雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十八回 浪速へ帰ろう

2015-05-28 | 長編小説
 木曽街道上り(京に向かう)道、才太郎の心配もなくなり足取り軽く歩いている辰吉に、守護霊の新三郎が声をかけた。声をかけたといっても幽霊のこと、辰吉の心に伝えるだけである。
   『すまねぇ、隠していたわけではないのだが…』
   「ん? 新さんどうした」
   『辰吉の罪が晴れていることを初めから知っていて言わなかった』
   「知っているよ」
   『三太郎先生に聞いたのだったな』
   「そうだよ」
   『あっしは初めから知っていた』 
   「言わなかったのは何か訳があったのだろう」
   『可愛い子には旅をさせろ…と思った』
   「ははは、俺は可愛いからな、仕方がないよ」
   『そんな意味ではないけれど』
   「いいよ、いいよ、それよりここで旅を終えてしまったら、関の弥太八さん捜しができねぇな」
   『案外、関へ戻っているかも知れない』
   「うん、戻っていなくても、何か手掛かりがあるかも知れない」
   『例えば?』
   「親しいダチ公に、何か漏らして旅に出たとか」
   『そうだな、旅を終える前に、伊勢の国へ行ってみるか』
   「それがいい、それがいい」
   『お前は、学芸会のその他村人達か』
   「この時代に、学芸会なんてねぇよ」

 暫く歩くと、今まで無風だったのに、突然一陣の向かい風が吹いた。草津方面から歩いてきた旅人が、紐を結んでいなかった所為か、三度笠が風で飛ばされ辰吉の足元で止まった。辰吉が拾い上げて走ってきた旅人に渡してやると、旅人は親しげに話しかけてきた。
   「兄さん、ありがとよ いきなりの風だから驚いてしまいやしたぜ」
   「ほんとうですね、目に砂でも入るといけない、ここらでひと休みして行きます」
   「あっしも、そうします」
 二人は道の端に腰を下ろし、話をしていて気が付いたが、男の右耳の下に豆粒ほどの黒痣があった。
   「新さん、この人耳の下に痣があります」
   『辰吉、お前目が悪いのか、あれは蝿ですぜ』
   「あっ、ほんとうだ、飛んでいった」
   『それに弥太八さんの痣は、左耳の下です』
   「あっ、そうだった」
 辰吉、赤い舌をペロリと出した。

   「新さん、ここらで一稼ぎしていきませんか」
   『いかさまですかい』
   「いきなり言われると、心臓が止まるかと思いましたよ」
   『嘘をつけ、端からその積りだろうが』
   「へい」
   『友吉が京極一家預けられていたら、幾らか置いて行きたいのだな』
   「さいです」
   『よしよし、素直でよろしい』
 無茶稼ぎをすると目立つといけないと言うので、あちらで五両、こちらで七両と、セコ稼ぎを重ねた。しかし、それが寧ろ目立ったようであった。

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「あっ、お前さんは江戸の辰吉どん、済まねぇが、十両差し上げますので、他の賭場へ行っておくんなせぃ」

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「あ、江戸の辰吉、今夜は親分の気が優れないので、お休みにしようかと…」
   「準備が整っているじゃねぇか」
   「いえ、今から撤収しようかと言っていたところで…」

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「江戸の辰吉どんが賭場に居ると、客がしらけて帰ってしまうので、この十両でご勘弁を…」

 みたいな、おかしなふうに顔が売れてしまったりして、労せず手に入れた二百両を懐に、辰吉は悠々と伊勢国に入った。

   「何だ、何だ、みんな俺のことを疫病神のように嫌いやがって」
 辰吉、そう言いながらもニヤニヤ、こんなことでは浪速へ行って商いに身が入るのだろうかと心配する新三郎だったが、嫌われ過ぎてもうひとつ心配ごとが増えてしまった。殺し屋に付け狙われだしたのだ。

   『こんなヤツにウロウロされたのじゃ、賭場の信用に障ると思ったのだろう』
   「へん、ケチな貸元が居たものだ」
   『そのケチな貸元は、一人や二人じゃないらしい、恐ろしく腕の立つ浪人者を集めやがったぜ』
   「残らずやっつけてやるぜ」
   『相手は凄腕の浪人が六人だ、六尺棒では太刀打ちできねぇ』
   「何てことはない、サビ刀の二本や三本」
   『浪人とは言え相手は侍、大小入れて合計十二本だ』
   「げっ」
   『作戦を練ってかかろうぜ』
   「こうやってか?」
   『バカ、棒に付いた水飴を練るのじゃねぇ』
   「はい」
   『ここで殺されて、利根川に捨てられるかも知れねぇのだぞ、真面目に考えろ』
   「すまねぇ」
 新三郎が考えたのはいつもの手で、ヤツ等が辰吉に追いつくまでに、一人の浪人に新三郎が乗り移り、裏切り者になる。一人か二人を新三郎がやっつけて、新三郎が憑いた男が斬られそうになったら別の男に移り代える。だが、新三郎を無視して辰吉に襲いかかるものが必ずいる。それは辰吉が身を護らねばならない。
   「わかった、自分の身は自分で護る」
   『侮ってはいかん、利根川の水は冷たいぞ』
   「死んでいるのに…?」
   『それ、近付いて来たぞ、拔かるなよ』
   「へい」

 浪人達がバラバラっと走り寄ってきた。辰吉が六尺棒を構えて立っていると、浪人たちが一斉に手を振った。

   「江戸の辰吉さん、待ってくれー」
   「ん?」
   「辰吉さんの弟子にしてくれ」
   「何の?」
   「博打ですよ、辰吉さんみたいに強くなれたら、食いはぐれがない」
   「ズテッ」辰吉、転けた。

 これは我が家に伝わる門外不出、一子相伝の秘密だからと丁重に断り、三両を酒代だと与えてなんとか引き上げて貰った。
   「新さん、いい加減なのだから…」
   『すまん』

 伊勢の国は関に着いた。聞いていた関の小万が住む家を訪ねてみると、小万が独りでひっそりと暮らしていた。
   「それで、弥太八の消息でもわかったのかい?」
   「わかんねぇ」
   「そうだろうねぇ、弥太八は寒いのが苦手だったから、安芸か長門へでも行ってしまったのだろう」
   「そうか、寒いのが苦手か」
   「それに、賑やかなところが好きでねぇ、今頃は色街の用心棒でもして、女たちにチヤホヤされて鼻の下を伸ばしているだろうよ」
   「賑やかなところが好きで、色街の用心棒…と」
   「辰吉さん、何を書いていなさるの?」
   「いや、弥太八を探す手掛かりにしようと… それで弥太八さん腕は立つのかい?」
   「口ばかりで、喧嘩になれば一番後ろに隠れているようなヤツだ」
   「ふーん、そうかい、それじゃあ、あまり遠くには行ってねぇと思うよ」
   「どうしてだい?」
   「案外寂しがり屋で、小万さんのことを恋しく思っているだろう」
   「そうだと、嬉しいねぇ」
 小万は、弥太八の姿を思い浮かべているようだった。
   「辰吉さん、今夜はここへ泊まっていくかぇ」
   「いいのかい?」
   「弥太八がいつ帰ってきてもいいように、寝間着も布団も用意してあるのだよ」
 辰吉は考えた。「弥太八の代理なんて、まっぴら御免だ」と。
   「やっぱり止めとくよ、弥太八さんに悪いや」
   「バカだねぇ、何も弥太八の代理をしてくれと言うのではないよ」
   「それなら… 余計止めとく」
 辰吉は、懐から小判を出し、二十両を小万に渡した。
   「金には困っていねぇようだけど、弥太八さんが帰ってきたときに着る着物でも買いなよ」
   「おや、そんなにくれるのかい」
   「うん、そこらの賭場で儲けた泡銭だけどね」
   「辰吉さん、いかさまでもやったのかい」
   「まあね」
   「いい加減にしておかないと、殺されて利根川に浮かぶよ」
   「なんか、聞いたことがあるようなセリフだ」
   「冗談で言っているのではないよ」
   「うん、わかっている」
   「可愛いねぇ、その うん って言うの」
   「そうかい」
   「これから何処へ行くのだね」
   「浪速だ、大坂(今の大阪)の親父の店に戻ろうかと思っている」
   「辰吉さん、長男だろ、そのうち大店の旦那様だね」
   「それが、親父は若くてねぇ、なかなかくたばりそうもないのだ」
   「お前さん、罰があたるよ、若くて元気なら有難いことじゃないか」
   「まあな」
 
 大坂で弥太八を見つけたら、縄で引っ張ってでも連れて帰ってやると小万と約束を交わし、辰吉は大坂への帰路の旅に就いた。
 
 
   「あ、江戸の辰吉だ、味を占めて又来やがった、とっちめてやろうぜ」
   「よせよせ、ヤツは妖術を使うと言うじゃないか、気が付かない振りをしていよう」
   「何が妖術だ、どうせインチキに決っている、構わぬからやっちまえ」

   「おい、江戸の辰吉、よくもこの辺の賭場を荒らしてくれたな」
   「止めろと言うのに、辰吉を怒らせたら命がねぇぜ」
 連れの男が必死に止めている。
「荒らしちゃぁいねえ、そっち等が賭場に寄せ付けなかったのじゃねぇか」
辰吉は笑っている。
   「辰吉が笑っている間に、止めようや」
   「ふん、何が妖術だ、ただの手妻(手品)にちげぇねぇ」
 辰吉が真顔になった。
   「あ、やべえ、逃げようぜ」 
血気に逸る男の袖を引っ張ってビビっている連れの男を振り解き、辰吉の前で胡座をかいた。
  「さあ、妖術でも算術でもかけるものならかけてみやがれ」
辰吉は平然としていたが、守護霊の新三郎が頭に来たようだ。男はヒョロッと立ち上がり、近くの一本松の根っこまで来て崩れた。
  「安心しな、殺してはいねぇ」
辰吉は大きく笑った。連れのビビっている男に聞かせるためだ。


 京極一家に立ち寄った。顔見知りの若い衆が人懐っこい笑顔で迎えた。
   「おっ、辰吉また来たな」
   「うん、三太兄ぃが立ち寄っただろ」
   「へえ、確かに」
   「寛吉という若い男を連れていただろ」
   「寛吉なら、奥に居まっせ」
   「あ、やはりここへ預けていったか」
   「それが何か?」
   「そうだろうと思って、金を稼いで持ってきた」
   「稼いだ? いかさま博打でもやったのか」
   「賭場の客にいかさまは出来ないだろ」
   「そらまぁそうやな」
   「二百両稼いだが、二十三両使ってしまった、これを置いて行くわ」
   「辰吉さん、他人に頼まれて殺しをやったのではないのか?」
   「俺に人が殺せねぇ」
   「そうやなぁ」
   「では、俺はこれで失礼します、貸元さんによろしく」
   「何や、そんな直ぐに出ていかないでも、今夜は泊まっていかんかいな」
   「泊まっているときに、出入りでもあったらいけないので、このまま伏見まで行って三十石船で夜を明かします」
   「さよか、ほんなら船が出るまで時間がたっぷりおます、お茶なと飲んで行っておくれやす、その間に船上で食べる弁当をわいが作ってやります」

 その夜、辰吉は三十石船の甲板で、京極一家の若い衆が作ってくれた弁当を食いながら、親父のところへどんな面を下げて帰ろうかと考えていた。
   「新さんと、もっと旅を続けたいなぁ」
   『辰吉は跡継ぎだよ、そろそろ腰を落ち着けて、商人修行をしないといけねぇよ』
   「親父の跡は、弟の己之吉に継がせたらいい、あいつの方が向いているよ」
   『それで長男は嫁も貰わずに風来坊か』
   「風の向くまま西東、気の向くままに北南」
   『病で熱を出しても、看病するものも居ない』
   「何もしないで賭場に顔を出せば金は入る」
   『騙し討に合えば、山犬かカラスの餌になり』
   「もう、新さん、嫌なことばかり言う」
   『本当の事だ』
   「止めた、止めた、明日親父のところへ帰ろう」
   『それがいい、それがいい』
   「学芸会のその他大勢か」

  「第十八回 浪速へ帰ろう」  -続く-  (原稿用紙17枚)

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