「これはご丁重なる仁義、恐縮にござんす、丁度夕食の準備も整いましたところ、どうぞご遠慮なくお上がりくだせえ」
 
 応対してくれた若い男が、金五郎一家の貸元に紹介してくれた。
   「客人、何をやらかしての旅暮らしですかい?」
 貸元に聞かれたが、辰吉が口篭っていると、
   「済まねえ、済まねえ、訳あっての旅でござんしょう、訊いたわしが悪かった」 

 食事が済むと、盆茣蓙の準備が始まった。辰吉も若い衆に従って手伝いをした。
   「客人も、路銀(ろぎん)を稼いで行ってはどうです」
 若い男が博打に誘ってくれたが、辰吉は懐のものをすっかり掏摸に盗られて文無しであることを告白した。
   「それはお気の毒なこってす、あっしが一両貸しましょう、おっと、貸すと言えば負けちゃったときに返せねえだろう、一両やりましょう、もし客人が勝って返せるなら一両返してもらえばそれでいい」
   「俺は博打のやり方を知りません」
   「では、ここで憶えていきなせえ、金を木札に変えて、出方(でかた=案内役)が案内する盆ギレに座ってくだせえ、後は中盆(なかぼん=進行役)に従って長か半に掛けるだけです、勝てば掛けた木札の数だけ貰える、負けたら掛けた木札は取られてしまいやす。
   「返せなくなったら、俺はどうすれば良いのです?」
   「負けたら、絶対にもう借りてはいけない」
   「兄さんには、どう償えば良いのです?」
   「諦めて、今夜はあっしの布団で一緒に寝よう」
   「えっ?」
   「違う、違う、あっしは男色家じゃないから安心しろ」

 無欲の勝利とでも言うのだろうか、辰吉はツキについていた。長と張れば長の目が、半に張れば半の目が出た。辰吉の前には、忽ち木札が小さな山を築いた。

 辰吉に一両貸してくれた兄さんが、もう止めろと手で合図をしている。辰吉は木札を持って貸元のところで金に替えた。何と一両の元手が、十両にもなっていた。五分(5%)のテラ銭を差し引いても九両と二分が手元に残る。兄さんに五両渡しても、四両二分が辰吉の懐に入るのだ。
   「いいよ、いいよ、あっしに一両返してくれたらそれでいい」

 兄さんは、辰吉を本当の弟のように思っているのか、説教もしてくれた。
   「これに味を占めて、あまり博打にのめり込めるのじゃねえぜ、博打は負けることの方が多いのだから」
 翌朝、兄さんは大きなおむすびを五つも持たせてくれた。
   「もう会うこともないだろうが、元気で居ろよ」
 門口で手を降って送ってくれた。

 この街道は、父の亥之吉や山村堅太郎、真吉が踏んだ道だと思うと、なんだかヤケに暖かく感じる辰吉であった。
   「懐には八両二分もある、今度こそ騙し取られないようにしよう」
 世の中には、悪い人も居るが、あの兄さんのような優しい人も居るのだ。そして、この青い空の下には、父母や兄弟、そして三太兄貴が居るのだ。あても果てしもない旅なのに、ちっとも寂しくない辰吉の旅であった。

  第一回 坊っちゃん鴉(終)-次回に続く- 原稿用紙12枚)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 最終回 江戸十里四方所払い

2015-02-11 | 長編小説
 亥之吉が江戸に出て、早くも十二年の年月が流れた、三太と新平は十九歳になっている。三太と真吉は、ともに福島屋の番頭になっているが、真吉は暖簾分けの話が運んでいる。もちろん、兄の小諸藩士山村堅太郎夫婦が、城下町の一等地を見つけてくれているのだ。山村堅太郎の妻とは、以前の鵜沼の卯之吉こと常蔵の妹お宇佐であることは言うまでもない。

 亥之吉は、その物件が福島屋小諸店に相応しいかを見定める事のほか、大金を真吉に持たせているので用心棒として付き添った。

 一方、三太は亥之吉の戻りを待って、元奉公していた浪花の相模屋長兵衛のもとへ戻るつもりである。ここには、長兵衛の長女が三太の帰りを待っている。親同士が決めた許嫁である。

 ある日の夕暮れ時、北町奉行所の同心が目明しを一人連れて福島屋の店にやって来た。
   「辰吉は戻っておるか?」
 店の間に居た三太が応対した。
   「若旦那は朝出かけたまま、まだ戻っていまへんのやが」
   「お上のご用向きである、隠すと為にならんぞ」
   「隠すて、若旦那が何かやらかしたのだすか?」
   「地廻りのゴロツキと喧嘩をして、ドスで相手を刺したのだ」
   「えっ、それで喧嘩の相手は?」
   「死んではいないが、傷は深いそうだ」
   「旦那さんが留守のときに、何ということを仕出かしたのや」
   「もし逃げ帰ったら、番所にとどけるように」

 同心たちは「心当たりを当たってみよう」と、話しながら戻っていった。
   「女将さん、大変なことになりました」
 さすがの三太も、落ち着いては居られない。辰吉の兄として、辰吉を救ってやらねばならない。
   「どないしたんや、またお客の苦情か?」
   「それどころやおまへん、辰吉坊ちゃんが他人を刺したそうでおます」
   「ええっ、それで相手は死んだのか?」
   「生きてはいるが、深手やそうだす」
 お絹は動転して、その場にひっくり返った。
   「何が、何があったのや」
   「わかりまへん」
   「最近、金遣いが荒くなっていたので、心配して問い質そうとしていたところやが、何でまた旦那さんが留守の時に…」
   「女将さん、しっかりしておくなはれ、わいが付いています」
   「三太、頼みます」
   「辰吉坊ちゃんが帰ってきても、番所に知らせたらあきまへんで、わいが戻るまで待っといてください」
 
 三太は店の者に女将さんを頼んで、「心当たりを探してみます」と、駈け出していった。
   「どうか、相手の人が死にませんように…」
 死ねば辰吉は死罪か、軽くても遠島である。三太の後ろ姿に、手を合わせるお絹であった。

 三太は、大江戸一家に飛び込んだ。「辰吉は来ていない」と、言うことだったので、もし来たら「庇ってやってください」と、まず自分に知らせるようにお願いをして、ゴロツキの溜まり場を目指した。

 草が血で染まったところがあった。
   「ここで刺したな」
 近くに事情を知る若い男が居たので、話を訊いてみた。刺された男は、辰吉に自分の女を奪ったと因縁をつけ、ドスを出して辰吉を脅したらしい。

 二人揉み合った挙句に、辰吉は相手の男からドスを奪い、それを奪い返そうとした男の腹を刺してしまったらしい。正当防衛などというものは認められない。人を刺せば刺した方がお罰を受けることになる。

 辰吉は堅気の若旦那である。顔見知りの大江戸一家のほかには逃げ込む当てなどない。きっと夜になれば店に戻ってきて自分に相談するに違いないと、三太は待ち続けた。だがその夜、辰吉は戻らなかった。
   「もしや、上方の祖父や伯父を頼ったのではないやろか」
 もはや、気丈なお絹も、三太の相談相手ではなかった。ただ、心痛のあまり狼狽えるばかりである。
   「若旦那さん、お金は持ってなさるのだすか?」
 お絹は答えられないので、代わって一番番頭が答えた。
   「店の金を勝手に持って行ったりしないので、あまり持っていないと思います」
   「女将さん、最近小遣いをなんぼやらはったのだす?」
   「今朝、二両だす」
 お絹は、ようやく答えた。
   「それだけあったら、上方への路銀になります」

 夜も更けてきた頃、表戸を叩く音がした。
   「辰吉が帰ってきた、早よう開けてやっておくれ」
 お絹が叫ぶように言った。
   「若旦那、今開けます」
 だが、辰吉ではなかった。
   「政吉どす、話を聞いて驚いて飛んできました」
   「菊菱屋さんにも、若旦那は行ってないのだすか?」
   「一度も来ません、辰吉さん、どこへ行きはったのやろか」
 三太が、今から北町奉行所まで行ってくると言いだした。
   「自訴しているかも知れまへん」
 三太は一目散に月明かりの町を駆けていった。途中、番屋に寄って訊いてみたが、辰吉は姿を見せていないという。

 三太は、ぴったり閉まった北町奉行所の門を叩いた。
   「福島屋の番頭、三太だす、ここを開けておくなはれ」
 門の中から声が聞こえた。
   「何だ、この夜更けに」
   「どなたか与力の旦那に会わせておくなはれ」
 暫く待っていると、潜戸が開いた。
   「三太どの、辰吉が見つかったのか?」
 泊まり込みの若い与力が出てきた。顔見知りの長坂清心であった。父長坂清三郎がお役を辞した跡を継いだ長男である。
   「いえ、もしや若旦那が自訴してきているのやないかと、伺いにきました」
   「来ていないぞ、早く自訴したほうが良いのだが」
   「捕まれば、若旦那はどうなります」
   「刺された男に九割がた非があるので、軽くて寄せ場送りで済むと思うが」
   「そうだすか」
   「だが、逃げると刺青刑と遠島だろうな」
   「そうだすか、必ず自訴させます、少し猶予をください」
   「お奉行に言っておこう、だが、月が変われば南町奉行所の月番になるぞ、そうなれば、北のお奉行とて口出しは出来ぬ、三太どの待っておるぞ」
   「へえ」
 
あと五日で月が変わる。三太は福島屋の若旦那、辰吉を探しまわったが見つからなかった。このまま南町へ持ち込めば、辰吉は島流しになり、短くても五年は解き放ちにならない。
   「上方まで探しに行ったところで、とても間にあわへん」
 もう、江戸には居ないのだろうと三太は気落ちした。かくなる上は、一つしか手がない。三太は北町奉行所を向けて駈け出していた。

   「実は、ゴロツキを刺したのは、わいでした」
 長坂は怪訝に思った。
   「まさか…」
   「ほんまだす、若旦那の名前で女遊びをしていて、ゴロツキに絡まれました」
   「嘘をつけ、三太どのは辰吉が自訴したのではないかと、夜中に奉行所に来たではないか」
   「すんまへん、自分が助かりたい一心で、嘘をつきました」
   「三太どの、奉行所を欺けば罪は重くなるのですよ、それでも良いのですか?」
   「へえ、存分に罰を受けます」
   「島流し五年だぞ」
   「へえ、構いまへん」
   「腕に刺青も彫られるのだぞ」
 そうなっては、商人としてやってはいけなくなるかも知れない。しかし、自分なら耐えられる。三太は決心していた。


 福島屋の店に、過日やってきた同心と目明しがやって来た。
   「ゴロツキを刺した犯人が見つかった、辰吉は疑いが晴れたぞ」
   「ほんまだすか」
 お絹は、それを聞いて「ほっ」と胸を撫で下ろした。
   「刺された男が一昨日死んだので、真犯人が自訴しなかったら、辰吉は重い罪になるところだった」
   「お役人さま、態々お知らせ頂いて、有難う御座います」
   「よかったのう」
   「真犯人は、何故うちの辰吉の名を騙ったのでしょう」
   「福島屋の若旦那だと騙って、女遊びをしていたようだ」
   「わたいの知っている人だすか?」
   「知っているとも、この店の番頭だ」
   「えっ、嘘だす、ここにはそんな番頭は居ません」
   「それが、意外だろうが、三太という男だ」
 お絹は、「そんな…」と、言ったまま、唖然として暫く開いた口が塞がらなかった。
   「それは、何かの間違いだす、間違いに決まっています」
   「まあ、良かったではないか、辰吉でなくて」

 役人が戻った後、お絹はその場に倒れたまま、起き上がれなかった。
   「あの真面目で主人思いの三太が、何でこんなことになったのや」
 使用人がお絹の枕元へ来て慰めるが、そんな声はお絹には聞こえなかった。
   「ほんなら、なんで辰吉は帰ってこないのや」
 お絹にも、ようやくことの次第が分かってきた。
   「三太が、辰吉をお縄付きにさせないために、自分が殺ったと名乗り出たに違いない」
 
 三太は、北町奉行所で裁かれた。
   「どのような事情があろうとも、人の命を奪ったのはふとどき千万、だが、お上にも情けある、非の総ては殺された男にあるとして、三太に江戸十里四方所払いと致す」
 そして奉行は付け足した。
   「なお、上方とても江戸十里四方の外とする」

 このお裁きに、中乗り新三(しんざ)こと守護霊の新三郎が、どう関わったかは、三太自身にもわからなかった。

 
 三太は一足先に江戸を発ったが、江戸の福島屋では、主人の亥之吉はまだ信州から戻らない。戻ってくれば、店の総てを一番番頭に任せて、一家六人上方へ旅立つ計画である。ただ、長兄辰吉の行方が分からないという不安を抱えて、お絹の胸はどんより曇ったままであった。

  最終回 江戸十里四方所払い -物語は次シリーズへ続く- (原稿用紙14枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十二回 信濃の再会

2015-02-08 | 長編小説
 朝、福島屋京橋銀座店の店先、三太が浮かぬ顔で掃除をしている。亥之吉が声を掛けた。
   「三太、どうしたのや、元気が無いやないか」
   「へえ、怖い夢を見ました」
   「なんや夢かいな、どうせお化けに追いかけられた夢をみたのやろ、ろくろ首か、一つ目小僧か?」
   「ちゃいます(違います)」
   「提灯か、唐傘か?」
   「もうー、そんな夢とちゃいます」
   「そうか、ほんなら聞いてやるから話してみ」
   「信州の鷹之助先生が病気にならはった夢だす」
   「あはは、それやったら大丈夫や、鷹之助さんには緒方三太郎という名医がついています」
   「そやかて、わいの夢枕に立って、元気に頑張りやと言うたのだす」
   「励ましてくれたのやないか」
   「それが、何や永遠の別れみたいやった」
   「夢なんか、当てにならへん、藩校で元気に教鞭とってはるやろ」
   「うん」

 二人がそんな話をしていると、店の前に二人男が立った。一人はまだ子供のようであった。
   「あっ、先生やおまへんか、緒方梅庵先生だすな」
   「おや、覚えていてくれましたか、亥之吉さんご無沙汰でした」
   「忘れる訳がおまへん、わたいの命の恩人やおまへんか」
   「そんな大袈裟に言わないでください、この子は浩太といいまして、わたしの弟子です」
   「噂は三太郎さんから聞とります、辛いことに遭っても、元気に頑張っていなさるのやそうで、感心しております」
   「恐れいります」
 浩太がペコンと頭を下げた。今度は、亥之吉が三太を紹介した。
   「この子はうちの丁稚で、三太と言います」
   「三太さんですか、弟緒方三太郎の子供の頃の名前と一緒ですね」
   「鷹之助先生の教え子だす」
   「そうでしたか、その鷹之助が病気になったそうで、私どもは見舞いに行く途中です」
   「えっ、三太は「鷹之助先生が病気になった夢を見た」と、心配していたところだす」
   「三太郎が手術をして、助かったそうです、心配しなくてもいいですよ」
 三太が安心したようで、笑顔を取り戻した。
   「実は、信州に戻る本当の理由は、先の上田藩主の松平兼重候がお隠れになったので、ご供養に戻るのです」
 三太が突然に駄々っ子のように言った。
   「わいも信州に行って、鷹之助先生やお鶴ちゃんや源太や田路助さんに会いたい」
 亥之吉が窘めた。
   「何を言うのや、先生の足手纏いになりますやないか」
   「行きたい、行きたい」
   「お前はこの店の丁稚やで、そんな勝手は許されまへん」
   「そやかて、旦那さんは勝手に行って来たやおまへんか」
   「あほ、わしはここの店主や、お前も店主になったら好き勝手できるやないか」
 上方の人間は、すぐに「あほ」を付ける。あほと言われた上方人は、全く気にしない。蛙の面に小便というやつである。
   「今行きたいのに、店主になるまで待っていられへん」
 梅庵が優しく誘ってくれた。
   「私達は構いませんよ」
 亥之吉の女房お絹が、話を聞いていたのか顔を出して言った。
   「あんさんが長い旅に出ている間、三太はこの店の用心棒を務めてくれたのや、わたいも三太に助けられております、行かせてやりなはれ、ご褒美やないか」
 お絹のその一声で、三太の信州へ行きが決まってしまった。
   「先生、すんまへんなあ、足手まといだすけれど連れて行ってくださいな」
   「わかりました、三太ちゃん、一緒に行きましょう」
   「邪魔になったら、そこで帰してください、三太には中山道の旅に慣れた新さんが付いていますさかいに、独りで帰れます」
   「はいはい、新三郎さんのことはよく知っています、三太郎も鷹之助も護って貰ったのですから」


 直ぐに梅庵と浩太と三太は信濃の旅に発つことになった。
   「ほんなら、わいはそこらまで送って行きますわ」
 亥之吉が旅支度をしようとすると、お絹が止めた。
   「あきまへん、あんさんのことやから、また信州まで送って行くのやろ」
   「信州から帰ってきて間がないがな、ほんまにそこらへん迄や」
   「行ったらあきまへん、三太もおらへんのに、夜盗に襲われたら誰が店を護りますのや」
   「男が、ようけ(たくさん)居ますやないか」
   「あんな糸ミミズみたいな男たちに頼れますかいな」

 三太の足取りは軽かった。第一に鷹之助先生に会えるのだ。源太は三太郎先生に剣道を教わって強くなったかな、お鶴ちゃんはまだ若いのに先生の嫁が務まっているかな、また田路助さんに甘えてみたいな、三太の心は早くも信濃路を辿っていた。


 梅庵一行は、まず上田城に上がった。佐貫慶次郎存命時の部下たちが、暖かく迎えてくれた。藩侯にも目通りしてお悔みを述べ、梅庵の近況を尋ねられた。
   「阿蘭陀医学の権威になったそうだな、近隣の大名たちに羨まれて、予は鼻が高いぞ」
   「勿体ないお言葉にございます」
 鷹之助は、まだ明倫堂へ出校していないようであった。上田城を下がると、まっすくに佐貫の屋敷へ足を運んだ。

   「あっ、兄上と三太、来てくれたのですか」
   「そうだよ、鷹之助の身が心配になって来てしまった」
   「嘘でしょ、ご隠居様の墓参りでしょ」
   「それもある」
 梅庵が浩太を紹介した。
   「弟子の浩太だ、この子は見世物小屋に売られて、全身に鱗模様の刺青を彫るられた可哀想な子供だ、驚かないように先に言っておく」
   「三太郎兄上に聞いて知っています、浩太さん、めげずによく頑張っているそうですね」
   「はい、この刺青のお陰で、患者さんによく覚えて頂いております」
   「浩太さんは前向きなのですね」
 
 小夜が小走りで出てきた。
   「母上、緒方梅庵ただ今もどりました」
   「よく戻ってくれました、お殿様へのご挨拶は…」
   「はい、一番に行ってまいりました」
   「そうですか、ご苦労様でした」
   「この方たちが、浩太さんと三太さんですか、どちらも賢そうですね」
   「はい、賢いです」
 この場に亥之吉がいたら、三太の頭を「ぺちん」と叩かれているところである。

 源太と田路助が出てきて、奇声を上げた。
   「あっ、三太や、よく来てくれたなあ」
   「源太、元気そうやなあ、田路助さんも変わりおまへんか?」
   「へえ、おおきにどす、三太ちゃん、男らしくなりましたなぁ」
   「真っ黒やてか?」
   「へえ、一段と」
   「ほっといてくれ」
 昆布屋のお鶴が、武家の若奥さんらしくなっていた。
   「きゃーっ、三太ちゃんが来てくれた、お店の主人がよく出してくれましたなァ」
   「へえ、物分かりのよい旦那さんだすから」

 梅庵、浩太、三太の三人は、今晩佐貫の屋敷に泊まることになり、三人は緒方三太郎の養生所に出かけて行った。
   「兄上、遠路ご苦労様です、ご隠居のお墓には参られましたか?」
   「いや、未だだ、藩侯にはご挨拶してきたのだが…」
   「そうですか、では明日わたしがご案内しましょう」
   「ありがとう、それと、鷹之助をよく助けてくれた」
   「ああ、兄上から頂いた薬のお陰ですよ」
   「虫垂が膿んでいたようだな、いま会ってきたが、すっかりよくなっていた」
   「はい、そろそろ明倫堂に復帰させてやろうかと考えています」
   「鷹之助は無茶をしないから大丈夫だろう」
   「そうですね」

 大人が二人話している間、浩太と佐助と三四郎と、何時の間にか三太も打ち解けて突拍子もない高笑いに包まれていた。
   「三太さん、ちょっと来てくれるかな?」
 三太郎が手招きしながら呼んだ。
   「へえ、何だす?」
   「ちょっと懐へ手を突っ込ませてくれないか」
   「へえ、構いませんが、おっぱいはペチャンコだすで」
   「そんなものを触るのと違います」
   「あっ、わかった、新さんと話をがしたいのだすな」
   「そうそう、新さんは私も護ってくれた守護霊です」  
   「ひゃーっ、冷たい」
 三太が悲鳴を上げた。
   「新さん、お久しぶりです」
   『へい、三太…いや、三太郎さん、お懐かしゅうござんす』
   「きゃーっ、こそばい」
 三太が暴れた。
   「しーっ、静かに」
   「そやかて…」
 三太が煩いが、三太郎は無視している。
   「鷹之助を護ってくれてありがとう、鷹之助には会ってきましたか?」
   『いや、まだです、今夜佐貫の屋敷に泊まるそうなので、ゆっくりと話します』
   「そうですか、阿弥陀様はお怒りではないのですか?」
   『へい、もう怒るのを諦めたみたいです』
   「見捨てられたのと違いますか?」
   『そうかも知れません、あっしは阿弥陀様の膝元でゴロゴロしているよりも、この方が楽しいのです』
   「新さんらしいですね」
   『また三太郎さんに憑いて、旅がしたいものです』
   「楽しかったですね、金儲けも出来たし」
   『人助けでしょ』
   「そうとも言う」

 話は尽きないが、梅庵が佐貫の屋敷に帰ると言う。仕方なく三太も浩太も三太郎養生所の皆さんに別れを告げた。
   「またきっと来るからな」
   「俺達も大人になったら会いに行くよ」
 浩太が少し目を潤ませているが、三太は相変わらず楽しそうにピョンコピョンコしている。その夜、佐貫の屋敷で、三太はお鶴と田路助と、新三郎は鷹之助に憑き、思い出話に更けた。

 翌日はご隠居の墓に詣でて、その足で案内してくれた三太郎と別れ、江戸へ向けて帰っていった。

  第三十二回 信濃の再会(終) -最終回に続く- (原稿用紙14枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十一回 もうひとつの別れ

2015-02-07 | 長編小説
 信州上田藩校、明倫堂(めいりんどう)で教鞭をとっていた佐貫鷹之助が、突然腹を抑えて教壇に蹲った。急遽、上田城へ知らせが入り、迎え駕籠が差し向けられた。藩医とその弟子たちが集められて、鷹之助の到着を待った。
 同時に、鷹之助の屋敷にも知らされて、緒方三太郎の養生所には、佐貫家の下働き、田路助が走った。
   「鷹之助が倒れたのか?」
   「はい、お腹を抑えて蹲ったそうです」
   「そうか、心配だなァ」
 とは言え、三太郎が駆け付けたとて、藩士以上の身分は士籍医師の役割であり、軽輩医師の三太郎には診させては貰えない。だが、兄として見舞いぐらいはさせてくれるだろう。念のため、元藩侯のご隠居の許可をとっておこうと、緒方三太郎は弟子の三四郎に馬を用意させた。

 城門には二人の門番が立っていた。
   「緒方三太郎です、弟佐貫鷹之助の見舞いに参りました」
   「これは佐貫三太郎様、申し訳ありません、鷹之助様はただ今、藩医様がお診たて中で、お会わせすることが出来ません」
   「わたしとて、以前は藩侯のお脈も取っていた士籍医師の一人でした」
 今は、藩士の身分を鷹之助に譲り、身分を軽輩医師に落としたのであった。
   「そうですか、では侍医さまにお伺いして参りますので、ここで暫くお待ち願います」

 随分待たせたうえに、軽輩医師の出番ではないと、素っ気ない返事であった。かくなる上は、ご隠居の名を出さねばなるまいと思っているところへ、三太郎の藩士時代の同輩が肩を叩いた。
   「佐貫三太郎殿、待っておりましたぞ」
   「これは進藤壱之新様、お久しゅうございます」
   「なんだその言葉使いは、以前のままで良いぞ」
   「しかし、以前とは身分が違います」
   「違うものか、殿がお待ちかねだ」
   「松平兼良様が?」
   「そうだ、鷹之助が病で倒れたのだ、必ず三太郎が駆けつけて来るとおっしゃってな」

 進藤壱之新が先に立って、控えの部屋に案内した。三太郎とて、勝手知った藩侯目通りの控え部屋だ。
   「三太郎、待っておったぞ」
   「お言葉、勿体のうございます」
   「鷹之助に会わせて貰えないのであろう、心配するな、予が会わせてやるぞ」
   「有難き幸せに存じます」
   「それで進藤、藩医の診たてはどうなのじゃ」
   「それが、思わしくないようで、腸の腑が化膿し、ややもすれば穴が開き死に至る難病だと申しております」
   「三太郎、そちも診たててやってくれ」
   「はい、では鷹之助様に会わせていただきます」
   「鷹之助はそちの弟であろう、畏まらずとも良い、早く行ってやれ、進藤頼むぞ」
   「ははあ」

 藩医が詰める医局の隣に治療部屋があり、今で言う集中治療室(ICU)であろう。そこの箱型寝台に鷹之助は寝かされていた。
   「兄上、いらしてくれたのですか」
 鷹之助は、苦痛に歪む表情を義兄に見せた。
  「何だ、その情けない声は」
   「藩医たちの話しているのを聞けば、わたしは十日と持たないそうなのですよ」
   「どれ、わたしが診よう」
   「いいのですか? 士籍医師が騒ぎ立てるのではありませんか」
   「大丈夫だ、藩侯のお許しが出ておる、ご隠居様も心配なさっていたぞ」
   「お会いできたのは、兄上のお陰です」
   「いや、父上のお陰というべきだろう」

 三太郎は、鷹之助の寝間着を捲ると、腹の方々を力任せに押した。
   「痛い、そこが痛うございます」
   「うむ、腸の腑だな、太い方の腸の腑に小指ほどの垂れ下がった何の役割をしているのか未だ不明の突起が有って、これが化膿しているのだ」
 これは虫垂と言って、草の繊維を分解するバクテリアを飼っている虫篭のようなところで、人間にとってはあまり重要ではないが、草食動物では生命維持に欠かせない臓器である。
   「鷹之助安心しろ、この兄が助けてやるぞ」

 水戸の長兄、緒方梅庵が作り上げた局部の痺れ薬と、同じく梅庵が焼酎を蒸留して純度を高めたアルコールという消毒薬がある。それに漢方薬の化膿止めの飲み薬を用いれば、この病は十日ほどで治してみせる自身が三太郎にはある。十日もかかるのは、虫垂を切り取った後を糸で縫い合わせるのだが、その抜糸の為に一度縫った腹膜と皮膚を、数日後にもう一度開いて腸の抜糸後、再度縫い合わせる必要があるからだ。梅庵が長崎から持ち帰った糸や針、メス、注射器などの消毒も念入りにしなければならない。

 三太郎は、藩侯に鷹之助を自分の養生所に連れて行きたい旨をお願いした。藩医たちの反対があったものの、藩侯のお許しが出た為に、ことは順調に運んだ。
   「ふん、どうせ助からないのに」
   「腹を切り裂くなど、非常識にも程がある」
 藩医たちは、尽く緒方三太郎医を批判した。だが、目の上のたんこぶである三太郎が失敗すれば、漢方医の診たてにいちいち口を出す蘭方医を追放できると、含み笑いをする者も居た。

 緒方三太郎養生所、上田藩の下級武士、各使用人の治療は一切無料である。それは、三太郎が上田藩から扶持を頂く藩医だからである。
三太郎は、佐貫家の養子で跡継ぎであった。実子鷹之助が長兄緒方梅庵同様に武士を嫌い学士の道を選んだ為に、三太郎が父慶次郎の跡継ぎとなっていたものである。しかし、三太郎の意志で、鷹之助を藩校の師範として佐貫家の跡継ぎとし、藩侯の希望で三太郎もまた軽輩医師として藩の扶持を頂戴している。

   「鷹之助、約十日間の辛抱だぞ、私とお鶴さんがずっと付き添う」
 三太郎は、鷹之助と女房のお鶴に説明をした。手術は、化膿した腸の腑に垂れ下がる「虫垂」という突起物を切り取り、傷口を消毒して切り取った跡を縫う。開腹した傷口も、一時仮に縫い合わせるが、様子をみて数日後に再び開き、腸の腑を縫った糸を抜き取り、再び開腹部分を本縫いする。その間は、食事抜きで、最初の手術から二日経てば、湯冷ましで口の中を湿らせる程度ことは出来る。腸の腑の抜糸後は、腸の腑が動き始めて屁が出るのを待って、湯冷まし、重湯から始めて、開腹部の抜糸が終わると五分粥、十日後に漸く普通食になるだろう。
 
   「鷹之助、痛いときは痛いと言うのだぞ、極力痛みは取り除くからな」
 現在であれば、腰椎から注射針を刺して局部麻酔をするのだが、三太郎や梅庵にそのような技術はない。メスを入れるところを薬で痺れさせるだけである。痛みがないわけではなく、むしろ、可成り強い痛みに耐えなければならない。三太郎はふと考えた。こんな時に守護霊新三郎が居たら、患者の気を失わせてくれるものをと。

 鷹之助はよく耐えた。こんな華奢な体のどこにこのような忍耐力があるのだろう。若い所為であろうか、治癒するのも早かった。七日目には、もう普通食を平らげ、付き添いのお鶴の肩を借りて散歩が出来るようになった。
 
   「まだ、あまり無理をしてはいけないぞ、傷口が開いてしまうからな」
   「はい、兄上」
 お鶴も礼を言った。
   「先生、ありがとうございました」
   「お鶴さんもよく頑張ったねぇ、お疲れさま」
 明日は、佐貫のお屋敷に戻れると、夫婦は喜び合っていた。
 
 
 緒方三太郎は、登城してまず藩主松平兼良候に礼を述べ、松平兼重候の隠居庵に報告に言った。
   「そうか、鷹之助は回復したのか、それは良かった、なにしろ、わしは鷹之助の名付けの親であるから親も同然である、嬉しく思うぞ」
   「ありがとう御座います」
   「ところで三太、ひよこのサスケは元気か?」
   「えっ」
 三太郎は唖然とした。 
   「あははは、冗談だ、サスケはとっくに死んでおろう」
   「ああ、驚きました」
   「わしがボケたとでも思ったのか?」
   「いえ滅相な、一瞬、四歳の私に戻ったのかと思いました」
   「そうか、四歳であったか、懐かしいのう」
   「懐かしゅう御座います、あの頃は私の父慶次郎も若こう御座いました」
   「慶次郎は、わしのことをよく護ってくれたものだ」
   「ご隠居さま、私も小さいながら、懸命にお護りしましたぞ」
   「そうであった、よく覚えておるぞ」

 ひととき、昔話に花が咲き、ご隠居と笑いながらお別れしたが、三太郎が元気な松平兼重候の姿を見るのは、これが最後であった。ご隠居は、その七日後に庭で小鳥に餌を与えていて、ガクッと倒れた。使用人が倒れているご隠居を見つけたときは、すでに亡くなっていたのだった。

  第三十一回 もうひとつの別れ(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第三十回 離縁された女

2015-02-06 | 長編小説
 福島屋の店を開けて間もなく、亥之吉が三太を呼びつけた。
   「三太、ちょっと来ておくれ」
   「嫌だす」
 亥之吉が唖然としている。
   「店の主人が丁稚(小僧)を呼んでいるのに、何も聞かないうちから嫌て何やねん」
   「嫌やから嫌だす」
   「お前なあ、わしを何やとおもとるのや」
   「陰間茶屋の因業爺だす」
   「何ちゅう言い草や、わしはお前の主人で師匠やで、あのことをまだ根に持っとるのか?あれからもう何日も経っとるのに」
   「まだ三日だす」
   「それでも有田屋はうちの客や、すっぽかしたのを謝りにだけは行っておかないとあかん」
   「わいは何も約束した覚えはない」
 三太は奥へ入ってしまった。
 
   「困った奴や」
 入れ代わりに女房のお絹が出てきた。
   「すっかり三太の信用を無くしたようだすなァ」
   「わしのことを因業爺やと言いよった、わしまだ二十歳を過ぎて間がないのに」
   「三太から見れば爺だす」
   「ほんならお前は婆ァか?」
   「歳の離れた姉だす」
   「どついたろか!」

 亥之吉は真吉と一緒に行って貰おうと思った。
   「真吉、ちょっと出て来ておくれ」
   「へい、旦那様ご用は何でしょう」
   「あのなァ、わしと一緒に有田屋へ行って…」
   「嫌です」
   「真吉、お前もか」

 仕方がないので、亥之吉はやはり嫌がる三太を連れて行こうと思った。亥之吉とて商人(あきんど)の端くれ、上得意様を棒にふるわけにはいかないと、三太の重い腰をあげさせようと思った。
   「三太、出てきなはれ、わいと一緒に行って謝っとくれ」
 三太は渋々顔を出した。

   「福島屋亥之吉でおます、こちらの旦那様はお出でになりますかな」
 若旦那が暖簾を分けて出てきた。
   「これは若旦那、この前はとんだ失礼をしました、お詫び申し上げます」
   「わたしも三太ちゃんに嫌われたものです」
 若旦那は、チラチラ三太を見て、「ふんっ」と、目を逸らした。この屋の大旦那も顔を出した。
   「三太は小僧の癖に、客を客とも思わぬ不躾者、馘首(くび)にしますかな?」
 亥之吉、頭にカチンときた。
   「三太のどこに罪があると言いますのや、嫌なものを嫌とはっきり言うただけやおまへんか」
   「商人は客を大切にするものです」
   「そやからこうして謝りにきています、それでもまだ文句があるなら、お上に訴えておくなはれ」
   「倅は深く傷ついていますのや、謝って済むと思いますのか」
   「不躾者はおたくの息子でおます、うちの大事な小僧を誘い込んで、何をする積りだしたのや」
 有田屋も負けてはいない。
   「うちの倅は男色だと言うのか」
   「そんなことは知りまへん、うちの三太は、ただの子供やおまへん、霊能力で若旦那の心を読んだうえで、はっきりと嫌やと言うたのだす」
   「ほう、どう読んだか言って貰いましょうか」
   「有田屋さん、若旦那が『酒や博打や女で家財を蕩尽されるよりも安いものだ』と、子供を連れ込むのを黙認しとりますなァ、文句を言ってきた親には、一分の銭を渡して納得させていましたやろ」
   「福島屋さん、そんな出鱈目を誰から訊いたのですか」
   「今、言ったやおまへんか、三太が有田屋さんの心に訊いたのだす」
   「わしは話した覚えはない」
   「当たり前だすがな、心に訊いたと言ってますやろ」
   「わしは知らん」
   「若旦那にも訊いてまっせ」
   「何を…」
   「女よりも、男の子供が好きやと…」
   「言っていない」
   「最近では、大工手伝いの伝五郎さんの息子に手を出しましたなァ、ねえ若旦那」
   「えっ」
 若旦那、子供の親の名を出されて「ずしん」と来たようである。
   「有田屋さん、伝五郎さんにごてられて(文句を言われて)、一両二分取られましたな」
 有田屋も、「ギクッ」とした。
   「ほら、覚えがありますやろ」
 二人が黙った。亥之吉は、ここぞとばかり尻を捲って二人の心に踏み入った。
   「わいは、何も若旦那が男色家とも、男色が悪いとも言っとりまへん、ただ、子供は止しなはれ、親たちを金で抑えても、子供は心が傷付いたまま大人になっていくのだす」
 亥之吉は三太を見て更に言葉を続けた。
   「世間の人に何と言われても、嫌なものは嫌と妥協せずに言える三太を、わたいは誇りに思っとります、そんな三太を馘首(くび)になんぞしますかいな」

 帰り道、亥之吉は三太に話しかけた。
   「少しは、わしの気持ちを分かってくれたか?」
   「へえ、そやけど、上客を一軒無くしましたな」
   「何の構うもんか、お得意の一軒や二軒、わいは浪花の商人や、潰せるものなら潰してみい」
   「誰も潰す言うてないけど…」

 
 ここは信州、緒方三太郎の養生所である。
   「先生、今日の患者さんはこの方が最後です」
 弟子の三四郎が三太郎に告げた。
   「そうか、では私は文助兄さんのところへ行って、卯之吉さんに会ってくる」
   「お母さんが、徐々回復しているのを報告に行くのですか?」
   「それもあるが、お宇佐さんのことを常蔵(卯之吉)さんに相談してくるのだ」
   「山村堅太郎さんのお嫁にするのですね」
   「そのことをどうして知っているのだ」
   「勘と言うか、なんとなく聞こえてきたと言うか…」
   「盗み聞きしたな」
   「勝手に聞こえてきたのは、盗み聞きとは言いません」
   「では何と言うのだ?」
   「漏れ聞きです」

 馬を引き出して、文助の店に向かっていると、道端に蹲る女が居た。どうやら熱があるようだ。
   「どこか痛むのか? 私は医者だ」
   「はい、でも暫くじっとしていれば落ち着きます」
   「そうでもなさそうではないか、私が診てあげよう」
   「いえ、私は文無しです、お代金が払えません」
   「そんな心配をしている場合ではないだろう、手を出しなさい」
 女は、恐る恐る手を差し出した。
   「いかん、熱が高過ぎる、取り敢えず、この薬を飲みなさい」
 三太郎は持っていた竹筒の水と、頓服薬を差し出した。
   「お金は頂戴しないので、安心して飲みなさい」
 女は、素直に薬を飲んだが、やがてぐったりとした。
   「馬に乗れたらいいのだが、この様子ではそれも叶わぬ、私が背負って戻ろう」
 三太郎の養生所から然程離れていないところだったので、四半刻(30分)程で戻ってきた。
   「三四郎、もう出掛けぬから馬を厩舎に繋いでくれ」
   「はい、先生」
 三太郎は女を診療部屋に運んだ。すぐさま女を診ていた三太郎の顔が一瞬曇った。
   「いかん、高熱の所為で心の臓が可成り弱っている、解熱剤は先ほど飲ませたので、少しずつ湯冷ましをのませてやってくれ」
   「はい、先生」
 弟子の佐助が用意する為に立った。三太郎の実母お民は、井戸水を汲み、手桶に満たして持ってきた、手拭いを濡らして、女の額を冷やす為だ。

 その日、夕日が沈む頃になって、女の表情から苦痛が和らいだように思えた。
   「まだ安心は出来ない、今夜がヤマだろう、安静にしてやってくれ」
 夜が更けて、弟子たちは寝かせたが、三太郎は寝ずの看病をした。夜が明ける頃になると、女は安らかな寝息を立てていた。

   「先生、女の人が目を覚ましました」
   「そうか、では少し重湯を飲ませてみよう」
   「はい、すぐに支度します」
 佐助も三四郎も、よく働いてくれる。早くも診療が出来るようになっており、三太郎の留守の折は、二人で相談しながら薬も出している。三太郎にとっては、頼もしい弟子たちである。
 
   「ここは?」
 女が口を開いた。
   「私の診療所だ、言っておくが、お金は頂戴しないので安心して静養しなさい」
   「ありがとうございます」
   「私はここの医者で、緒方三太郎と申す、あなたのお名前は?」
   「はい、雪と申します」
   「お雪さんですか、お雪さんはどちらへ行かれる途中で倒れたのかな?」
   「嫁ぎ先で離縁されて、実家へ戻るところでした」
   「よろしかったら、離縁された訳を聞かせてくれぬか?」
   「嫁に貰われて、三年経ったのに子供が出来なかったことと、私が病気がちで婚家の働き手として役に立たなかったからです」
   「子供が出来ないのは、お雪さんの所為ばかりとは言えない、病気がちなのは、随分無理をさせられた所為のように思うが…」
   「ありがとうございます、こんなに優しく言って頂いたのは初めてです」
   「わかりますよ、病気になっても、休ませて貰え無かったのだろう」
   「それが嫁の務めの常なのです」
   「酷いことだ」
 今まで我慢をしていたのであろう、三太郎の労りの言葉に、思わずお雪は涙したようであった。
   「実家に帰っても、私の居場所はありません、世間体を気にする親兄弟ですから、すぐに追い出されることでしょう」
   「それで行く宛は?」
   「ありません、どこかの宿場で、飯炊き女にでも雇って貰います」
   「そうか、それではどうだろう、お元気になったら、ここで働かぬか?」
   「えっ、本当ですか?」
   「今は養生所とは名ばかりで、多くの患者さんをお預かりすることが出来ない、せめて十人以上の患者さんに養生していただけるようにしたいのだが、人出が足りないのだ」
   「ありがとうございます、それで私に何が出来ましょう?」
   「私の母と共に、患者さんや私どもの食事の世話です」
   「私に出来ましょうか?」
   「患者さんが増えれば、賄い役があと三人はほしいところだ」
   「ぜひ、働かせてください、お願い致します」
   「わかった、では養生して元気になってくだされ」
   「はい、頑張ります」
   「いや、頑張らなくてもいいのだ、決して無理をしてはいけない」
 元気になったら実家に戻り、離縁された訳を話して、これから独り身で生きて行くことを伝えてくると、お雪は明るい表情を見せた。
  
  第三十回 離縁された女(終)-次回に続く- (原稿用紙14枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十九回 三太の家出

2015-02-04 | 長編小説
 神田の菊菱屋へ使いに行った帰り道、三太の後を追うように付いて来る男が居た。三太は何気なく振り返ってちらっと見たが、そのまま気付かぬふりをして歩いていた。自分を付けているのか試そうと三太が走ってみると、男も走って付いてくる。
   「新さん、あの男、わいに用が有るのやろか?」
 守護霊の新三郎に問いかけてみた。
   『悪い男には見えないが、執拗だね』
   「気持ちが悪い」
   『まあ、気付かないふりをしていましょうぜ』

 三太は、この男を見るのは初めてではない。自分に何の用があるのだろう。三太は思いきって、確かめてやろうと思った。
   「お兄ちゃん、わいに何か用だすか?」
   「三太ちゃんですね、福島屋の小僧さんの」
 男なのだが、話すと女っぽい。
   「へえ、さいだす、何でわいの名前を知っているのだす?」
   「お店の客ですよ、ほら何時ぞやお買い物でお店に行きましたでしょう」
   「そうだしたか、毎度おおきにありがとうさんでございます」
   「そこでね、三太ちゃんが大好きになってしまったの」
   「弟のようにだすか?」
   「まあ、そんなところかな」
   「また福島屋をご贔屓(ひいき)に…」
   「はいはい、度々行かせてもらい、三太ちゃんに手助けを願いますよ」

 帰りを急いでいるのでと別れようとすると、引き止める。
   「ねえ、そこらで何か美味しい物でもご馳走しましょうか?」
   「すみまへん、仕事がおます、すぐに店に戻らんとあかんのだす」
   「ちょっとくらい、いいではありませんか、私も店まで行ってご主人に謝ってあげます」

 仕方がないので茶店に付き合って、蜜たらし団子を一皿食べた。代金を払おうとすると、男が止めた。
   「いいわよ、わたしが誘ったのだから、それよりも…」
 今夜、男の家に泊まりに来いという。
   「行けませんよ、わいは福島屋に奉公している身、そんな勝手なことは出来まへん」
   「わたしが、旦那様に頼んであげる」
 男は店の客が頼めば、店主は断らないと自信ありげに言い、とうとう店まで付いてきてしまった。

   「これは、これは有田屋の若旦那、いらっしゃいませ」
 亥之吉は、この男を知っていた。
   「今日は、旦那様にお願いがあって参りました」
   「いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます、何なりとお申し付けください」

   「そうか、あいつか」
 三太も気が付いた。いつも恥ずかしそうに顔を隠し、お伴のおなごしに喋らせていたので、三太にはこの若旦那の印象が残らなかったのだ。
   「それでねえ、今夜一晩、三太ちゃんをうちの店にご招待したいのですが、都合は如何なものでしょうか?」
 三太は、当然旦那は断ってくれるものと思っていたが、あに図らんや亥之吉は「どうぞどうぞ」と、揉み手をする有り様。
   「それでは、今夜店を閉めましたら、有田屋さんまで三太を行かせますので、宜しいように」

   「こいつは男色(なんしょく)や」
 三太はがっかりした。「陰間」のことは三太も知っている。その陰間として、亥之吉はこの男色家に自分を差し出そうと言うのだ。一晩とは言え、何をされるか分からないのに、この無責任な旦那が三太は憎らしかった。
   「絶対嫌や」
   「そんなに痛いことはせえへん、我慢してやりなはれ」
 亥之吉はニヤニヤ笑っている。
   「嫌や、嫌や、それやったら旦那さんが行っとくなはれ!」

 その日、日が暮れる前に、三太の行方がわからなくなった。真吉に有田屋へ走らせたが、三太は行っていなかった。
 亥之吉は、心配になり、菊菱屋へ走ったが、政吉も知らないという返事だった。
   「日が暮れたら、怖くなって戻ってくるやろ」
 亥之吉は、三太を有田屋に泊めるつもりは無かったのだ。ちょっと三太を怖がらせて、宵の口に自分が迎えに行くつもりだった。
   「しまった、悪戯が過ぎた」
 亥之吉は後悔したが、三太はその夜戻らなかった。お絹は亥之吉から事情を聞いて、激怒した。
   「何てことをしたのだす、あんさんは三太の気持ちを考えたのだすか」
   「すまん」

 次の日も、またその次の日も、三太の行方は杳(よう)として知れなかった。
   「三太は、元奉公していた浪花の相模屋長兵衛さんのところへ戻るつもりかも知れへん」
 そうなれば、三太を託してくれた長兵衛さんに合わす顔がない。亥之吉は思いきったようにお絹に言った。
   「わし、浪花まで行ってくるわ、三太に謝って戻って貰う」
   「まだ、浪花に戻ったと決まったわけやおまへん」
   「そやかて、日が経つばかりで、埒(らち)が明かへんやないか」
   「落ち着いて考えてみようやおまへんか」
   「どう落ち着くのや?」
   「考えてみれば、可怪(おか)しいことがおます」
 お絹は、菊菱屋の政吉と新平のことが引っかかっているのだと言う。
   「そうやおまへんか、三太が行方不明やと言うのに、一緒に探そうとは言ってくれまへんし、心配してここへも来てくれまへんやないか」
   「そう言えばそうやなァ、政吉も新平も、三太には世話になっているのに、知らんふりや」
   「そうでっしゃろ、あの二人何か隠しておりまっせ」
   「よし、今から政吉のところへ行って、問い質(ただ)して来る」
   「怒ったらあきまへんで、下手(したて)に出て訊くのだすよ」
 亥之吉は天秤棒を担いで、駈け出して行った。

   「政吉、あれから三太がここへ顔を出さなんだか?」
   「へえ、来まへんどす」
   「そうか、どこへ行ってしもうたのか、まだ戻らんのや、わし心配で、心配で、飯も喉に通らん、このまま行ったら、わしが寝込んでしまいそうや」
 亥之吉は、がっくりと肩を落として二人に見せた。見るに見兼ねて、政吉がポツリと言った。
   「もしかしたら、守護霊新さんのお墓がある経念寺(きょうねんじ)へ行ったのと違いますやろか」
   「何でそう思うのや?」
   「新さんに連れられて、死んだ定吉兄ちゃんのところへ行く気かも知れまへん」
   「お前なあ、そんな縁起でもないことをいけしゃあしゃあと、よく言えるなァ」
   「ふと、そう思ったのどす」
   「嘘をつけ、今までここに三太を隠していたのやろ」
   「いえ、決して…」
   「新平はどうや、子供は正直と言うやろ、お前も嘘をつくのか」
   「それが…」
   「それが何や、嘘ついたら死んだ時閻魔さんに舌を抜かれるのやで」
   「それが…」
   「政吉に口止めされているのやろ、構へん言うてみなはれ」
   「若旦那、すみません、全部打ち明けます」
 政吉は慌てた。
   「こら待て、新平、三太との約束を破るのか」
 為て遣ったり顔の亥之吉。
   「それ見い、二人して、いや三太と三人して、わしを困らせようとしていたのやな」
   「すんまへん」
   「それで三太は何処に居るのや?」
   「経念寺へ行きました」
   「それだけは、ほんまやったのか」
   「へえ」
   「何しに?」
   「今日あたり、旦那さんがここへ来はるやろさかいに、隠れているのがばれたら菊菱屋に迷惑がかかると…」
   「あほか、経念寺は子供の駆け込み寺やないわい」
 見つけ次第、どつきまわしても連れて帰ると、亥之吉は熱り立って経念寺に向かった。

   「三太親分が叱られる」
 新平が心配顔で悄気(しょげ)かえっているが、政吉は亥之吉の性分は分かっている。
   「怒ったり、どついたり出来る亥之吉兄ぃやないわ、きっと泣いて謝りよる」 

 経念寺は、住職の亮啓和尚(りょうけいおしょう)が応対してくれた。
   「三太、出てきなさい、旦那様のお迎えですよ」
 三太が、決まり悪そうに出てきて、和尚の後ろに隠れた。
   「若旦那が喋ったな」
   「いや、新平を脅してやったら、あっさり吐いた」
   「あいつ、正直者やからな」
 亮啓和尚は、三太に礼をいった。
   「久しぶりに新三郎さんに会えて、和尚、嬉しかったです」

 亥之吉は、政吉の言う通り、怒りもどつきもせず、「わしが悪かった」と、三太に詫びた。二人連れだって帰り道、桶屋に寄って三太の紛失した天秤棒の代わりになる、三太の背丈に合った水桶用の天秤棒が有ったので買った。手に持つと、ずっしりとして樫の木の匂いが快かった。

  第二十九回 三太の家出(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十八回 三太がついた嘘

2015-01-29 | 長編小説
 日本橋から中山道にとり、板橋に行く街道から横道に逸れて二町ばかり入ったところに、朽ち果てた空き家があった。男は下見をしておいたのであろうこの家に、三太を連れ込んだ。
   「えーっ、わいをこの柱に、縛り付けるのだすか?」
   「そうだ、計画通りなら、福島屋の女将を縛り上げるつもりだった」
   「この家、今にも倒れそうやないか」
   「お前が暴れると、柱が腐っておるから倒れるぞ」
   「そんなー、殺生や」
   「お前にも亥之吉にも恨みはないが、渡世の義理で亥之吉を斬らねばならんのだ」
   「一宿一飯の恩義だすか?」
   「最初はそうだった、わしは半かぶちながら、もうすぐ貸元の盃を受けるところだ」
   「わいは福島屋の小僧、三太だすが、おっさんは?」
   「わしは、木曽の松蔵だ、おっさんと呼ばれるのは嬉しいが、まだ十八歳なのだぞ」
 強がっているが、何やら心配事がある様子だ。
   「わしの誤算と言えば誤算なのだが、亥之吉は佐久の三吾郎と一緒なのだ」
 三吾郎が一宿一飯の恩義を忘れていなければ、松蔵の味方になってくれるだろうが、そうでなければ松蔵はここで斬られるのは間違いない。それを恐れて逃げ帰ったところで、おめおめと一家の敷居を跨ぐわけにはいかない。考えてみれば、三吾郎に亥之吉を殺る気があれば、旅籠で寝首を掻いているに違いない。
   「やはり、ここがわしの墓場になるようだ」
 三太は、松蔵の悄気げた顔を見て「ぷっ」と、吹き出した。
   「何が可笑しい」
   「亥之吉旦那は堅気の商人(あきんど)だす、一宿一飯の恩義で堅気を斬って、男の株が上るのだすか?」
   「そうだな」
 こいつ、素直で根は善い男らしい。
   「ところで、亥之吉旦那はいつここを通るのだすか?」
   「わからん、わしは夜も眠らずに先回りしてきたが、あいつは寄り道ばかりしておる」
   「そうでっしゃろ、明日になるか、明後日か分からへん」
   「うん」
   「こんな物騒なところで夜を迎えたら、お化けが出るかも知れんし、腹も減ってきた」
   「何か食べ物でも買ってくるか」
   「それより、一緒に日本橋へ戻って何か食べようやおまへんか」
   「お前、逃げる気だな」
   「いいや、逃げまへん」
   「ほんとうか?」
   「嘘はつきまへん、安心しておくれやす」
 三太の言葉をあっさりと信じた松蔵は、縄を解き二人して日本橋へ向かった。
   「なあ、わいの天秤棒はどこへ捨てたんや?」
   「覚えていない」
   「もー、あれはわいの魂やで」
   「ただの肥担桶用の天秤棒だろ」
   「あほ、違うわい、旦那さんがわいの背丈に合わせて誂えたくれたものや」
 探しながら戻って来たが、見つけることは出来なかった。
   「折角手に馴染んでいたのに、どないしてくれるのや」
   「わかった、わかった、そこらの藪で竹を切ってやる」
   「そんなもん、要らんわい」
 三太は、ぶつくさ言いながら、日本橋に着いた。見つけた一膳飯屋で腹ごしらえをして、朽ち果てた空き家に戻ろうと言うことになったが、三太が突拍子もないことを言い出した。福島屋へ行こうと言うのだ。これから殺ろうという男の店に行けば、役人に訴えられてお縄になるのは見え透いている。
   「三太、お前はわしを騙そうと言うのか?」
   「いいや騙さん、店で旦那さんの帰りを待てば、ふかふかの布団で眠れるやないか」
   「空き家では、お化けが怖いのか?」
   「うん」
 空き家に亥之吉を誘い込んでも、結局、斬られるのは自分だろうと松蔵は考えた。
   「よし、行こう」
 破れかぶれになっているのか、三太を信用しきっているのか、松蔵は三太に従うことにした。


 亥之吉と三吾郎は、木曽の棧、大田の渡しと並んで中山道の三大難所、碓氷峠に差し掛かっていた。難所と言っても若い二人のこと、息切れをするでもなく、談笑しながら難なく越えた。
   「三吾郎はん、この度大江戸一家にで草鞋を脱いだら、もう客人ではおまへんのやで」
   「へい、分かっとります、親分子分の盃が貰えるように精一杯務めます」
   「堅気になれと言うたとて、あんさんは根っからの渡世人らしおますから我慢が出来まへんやろ」
   「その通りです」
   「大江戸の貸元はんは、五街道一の大親分だす、代貸の卯之吉が足を洗った後釜として、頑張っておくなはれや」
   「へい、ところで卯之吉兄ぃは、どうして足を洗う気になったのです?」
   「妹や、妹がお武家の妻になるかも知れへんから、妹に恥をかかせたくないのやろ」
   「渡世人は恥ですか?」
   「そらそうやろ、ひとつ違えば凶状持ちになって、お上に追われる身になるのやさかい」
   「そうですね」
   「それに、卯之吉には病の母親も居るのや、博打が飯より好きな卯之吉でも、母と妹のためには堅気になるしかなかったのやろな」
   

 江戸の福島屋では、松蔵が三太の言葉に従って亥之吉が帰るのを待っていた。いつまでも福島屋の世話になっては居られない。明日にでも気の向くまま、足の向くまま、宛も果てしもない旅に出ようと心に決めた松蔵であった。
   「そやけど、旦那さんが帰るまで待っていてくれまへんか?」
   「もう、亥之吉さんを斬ることは出来ない、待っていても仕方がないことだ」
   「そうは思いまへん、松蔵さんのことを旦那さんは放っておかへんと思います」
   「命を狙ったこのわしをか?」
   「そうだす」
   「嘘をつけ、小僧が殺られると知っても、小僧のなり手はたくさん居るから構わんと無視する男だと言ったではないか」
   「あれは嘘だす、そんなことをする旦那さんやおまへん」
   「この野郎、もうお前の言うことは信じないぞ」
   「あれは、松蔵はんの企みを、止めようとしてついた嘘や」
   「亥之吉は、賭場荒らしだ、それにわしの兄貴分を尽(ことごと)く藩の奉行所に突き出した」
   「だんさんは、博打はしまへん、奉行所に突き出したのも、あんさんの親分に非があるに違いおまへん」
   「突然賭場に乗り込んできて、客を連れ去ったのだぞ」
   「その原因も、旦那さんが戻れば分かることだす、それまでゆっくり骨休めをしていてください」


 それから三日たった夕刻、亥之吉は佐久の三吾郎を連れて戻ってきた。
   「お絹、今戻った」
 お絹は、奥から転がるように出てきた。
   「今戻ったやないやろ、こんなに長い間、信州で何をしていたのだす」
 お絹は、涙声である。亥之吉が戻ったら離縁するのではなかったのかと三太は思ったが、強いて突っ込みはしなかった。
   旦那さんが斬られたと聞いて、わたいは気を失いそうになったのだすから…」
   「それは誰から聞いたのや?」
   「ここにお見えの、松蔵さんからだす」
   「松蔵さん? 店に居るのか?」
 三太が松蔵と共に出てきた。亥之吉は松蔵の顔に見覚えがあった。
   「松蔵はん、あんたは…」
   「へい、亥之吉さんに荒らされた賭場の三下でござんす」
   「はいはい、あの賭場の、どうりで見覚えがある筈や、それで?」
   「亥之吉さんが斬られたと嘘をついて、兄ぃ達の仇を取ろうとやってきました」
   「そうか、ほんならどうぞ… と、言いたいとこやが、悪いのはそっちの貸元だっせ」
   「どう悪いのだ」
   「堅気衆を脅して賭場に誘い込み、金を借りさせていかさま博打で全部巻き上げ、客に残るのは利息月三割の借金だけや」
   「月、三割?」
   「知らんのか? 十両借りたら直ぐ返しても十三両や、半年も返すことが出来なかったら、五十両近くに膨れ上がるのや、一年もすれば二百三十三両や、あんさん、これをどう思う?」
   「知らなかった」
   「わい等は、無理矢理に借用書を書かされた文吉と言う商人を救うために乗り込んだのだ」
 松蔵は、漸(ようや)くこの場に佐久の三吾郎が居ることに気が付いた。
   「あっ、三吾郎の兄い、ごきげんさんです」
   「あの貸元はとんだ悪玉だぜ、仇を討って貸元のところへ戻るのか?」
   「いや、戻りません、明朝、ここを発って陸奥あたりに行こうかと思いやす」
   「宛はあるのか?」
   「いいえ」
   「それなら俺と一緒に大江戸一家に草鞋を脱がないか」
   「兄いと一緒なら、心丈夫です」
   「亥之吉さんが付いて行ってくれるそうだ、信州の貸元には、大江戸の親分が話を着けてくださるだろう」
   「へい」
   「俺も、次に大江戸一家を後にするときは、信州に戻って一家を構えるつもりだ、松蔵さんも来てくれるかい?」
   「もちろんです」

  第二十八回 三太がついた嘘(終)-次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十七回 敵もさるもの

2015-01-28 | 長編小説
 ある日の昼下がり、お江戸京橋銀座は福島屋の店先、女将のお絹が三太を呼んだ。
   「用があって月島のお得意様まで行きますのやが、三太、伴をしておくれ」
   「えーっ、またわいだすか、真吉の番と違いますか?」
   「えーって、何だす、旦那様のお伴は喜んでするのに、わたいの伴は嫌か?」
   「女将さん、知っいてる人と出会うと立ち話をしますけど、長いから嫌だす」
   「それも仕事だす、主人の言いつけを 嫌だす とは何事や」
   「そやかて…」
   「旦那さんが帰りはったら、言い付けまっせ、三太がわたいの言うことを聞かへんと」
   「お伴します、すればええのだすやろ」
   「何やいな、その態度」
 
 ごちゃごちゃ言いながら二人で店を出ると、一町も行かないところで近所の店の女将と出会った。
   「おや、福島屋の奥様、お出かけですか?」
   「へえ、ちょっと其処まで…」
 三太、不機嫌な顔をして呟いた。
   「余所行きを着ていそいそと歩いとるのや、出かけるのは当たり前やないか」
 
   「この前は、結構なものを頂戴しましてありがとうございます」
   「いえいえ、つまらないものだす…」
 三太、「そら始まるぞ」と、石を蹴りながら待っていたが、痺れをきらす前に別れてくれた。

   「なあ三太、旦那さんのお伴をしたら、何かええことがあるのだすか?」
 お絹が、何か三太から聞き出そうとしている。
   「いいえ、何にもおまへん」
   「若い女のとこへ行ったとき、小遣いくれるのと違いますか?」
   「くれまへんけど、面白いことがおます」
   「何や?」
   「この先の子授け神社へ旦那さんと立ち寄ったのだすが…」
   「へえー、旦那さんがまた殊勝なことを」
   「何を思うたのか、手水舎へ行くと、裾をからげてちんちんをお清めし始めたのだす」
   「まあ、なんて恥曝しな」
   「はたに居た若いお参り客がキャーキャー騒いでその場から逃げたのだすが…」
   「変態やがな」
   「神主さんが飛んできはって、旦那さんに注意をしはったのだすが」
   「怒られたやろな」
   「旦那さんが子授け神社でちんちん清めて何が悪いと逆ギレしはって、逆に神主さんに説教してはりました」
   「恥ずかし、まさか旦那さん、店の名前を出さなかったやろな」
   「出しました、わいは京橋銀座の福島屋亥之吉だすって」
   「ひゃー、わたい正面向いて外を歩かれへん」
   「それを見ていた参拝の男女に、『お前さんたちも子供が授かりたいなら、裾からげて清めなはれ』と、胸を張って指図をしてました」
   「もう言わんでもええ」
 お絹、気絶寸前で、その場に座り込んでしまった。
   「その間、旦那さんは黒くて大きなちんちん放り出したまま、喋る度にブランブラン…」
   「もうええちゅうに、あの変態野郎、信州から戻ってきたら、離縁してやる」

 更に一町ほど行くと、後ろから遊び人風体の男が追いかけてきた。店を出るときから、後を付けてきたらしい。
   「福島屋の女将さんですよね」
 お絹が座り込み何も言わないので、三太が代わりに答えた。
   「へえ、さいだす」
   「大変です、旦那さんの亥之吉さんが浪人者に斬られました、虫の息で女将さんに会いたがっていますぜ」
 お絹は、弱り目に祟り目、驚き過ぎて目眩がしたようであったが、漸く気を取り戻して男に尋ねた。
   「主人は、今何処に?」
   「日本橋の近くです」
   「医者は駆け付けたのだすか?」
   「へい、亥之吉旦那は気丈なおかたで、女房に会うまでは死なんと苦しい息の下で叫んでいました」
 お絹は、袖で涙を拭きながら男に付いて日本橋に向かった。

   「新さん、この男の言うことは、ほんまだすやろか」
 三太の守護霊、新三郎に問いかけた。
   『亥之吉さんが、浪人ごときに斬られたとは信じ難いですね』
   「何か魂胆があるようだすな」
   『探って来ます』

 
 その頃、亥之吉は遊び人佐久の三吾郎と二人、信州小諸藩士山村堅太郎の屋敷に居た。
   「弟の斗真(真吉)が、お世話になっています」
   「いやいや、お世話なんてとんでもない、真面目によく働いて貰っとります」
   「いつか、旦那様みたいな商人になって、小諸へ戻ると言ってくれました」
   「そうだすなぁ、わたいも小諸に雑貨商福島屋が生まれるのを楽しみにしとります」
 堅太郎は、三吾郎に目を遣った。
   「お連れの方は?」
   「佐久の三吾郎と言いましてな、博徒だすが善い男で、江戸までの道連れだす」
 堅太郎は、三吾郎にも丁寧に挨拶をした。
   「三太さんは、お元気ですか?」
   「へえ、頼もしくなって、今では福島屋の用心棒みたいな者だす」
   「何れ藩侯のお許しが出たら、会いに行きます」
   「そうしてやっておくなはれ、弟(真吉)さんや、新平も喜びますやろ」

 山村堅太郎の屋敷には、堅太郎が幼い頃に屋敷の使用人だった初老の夫婦が戻っていた。
   「堅太郎さん、奥さんはまだだすか?」
   「こんなところへ来てくれる人は居ないのですよ」
   「それは良かった」
   「何故です?」
   「緒方三太郎はんが、堅太郎はんのお嫁にと思っている人が居るようですよ」
   「それは有り難いことです」
   「町人の娘さんですので、一旦三太郎はんか、佐貫鷹之助はんの養子にするようだす」
   「若い父上ですね、鷹之助殿は、わたしよりも年下です」
 山村堅太郎は、嬉しそうであった。亥之吉と三吾郎は、山村の屋敷で一泊させて貰い、翌朝二人は江戸へ向けて旅立った。


 お絹を支えるようにして歩いていた三太が、お絹の耳元で囁いた。
   「女将さん、こいつは嘘をついています、旦那さんはまだ信濃の国だす」
 こっそりと伝えた。
   「女将さんは、ここで目眩がして倒れるふりをしてください」
 お絹は三太に言われた通り、目眩がしたふりをしてその場に座り込んだ。三太は慌てて知り合いのお店に駆け込んだ。
   「福島屋の者だすが、手前どもの女将が倒れました、休ませておくなはれ」
 お店のおとこしが出てきて、お絹の元へ飛んで行ってくれた。
   「女将さん、大丈夫ですか?」
 おとこしは、お絹を背負ってお店に運んでくれた。
   「女将さん、わいは日本橋へ向かい、あの男の魂胆を確かめます」
   「三太、気を付けなされや」
 この後、女将がお店のおとこしに事情を伝えた。三太は天秤棒を担いで飛び出して行った。
   「女将さんは、気を失っとります、わいが亥之吉旦那のもとへ行きますさかい、案内しておくなはれ」
 亥之吉が斬られたと伝えた男は、仕方がなさそうに三太を連れて日本橋に向かった。

   「日本橋だすが、旦那さんは何処に…」
   「もうちょっと先だ」
 男は不機嫌な顔で板橋の方向に進んだ。
   「そんな棒をいつまで持って歩いでるのだ、そこら辺に捨てな」
   「これは、わいの魂だす、捨てることなんか出来まへん」
   「何が魂だ、こっちへ寄越しな」
   「嫌や」
 人通りの少ない場所に来たので、三太を無理やり脇道に誘い込もうとした男だったが、三太に「キッ」と構えられて苦笑した。
   「お前は野良猫か」
   「野良猫は棒を振り回さへん」
 三太は、天秤棒の端を両手で持ち、横に構えた。
   「折角、親切に知らせてやったのに、それでわしを殴る気か」
   「おっさん、嘘をついているやろ、浪人に斬られたりするだんさんやないで」
   「亥之吉は、賭場荒らしだ、もうすぐ日本橋に着く、お前を人質にして遺恨を晴らしてやるのだ」
   「遺恨て何や、うちの旦那さんに仲間がやられたのか?」
   「そうだ」
   「それでわいを人質に取って、旦那さんの動きを封じるつもりか?」
   「その通り」
   「ははは、それはあかんで、旦那さんは小僧一人の命を取られても平気や」
   「どうしてだ」
   「そうやろ、小僧の代わりなんか、なんぼでも居るやないか」
   「そんな冷酷な旦那か?」
   「商人なら、それが普通やろ」
   「そうなのか?」
 この男、あまり賢くないなと、三太はからかい半分である。
   「それでおっさん、仲間は何人いるのや」
   「わし一人だ」
 この男は何を考えているのだ。独りで人質にドスを向けて、亥之吉とどう遣り合う積りだろう。三太は男に尋ねてみたくなった。

   「お前の首にドスを押し付けて、天秤棒を遠くに捨てろと叫ぶ」
   「それから?」
   「相手が丸腰になったら、わしでも勝てるだろ」 
   「ん?」
 敵もさるもの、引っ掻くもの。だが、守護霊新三郎の存在を知らないから仕方が無いが、熱り立つ男を哀れと思う三太であった。
 
  第二十七回 敵もさるもの(終) -次回に続く- (原稿用紙13枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十六回 三太郎、父となる

2015-01-16 | 長編小説
 佐貫の屋敷、鷹之助と亥之吉の声を聞いて、奥から鷹之助の妻、お鶴が前掛けを外してたたみながら出てきた。
   「亥之吉さん、ようこそ、いらっしゃいませ、妻のお鶴です」
   「初めてお逢いしましたが、お噂は三太から聞いております」
   「まあ、三太ちゃんが?」
   「鷹塾へ来る時は、鷹之助先生、たいへんたいへんと叫びながら入って来たとか」
   「そんな恥ずかしいことを話したのですか」
   「がらっ八のお鶴だと言っておりました」
   「失礼ね」
 鷹之助が笑いながら言った。
   「それを三太に教えたのは、わたしですよ」
   「もう、酷いわ」
 
 奥から小夜も顔を出した。
   「いらっしゃいませ、亥之吉さんは三太郎の良き武芸の好敵手ですってね」
   「いえ、好敵手やなんて、いつも手玉に取られております」
   「嘘仰い、三太郎は亥之吉さんのことを、『商人(あきんど)にあんな強い人は居ない』って言っていましたよ」
   「一度くらい私が勝ってから、それを言って貰いたいものだすわ」
   「そうですか」

 ご飯が炊ける良い匂いが漂ってきた。
   「あら、ご飯が炊けたようね、お鶴さん、あなた行って火を引いて頂戴」
   「はい、お母様」
 お鶴は、すっかり佐貫の嫁に収まっているようだ。
   「この夫婦、一度も喧嘩をしないのですよ」
   「仲が良ろしいのだすな」
   「偶には喧嘩もしなさいと私がけしかけても、夫婦して笑っているだけなのですよ」
   「そうだすやろ、なにしろ夫婦である前は、先生と塾生だしたのやから」
   「その所為でしょうかねぇ、ところで亥之吉さん、お帰りは一人旅ですか?」
   「いえいえ、ちゃんと伴は信州佐久の三吾郎という旅鴉を用意しております」
   「あなたは一人旅が出来ないのでしょ」
   「ま、当たりってとこだすか、よく道に迷いますからなぁ」
   「道に迷ったら他人に訊けばいいのです『鼻の下に口あり』と言うでしょう」
   「そらそうですわなぁ、鼻の上に口があれば、恥ずかしくって道を訊けしまへん」
   「誰がそんなお化けの話をしているのですか」
   「奥様、それを言うなら『鼻の下に地図あり』だすやろ」
   「あら、そうだったかしら?」
 お鶴が皆を呼びに出てきた。
   「お化けといえば、三太ちゃんは幽霊が恐くない癖に、お化けは恐がりましたねぇ」
 亥之吉は、鼻の上に口があるお化けを想像して、「ぶるっ」と身震いをした。自分も三太と同じだと言いそうになって、口をつぐんだ。
   「お食事の用意が出来りました、お茶の間へどうぞ」 

 
   「ただいま」
   「お母さんお帰り、佐貫のお屋敷で亥之吉さんと出会いませんでしたか?」
   「いいえ」
   「道の途中で会っていませんか?」
   「会っていてもわかりませんよ、だってそうでしょ、わたし亥之吉さんを存じませんもの」
   「そうでした、亥之吉さんは、長い棒を担いでいます」
   「それなら会いました、何だか痴漢のようでしたので、路地に隠れて遣り過しました」
   「お母さんが痴漢に襲われる心配はありませんよ」
   「まあ、失礼な、これでも女ですのよ」
 緒方三太郎と、三太郎の実の母お民の話を聞いていた信州佐久の三吾郎が、ぽつりと言った。
   「母子って、いいものですね、あっしは早くから家を飛び出して、親の死に目にも会うことができませんでした」
   「私達母子も、波瀾万丈でしたよ」
 三太郎も遠い昔を思い出した。
   「だって、お侍さんのご子息だったのでしょう?」
   「いいえ、お江戸貧乏長屋の小倅で、町人ですよ、わたしは」
 母、民が指でそっと目頭を抑えた。
   「四歳の時、父に捨てられて寺の床下で独り寝泊まりしていました」
   「ええっ、そうなのですか、そんな風には見えません」
   「人の運命など、どこでどう変わるかはわかりませんよ」

 翌朝、佐貫の屋敷から亥之吉が戻り、三太郎に鵜沼の卯之吉のことを頼み、亥之吉と三吾郎は名残を惜しみながら、『信州小諸藩士山村堅太郎にひと目会ってから江戸へ帰る』と旅発った。

 上田から小諸にかけて暫く歩くと、あとから五・六人の男たちが追ってきた。
   「亥之吉さん、奴等ですぜ」
   「あの、ゴロツキどもか」
   「へい、浪人者を一人雇ってきたみたいです」
   「使い手のようや、三吾郎さん気を付けとくなはれや」
   「へい」
   「浪人者はわいが相手する、その間、あんさんは刻を稼いでおくれやす」
   「わかりました」
   「一時、逃げても構いまへんで」

 ゴロツキの中に親分が居ない。どうやら危ないことは避けて、指図だけをしているようだ。
   「先生、この天秤棒野郎をやつけてくだせえ」
   「よし、お前らは下がっておれ」
   「へい」
 浪人がギラリと刀を抜いて亥之吉に向けた。幸いなことに、ゴロツキ共は三吾郎のことは眼中にないらしい。
 亥之吉は、天秤棒を頭上に構えた。浪人が刀を左から右へ払ってきたのを亥之吉は一歩後ろへ飛んで体をかわすと、天秤棒を浪人の左上から右下斜めに振り下ろし、浪人の左腕をピシリと打ち付けた。浪人は「あっ」と声を漏らしたが、体は崩さずに刀を我が身に引きつけた。
 その時、ゴロツキどもが我に返り、三吾郎を取り囲んだ。亥之吉は「やばい」と思って三吾郎を庇いに行こうとしたとき、馬の蹄の音が近づいてきたのに気付いた。
   「三太郎先生、どうしました?」
 亥之吉は態と大声を出した。ゴロツキどもの気を引きつける為だ。馬上の人は、やはり緒方三太郎だった。
   「亥之吉さんこそ、真っ直ぐに帰らないで、どうしてこんな所で油を売っているのだ」
   「へえ、こいつらに油を買わされているのだす」
   「賭場のゴロツキどもだな」
   「そうだす」
   「よし、わしがその浪人を引き受ける、亥之さんと三吾さんは、ゴロツキを追い払いなさい」

 三太郎は、馬から降りると抜刀して浪人者に立ち向った。
   「貴様は何者だ」
 浪人者が三太郎に尋ねた。
   「上田藩士、緒方三太郎だ、おぬしは何者だ」
   「元、上田藩士、今は流れ者の用心棒谷中為衛門だ」
   「思い出したぞ、藩侯に反逆し、佐貫慶次郎に捕らえられた家老の手下か」
   「そうだ」
   「拙者は、その佐貫慶次郎の倅だ」
   「そういえば、慶次郎の傍に、小さいガキが居たな」
   「それだ、それが拙者だ」
 浪人者のかねてよりの仇敵(きゅうてき)は病死したが、ここでその息子に出会うとは、切腹した家老の引き合わせだと意気込んだ。
   「そうと分かれば手心は加えぬ、そのつもりでかかって来い」
 ここで三太郎は刀の峰を返すところだが、まるで父の敵に出会ったごとく、険しい表情で挑んだ。浪人は、三太郎の気迫に一瞬怯んだが、気を取り直して刀を上段に構えた。
   「えーぃ!」
 浪人は、渾身の力を刀に込めて打ち込んだが、三太郎の太刀捌きに幻惑されて、浪人の刀は空を切った。その太刀が再び上段に戻らぬ隙に、三太郎の太刀が浪人の肩に食い込んだ。
   「うーっ」
 浪人は唸ると、その場に崩れ落ちた。
   「安心しろ、峰打ちだ」
 三太郎の刀は、浪人の肩に食い込む寸前、峰を返していたのだ。
   「だが、お前は謀反人だ、このまま逃す訳にはいかぬ、連行して藩侯の裁きを仰ぐ」

 亥之吉はと三太郎が振り向くと、賭場の門口で襲ってきた時と同じく、ゴロツキ共は土の上に転がされていた。
   「序だ、こいつらも藩のお奉行に裁いて頂こう」
 総て数珠繋ぎにされて、三太郎が馬上で綱の先を持ち引っ張った。
   「ところで、三太郎先生は、わいらに何か用が有ったのではおまへんか?」
   「そうだ、そうだ、肝心のことを忘れておった」
 三太郎は笑いながら言った。
   「母と弟子がお二人の為に作った弁当だ、持っていってくれ」
   「わたいらに弁当を届けてくれる為に、態々馬を飛ばして?」
 三太郎は少し声を潜めて、照れながら言った。
   「今朝、わしの子が生まれたと知らせがあったのだ」
   「おめでとうございます、それで男の子ですか?」
   「いいや、女の子だった」
 だからと言って三太郎はがっかりしている様子などなく、満面に笑を浮かべていた。

  第二十六回 三太郎、父となる(終) -次回に続く- (原稿用紙12枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十五回 果し合い見物

2015-01-14 | 長編小説
 三太と真吉が重い塩を背負って、町外れに鎮座まします天津鎮守神社を目指している。お宮で数日先に奉納相撲が行われるのである。真吉の懐には、袱紗に包んだ奉納金が入っている。
   「氏子でもないのに、なんでこんな遠いお宮に奉納するのやろ」
 三太は、訳がわからない。
   「お宮の宮司さんと、うちの旦那さまは、飲み友だちなのですよ」
   「へー、顔の広い旦那さんだすなァ」
   「それで、女将さんが気を利かせて奉納するのです」

 朝発って、お宮に着いたのは正午九つ刻であった。
   「宮司さんにお目にかかりたいのですが…」
 真吉が境内に居た巫女に声をかけた。
   「宮司は、奉納相撲の打ち合わせに出かけているのですが… 宮司以外の者ではいけませんか?」
   「禰宜(ねぎ)さんでも、権禰宜さんでも構いません、宮司さんなら私共の主人をよくご存知でしたので判り易いと思いまして…」
   「そうでしたか、今こちらへ歩いてきますのが権禰宜でございます」
 真吉と三太は、二人揃って頭を下げた。
   「京橋銀座の福島屋の者でございます」
   「ああ、福島屋亥之吉さんは私もよく存じております、お店の方ですか」
   「はい、奉納相撲でお使いになるお清めの塩と、奉納金を持参いたしました」
   「これはご苦労様です、私、権禰宜が確かにお受けいたしました、どうぞ亥之吉さんには宜しくお伝えください」
 真吉と三太は、権禰宜に頭を下げ、本殿の前に行き、お絹に教わってきた通り、二拝、二柏手、一拝をして、今来た道を戻った。途中、腹が減ったので、人影の無い広場の隅に腰を降ろして、持ってきた弁当を食べていると、若い侍が二人駆け込んできた。
   「ここで良かろう、いざ存分に戦おうぞ」
   「望むところだ、手心は加えぬ、おぬしもな」
   「わかった、いざ」
 白い鉢巻に襷掛け、侍たちは刀を抜いて向かい合った。そのとき、広場の隅で弁当を食べながら、二人の果し合いを見ている子供たちが目に入った。
   「ちょっと待て、あの子供たちが目障りだ、立ち去るように言ってくる」
 一人の侍が、三太達の前に走ってきた。
   「お前たち、黙ってここから去れ」
 三太がムカついた。
   「何を言うてますねん、ここはわいらが先に来て、休んでいるところだす、勝手なとを言いなはんな」
   「何っ」
 侍はムッとしたのか、刀を三太に向けた。見たところ純朴そうで、性悪侍ではないようである。
   「なんで、わいらを追い払うのだす」
   「我らはここで果し合いを致す、とばっちりを受けて怪我でもすれば、両親が悲しむであろうが」
   「わいらのことは気にせんと、思いきりやっとくなはれ」
   「怖くはないのか?」
   「ぜんぜん」
   「そうか、勝手にしろ」
   「へえ、勝手にします、そやけど、あんまり砂煙をあげないでくださいや」
   「そんなことは知らぬは、嫌なら他所へ行け」
 
 三太は守護霊新三郎に語りかけた。
   「なあ新さん、あの二人どう思う?」
 返事がない。
   「新さん、ねえ、新さん、あれっ、おらへん」
 どうやら、好奇心に勝てず、二人を探りに行ったらしい。

 侍二人は、刀を相手に向け合って、掛け声ばかりで一向に斬り込まない。たまに一人が斬り込もうとすると、相手は切っ先を下げて、まるで斬られてやろうとしているようである。
   「何や、何や、今、隙があったやないか」
 三太が野次る。
   「煩い、黙れ!」
 また逆に、いま切っ先を下げた方が斬り掛かると、相手が切っ先を下げる。
   「おもろないぞー、もっと気合を入れてやれっ」
 
 新三郎が戻ってきた。二人の関係と、この度の経緯を探ってきたようだ。新三郎は、三太に話して聞かせた。
   「ふーん、それでこいつらの気合の入らない果し合いの意味がわかった」
 三太は思い切り大きな声で、二人を野次った。
   「やれ、やっつけろ、もっと派手にやれーっ」
 侍の一人が、またやって来た。
   「このガキ、まずお前を黙らせてやる」
   「ちょっと待て、わいは心霊読心術が使えるねん、なっ、田沼藤三郎はん」
 田沼はぎくっとして、三太の顔を凝視した。
   「なぜ拙者の名前を知っておるのだ」
   「そやから、心霊読心術が使えると言うたやないか、お侍さんの魂に教えて貰ったのや」
   「拙者の魂がお前に喋ったのか?」
   「そうだす、相手は高崎勘兵衛さんでっしゃろ」
   「そうだ、お前の名は何と言う」
   「三太だす、福島屋の小僧、三太だす」
   「本当にそんな術が使えるのか?」
   「果し合いの原因も訊きましたで」
   「何だ」
   「上役のお嬢さん、あやめさんを取り合っての恋の鞘当てだすやろ」
   「お前、子供の癖に、よくそんな言葉を知っておるのう」
   「お侍さんの魂が教えてくれたのだす」
   「そうか、わしの魂は口が軽いのう」
 三太は、声高く笑った。
   「そうだす、よく躾ときなはれ」
   「うむ」

 高崎勘兵衛も、「何をしているのだ」と、寄ってきたので、三太は新三郎に聞いたことを話した。上役の美しい娘を、二人は同時に見初めてしまった。二人は幼馴染で、心の許せる親友であったが、同じ娘に惚れてしまったことに気づくと、どちらからでもなく「拙者が降りる」と、言い出した。親友を傷つけたくないお互いの思いから、二人共があやめを諦めようと話合った。
 面白くないのが、あやめ当人であった。二人してあやめに言い寄り、チヤホヤしていたのが、ばったりと途絶えたのである。そこで、あやめが思いついたのは、二人を同時に同じ場所に呼び出すことである。
 高崎には、「田沼殿のことで話がある」と、田沼には「高崎殿のことで話がある」と誘った。それを聞いた二人は、ふっと懐疑心が生じた。
   「もしや、男と男の約束を違えて、相手はあやめさんに逢っているのではないだろうか」
 半ば憤慨しながらあやめに指定された場所にやって来ると、案の定、相手があやめに逢いにやって来た。
   「やはりそうであったか」
 自分はまんまと騙されていたのだと思うと、互いが激怒して「果し合い」のくだりとなったのである。
 
 しかし、相手は心から認めていた親友である。どうしても斬ることが出来ない。ここは思いきって、相手に斬られてやろう、そうして、草葉の陰から、親友の幸せを見守ってやろう。お互いにそんな気持ちであったが、男の意地だけは貫こうと、ここを果し合いの場に決めてやって来たのだ。
   「どうだす? わいの術は信じることが出来ましたか?」
 二人は唖然として、返す言葉を忘れていた。ほんの暫くの刻をおいて、田沼が口を開いた。
   「参った、三太とやらの言う通りだ」
   「わいらは店に戻らないとあかんのだすが、もうちょっとお二人に付き合いまひょ」
 三太は二人に、あやめさんの屋敷に連れて行ってくれるように頼んだ。三太は、あやめの心が凡そ分かるつもりだが、確かめておきたいのだ。

 屋敷の前まで来ると、丁度若い武士が門の前に立っていた。
   「あの人は?」
   「お目付頭の若様だ」
 聞くが早いか、新三郎が三太から離れた。屋敷の潜戸が開けられて、若様は門番に丁重に招き入れられて、屋敷の中へ消えた。

 やがて、新三郎が家人に憑いて出て来ると三太に囁き、三太は二人に説明した。
   「高崎さん、田沼さん、その若様は、あやめさんを妻に娶りたいと親御さんに会いにきたみたいですよ」
 両親は大喜びで若様を招きいれた。あやめも、満更でもない様子である。つまり、あやめは二人にチヤホヤされて、悦に入っていたところ、二人から急に突き放されて自尊心が傷つき、その復讐のために友情を壊してやろうと考えたのだ。それで、一人が殺されようと、相打ちでふたりとも死のうとも、知ったことではないと思ったようである。
   「酷い」
 高崎も、田沼も、そんなあやめに惚れた自分の愚かさを知ったと同時に、果し合いで相手を斬らずに、また斬られずに済んだことに安堵した。

 この話は、まだ続きがある。あやめは若様に気に入られて妻になったが、この若様は女癖が悪く、あやめもまた身持ちが悪くて、一年も経たぬまに相手を罵りあいながら破局となった。あやめの復讐は、若様の性癖を世間に晒したことであったが、あやめもまた間男の存在を晒されて、罪を問われた。

   第二十五回 果し合い見物 -次回に続く- (原稿用紙12枚)

   「第二十六回 三太郎、父となる」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十三回 遠い昔

2015-01-09 | 長編小説
 緒方三太郎は佐貫の屋敷へ行って、亥之吉と卯之吉を義弟の鷹之助に会わせたいが、まだ上田藩校明倫堂(めいりんどう)から戻ってはいないだろう。その前に八百屋の文助に会って卯之吉を引き受けくれないかと都合を訊きに行こうと三太郎は考えた。

 亥之吉も卯之吉のことが気がかりなので、自分も付いて行くと言い出した。それではと二人の弟子に母娘を頼んで三人で昼下がりの町へ出た。
   「文助さんのお父さんは、義父慶次郎の馬の世話役をしていたが、亡くなって今は奥さんと子供が二人居ます」
   「お子達は、まだお小さいのだすか?」
 亥之吉が尋ねた。
   「上が女で下が男、どちらも二十歳前だよ」
   「卯之の嫁に丁度よろしい歳だすな」
   「歳はそうでも、既に許婚が居るかも知れないだろう」
 
 店には文助の息子文太郎が店番をしていた。
   「あ、先生いらっしゃいませ」
 文太郎は、三太郎の顔を見て満面の笑みを見せた。
   「おやじさんは居るかね」
   「それが、午前中に掛取りに出かけて、まだ帰らないのです」
   「方々まわっているのだね」
   「いいえ、一軒だけです」
   「おやじさんは、途中で油を売ったりはしない人なのに」
 文太郎は、三太郎の言葉を聞いて、ちょっと心配になってきた。
   「そう言えば、売掛金を何ヶ月も溜めていて、一向に返してくれないのだとぼやいていました」
   「行った先は、文太郎さんも知っているのだね」
   「はい、たちの悪いゴロツキで、金が入ると博打場に入り浸りだそうです」
   「職業は?」
   「善次といって一応は左官ですが、働かないで弱い者に難癖を付けて強請り紛いのことをしています」
   「そうか、おやじさんが危ないかも知れない、すぐ行ってみよう」
 文太郎から善次の住処を聞くと、亥之吉と卯之吉に目で合図を送り、すぐに駆け出して行った。
 
 善次が住む長屋に来てみると留守であった。
   「博打場だ、おやじさんは脅されて貸元から金を借りさせられているかも知れない」
 近所の人に善次がよく行くという博打場の在り処を訊くと、「すぐ近くです」と教えてくれた。
   
 文助は掛取りに出かけたのだから、受取証に押す印鑑を持って出た筈だ。案の定、胡散(うさん)らしい賭場に連れ込まれ、今まさに借用書に印鑑を押させられようとしたところに三太郎たちが入ってきた。
   「文助兄さん、押すのは待って!」
 三太郎が叫んだ。文助は印鑑を持つ手を思わず引っ込めた。
   「誰でえ!」
 貸元らしい男が怒鳴った。
   「わたしは文助の弟だ、おまえら兄さんに無理矢理印鑑を押させようとしていたな」
   「何が無理矢理だ、この男が博打をしたいというから、金を貸そうとしたまでだ」
   「嘘をつきやがれ、兄さんは博打なんかしねえ、それに借金もだ」
 貸元が子分たちに「こいつ等をつまみだせ」と、目で指図した。その時、子分の一人が卯之吉を見て声を上げた。
   「卯之吉兄いじゃないですか、大江戸一家の代貸し、鵜沼の卯之吉兄いでしょう」
   「卯之吉だが、おめえさん一体誰でえ」
   「ほら、役人に追われていたあっしを、大江戸の貸元が匿ってくれたではありませんか、旅鴉三吾郎、ほら、信州佐久の三吾郎でござんす」
   「おお、思い出した、あの三吾さんかい、お達者でなによりです」
 大江戸一家の代貸しと聞いて、一堂は驚いた。大江戸一家といえば、五海道に知り渡る大任侠一家である。
   「そうですかい、これはどうも恐れ入りやした」
 最初に折れたのは貸元であった。
   「それで、こちらのお兄さん方も同じ大江戸一家の?」
 卯之吉が紹介した。
   「こちらの方は、上田藩士で医者でもある緒方三太郎さんです」
 亥之吉は卯之吉に紹介される前に自分で紹介した。
   「わいは、元浪花の商人、いまは江戸で商いをしとります福島屋亥之吉だす」
 和やかに紹介をしていると、善次がコソコソと逃げようとしたのを、卯之吉が捕まえた。
   「三太郎さん、悪いのはあの善次です、わたしが溜まっている掛け金を取りに行ったら、いきなり殴られて、ここへ連れてこられました」
 文助が、憤懣やるかたない思いを三太郎に訴えた。
   「よく分かっています、善次は藩の奉行所に突き出してやりましょう、他にも色々罪を犯しているようです」

 卯之吉が、この賭場の貸元に対して、捨て台詞を残した。
   「親分さん、一ヶ月で三割の利子を取ってるいと聞きましたが、お前さんもあくどい金貸しをしていなさるようですね、いつまでもこんなことをしていると、藩のお牢に繋がれることになりますぜ」
 この卯之吉の捨て台詞に危機を感じたのか、やはり一癖も二癖もある貸元、このまま四人を帰せば藩奉行所に訴えられてまずいことになると思ったのか、子分たちを集めて何やら指図している。
 
 まだ日が高いというのに、子分達が後を追いかけてきた。三太郎たち四人と縄で繋いだ善次を壁際で取り囲むと、いきなり懐からドスを出し斬りつけて来た。三太郎は卯之吉に文助を護るように頼むと、亥之吉と二人は子分たちに向かった。善次はその場に転がされた。
   「亥之さん、乱闘は久し振りでしょ?」
   「江戸は物騒なところだすから、ちょくちょくやっとります」
   「そうかね、わしは久し振りだ、思い切り楽しませて貰います」
 一人、長ドスを腰に差した男が、三太郎に向かってきた。卯之吉が「止めろ!」と、制した。
   「佐久の三吾郎さん、お前さんはおいらの兄弟分みたいなものじゃないか、ドスを引いておくんなせえ」
 卯之吉が説得しようとしたが、三吾郎はなおも三太郎に斬りかかった。
   「卯之吉の兄いとも思えねえ、これが渡世の義理ってやつですぜ、あっしのは一宿一飯恩義のドス、兄さん方には何の意趣遺恨もありやせんが、真剣にかかって参りやす、どうぞ手心を加えずに思いきりやってくだせえ」
   「わかった、行くぞ、と言いたいところだが、生憎(あいにく)わしらは堅気(かたぎ)でな、堅気相手に一宿一飯の義理もなかろうと思うがどうだ」
 三吾郎がドスを構えて三太郎に突進してきたのを、三太郎の脇差でドスの切っ先をチョン横へずらせると、ドスを三太郎の小脇に抱える形となった。
   「三吾さん、わし等は堅気の医者と商人、卯之吉さんも足を洗って新しい出発をするところだ、渡世の義理も恩義もないでしょう」
 尚も向かってくる三吾郎を跳ね返しながら、三太郎は説得にかかった。ここの奴等は侠客じゃなく、堅気の衆を脅して無理矢理に金を貸付け、その金を博打で巻き上げたうえに高利を取るゴロツキ共の集まりである、江戸の大江戸一家で大親分の杯を受けるか、足を洗うか、少なくともゴロツキ渡世よりも善い道がある筈だ。

 そんな三太郎の話を聞いて、三吾郎の切っ先が下に垂れた。
   「親分は、倒れた子分たちを放っておいて、姿を消したようだ、ケチな野郎だね」
 そう嘲笑する三太郎の言葉に、戦意を無くした三吾郎を尻目に、亥之吉が唐突に言った。
   「先生、そう言えば久し振りで会ったのに、まだ手合わせをしとりませんでしたなァ」
 会えば、必ず刀と天秤棒の手合わせをする三太郎と亥之吉である。 
   「そうか、序(ついで)に、今、やっとくか」
   「そんな、序なんて…」
 三太郎は笑いながら、刀の峰で向かってくる子分たちをバタバタと倒していく。亥之吉も、天秤棒をブンブン振り回して、善次の周りに子分たちが蹲(うずくま)った。
 
 乱闘騒ぎを聞きつけて、藩の捕り方役人が数人駆け付けてきた。
   「先生じゃありませんか、何やっているのですか」
   「医者とても、降りかかる火の粉は払わねばならんのでなァ」

 役人に経緯をすっかり話し、三吾郎の肩を押し文助の店に戻ってきた。三吾郎が江戸から信州の佐久を通り越して上田まで来た訳を聞くと、親の顔が見たさに戻ってみると、両親は亡くなり、田畑は見知らぬ他人が耕していた。風の吹くまま気の向くまま旅を続け、銭も無くなって一宿一飯の恩義を受けたのがゴロツキ一家だったのだそうである。
   「三吾さん、わしと一緒に江戸へ戻りまへんやろか」
 亥之吉が言うと、卯之吉も賛成した。
   「堅気になって地道に働き、ええ娘をみつけて所帯を持つのもええもんだす」
 帰る処も無くなった三吾郎、少しはその気になったようであった。

   「文助兄さん、困ったことがあったら、いつでもわしに言ってくださいよ」
 緒方三太郎の偽らざる心である。 
   「いやあ、売掛金のとりたてのことまで、先生に相談できませんよ」
   「裏の畑で、大根の育て方を教えて貰った私の師匠じゃないですか、遠慮はいりませんよ」
   「師匠だなんて」
   「少なくとも、歳の離れた兄貴だと思っています」

 文助の店では、文助の妻、楓が店番をしていた。
   「楓姉さん、こんにちは」
   「あら、三太ちゃんじゃないですか」
 楓にとっては、いつまでもひよこを懐で飼っている三太郎である。後ろの文助の顔を見て、楓は「ほっ」としたようであった。
   「お前さん、帰りが遅いから心配していたのですよ」
   「危ういところを先生がたに助けて貰った」
   「まぁ、そうだったのですか、文太郎はお前さんのことを心配して、今、番所へ行ったところです」
 文助夫婦は、三太郎と亥之吉、卯之吉に深々と頭を下げて礼を言った。そこへ文太郎も戻ってきて、文助の無事な顔を見ると、再び駆け出して行った。番所に父親の無事を知らせる為であろう。

   「この卯之吉に、八百屋の商いを教えて貰いたくてここへ来たのです」
 三太郎は、此処へ来た本当の目的を説明した。寝泊りと食事付きであれば、給金は三太郎が出すから要らないと申し出たが、文助は首を振った。
   「いえ、働いて貰えるのなら、お給金は払いますよ」
 卯之吉の鵜沼で犯した罪も話したが、文助は喜んで卯之吉を受け入れてくれた。
   「卯之吉さん済みませんが、ほとぼりが冷めるまで名前を変えてくれませんか?」
 無理からぬことである。結局、亥之吉が名付けて「常蔵」と、呼ばれることになった。

   「三太ちゃん、奥様は順調ですか?」
   「さあ、どうでしょう、亭主のわしにも生まれたとも、生まれそうだとも、沙汰がないのですよ」 
   「それは、三太ちゃんが悪いのですよ、しげしげ足を運ぶなり、使いを遣るなり、三太ちゃんの方から待ち遠しい気持ちを伝えなきゃいけません」
   「そうなのですか」
   「そうですよ、奥様の方でも、情の無い旦那様だと思っていらっしゃいますよ」
   「では、明日にでも馬を飛ばして行ってまいります」
   「奥様に、優しくしておあげなさいね」
   「わかりました」
   「まっ、素直な三太ちゃん」
 文助が、楓に「控えて、控えて」と、手合図をした。
   「剣豪も、妻の楓にかかったら形無しですね」
 楓には、懐でひよこを飼っていた可愛い三太のままであったのだ。

  第二十三回 遠い昔(終)-次回に続く- (原稿用紙15枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ

猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 第二十二回 三太の分岐路

2015-01-08 | 長編小説
 ここ江戸は京橋銀座、雑貨商福島屋の店先、午後のひと時、ふっと客足が途絶える時間がある。お客を門口までお送りした後、三太はお帳場座卓に座って帳簿を調べているこの屋の女将、お絹の前にペタンと座った。お絹の作業が一区切りついたところで、三太はポツリと呟いた。
   「旦那さんの帰り、遅過ぎます」
   「何や? 旦那さんがおらへんと寂しいのか?」
   「いや、聞いて貰いたい話があるのだす」
   「何も旦那さんやのうても、わたいが聞きましょ、話してみなはれ」
   「へえ、それが…」
   「旦那さんやないと、話されへんのだすか?」
   「そんなことはないけど…」
 三太の態度が煮え切らない。
   「こう言うてても、すぐ帰りはるやろ、もう四・五日待ちなはれ」
   「それが…」
 聞き質してみると、先日大江戸一家へ塩を納めに行ったとき、貸元の妻お須磨姐さんになにか言われたらしい。
   「わいに大江戸一家の養子になって、一家を継いで欲しいと言われました」
   「よう養子になれと言われる子やな、奈良屋の後家さんにも言われたのやろ」
   「へえ」
   「それで…」
   「それでって?」
   「三太らしくないなァ、三太の気持ちはどうなんや?」
   「それが…」
   「また、それが…か」
 お絹は、三太がどちらを選んでも反対はしないつもりだ。
   「三太が江戸に来たとき、旅鴉の格好やったな、任侠道に憧れていますのか?」
   「わかりまへん、けど、あの格好をしたのは遊びだす」
   「何も思案することあらへんがな、嫌ならはっきりと断れば?」
   「面白いかも知れないし、恐いかもしれへん、はっきり断われないのだす」
   「何が恐いのや?」
   「えんこ詰めとか…」
   「あほらし、それで旦那さんに相談しようと帰るのを待ってますのか」
   「へえ」
 お絹は、はたと思案が閃いた。きっぱり足を洗って商いに精を出す政吉に相談させようと思ったのだ。政吉なら任侠の渡世も、堅気な渡世の情趣も知っている。さっそく暇な時をみて、神田の菊菱屋の店に菓子折りを持たせて三太を行かせた。

 菊菱屋の若旦那と、小僧の新平が何やら談笑をしているところであった。
   「ごめん、お邪魔します」
   「何や、親分か」
   「何やはないやろがな、折角食べてもらおうと京菓子を持ってきたのに」
 新平に渡された紙包みを新平は政吉に差し出した。
   「それはおおきに、女将さんが持たせてくれたのやな」
   「へえ、さいだす」
   「丁度、八つ過ぎで小腹が空いてきたところや、ほな、お茶を…」
 と、政吉が奥へ入ろうとしたのを新平が止めた。
   「お茶なら、おいらが入れて参ります」
   「そうか、ほんなら頼みます、火傷しいなや」
 政吉は優しい童顔を三太に向けて、「どないしたんや」と、話の切欠を作ってくれた。
   「お菓子を持ってきてくれただけやないやろ、話してみんかいな」
 新平も、若旦那も、よく気が付く人やと、三太は感心した。
   「へえ、実はわいのことだすけど…」
   「うん、どうしたのや?」
   「大江戸一家の養子にならへんかと誘われていますねん」
   「ほう、大江戸と言えば立派な貸元の一家や、不服なのか?」
   「このまま堅気の渡世を進むか、格好良く任侠道を行くか迷っています」
   「そら、いまのまま堅気の商人になる方が良いに決まっているやないか」
 三太は意外に思った。京極一家という任侠道の世界で育った人の言葉とは思えないのである。
   「任侠は格好ええのやが、ひとつ違えば縄張り争いで命をかけなあかへん」
   「えんこ詰められたりする?」
   「そうや、掟を破るとそういうことにもなる」
   「指全部無くなったら、どうやって飯を食うの?」
   「そんなことにはならん、そんなやつ、そうなる前に殺されているわ」
   「こわいなあ」
   「そら、そのくらいの覚悟がないと、渡世人としてやって行けへん、それより、地道に商いをした方がええと思う」
 今のままで、旦那の亥之吉に付いて、商いと護身用の棒術を修め、立派な商人になるのが三太の進むべき最良の道だというのが政吉の意見であった。
   「三太と兄ぃの武器は天秤棒やが、わしと新平の武器は何だと思う」
 政吉が三太に謎かけた。
   「さあ、わかりまへん」
 政吉が「ここや」と、自分の顔を指した。
   「なあ、新平」
   「はい、若旦那」
   「よう言うわ」
 三太、ずっこけた。

 やはり今の選択は間違っていないのだと、商いの道を進むことを三太は決心した。
   「三太、戻りました」
 お絹が出迎えた。
   「どうやった、政吉さんは何といっていました?」
   「今のまま、商いと、棒術に精を出せと…」
   「それで三太はどうするの?」
   「明日、大江戸一家へ行って、姐さんに断ってきます」
   「そうか、それは良かった、一人で行けるのか」
   「へえ、大丈夫だす」


 ここは江戸から遠く離れた信州は上田である。緒方三太郎は、八百屋の商売をしてみないかと卯之吉に勧めていた。
   「わたしが子供の頃、佐貫の屋敷の使用人に文助という兄さんがいたのです」
 思い返せば、農家のお婆さんに貰った鶏の雛に、文助が竹の小屋を作ってくれた青年だ。雛は「サスケ」と名を付けて三太の懐へ入れ、義父佐貫慶次郎と共に江戸まで馬で行った思い出もある。
   「その文助さんは、大きな八百屋をしている、そこで暫く商いのいろはを教わるのです」
   「博打しか出来ないあっしに商いができるでしょうか」
 卯之吉は全く自信がなかった。自分は寡黙で無愛想だ。こればかりは努力しても直らないであろう。そんな男に商いが出来るであろうか。
   「ははは、それは大丈夫だ、その解決法があるぞ」
   「解決策?」
   「そうだ」
   「どうすれば良いのでしょう?」
   「可愛くて、愛想の良い嫁を娶ればよいのだ」
 母親と妹のお宇佐は、取り敢えず三太郎が面倒を看るという。
   「実は、私の妻がお産の為に里へ戻っているのだ」
 赤子を連れて戻ってきても、診療所の患者さんを看ることは出来ないので、三太郎の実母と共にお宇佐に看護女になって貰えたら、一人や二人の患者を養生させることが出来ると考えたのだ。三太郎は、皆の前でその計画を語った。
   「お宇佐さんは、何れここから嫁に出す、お宇佐さんに勧めたい善い男が小諸藩に居るのだ」
 亥之吉は、大賛成だった。卯之吉は鵜沼にも江戸へも戻れない。卯之吉が嫁を貰って八百屋の店を出すときは、自分の出番が来るだろうと、わくわくする亥之吉であった。
   「鵜之どうや、流石、艱難辛苦を乗り越えてきたわいの兄貴分や、この人に任せておけば、きっと悪いようにはなりまへんで」
 卯之吉は嬉しかった。こんな自分の為に、ここまで考えてくれる緒方三太郎先生が眩しかった。
   「ところで先生、卯之吉の嫁も考えてくれていますのか?」
   「考えていないよ、真面目に働いていれば、周りが放ってはおかないよ」
   「ほんなら、わいが江戸で探しまっせ」
   「亥之さん、あんたのお古を押し付ける気じゃないだろうね」
   「なんてことを…、失敬な」
 話し声が卯之吉の母親に聞こえたのであろうか、少し笑ったように思えた。
   「お母さんも、少しずつ良くなっていきますよ」
 三太郎の自信に満ちた言葉が、卯之吉とお宇佐の耳に快かった。

  第二十二回 三太の分岐路(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

「シリーズ三太と亥之吉」リンク
「第一回 小僧と太刀持ち」へ
「第二回 政吉の育ての親」へ
「第三回 弁天小僧松太郎」へ
「第四回 与力殺人事件」へ
「第五回 奉行の秘密」へ
「第六回 政吉、義父の死」へ
「第七回 植木屋嘉蔵」へ
「第八回 棒術の受け達人」へ
「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
「第十一回 山村堅太郎と再会」へ
「第十二回 小僧が斬られた」へ
「第十三回 さよなら友達よ」へ
「第十四回 奉行の頼み」へ
「第十五回 立てば芍薬」へ
「第十六回 土足裾どり旅鴉」へ
「第十七回 三太の捕物帳」へ
「第十八回 卯之吉今生の別れ?」へ
「第十九回 美濃と江戸の師弟」へ
「第二十回 長坂兄弟の頼み」へ
「第二十一回 若先生の初恋」へ
「第二十二回 三太の分岐路」へ
「第二十三回 遠い昔」へ
「第二十四回 亥之吉の不倫の子」へ
「第二十五回 果し合い見物」へ
「第二十六回 三太郎、父となる」へ
「第二十七回 敵もさるもの」へ
「第二十八回 三太がついた嘘」へ
「第二十九回 三太の家出」へ
「第三十回 離縁された女」へ
「第三十一回 もうひとつの別れ」へ
「第三十二回 信濃の再会」へ
「最終回 江戸十里四方所払い」へ

次シリーズ 江戸の辰吉旅鴉「第一回 坊っちゃん鴉」へ