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次の宿場まで歩いていないのに、辰吉は音を上げた。
「どこかで休憩しよう」
守護霊新三郎が呆れて言った。
『まだ一里しか歩いていませんぜ』
「子供だと侮っていたが、重い、肩に食い込むのだ」
『信州の緒方三太郎さんのところまで背負って行くと強がっていたのに、だらしがねぇですぜ』
「なんとか、駕籠に乗り継いで行くよ」
『そうか、金はイカサマで稼いだのがあるからな』
「足りなくなったら、新さん頼む」
『それは良いが、又八さんに代って貰えばいいじゃないですか?』
「俺の雇い主だからな、代わってくれとは言えない」
『二十両は受け取る気だね』
「うん」
休息をとっていたが、駕籠がみつかるところまで頑張ろうと歩き出し、暫く行くと遊び人風体の見知らぬ旅人が声をかけてきた。
「おや、江戸の辰吉親分ではありませんか」
「如何にも辰吉だが、お前さんはどなたです?」
「ほら、あっしです、銀座福島一家の貸元、池田の亥之吉でござんす」
「ん? 嘘だい、池田の亥之吉は、俺の親父だぞ」
「まあ、固いことを言わずともいいじゃないか、あっしがその背負子を担ぎましょう」
男は、辰吉たちが旅籠をとるまで、才太郎を背負って歩いてくれた。
「池田の亥之吉さん、有難う御座いました、俺達はここで宿をとります」
「そうかい、あっしはもう少し先まで歩きます」
旅の男は、そう言って数歩いたところで足がフラついた。持ち堪えると、その場に佇み首をひねって考え、不思議そうに後を振り向いた。
「辰吉親分、あの池田の亥之吉さんとお知り合いのようでしたね」
又八が辰吉に尋ねた。
「そうなのだ、銀座福島一家の貸元でね、俺の親父のような、違うような間柄です」
「変な間柄ですね、あっしに体力があれば背負ってあげのだが…」
「いいよ、おれの雇い主にそんなことはさせられない」
辰吉は、気がついていたらしい。
「新さん、有難う、お陰で楽が出来たよ」
『いつ気が付いた』
「そりゃあ、池田の亥之吉と名乗ったところです」
『あはは、辰吉はきょとんとしていたじゃないか』
「びっくりもしますよ、いきなり親父の名前が出てくるのだもの」
『親父さんが恋しくなったかな?』
「うん」
その頃、江戸では福島屋のお店を一番番頭に譲り、亥之吉一家は上方へ戻る相談をしていた。
「辰吉、今頃どこをうろついていますのやろ」
お絹が、独り言のようにポツリと言った。
「三太からの便りで、守護霊の新さんを付けてくれたさかい心配いらんと言っていたやないか」
「そやかて、母親というものは、子供の顔を見るまで心配なものや」
「可愛い子には旅をさせろといいます、文字通りの旅をさせておきましょうやないか」
「へえ」
交渉して一家で船に乗って大坂まで行こうと思ったが、お絹が船を怖がるので、お絹は駕籠を乗り継ぎ、ゆっくりと旅を楽しみながらの東海道中膝栗毛に落ち着いた。
「有り難いやないか、三太は辰吉を庇って罪を被ってくれたというのに、辰吉は呑気に旅の空や」
亥之吉が、ポツリと言った。
「辰吉やかて、今頃お金が無くて苦労しているかも知れませんよ」
お絹が言い返した。この調子で旅の間、辰吉の話が出ないことはなかった。
「新さんが一緒なのに、何で三太が罪を被ってくれたことを辰吉に言ってくれないのやろか」
今度はお絹が呟いた。
「新さんは新さんの考えがあってのことやろ、幽霊さんに任せておきましょう」
亥之吉が、明るく振る舞って言ったものの、亥之吉も不安なのである。
ここは越前国、北陸街道を北に向かって歩きながら、辰吉が新三郎に話しかけた。
「そろそろ、またあの手をお願いします」
『まだ半刻も歩いていないのに、もう音を上げるのですかい』
「うん」
そのとき、辰吉たちを追い抜いて言った屈強そうな遊び人風体の男が、数間先で立ち止まったかと思うと、くるりと踵を返して戻ってきた。
「あっしは、池田の亥之吉という者でござんす」
「またかい」
「重そうな子供を背負ってお困りの様子、あっしがお手伝いいたしやしょう」
「有難うござんす、新三郎どん」
「間違えねぇでおくんなせぇ、あっしは池田の亥之吉です」
「そうかい、そうかい、池田の亥之吉どん」
池田の亥之吉に才太郎を背負って貰い、更に二里も進んだだろうか、一台の駕籠とすれ違った。駕籠の周りには、駕籠舁きのほかに三人の男が付き添っている。その駕籠から、女の呻き声が聞こえた。
「その駕籠、ちょっと待った」
辰吉が反射的に声を掛けてしまった。
「何だ、なにか用か?」
「駕籠から呻き声が聞こえたが」
「ああ、女房が道端で産気付いて、産婆のところへ行く途中だ」
また、苦しそうな声が聞こえた。
「なんだか、暴れているぞ」
「早く行かねばならん、邪魔立てはしないでおくんなせぇ」
「そうか、それは済まなかった」
駕籠は行きかけたが、駕籠から縛られて猿轡をされた女が転がり出た。
「こら、どこが妊婦だ、縛られているじゃねぇか」
「煩え、こやつを黙らせようぜ」
才太郎を背負った男は、知らんふりをして行ってしまった。辰吉は、又八にも「行け」と、目で合図を送った。
「どうやら、拐かしのようだな」
「なまいきな糞ガキめ、腕の一本でも圧し折ってやろうぜ」
辰吉は新三郎が居ないので少し緊張したが、六尺棒は軽快に舞った。三人の男は倒したが、駕籠舁きが残っている。
「お前らもかかってこい、足を折ってやるぜ」
辰吉が構えると、駕籠舁きはその場に平伏した。
「待ってくだせぇ、あっしらはただの駕籠舁きで、この男たちに雇われただけです」
「そうかい、そうは見えねえが」
「本当です」
ところが、辰吉が気を抜いて、その場を立ち去ろうとすると、いきなり懐からドスを取り出した。
「ほら、やはり仲間じゃねぇか」
辰吉が六尺棒で駕籠舁きたちのあしを打ち据えた。
「ぎゃっ」
一人、また一人、その場に崩れた。
「大丈夫ですかい?」
女を縛っていた縄を解き、猿轡を外してやると、女は辰吉に寄りかかってきた。
「危ういところを、有難う御座いました」
聞けば、女はこの男たちに捉まり、散々弄ばれた末に、女郎に売り飛ばされるところだったと言う。
「おんなの独り旅の訳は?」
「わたしを独り残して『後は追うなと』旅に出た薄情鴉の亭主を捜しての旅です」
「もう、諦めて帰りなさい、今回は命だけは取られずに済みましたが、いずれは殺されますぜ」
「はい、わたしもそう思い、上方から生まれ故郷の加賀の国は小松へ帰る途中で男たちに襲われたのです」
「お家は加賀ですか、ご亭主の名は?」
「亭主は新太郎で、わたしはお俊と申します」
伊勢の国は関の弥太八と言い、加賀小松の新太郎と言い、惚れてくれる女や女房がいるのに、どんな事情があって旅に出たのであろう。自分のように、やむを得ぬ事情があったに違いない。
「俺たちも加賀国を通りますので、一緒に行きましょう、もうあのような目には遭わせませんよ」
「ありがとうございます、国で亭主の帰りを待ち続けます」
「それがいいですね」
「ところで、お連れさんがおいでになったようですが…」
「先に行きました、どこかで待っているでしょう」
第十一回 加賀のお俊 -続く- (原稿用紙11枚)
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」へ
「どこかで休憩しよう」
守護霊新三郎が呆れて言った。
『まだ一里しか歩いていませんぜ』
「子供だと侮っていたが、重い、肩に食い込むのだ」
『信州の緒方三太郎さんのところまで背負って行くと強がっていたのに、だらしがねぇですぜ』
「なんとか、駕籠に乗り継いで行くよ」
『そうか、金はイカサマで稼いだのがあるからな』
「足りなくなったら、新さん頼む」
『それは良いが、又八さんに代って貰えばいいじゃないですか?』
「俺の雇い主だからな、代わってくれとは言えない」
『二十両は受け取る気だね』
「うん」
休息をとっていたが、駕籠がみつかるところまで頑張ろうと歩き出し、暫く行くと遊び人風体の見知らぬ旅人が声をかけてきた。
「おや、江戸の辰吉親分ではありませんか」
「如何にも辰吉だが、お前さんはどなたです?」
「ほら、あっしです、銀座福島一家の貸元、池田の亥之吉でござんす」
「ん? 嘘だい、池田の亥之吉は、俺の親父だぞ」
「まあ、固いことを言わずともいいじゃないか、あっしがその背負子を担ぎましょう」
男は、辰吉たちが旅籠をとるまで、才太郎を背負って歩いてくれた。
「池田の亥之吉さん、有難う御座いました、俺達はここで宿をとります」
「そうかい、あっしはもう少し先まで歩きます」
旅の男は、そう言って数歩いたところで足がフラついた。持ち堪えると、その場に佇み首をひねって考え、不思議そうに後を振り向いた。
「辰吉親分、あの池田の亥之吉さんとお知り合いのようでしたね」
又八が辰吉に尋ねた。
「そうなのだ、銀座福島一家の貸元でね、俺の親父のような、違うような間柄です」
「変な間柄ですね、あっしに体力があれば背負ってあげのだが…」
「いいよ、おれの雇い主にそんなことはさせられない」
辰吉は、気がついていたらしい。
「新さん、有難う、お陰で楽が出来たよ」
『いつ気が付いた』
「そりゃあ、池田の亥之吉と名乗ったところです」
『あはは、辰吉はきょとんとしていたじゃないか』
「びっくりもしますよ、いきなり親父の名前が出てくるのだもの」
『親父さんが恋しくなったかな?』
「うん」
その頃、江戸では福島屋のお店を一番番頭に譲り、亥之吉一家は上方へ戻る相談をしていた。
「辰吉、今頃どこをうろついていますのやろ」
お絹が、独り言のようにポツリと言った。
「三太からの便りで、守護霊の新さんを付けてくれたさかい心配いらんと言っていたやないか」
「そやかて、母親というものは、子供の顔を見るまで心配なものや」
「可愛い子には旅をさせろといいます、文字通りの旅をさせておきましょうやないか」
「へえ」
交渉して一家で船に乗って大坂まで行こうと思ったが、お絹が船を怖がるので、お絹は駕籠を乗り継ぎ、ゆっくりと旅を楽しみながらの東海道中膝栗毛に落ち着いた。
「有り難いやないか、三太は辰吉を庇って罪を被ってくれたというのに、辰吉は呑気に旅の空や」
亥之吉が、ポツリと言った。
「辰吉やかて、今頃お金が無くて苦労しているかも知れませんよ」
お絹が言い返した。この調子で旅の間、辰吉の話が出ないことはなかった。
「新さんが一緒なのに、何で三太が罪を被ってくれたことを辰吉に言ってくれないのやろか」
今度はお絹が呟いた。
「新さんは新さんの考えがあってのことやろ、幽霊さんに任せておきましょう」
亥之吉が、明るく振る舞って言ったものの、亥之吉も不安なのである。
ここは越前国、北陸街道を北に向かって歩きながら、辰吉が新三郎に話しかけた。
「そろそろ、またあの手をお願いします」
『まだ半刻も歩いていないのに、もう音を上げるのですかい』
「うん」
そのとき、辰吉たちを追い抜いて言った屈強そうな遊び人風体の男が、数間先で立ち止まったかと思うと、くるりと踵を返して戻ってきた。
「あっしは、池田の亥之吉という者でござんす」
「またかい」
「重そうな子供を背負ってお困りの様子、あっしがお手伝いいたしやしょう」
「有難うござんす、新三郎どん」
「間違えねぇでおくんなせぇ、あっしは池田の亥之吉です」
「そうかい、そうかい、池田の亥之吉どん」
池田の亥之吉に才太郎を背負って貰い、更に二里も進んだだろうか、一台の駕籠とすれ違った。駕籠の周りには、駕籠舁きのほかに三人の男が付き添っている。その駕籠から、女の呻き声が聞こえた。
「その駕籠、ちょっと待った」
辰吉が反射的に声を掛けてしまった。
「何だ、なにか用か?」
「駕籠から呻き声が聞こえたが」
「ああ、女房が道端で産気付いて、産婆のところへ行く途中だ」
また、苦しそうな声が聞こえた。
「なんだか、暴れているぞ」
「早く行かねばならん、邪魔立てはしないでおくんなせぇ」
「そうか、それは済まなかった」
駕籠は行きかけたが、駕籠から縛られて猿轡をされた女が転がり出た。
「こら、どこが妊婦だ、縛られているじゃねぇか」
「煩え、こやつを黙らせようぜ」
才太郎を背負った男は、知らんふりをして行ってしまった。辰吉は、又八にも「行け」と、目で合図を送った。
「どうやら、拐かしのようだな」
「なまいきな糞ガキめ、腕の一本でも圧し折ってやろうぜ」
辰吉は新三郎が居ないので少し緊張したが、六尺棒は軽快に舞った。三人の男は倒したが、駕籠舁きが残っている。
「お前らもかかってこい、足を折ってやるぜ」
辰吉が構えると、駕籠舁きはその場に平伏した。
「待ってくだせぇ、あっしらはただの駕籠舁きで、この男たちに雇われただけです」
「そうかい、そうは見えねえが」
「本当です」
ところが、辰吉が気を抜いて、その場を立ち去ろうとすると、いきなり懐からドスを取り出した。
「ほら、やはり仲間じゃねぇか」
辰吉が六尺棒で駕籠舁きたちのあしを打ち据えた。
「ぎゃっ」
一人、また一人、その場に崩れた。
「大丈夫ですかい?」
女を縛っていた縄を解き、猿轡を外してやると、女は辰吉に寄りかかってきた。
「危ういところを、有難う御座いました」
聞けば、女はこの男たちに捉まり、散々弄ばれた末に、女郎に売り飛ばされるところだったと言う。
「おんなの独り旅の訳は?」
「わたしを独り残して『後は追うなと』旅に出た薄情鴉の亭主を捜しての旅です」
「もう、諦めて帰りなさい、今回は命だけは取られずに済みましたが、いずれは殺されますぜ」
「はい、わたしもそう思い、上方から生まれ故郷の加賀の国は小松へ帰る途中で男たちに襲われたのです」
「お家は加賀ですか、ご亭主の名は?」
「亭主は新太郎で、わたしはお俊と申します」
伊勢の国は関の弥太八と言い、加賀小松の新太郎と言い、惚れてくれる女や女房がいるのに、どんな事情があって旅に出たのであろう。自分のように、やむを得ぬ事情があったに違いない。
「俺たちも加賀国を通りますので、一緒に行きましょう、もうあのような目には遭わせませんよ」
「ありがとうございます、国で亭主の帰りを待ち続けます」
「それがいいですね」
「ところで、お連れさんがおいでになったようですが…」
「先に行きました、どこかで待っているでしょう」
第十一回 加賀のお俊 -続く- (原稿用紙11枚)
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