雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十七回 越中屋鹿衛門

2015-05-24 | 長編小説
 辰吉は才太郎を背負って歩き始めたが、走り回り大げさな立ち回りをしたので疲れがでて来た。
   「新さん」
 守護霊の新三郎に何とかして貰おうと心の中で呼びかけてみた。
   「新さん、新さん」
 応えがない。
   「あれっ、新さん居ないのかい?」
 まさか、幽霊が居眠りをしている訳でもなかろう。辰吉に断らずどこかに出かけたようだ。出かけると言えば、逃げていった十一人のうちの一人に憑いて行ったのだろう。
   「辰吉さん、どうかされましたか?」
   「疲れてしまいました、少し休ませてください」
   「背中の才太郎さんが重いのでしょう、私が代わって背負いましょう」
 若い友吉でなく、初老の鹿衛門が言ってくれた。
   「大丈夫ですよ、歳はとっても若い者には負けません」
 折角の言葉なので、少しの間だけでも代わって貰うことにした。ところがどうして、若い辰吉よりも力があって、とうとう上田城下の緒方養生所まで背負って行ってくれた。

   「緒方三太郎先生はお出でになりますか?」
 奥から、三太郎の奥方が出てきた。
   「あ、これは辰吉さん、この前は卯之吉さんに会いに行くと言って出かけたままお帰りになりませんので、先生心配なさっていたのですよ」
   「すみません」
   「先生、ただ今新しい患者さんを診ていますので、ちょっとお待ちください」
 若先生の佐助が、四人を招き入れて足盥を用意し、部屋に案内して女中にお茶を入れさせた。

 やがて診察部屋から緒方三太郎先生が出てきて、才太郎の診察をしてくれた。
   「おや、橘右近先生に診てもらったのですか、それなら安心です、あの先生は名医ですからね」
 才太郎の折れた足首の晒を取り、両手で優しく包むようにして診ていたが、才太郎の顔を見てにっこりした。医者のにっこりは、患者にとって千両の値がするものだ。
   「辰吉さんの手当も良かったようです、これなら直ぐに骨は元通り、いや元よりも丈夫になりますよ」
 才太郎は嬉しそうに、辰吉と会ってから初めてにっこりと笑った。


 「お待たせしましたね」と、緒方三太郎は越中屋鹿衛門に微笑みかけて「お話を聞きましょう」と、話しかけた。鹿衛門は、辰吉に話したことを三太郎にも聞いて貰った。

   「そうでしたか、それは大変な事態ですね」と、言ったわりには、三太郎は平然としていた。
   「それでは、直ちに藩侯に会えるように手配しましょう」
 三太郎には、何やら公算があるらしい。
   「早速、城へ向かいましょう、ただ…」
 三太郎は申し訳なさそうに付け加えた。
   「このままノコノコ出掛けて行って、すぐに藩侯にお目通りが叶う筈がありません」
 三太郎は、お目通りを叶える策だとして、咎人を装って鹿衛門に縄を打って城中に入り、時を待って藩侯にお合わせすることにしようと提案した。
   「越中屋の信用を落す訳にはいかないので、顔を隠して参ろう」
 鹿衛門は、藩侯にお会いできるなら、と三太郎の提案に従うことにした。
   「鹿衛門さんを賊の牙からなんとしても護らねばならない、辰吉さんの腕も借りますよ」
   「へい、ガッテンです」

 才太郎と友吉は養生所に預けて出発しようとしたが、鹿衛門はどうしても友吉も連れて行くのだと言い張った。
   「わかった、そうしよう」
 三太郎が折れた。辰吉は三太郎の弟子という名目で、友吉は鹿衛門の身の回りの世話をする手代だとして、一緒に行くことにした。

 四人はまず奉行所へ行った。そこで鹿衛門と友吉に縄を打ち、奉行所の役人を五人伴って城へ向かった。大手門は避け、北裏がわの櫓門を開けて貰って入城した。城内に入ると、鹿衛門は縄を解かれたものの、取り敢えずとお牢に入れられた。どうしたことか、友吉は縄を解かれ、辰吉と共に部屋に案内された。そこで、友吉は息せき切ったように辰吉に事の次第を告げた。

   「三太郎先生、お殿様にはまだお会いすることが出来ませんか?」鹿衛門が焦れた。
   「今、ご家老と交渉中だ、どうした、もう待てないか?」
   「早く次第を告げて、ここから出して戴きとうございます」
   「もう、直ぐでしょう」

 その時、藩侯が入ってきたかと思われたが、違っていた。藩侯兼良の弟君、兼伸であった。
   「越中屋鹿衛門とやら、ご苦労であった」
   「ははぁ」牢の中で鹿衛門が畏まっている。
   「これ牢番、この者を牢から出してやれ」
   「ははぁ」牢番は柱に掛けてあった鍵を外し、お牢を開けようとした。
   「どうした、早くしないか」牢番は、懸命に鍵を開けようとしているが開かない。
   「申し訳ありません」
   「鍵を貸してみろ」
 兼伸は焦れて、牢番から鍵を取り上げた。三太郎は、その様子を垣間見ながら、見ないふりをしている。兼伸が鍵を開けようとしたが、やはり開かない。その時、兼伸は懐から布に包んだものを牢内にそっと入れた。それを見届け、それまで黙っていた三太郎が口を開いた。
   「兼伸さま、鍵が違うのです」
   「三太郎、お前は鍵の行方を知っているのか」
   「はい、知っております、わたくしの懐に入っております」
   「貴様、この儂を愚弄しているのか、早くその鍵を持って参れ」
 三太郎は、懐から鍵を出し、兼伸のもとへ持って行こうとして、再び鍵を懐に戻した。
   「その前に、何故にお牢を開けようとなさるのですか?」
   「決まっておるだろう、兄上の御前にコヤツを連れて行くためだ」
   「そうはさせません」
   「貴様、誰に向かってその口を叩いているのだ」
   「はい、藩侯の弟君、兼伸さまでございます」
 兼伸は顔を真赤にして怒った。
   「この無礼者メが、そこへ直れ、手打ちに致す」
 三太郎は落ち着き払って兼伸の前に進み出、跪いて言った。
   「それではお尋ね申します、お牢の中の男を、兼伸さまは誰だと思っておられる」
   「聞いておるわ、越中屋鹿衛門であろう」
   「わたくしは藩士であると共に、町医者です、米問屋の越中屋鹿衛門は、わたくしの患者で、よく存じております」
   「この男ではないのか?」
   「真っ赤な偽者で御座います」
   「では何故に城へ参ったのだ」
   「それは、兼伸さまがよくご存知でございましょう」
   「米の相場が跳ね上がり、庶民の暮らし向きを案じて訴えるためであろうが」
   「米の値段が高騰したのなら、庶民の中で養生所を営む医者が知らないわけがありません」
   「貴様、それを嘘だと申すのか」
   「はい、嘘も嘘、真っ赤な大嘘でございます」
   「では、この男が城に来た目的は何なのだ」
   「それをお答えするまえに、先ほど兼伸様がお牢に忍び込ませた布に包んだものは何だったのでしょうか」
   「そんなことはしていないわ」
 兼伸は立ち上がって、脇差しを抜いた。三太郎の眼前に見せつけるようにすると、両手で太刀を振り被った。
   「三太郎、死ぬがよい」
 兼伸は大刀を振り下ろしたが、その途中でポロリと太刀を落とした。
   「三太郎、儂に何をした」
   「いいえ、何もしておりません、こうしておとなしく大刀を受ける覚悟でおります」
   「そうか、よい覚悟だ」
 兼伸は、またも大刀を振り下ろしたが、やはり手から外れてポロリと落とした。兼伸は焦って何とか三太郎を討とうとするが、大刀を落としてしまう。兼伸は諦めて、三太郎を足蹴にしようとしたが、三太郎の掌で受け止められてしまった。

 その時、牢への廊下で声がした。
   「兼伸、悪足掻きはもう止しなさい」
 藩侯の兼良であった。
   「兄上、何故にこのような場所へお出でなされた」
   「余は、何も言うまい、言えばそなたの命を取らねばならない」
   「お答えください、何故に私は兄上に死を給わねばならないのですか?」
   「諄いぞ、兼伸」
 兼良は弟の兼伸に「立ち去れ」と命じた。実の兄としての温情なのだ。


 兼良は、兼伸に同情こそすれ、けっして叱りつけようとはしなかった。祖父を切腹に追い遣られ、母を出家させられた過去があるのだ。長く恨み続けた挙句の計画だったのであろう。

 その後、兼伸もまた出家させられ、越中屋鹿衛門を名乗った刺客は、打首となった。また、友吉は越中屋の手代であることは間違いなく、刺客の人質にされて利用されていたことが判明して、お構いなしとされた。

 三太郎は、過ぎし昔を思い出していた。父佐貫慶次郎とともに当時の上田藩主、松平兼重候をお護りして奮闘したこと、父上の懐に抱かれて、馬にのって旅をしたこと、また三太郎の懐には、ひよこのサスケを抱いていたことなどが、次々と走馬灯のように駆け巡っていた。

   「辰吉、そなたに伝えたいことがあります」
 三太郎は、辰吉を大坂へ帰したいと思っている。
   「何でしょうか?」
   「辰吉は、もう旅を続ける必要はないのだよ」
   「俺は、凶状持ちです」
   「凶状持ちとは、凶悪な犯罪で逃げている者のことで、辰吉は殺されようとしたのを防いだために起きた事故だから凶状持ちではないのだよ」
   「それでも、人を死に追い遣りました」
   「その罪は、とっくに許されているので、江戸でも大坂でも大手を振って歩けるのです」
   「そうだったのですか」
   「そうですよ、亥之吉さんは、江戸のお店を一番番頭に与えて、大坂へ戻りました、辰吉さんも大坂へ戻り、商いの勉強をなさい」
   「はい」
   「それから、チビ三太さんも、大坂にお店を構える準備をしているそうです」
   「わぁ、ほんとうですか、三太の兄ぃに会いたい」
   「三太さんも、辰吉さんに会いたがっています」
   「でも、まだ大坂へは行けません、才太郎のこともあるし、他にも頼まれごとがあるのです」
   「才太郎のことは、わたしに任せなさい、きっと悪いようにはしません、わたしも小さい時に捨てられて辛い思いをしていますので、きっと才太郎と気が合うでしょう」
   「わかりました、大坂へ行きます」
   「そうだったねぇ、辰吉さんは大坂へ帰るのではなくて、行くのでしたね」
   「はい」
   「では、その頼まれごとを果たしたら、大坂へ行きなさい、ご両親やご兄弟が辰吉さんのことを、首を長くして待っていますよ」
   「ははは、三太兄ぃがここに居たら、ろくろ首を思い出して震え上がっていますよ」
   「辰吉さんは知らないでしょうが、亥之吉さんもお化けが怖いのです」
   「俺よりも、三太兄ぃの方が親父の息子みたいですね」

 それから十日ばかり才太郎の元に居て、その間に卯之吉の店と、小諸の斗真を訪ね、三太郎養生所の皆と別れ、辰吉は守護霊新三郎と共に大坂へ向かった。


  「第十七回 越中屋鹿衛門」  -続く-  (原稿用紙15枚) 

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