雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十二回 幽霊の出る古店舗

2015-06-06 | 長編小説
 江戸の同心長坂清心は、上方へ来るときは大勢の護衛が居た。帰りは兄弟二人、呑気な旅である。その兄清心と弟清之助が帰った数日後、福島屋亥之吉が三吉の鷹塾にやってきた。塾を終え、子供たちを送った後、丁度昼食の真最中の三吉であった。
   「どうぞゆっくり食べとくなはれ、わいは急ぎはしません、待っていますさかいに」
   「済みません、お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
 膳に向かって食事をしている三吉の後ろから、亥之吉が声を掛ける。
   「男の一人暮らしにしたら、綺麗に掃除が行き届いていますなぁ」
   「あ、はい、子供たちのお母さんが来て、掃除してくれました」
   「そうでしたか」
   「それに、子供たちも手習いの後片付けをして帰ってくれますので」
   「躾が行き届いて、いい子ばかりですな」
   「いいえ、手習い中も、喧嘩ばかりして、鎮めるのに手を焼いているのですよ」
   「あはは、それでこそ子供ですわ」

 食事を済ませ、膳を片付けた三吉が、亥之吉の前に来て「お待たせしました」と、正座して両手を付いた。
   「はい、用と言いますのは、この鷹塾のことやが…」と、前置きをして、亥之吉は盗賊の一件を話した。

 鷹塾を脅しに来るならず者を調べてみたら、江戸から流れてきた大物の盗賊に行き当たった。亥之吉と三太と辰吉の三人で盗賊の捕物に協力した褒美に、お上と、盗賊に狙われた大店から、合計三百両もの大金を頂戴した。これを全額鷹塾の設立に役立てて欲しいとの三吉にとっては夢の様な話であった。
   「そのような大金を頂戴するのは、身に余ります」
   「いえいえ、三吉さんの志を思えば、決して過分ではありません」
   「しかし…」
   「しかしも、おかしもありません、源太先生を迎えるに相応しい塾を建てようではおまへんか」
   「お言葉に甘えてもええのでしょうか?」
   「実は、その位の金子なら、わいが出してあげようと思っておりましたのやが、近々三太が相模屋の暖簾分けをして貰ってお店を出しますので、そちらの援助に廻しますわ」
   「有難う御座います、それでは遠慮無く使わせて頂きます」
   「はいはい、そうしてください、お金は盗まれてはいけませんので、わいが預かっておきます、必要な時は何時でも言ってください」
   「次男が大工ですので、建物は弟と、弟の親方さんに相談してみます」
   「足りなかったら、それも遠慮なく言ってくださいよ、それと…」
 亥之吉は、こんなことまで言うべきか迷った。
   「はい、なんでしょうか?」
   「お金の出処を説明する必要があるときは、わいを呼んでください、畏れ多くも上様からの賜り物だと、ちゃんと説明させて貰います」

 これで一件落着と、亥之吉は帰って行った。三太のところへ行って、援助させて貰いますと言えば、三太が現在奉公している相模屋の旦那長兵衛が、恐らく反対するだろうと読んで、三太の援助は三太が店を出してからすることにした。

   「さあ、今度はわいの番や」
 亥之吉には、志がある。大坂に大きな雑貨商を作ることだが、建物の屋根を高くして、明かりを十分に取り入れ、食料品から衣類から家具など様々な商品を展示し、お客に手に取って商品を選んで貰える雑貨店を作ろうと思っている。
 その名を「福島屋百貨店」と改め、買い物がし易い、大量仕入れで少しでも安く買ってもらえるお店にしたいのだ。
 実は、目を付けている土地があるのだ。大坂の繁華街から少し逸れた土地ではあるが、亥之吉は「やがて繁栄する」と、読んでいる。そこに亥之吉の安い店舗が出来ると、その繁栄化に加速がかかるのではないかと、これは亥之吉の希望的観測ではあるが…。
 将来は、亥之吉の福島屋と同じ場所に、三太の酒店相模屋支店も出店して貰いたいと密かに考えている。

 鷹塾からの帰り道、江戸の福島屋程も大きくはないが、確りした空き家の古店舗を見つけた。価格が五十両と破格なのだが、近所の店舗の人に訊くと、訳ありだそうである。
   「これが出ますのか?」亥之吉は幽霊の手付きをして見せた。
   「そうですがな、大きな詐欺に遭って、お店も財産もなくなった、若い主人が蔵で首を括りなさったのです」
   「それは気の毒に… ご家族は?」
   「女将さんが手元に残った僅かな金を使用人達に分け与えて、小さいお子達を連れて、実家に戻っておいでやそうです」
   「酷い話ですなぁ、それで旦那さんが幽霊になって出るのですか?」
   「それは他人が流した無責任な噂ですけど、その所為でこのお店が売れませんのや」
   「中を見せて貰おうと思えば、どこに頼めばええのですか?」
   「昼間は開いておりますから、自由に見てもらってええそうです」

 女将が来て手入れしているのか、中は綺麗に掃除されて、荷物を運び込めば何時からでも商売が出来そうである。ただし、江戸福島屋の店舗とは造りが違うので、手を加えねばならない。
 蔵も覗いてみた。天井の梁に切れた荒縄が残っていて首吊りの後が生々しい。苦しくて藻掻いたのであろう、ほんの少し縄に血の跡が黒く残っていた。
 亥之吉は、この古店舗を無性に買いたくなった。首を括った若い店主の仇をとってやりたくなったのだ。
「女房や親父に相談せんとあかんのやが、説得してわいが買います」
 亥之吉は、この古店舗の持ち主の実家の在所を教えてもらうと、店舗に向かって「それまでどうぞ売れませんように」と、両の掌を合わせて頭を下げ、満足気に帰っていった。

 亥之吉は、道修町の福島屋に戻ってきた。
   「お絹、戻ったで」
   「あ、お前さんお帰り」
   「お絹に聞かせたい話があるのや」
   「それよか、三太の奉公する相模屋長兵衛さんが大変なことになったそうで」
   「どうしたのや、死んだのか?」
   「そんな縁起でもないことを言ってからに、そうやない、大きな詐欺に遭いはったのや」
   「また、詐欺かいな」
   「またて、誰か他にも遭った人がおいでか」
   「そやねん、その詐欺に遭った人は、首を括ったのや」
   「まぁ、お気の毒に、長兵衛さんはそんなことはしはる筈はおまへんが…」
   「それで、辰吉は居るのか?」
 一緒に、様子伺いに行こうと思ったのだ。
   「もう、とっくに相模屋さんのところへ飛んで行きましたわ」
   「そうか、あいつ三太思いやから気になったのやろ」
   「そうですねん、兄ぃの大事や言うて、血相変えて行きました」
   「そうか、わいも行ってくるわ」
   「行って、長兵衛さんの相談に乗ってあげて」
   「わかったお絹、ほんなら行ってくるで」

 亥之吉は相模屋の前に立ったが、店は普段通りに商いをしていた。
   「ごめん、福島屋の亥之吉ですが、旦那さんおいでになりますやろか」
 番頭が申し訳なさそうに愛想笑いをした。
   「すんません、主(あるじ)は体の具合が悪くて横になっておりますのやが…」
   「それなら、わたいが旦那さんのお部屋に行かせて貰います」
   「それが、誰にも会いとうないと言いまして」
   「相模屋長兵衛ともあろう者が、何を弱音はいていますのや」
  亥之吉、案内もなしにズカズカと入って行った。
   「旦那さん、入らせて貰いますで」
   「だれやいな、誰にも会いとうないと言っておいたのに」
   「へえ、福島屋の亥之吉でおます」
   「亥之さんかいな、三太を取り返しにきたのか?」
   「そんなことはしまへんがな、何を心配していますのや」
 長兵衛の寝所の襖を勝手に開いて、亥之吉がずかずかと入った。
   「長兵衛さん、詐欺に遭ったとは、どのくらい盗られたのです?」
 長兵衛は、布団の中から手を出して、人差し指を一本立ててみせた。
   「えーっ、百両ですか」
   「違います、千両ですわ」
   「ひゃーっ、千両ですか、そら悔しいわ」
 金額よりも、恥ずかしいのが先に立つのか、長兵衛は布団で顔を隠してしまった。
   「実は、長兵衛さんのことを聞くまえに、もうひと方、詐欺に遭ったひとのことを聞いてきたのですが、その人は首を括ったのやそうでおます」
   「同じ詐欺師に遭ったのやろか?」
   「そうかも知れません、長兵衛さんは、どんな手口でした」
 長兵衛は、恥も外聞もかなぐり捨てて、亥之吉に打ち明けた。
   「笑いなさんなよ」
 前置きをして、ぽつりぽつり話した。摂津の国は灘の、酒造りに従事するものは十人程度の造り酒屋の主人が、米の相場に手を出して大損をし、倒産寸前だという。もし、援助して貰えたら、灘の生一本「横綱盛」の販売権を全てと、高槻藩御用達の看板も譲渡する。今後は酒造りに専念し、より良い銘酒「横綱盛」を造っていきたいと店主一同願っていると聞かされた。
 あの銘酒「横綱盛」を無くさずに済み、おまけに販売権の全てが手に入ると、長兵衛は喜んで千両もの金を渡してやったのだと言う。
 金を受け取りに来た作り酒屋の主は、「横綱盛」を無くさずに済んだと、有難がって伴の者に荷車を引かせ、涙ながらに帰っていった。
 その後、何の音沙汰も無いので、使いの者を灘に行かせたのだが、当の造り酒屋は倒産寸前に追い込まれたことはなく、当然ながら援助を求めたことも無いと言うことだった。
 使いの者では埒があかないと、長兵衛は自ら灘の造り酒屋へ行って確かめたが、当の主は長兵衛のところまで来た者とは違っていた。
 自分は詐欺の手には乗らないと自負していた長兵衛だけに、欺かれたと分かったときの打撃は大きかった。

   「相模屋さん、あんさんのところは、千両盗られたぐらいでお店の屋台骨が傾くことはないと思いますが、その金はわたいが取り返して、詐欺師を奉行所へ突き出してやります、詐欺師の人相と、造り酒屋の場所を教えてください」
 亥之吉は、要点の説明を訊くと、わたいに任せとくなはれ。仇はきっと取ってあげますと、自信ありげに言った。
   「相模屋さん、恋患いのぼんぼんみたいに横になっていないで、ばりばり働いて気を晴らしなされ」
 亥之吉は、ちょっと言い過ぎたかなと反省しながら、長兵衛の寝所から離れた。
   「ところで、番頭さん、うちの倅がお邪魔していませんか?」
   「辰吉坊ちゃんなら、来はりましたが、三太と二人して亥之吉さんのところへ相談に行くと出て行きましたで、亥之吉さん、それで来てくれはったのやなかったのですか」
   「どこかで行き違いになったようです、福島屋でわたいの帰りを待っているかも知れません」
 亥之吉は、急いで帰ってみたが、二人の姿はなかった。
   「あいつら、二人で灘へ行ったな」

 また出て行こうとした亥之吉を、女房のお絹が止め
   「さっき、私に話したいことがあるといいはりましたな」
   「うん」
   「出て行くのなら、それを話してからにしなはれ」
   「そやな、話すわ」

 鷹塾からの帰り道、古い空き店舗を見つけたことを話した。その店舗は、たった五十両で売りにだされているのだが、先の店主が詐欺に遭い、首を括ったのだと言う。建物はしっかりしていて、少し手を加えたら、家族も住めるし店も開ける。
   「どやお絹、怖いか?」
   「いいえ、私はちっとも、だけど客が寄り付かへんのと違いますか」
   「かも知れん、だが、わいがその店主の仇をとって、怨霊の呪いを鎮め、成仏させたと言う筋書きを流したら、ええ宣伝になるのやなかろうか」
   「そんなにうまく行きますか? 第一仇がとれますか?」
   「とったる、この店舗も酒屋やったらしいし、詐欺に遭った相模屋さんも酒屋や、きっと関連があると思うのや」
   「そうですなぁ、幽霊はうちの誰も気にしたり怖がったりはしまへん、お化けを怖がるのは一人おりますけどね」
   「ほっとけ!」
   「第二十二回 幽霊の出る古店舗」  -続く-  (原稿用紙17枚)

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