雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十六回 辰吉の妖術 

2015-05-23 | 長編小説
 辰吉と、才太郎を背負ったどこの誰か分かもらないおっさんは、鵜沼の宿に差し掛かった。辰吉が山を見て感慨に浸っている。
   「どうした辰吉、何を考え込んでいる」
 喋る声は、おっさん。言っているのは新三郎である。
   「うん、新さんはここで死んだのだろ」
   「忘れていたが、そうだ」
   「ちょっと寄って、花を手向けていきたい」
   「よせよせ、あっしはここに居るし、墓は江戸の経念寺にあるのだから」
   「でも、新さんの最期を思い、手を合わせたい」
   「あっしがここに居るのに?」
   「新さん、粋でいなせで、強かったのだろうなと」
   「あのね、死ぬ時というのは、哀れなものですぜ」
   「ばったり倒れて、コトンと死ぬ…」
   「いや、とどめを刺されないと、苦しんでのたうち回り、時間をかけて死んでいくのだ」
   「そうなの?」
   「そうだよ、さ、先を急ごう」
   「うん」

 好天続きで、木曽路の難所太田の渡しは快適に渡り、伏見の宿あたりで背中の才太郎を辰吉に引き継いだ。
   「もしもし、おじさん、こんなところで寝ていると風邪を引きますぜ」
 道の橋で倒れていたおっさんの意識が回復した。
   「えっ、わしはこんなところで寝ていましたか?」
   「はい、まだ日が落ちるには間がありますが、山犬にでも噛まれたらいけませんのでお起ししました」
   「ありがとう御座います、わし狐につまれたのか、行き先を通り越しております」
   「どこへ行かれるところでしたか?」
   「はい、鵜沼です」
   「この辺りは、悪い狐が出そうですね」
   「わし何にも悪いことをしていませんのに、ほんとうに悪い狐です」
   「どうぞ、お気をつけてお戻りください」
   「へい、有難う御座います」

戻って行くおっさんを見送って、辰吉は木曽路を急いだ。
   「新さん、あの人に悪いことをしましたね」
   『その分、辰吉が楽をしたのだから、あっしを責めるのは止してくだせぇよ』
   「新さんを責めてはいませんけど…」


 それから幾日か後、上田藩のご城下に着いた。とにかく才太郎の面倒を緒方三太郎先生にお願いして、その費用を稼がねばならない。

   「新さん、忘れていたが、又八は親分から預かった二百両をどうしただろう」
   『又八のことだ、正直に役人に届けたことでしょう』
   「そうだろうね」
   『惜しくなったのか?』
   「まあね」

 旅姿の商人らしい初老の男と、使用人らしい若い男の二人連れが、走って辰吉に追いついた。前へまわり辰吉の顔を見て拝むような仕草をすると、大慌てで笹藪の中に身を隠した。暫くして、三人の浪人風体の男が辰吉に近寄り横柄な態度で声を掛けてきた。
   「おい、今、男が二人逃げてきただろう」
   「へい、来ました、藪の中に隠れましたぜ」
   「そうか、この奥だな」
   「へい、そいつらは何をしたのです」
   「余計なことを訊くな」
  浪人たちが笹藪に踏み込もうとしたのを辰吉が遮った。辰吉は背中の才太郎をそっと下ろすと、笹薮に隠れた二人に声をかけた。
   「お二人さん、隠れていねぇで出てきなさい」
 「ガサッ」と音を立てて、初老の男が藪の中で立ち上がり、恨めしそうに辰吉を睨んだ。もう一人の若い男は、立ち上がることも出来ない程、恐怖に襲われているようであった。観念した商人風の男に促されて、漸く立ち上がったが、手足が震えて動けない。その顔は真っ青で、涙が溢れていた。

   「兄さん安心しな、この江戸の辰吉が、滅多なことでは手出しはさせねぇ」
 若い男は、辰吉のその言葉に気を取り戻したのか、辰吉の方へ一歩だけ踏み出した。
   「訳を言いなせぇ、どちらに非が有るのか分からねぇでは、俺はうっかり手出しができない」
 辰吉の言葉を聞いて、「しゃらくさい」と、三人は刀を抜いて辰吉に切っ先を向けた。
   「兄さん、何も言わねぇでも分かりやした、この浪人共が悪そうだ」
 辰吉は六尺棒を構えた。
   「話は後で訊くぜ、藪に戻って動かずに待っていなせぇ」
 商人と連れの若い男が隠れると、直ぐに浪人の一人が叫んだ。
   「おい、貴様気でも狂ったか、それとも目が見えなくなったのか」
 浪人の一人が、切っ先を仲間の浪人に向けたのだ。
   「止めろ、止めんか」
 だが、次の瞬間、一人の浪人が浪人の一人を刀の峰で倒していた。後の一人は、驚きながらも構わずに辰吉に斬りかかってきた。
   「おっと」
 辰吉はその切っ先を避けると、力任せに男の肩を叩いた。「ドスッ」と鈍い音がして、男の顔面は苦痛に歪んだ。
   「新さん、いざ勝負!」
   『遊んでいる暇はない、早くあっしを打ちのめさねぇか』
 仲間を討った浪人が笑いながら言った。
   「そんな、無防備でニタニタ笑っている男を、討てないよ」
   『そうか、ではこれではどうだ』
 男は、いきなり辰吉に斬りかかった。辰吉は、反射的に、敵を倒していた。

 辰吉が藪に向かって声をかけた。
   「お二人さん、もう大丈夫ですぜ、出てきなせぇ」
 ガサガサッと、笹を分ける音がして、若い男が初老の男に支えられてでて来た。
   「お前さん、若いのにだらしがねぇぜ、しっかりしなせぇ」辰吉は若い男に言った。
 若い男は、倒れている三人の浪人を見て、漸く安堵したのか、顔に血色を取り戻した。
   「こいつ等は皆、骨折しているようだから、もう後は追ってきません、安心して訳を聞かせて戴きやしょう」

 この二人は、信州上田の城下で米問屋をしている越中屋鹿衛門と、そのお店の手代、友吉と名乗った。昨年、天候不良が続いた影響だとして、信濃国一帯で米の値段が上がり続けた。米問屋の主が集まり「仕方がない」と、更に米の値段引き上げを申し合わせたのだが、天候不良で不作は嘘で、各問屋が備蓄米を隠し、故意に値段を引き上げているのであった。鹿衛門はこれに断固反対し、仕入れた米を安く売続けた。
 当然、問屋仲間の陰湿な妨害が続き、鹿衛門は意を決して、庶民に温情あると名高い上田藩主松平兼良に訴え出て調べて貰い、周りの藩主にも調査を促して欲しいと入牢覚悟で上田城に向かったのだが、問屋仲間の知るところとなり、刺客を差し向けられたのであった。

   「よく分かりました、俺も上田藩のご城下へ行くところです、無事に上田のお城までお護りしましょう」
 鹿衛門が、はじめて辰吉に心を許した。
   「有難う御座います」
 三人の浪人に追われている時は生きた心地がしなかった友吉が、嬉しそうである。歳を訊くと、辰吉よりも三つ年下で、忠義者だが気が弱い、未だ幼さの残る少年であった。
   「旅人さんは上田のご城下へ、どのようなご用で行かれるのですか?」
 友吉も、辰吉に話しかける余裕が出てきた。
   「うん、この才太郎を知り合いのお医者先生に預けるためだ」
   「足首の骨を折られたようですね」
   「そうなのだ、長い間痛い思いをさせたのに、痛いとも、辛いとも言わないのだ」
   「強いのですね」
 才太郎は、辰吉に気兼ねをしているのだ。「強い」と言われて、ますます「痛い」とは言えなくなった才太郎であった。
   「才太郎、随分遠回りをして悪かったが、もう少しの辛抱だ」
   「うん」
   「佐貫三太郎先生…、違った緒方三太郎先生だ、優しいぞ」
   「早く逢いたい」
 辰吉は才太郎のその言葉を聞いて、「辛い」のを我慢しているのがよく分かった。その時、鹿衛門が何かに気付いたようだ。
   「もしや、佐貫三太郎さんとは、佐貫慶次郎さまのご子息ではありませんか?」
   「おや、ご存知でしたか、その通りですよ」
   「上田藩の佐貫慶次郎さまと言えば、お殿様への忠義心の篤いことで、知らないものは居ません」
   「そうなのですか」
   「貴方様は、三太郎さまのお知り合いですか?」
   「俺の父が、三太郎先生の友達です」
   「三太郎さまも、お医者様ながらお父上の跡をしっかり引き継いで、剣と医で藩侯に忠義を尽くされておられるそうです」
   「佐貫さまのことをよくご存知なのですね」
   「そればかりか、あなたのお父様のお名前も存じているかも知れませんよ」
   「へー、親父も信州で有名なのですか?」
   「はい、多分ですが、池田の亥之吉さん、またの名を江戸の福島屋亥之吉さんではありませんか?」
   「わぁ、当たりです」
   「そうでしょう、その六尺棒が決め手です」
   「恥ずかしい、親父の棒は天秤棒なのです」
   「よく存じております、何が恥ずかしいことがあるものですか、実は私、以前に亥之吉さんに命を助けられたことがあるのです」
   「親父から、そのような話は聞いたことがありません」
   「奥床しいですね」
   「ははは、奥床しいと言うよりも、忘れっぽいのですよ」

 長閑に、そんな話をしながら上田に向かっていると、行く手から大勢の男達が走ってきた。賊は、一言も発せず辰吉たちを取り巻いた。どうやら鹿衛門の顔は知っているようで、命が狙いのようである。
   「何だ、何か用か」
 辰吉は百も承知ながら訊いた。賊は無言の儘で匕首を鹿衛門に向けた。
   「問答無用か、この方を米問屋越中屋の主人と知っての襲撃のようだな」
 言いつつ、族の人数を数えると十一人であった。これでは辰吉もおいそれと飛び込んでくるのを待ってはいられない。
   「俺は使いたくはないが、この人数では仕方がないので妖術を使う」
 辰吉は六尺棒を構えると同時に、賊の先導者とみられる男に目を付けた。その男を棒で指して叫んだ。
   「お前が先導者だな、くたばれ!」
 一瞬の間があって、男がバッタリ倒れた。残りの者は、「おぉ」と声を漏らし、たじろいだ。
   「次はお前だ」
 辰吉は、賊の中で一番の血気盛んそうな男を指した。間、髪を容れずにその男が倒れた。残りの者は、一歩後に下がり、辰吉が言った「妖術」の威力を恐れているようであった。辰吉は、一瞬の敵の隙を突いて攻撃に出た。
   「とりゃ」
 大袈裟な辰吉の掛け声と六尺棒の技で一人、また一人と男が倒れ、残り五人となったとき、最初に倒れた先導者と見られる男の気がついた。周りを見回して「キョトン」としている。

   「命は取らずにおいた、有り難く思え!」
 言うが早いか、残りの五人の内、辰吉は気の弱そうな男に向かって行った。辰吉の思惑通り、男は逃げた。辰吉がその男を執拗に追いかけると、追い掛けられ男は、とうとう悲鳴を上げて逃げ惑った。残りの者たちに恐怖心を植え付ける為だ。

 残りの四人は逃げて行き、立ち止まって振り向いている。鼬などの小動物が追い掛けられたとき、安全なところまで逃げると立ち止り、振り返って様子を伺う、あの動作だ。
ポコポコと、倒れていた男の気がつき始める。
   「今は、命までとろうとは言わない、だがまだ鹿衛門さんを襲うなら、二度と容赦はしない、帰って首謀者に伝えるがいい、鹿衛門さんは江戸の辰吉が護り通すと」
十一人もの男が、辰吉一人に追い払われて逃げていった。鹿衛門と友吉は、辰吉がとてつもなく頼もしいと思えた。

   「辰吉さん、妖術が使えるのですか」
   「嘘ですよ、相手は十一人、こちらは一人、ハッタリをかますのも戦術ですよ」
   「でも、手を使わずに敵を倒したではありませんか」
   「こちらの陽動作戦に陥りやすい人間が居るのです、俺の妖術という言葉を聞いただけで術にかかったような気になるのです」
   「へー、よくわからないが、すごいものですね」

 なんとか、誤魔化せたかなと思う辰吉であった。


  第十六回 辰吉の妖術   -続く-  (原稿用紙15枚)


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