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雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十回 師弟揃い踏み

2015-06-01 | 長編小説
 暇人辰吉は、当分三吉の鷹塾に寝泊まりすることになった。親バカお絹は、せっせと料理の腕を振るって、美味しい物を差し入れしている。ついでに、今日は米、明日は味噌、魚に野菜と、「甘やかし過ぎ」と、亥之吉に言われた程である。
   「なんやこれ、鷹塾で食料品のお店が出せる位持って来ている」
 辰吉が呆れ返っているが、三吉は苦労人、貧しい塾生達に少しずつ持ち帰らせている。鷹之助先生の意志を受け継いで束脩(入学金)や謝儀(授業料)は取らず、先生へのささやかな心付けである二十文程度の月並銭だけで、おまけに食材を貰って帰ってくるために、父親や母親がせめて三吉先生のお役に立てばと、荒屋の修理や三吉の着物を洗濯に来る。
   「お父さんも、お母さんも忙しいのに、どうぞ気を使わないでください」
 三吉もめいっぱい気を使っている。地回りは相変わらず三日と空けずにやってきては辰吉に追い返されている。

 ある日、ひょっこりと亥之吉と三太が鷹塾にやって来た。
   「あんなぁ、東町のお奉行が、わいに会ってくれることになったのや」
   「へー、どんな根回しをしたの?」辰吉が訊く。
   「江戸の北町奉行に一筆書いて貰ったのや、何でも大坂東町のお奉行と若いころ長崎奉行所で同輩やったらしい」
   「ははは、また虎の威を借るのか」
   「何をぬかす、わいが精出して北町奉行の手助けをして広げた人脈や、それに鷹之助先生の名を出したら、憶えていた与力が居ましたのや」
   「それで、乗り出してくれるのか?」
   「いや、今はそれどころではないと言って、わいのすることに目を瞑ってくれるそうや」
   「それだけか?」
   「そうや、今大坂にナンチャラ組という非道働きの盗賊団が江戸から流れてきて、大店を襲っては店中の者を皆殺しにして千両箱を奪って去る夜盗が出没しているのやそうな」
   「うわ、酷い、大店の人たちは、戦々恐々やな」
   「そうや、三太のとこも大店や、気ぃつけたりや」
   「へえ、がんばります」
 ナンチャラ組と名乗っている訳ではない。亥之吉が名を忘れたのだ。奉行所が十文、二十文の恐喝に人を掛けられないのもわからないでもない。
   「目を瞑ってもらうだけで十分や、わいらでごろつきの後押しをしている同心を炙りだしてやる」
   「同心と言うても、本当かどうかわからへんと思うけど」と、三太。
   「そやな、ハッタリかも知れんな」

 と、話しているところへ、ごろつきが九人ずらり。その内一人は頰被りをしている。
   「何や、また人数増やしおったな」
   「三吉の用心棒も増えとるやないか、丁度良かった、今日こそは大坂の煩いおっさんと若造二人、叩きのめしてくれるわ」
   「大坂の煩いおっさんて、わいのことか?」
 亥之吉が不満気に聞き質す。
   「そうや、お前や」
   「そんな殺生な、まだこんなに若いのに」
   「黙れ、糞爺」
   「えっ、今度は糞爺か?」
   「そやそや、折り畳んで腰の曲がった爺にしてこましたる」
   「酷いやないか、わいまだ若造やで」
   「なんかしてけつかる、すでに杖を突いているくせしやがって」
   「アホ、これは杖やない」
   「糞桶担ぐ棒やろ」
   「当たり」

 辰吉が焦れて、口出しをした。
   「お父っつぁん、面白くもない掛け合い漫才やってないで、早く喧嘩しようぜ」
   「まあ待て、コイツおもろいやないか、ええ漫才師になれるで」
   「誰が漫才師や、いてもたろか」
   「どこへ行くのや?」
   「アホか、殺したろかと言っておるのや」
   「さよか、折角もりあがっとるのに、何処かへ行かれたらどんならんなと思うたのや」
 男の仲間も焦れてきた。
   「兄貴、何をしょうもないことを言い合っているのです、座が白けていますやないか」
   「座とは、何や? ここは寄席か」

 胡座をかいていた亥之吉が、天秤棒を持って立ち上がった。
   「ほんなら、頃合いもええ、コイツらを退治してやろか」
   「よっしゃ、九人まとめて畳んでやろう」
 三太と辰吉も棒を持って立ち上がった。その時、掛け合い漫才の男が叫んだ。
   「ここにおられる頬被したお方はなぁ」
   「水戸のご老公か?」
   「ちゃうわい」
   「もしや、暴れん坊の…」
   「アホ、ここは大坂や、そんな訳ないやろ」
   「何や、ただのおっさんか」
   「このお方はなぁ」
   「その頬被をしたお方は?」
   「わいらの親分や」
   「そのお方が同心ですか?」
   「親分、コイツ等をどうしましょう」
 親分は「チッ」と舌打ちをして言った。
   「お前はバカか、わしを同心だと言ってしまったから、殺すしかないだろう」
   「わし、同心やと言っていませんが…」
 同心は、ムスッとしている。
   「コイツが親玉らしい」亥之吉が言うと、
   「おお、聞いた、聞いた、正体を暴いてやる」辰吉は小さいときから喧嘩好きである。

 初めての親と、子、孫弟子の揃い踏みである。
   「殺したらあかんで」
 亥之吉が叫んだ。
   「わかっとります」と、三太。
   「骨は折ってもいいのか?」辰吉である。
 亥之吉と三太の本気の喧嘩を、見るのは辰吉に取って初めてである。亥之吉師弟は、大暴れして九人の内六人は打ちのめしたが、ゴロツキどもの親分とそれを護っていた二人は、倒れている六人を見捨てて逸早く逃げてしまった。
   「追うな、追うな、何れは頬被りを剥いでやる」
 だが、捕らえた六人の口は固かった。親分の名を言えと責めても、「知らぬ」と、口を噤んだままである。そこで辰吉の守護霊新三郎に探って貰おうと新三郎に探りを入れて貰ったが、皆知らないようである。

 亥之吉は意外な手に出た。捕らえた六人を全部解き放したのだ。
   「お前らを捕らえて奉行所に突き出したところで、大した罪にもならん、どうせ親分に強要されて鷹塾を襲っただけや」
 六人の男達は、我先にと逃げ去った。

その夜、ゴロツキ共は祝杯を上げていた。
   「ざまぁ見ろ、俺達を捕まえても、手も足もでないやないか」
   「そうと分かれば、どんどんショバ代をふんだくってやろうや」
   「しかし、罠かも知れない」
 さすが、親分と呼ばれる男である。亥之吉の魂胆を見抜こうとしている。
   「暫くは、三吉から小銭を巻き上げるのは止めておけ」

 亥之吉は、自分の立てた作戦を二人には話しておこうと考えた。
   「ええか、わいは三吉さんを助ける為にだけ乗り出したのやないで」
 地回りの小銭稼ぎは隠れ蓑で、きっと大物と結びついていると亥之吉は考えた。
   「あの九人の内、八人の顔は憶えているな」
   「へい、大体は」辰吉である。
   「へえ、しっかりと」三太である。
   「もー、辰吉は頼りないなぁ」
   「それなら、覚えておけと言ってくれたら一生懸命憶えたのに…」
   「まあええわ、あの内の誰かが、どこか大店に出入りしているのを突き止めるのや」
 東町のお奉行には明かしておいたが、親分が東町の同心であれば、作戦が筒抜けになる。動くのは亥之吉たち三人だけにした。
   「そやけど、ひとつ問題があるのや」
 亥之吉がぽつりと言った。
   「わいら三人、天秤棒をもっとるさかい、目立ってしゃあない」
   「ほんまや」
   「この度は、天秤棒を持たずに、本物の杖にしようと思うのやが」亥之吉の提案である。
   「わいは、座頭の市さんから借りた仕込み杖や」
   「わっ、凄い」
   「嘘や、ただの棍棒や」
   「三太は、この金剛杖や」
   「わっ、お遍路さんみたいや」
   「辰吉はこの竹や」
   「何だ? これ、ひょっとこの火吹き竹じゃないか」
   「文句言うな」

  それから亥之吉たちは地回りを張っていたが何事も起こらず、相変わらず縄張り内で小商いをする行商人や露天商人からショバ代と称する小銭を取っていた。その額は、二十文程度で、払う方も諦めているようだった。
 三太と辰吉も、亥之吉が「放っておけ」というので、手出しはせずに傍観していた。ところが、別の男たちが、大店にも要求しているのがわかった。店主は地回り達が要求する額がせいぜい一朱(二百五十文)と少額なので、気に留めるでもなく、払いながら盛んに頭を下げている。
   「有難うございます、どうか宜しくお願いします」
 店主は寧ろ喜んでいるようにも見える。地回り達が去った後、亥之吉はこの大店の店主に声を掛けてみた。
   「福島屋の亥之吉と申しますが、今の方々はどなたで」
   「ああ、福島屋さんのお方ですかいな、いえね、あの人達が夜盗から店を護ってくれるのですよ、それもたった一朱で」
   「強そうな人たちでしたから、一安心ですね」
   「そうです、そうです、福島屋さんもお願いをしたらどうです」
   「教えていただいて、有難うございます、ぜひ店の旦那様と相談してみます」
   「それがよろしいわ」
   「ところで、どのようにお店を護ってくれますのやろか」
   「日が暮れて店を閉めたあと、十人体制で表を見張ってくれるのやそうです」
   「その命がけの仕事を、たった一朱で引き受けてくれるのですか?」
   「そら、盗賊に襲われて護って頂いたときは、別にお礼をするつもりです」
   「どれくらい渡せばよいのです?」
   「百両くらいかな? そんなのをよこせとは、あの人たちは言いませんが…」
   「わかりました、帰って旦那様に言います」
   「あ、そやそや、護ってくれる方々の中に、火盗の同心も忍んでいますのや」
   「お名前は?」
   「伺っとりますが、他人に漏らすなと口止めされていますので」
   「さよか、いえ決して訊きません、迷惑になったらいけませんからね」
   「すんません」

 亥之吉は、辰吉に尋ねた。
   「今の話、聞いたか?」
   「はい、聞きました」
   「手を打ったか?」
   「はい、すでに新さんが探りに行きました」
   「よっしゃ、流石わいの倅や、よう気が付いた」
   「いえ、新さんの判断です」
   「なんじゃいな」
 三太が笑っている。

 暫くすると、使いに出かける小僧さんに付いて、新三郎が出てきた。
   「お父っつぁん、同心は火付盗賊改方の同心片岡恭太郎やそうです」
   「わかった、ほんならあのゴロツキどもの塒近くで、ヤツ等が帰ってくるのを待とう」
   「夜盗が襲撃するお店を探るためですね」
   「三太、それはもうわかっている、何人で何時に襲うか知るためや」
   「わかっているとは、どのお店です?」辰吉が訊いた。
   「今、わいが店主に話しを訊いていた、あの大店やないかいな」
   「えーっ、あそこはヤツらが護ってくれているのと違うのか?」
 辰吉は納得がいかない。
   「三太はもう分かったか」
   「へえ」

 先回りして、暫く待っていると、小銭集めの三人が帰ってきた。新三郎がその内の一人に憑いて塒に入っていった。やがて、大店に顔を出した地回りも戻ってきた。

 四半刻(三十分)も待ったであろうか、漸(ようや)く新三郎が戻ってきた。
   「遅かったなぁ、何か別のことを探っていたのか?」
   『火盗の同心の上に、陰の親玉が居るような気がして探っていたが、やはり同心が親玉のようだった』
   「そのように新さんが言っています」
   「分らへんがナ、ちゃんと通弁してくれんと」
 辰吉が新三郎の言葉を伝えた。
   「それで、襲うのは何人で、何時や」
   「十人で、丑の刻(午前一時)に襲うそうです」
   「わかった、今から奉行所へ行く、付いて来い」
   「何だ、俺達が捕えるのではないのか」辰吉、不満そう。
   「お前、その竹で闘う積もりか、一旦戻って出直しや」
   「あ、そうだった」

  「第二十回 師弟揃い踏み」  -続く-  (原稿用紙16枚)

   「第二十一回 上方の再会」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十九回 鷹塾の三吉先生

2015-05-30 | 長編小説
 一晩かけて三十石船は淀川を下り、大坂は淀屋橋に着いた。よく寝ていないのか、辰吉は眠い目をこすりながら下船した。
   「三太兄ぃ、元気にしているかなぁ」
   『二・三日前に別れたばかりじゃねぇか』辰吉の守護霊、新三郎である。
   「うん、まあな」
 町並みを少し外れた道を歩いていて、廃屋寸前のような荒屋に、板切れに「鷹塾」と書かれた看板を辰吉が見つけた。
   「新さん、あれ鷹塾と書かれている、三太兄ぃが通っていた塾だろ」
   『場所は違うが、同じ名だな』
 しばらくこの場に留まって様子を窺っていると、四・五歳の子供が五人集まってきた。
   「先生、おはようございます」
 子供たちはそれぞれ元気な声で挨拶をすると、荒屋の中へ入っていった。
   「お早う、みんな揃っているか?」
   「はい、五人揃っています」
   「そうか、ほんなら長座卓を並べて待っていてや、先生食事の後片付けをするから」
   「はーい」

 辰吉は鷹塾を知らないが、鷹之助には一度会っている。
   「新さん、あの先生、鷹之助先生と違うか?」
   『違う、違う、鷹之助さんは上方言葉を使わない』
 その声は二十四・五歳というところか、三太よりも少し上のようである。子供たちはガヤガヤとお喋りをしながら長座卓を並べ、算盤を置いているのが窓から見える。
   「先生、誰か窓から覗いとる」
 先生と呼ばれた男が、血相を変えて表に飛び出してきた。
   「子供たちには関係おまへん、どうか子供たちを巻き添えにしないでください」
 そう叫んだ後、辰吉を見て人間違いと気付いたらしく、「すんまへん」と、頭を下げた。
   「いえいえ、こちらこそ覗いたりして、子供たちを怖がらせてしまいました、勘弁してください」
   「何かご用でしたか?」
   「あ、いやいや、ちょっと鷹塾という名に心当たりがありましたもので、つい覗いてしまいました」
   「鷹塾に心当たりといいますと、もしや佐貫鷹之助先生のお知り合いでおますか?」
   「やはり鷹之助先生と関わりがありましたか、じつはそうなのです、それに鷹塾の塾生でした三太さんや源太さんにも関わった者です」
   「えっ、源太ですか? 源太は私の弟です、三太さんは私と机を並べて勉強した塾生同士です」
   「ついこの間、源太さんにお会いしましたが、お元気でしたよ」
   「そうですか、そうですか、心配しておりましたので、何よりのお便りでございます」
   「それと、三太さんが大坂へ戻っているのはご存知でしたか?」
   「三太が大坂に戻っているのですか、知りませんでした」
   「立派になって帰っていますので、是非会ってやってください」
   「それはもう、今直ぐにでも飛んで行きとうございます」
 三吉は、佐貫鷹之助の弟子源太の兄である。鷹之助が信濃へ戻ったあと、小さい子供たちを集めて鷹塾を継いだが、鷹塾があった古屋は取り壊されて廃塾になった。三吉は鷹之助の意志を継ぐべく古屋を探しては何度も鷹塾を開いたが、古屋はすぐに追い出され、地廻りに僅かな収入の殆どを取り上げられ、三吉一人食っていけるのがやっとであった。
   「それで俺を地回りと間違えたのですね」
   「そうです、子供たちを怖がらせてはならないという一心で、慌ててしまいました」
   「三吉さん、俺と三太兄ぃが鷹塾の後押しをしましょう、もう決して地回りに勝手なことをさせませんから安心なさい」
   「ほんとうですか、有難う御座います」

 塾は午前中で終わると言うので、辰吉は子供たちの後ろで待つことにした。子供たちは辰吉が気になるのか、勉強途中にチラチラ後ろを見ていた。この後、子供たちを送って行くと、辰吉のおごりで外食をし、三太の奉公する相模屋長兵衛のお店(たな)へ会いに行った。
   「番頭さん、お客さんだす」
 三太さんに会いたいと言うと、小僧が取り継いでくれた。三太はこのお店の番頭らしい。
   「おや、辰吉坊ちゃん、帰ってきはりましたか」
   「はい、江戸の辰吉、ただ今戻りました」
   「何が江戸の辰吉や、もう旅鴉やあらへん、福島屋辰吉と名乗りなはれ」
   「福島屋辰吉、恥ずかしながらただ今帰って参りました」
   「余計なことは言わんでもよろしい、何が恥ずかしながらやねん」
   「へい」
   「それで、亥之吉旦那に会ってきはりましたのやろな」
   「いえ、まだ」
   「何をしていますのや、真っ先にお父っぁんに顔を見せなはらんか」
   「それが…敷居が高くて」
   「旦那さんも、お絹女将さんも、心配して待っていなはるのに、何が敷居や」
 ようやく、三太は辰吉に連れが居ることに気が付いた。
   「そのお方は?」
 ちょっと三吉を見た三太は、直ぐに気が付いたようであった。
   「三吉先生やおまへんか、やっぱり三吉さんや」
 三吉は頷き、三太は懐かしそうに三吉の手を取った。
   「すっかり大人になりはったが、面影は残っています、やっぱり兄弟ですねぇ、源太さんにそっくりですわ」
 三太は、大坂に帰ってきたとき、真っ先に鷹塾の有った場所に行ってみたそうである。建物は壊されて、土地は草が生え茂り、鷹塾は跡形もなく消えていた。鷹之助の奥方、お鶴の実家に行って塾生であった子供たちのその後の消息を尋ねたが、分からないということであった。
 鷹之助の元で学ぶ源太の元気な消息を伝えようと源太の実家を訪ねてみたが、荒れ果てて人の住む様子はなかった。
   「三吉さん、今ご両親はどこにお住まいですか?」
   「両親は亡くなりました、源太の他にもう一人弟が居ますが、大工の棟梁の元で修業しております」
   「そうでしたか、源太さんに会いましたが、ご両親が亡くなったとは一言も言っておりませんでした…」
   「親父の遺言で、源太には知らせるなと固く止められていましたので…」
   「修業の邪魔になるからでしょうか」
   「そうだと思います」
   「三吉さん、あなたはどうしてここに?」
 三吉は、当時鷹之助の助手をしていたが、鷹之助が信濃へ帰ったあと、意志を受け継いで、鷹塾を再開したこと、借りていた古屋を次々と追われたこと、地廻りに金を巻き上げられていることなどを三吉に代わり辰吉が代弁した。
   「知っていれば、わいがなんとかしたものを…」
 三太は悔しがった。
   「三吉先生、わいが知ったからには、悪いようにはしまへん、鷹之助先生の鷹塾よりも、もっと立派な鷹塾にして、三吉先生に活躍してもらいます」
 そして、源太の帰りを待って、立派な鷹塾に先生として迎えましょうと、再び三吉の手を握りしめた。
   「三太兄ぃ、一人で何を意気がっているのです、辰吉も居るのですぜ」
   「あかん、辰吉坊ちゃんは、鷹之助先生の塾生ではおまへん、余所者や」
   「何だいそれは、俺にはもと鷹之助先生の守護霊だった新さんが憑いているのですよ」
   「あ、ほんまや、余所者と違うわ」

 三吉は泣いていた。余程悔しいことや、辛いことがあったのだろう。あのチビ三太が、こんなにも逞しくなって、ふと知り合った辰吉と共に自分の肩を押してやろうと言う。弟の元気な消息を知ると共に、急に目の前が開けたような感動が涙になって溢れたのであった。

 その夜、地回りが脅しに来るというので、辰吉が鷹塾に泊まることになった。親父の亥之吉に会うのは後回しになった訳だ。

 三吉と共に夕餉を平らげ、話をしながら地回りが来るのを待った。
   「三吉さん、今度暇が出来たら、俺と一緒に旅に出ないか?」
   「もしや、源太に会いにいくのですか?」
   「うん、源太もいい大人だ、何時までもご両親のことを伝えないのはよくないよ」
   「そうでしょうか」
   「兄貴の元気な顔を見せてやろうじゃないか」
   「そう出来ればうれしおますのやが」
   「塾生が気がかりかい?」
   「はい」
   「ちゃんと訳を話せば分かってくれると思うよ」
   「辰吉さんは、何時でも旅に出られるのですか?」
   「三太の兄ぃが、親父との間を取り持ってくれるだろう」

 日も暮れかかった頃、三人の男が鷹塾に入ってきて、土足で上がり込んだ。
   「三吉、今日はショバ代を払って貰うで」
   「何や、ショバ代って」辰吉が問うた。
   「うちの縄張り内で商売したら、ショバ代を払うのが当たり前やろ、ところであんさん何者や、三吉の何や」
   「三吉さんの友達や」
   「そのお友達はんが、えらそうな口を叩くやないか」
   「商売言うたかて、十文、二十文という僅かな月並銭で勉強を教えているのや、何がショバ代や、奉行所に訴えて、取り締まって貰いましょか」
   「あほ抜かせ、わいらの後ろには同心が付いているのや」
   「同心が何や、わいにはお奉行が付いているのやで」
   「ハッタリもええかげんにさらせ」
   「その同心の名前を聞こうやないか」
   「そんなもん、言えるかい」
   「名前も言えん同心に、何ができるのや」
   「こいつ、ガキの癖に生意気な口を叩きよって、わい等の恐さを思い知らせてやる」
 懐から匕首を取り出して脅して見せた。
   「そんなもので脅されて黙るわいやないで」
 怒ると上方弁が出る辰吉、六尺棒を振り上げた。
   「さあ、束になってかかってきやがれ、束言うたかて、たった三本の一束やなぁ」
 辰吉は勇ましいセリフを吐いた割には、敵に背中を見せて外へ飛び出して行った。男たちは、すぐさま辰吉を追って飛び出してきた。
   「口が利けないようにしてやる」
 地回りの一人が、匕首の鞘を拔きはらって一歩辰吉に接近した。辰吉が一歩下がると、ここぞとばかり匕首を左右に振りながら、さらに接近してきた。
 辰吉は更に下がったが、さがりざまに棒を振り下ろした。「がっ」と乾いた音がして、男は右腕を抱えて悲鳴をあげた。
   「こいつ、やりやがったな」
 二人目が突っ込んで来たのを、体を交わすと男はつんのめった。その背中を「ぼこん」と棒で打つと、そのまま頭から倒れた。
 三人目は、辰吉に背を向けて逃げた。その背中に、辰吉が投げた棒の先が命中して、男は足がもつれ、二・三歩泳いで上体から前に倒れた。
   「おい、お前、腕の骨にヒビが入ったと思うぜ、早く医者に駆け込め」
 最初に飛び込んできた男に言った。その男は慌てて逃げ去ったが、他の二人は遠巻きに辰吉を睨み、「憶えとけよ」と捨てゼリフを残して立ち去った。その夜は鷹塾に泊まり、仕返しに来るかと待ったが、来なかった。

 翌日、塾は開かれ、無事に終えた。午後、辰吉は三吉と共に、昨夜有ったことを報告する為に三太に会いに行った。
   「坊っちゃん、あんさんはやくざと違いまっせ、何てことをしましたのや」
 三太は笑っていたが、これから堅気の商人になる若旦那が、地廻りと喧嘩して相手を傷つけるとは、なんたる軽はずみなことをしたのだと、辰吉を咎めていた。
   「さあ、わいが付いて行きますさかい、旦那様のところへ行きましょ」
 
 辰吉の父親、亥之吉は福島屋本店に留まっていた。取り敢えず空き店舗を見つけて、商売を始めようと東奔西走している最中であった。
   「辰吉、お帰り」
 亥之吉は、何事も無かったように辰吉を迎えてくれた。辰吉が地回りと喧嘩をして、相手を傷つけたと三太が話したが、亥之吉は意に反して辰吉を叱ることもなく、ただ笑っていた。
   「そうか、あんな屑野郎たちと喧嘩したのか、心配せんでもええ、わいがちゃんと話を付けてやる」
   「三吉も何も恐れることはないのやで、安心して塾が開けるようにしてやるさかいにな」
 辰吉は、この親父をとてつもなく大きく感じた。三太もまた、「このスケベ親父、頼もしいな」と、我師匠を誇らしく思った。


  「第十九回 鷹塾の三吉先生」  -続く-  (原稿用紙16枚)

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十八回 浪速へ帰ろう

2015-05-28 | 長編小説
 木曽街道上り(京に向かう)道、才太郎の心配もなくなり足取り軽く歩いている辰吉に、守護霊の新三郎が声をかけた。声をかけたといっても幽霊のこと、辰吉の心に伝えるだけである。
   『すまねぇ、隠していたわけではないのだが…』
   「ん? 新さんどうした」
   『辰吉の罪が晴れていることを初めから知っていて言わなかった』
   「知っているよ」
   『三太郎先生に聞いたのだったな』
   「そうだよ」
   『あっしは初めから知っていた』 
   「言わなかったのは何か訳があったのだろう」
   『可愛い子には旅をさせろ…と思った』
   「ははは、俺は可愛いからな、仕方がないよ」
   『そんな意味ではないけれど』
   「いいよ、いいよ、それよりここで旅を終えてしまったら、関の弥太八さん捜しができねぇな」
   『案外、関へ戻っているかも知れない』
   「うん、戻っていなくても、何か手掛かりがあるかも知れない」
   『例えば?』
   「親しいダチ公に、何か漏らして旅に出たとか」
   『そうだな、旅を終える前に、伊勢の国へ行ってみるか』
   「それがいい、それがいい」
   『お前は、学芸会のその他村人達か』
   「この時代に、学芸会なんてねぇよ」

 暫く歩くと、今まで無風だったのに、突然一陣の向かい風が吹いた。草津方面から歩いてきた旅人が、紐を結んでいなかった所為か、三度笠が風で飛ばされ辰吉の足元で止まった。辰吉が拾い上げて走ってきた旅人に渡してやると、旅人は親しげに話しかけてきた。
   「兄さん、ありがとよ いきなりの風だから驚いてしまいやしたぜ」
   「ほんとうですね、目に砂でも入るといけない、ここらでひと休みして行きます」
   「あっしも、そうします」
 二人は道の端に腰を下ろし、話をしていて気が付いたが、男の右耳の下に豆粒ほどの黒痣があった。
   「新さん、この人耳の下に痣があります」
   『辰吉、お前目が悪いのか、あれは蝿ですぜ』
   「あっ、ほんとうだ、飛んでいった」
   『それに弥太八さんの痣は、左耳の下です』
   「あっ、そうだった」
 辰吉、赤い舌をペロリと出した。

   「新さん、ここらで一稼ぎしていきませんか」
   『いかさまですかい』
   「いきなり言われると、心臓が止まるかと思いましたよ」
   『嘘をつけ、端からその積りだろうが』
   「へい」
   『友吉が京極一家預けられていたら、幾らか置いて行きたいのだな』
   「さいです」
   『よしよし、素直でよろしい』
 無茶稼ぎをすると目立つといけないと言うので、あちらで五両、こちらで七両と、セコ稼ぎを重ねた。しかし、それが寧ろ目立ったようであった。

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「あっ、お前さんは江戸の辰吉どん、済まねぇが、十両差し上げますので、他の賭場へ行っておくんなせぃ」

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「あ、江戸の辰吉、今夜は親分の気が優れないので、お休みにしようかと…」
   「準備が整っているじゃねぇか」
   「いえ、今から撤収しようかと言っていたところで…」

   「遊ばせて貰いますぜ」
   「江戸の辰吉どんが賭場に居ると、客がしらけて帰ってしまうので、この十両でご勘弁を…」

 みたいな、おかしなふうに顔が売れてしまったりして、労せず手に入れた二百両を懐に、辰吉は悠々と伊勢国に入った。

   「何だ、何だ、みんな俺のことを疫病神のように嫌いやがって」
 辰吉、そう言いながらもニヤニヤ、こんなことでは浪速へ行って商いに身が入るのだろうかと心配する新三郎だったが、嫌われ過ぎてもうひとつ心配ごとが増えてしまった。殺し屋に付け狙われだしたのだ。

   『こんなヤツにウロウロされたのじゃ、賭場の信用に障ると思ったのだろう』
   「へん、ケチな貸元が居たものだ」
   『そのケチな貸元は、一人や二人じゃないらしい、恐ろしく腕の立つ浪人者を集めやがったぜ』
   「残らずやっつけてやるぜ」
   『相手は凄腕の浪人が六人だ、六尺棒では太刀打ちできねぇ』
   「何てことはない、サビ刀の二本や三本」
   『浪人とは言え相手は侍、大小入れて合計十二本だ』
   「げっ」
   『作戦を練ってかかろうぜ』
   「こうやってか?」
   『バカ、棒に付いた水飴を練るのじゃねぇ』
   「はい」
   『ここで殺されて、利根川に捨てられるかも知れねぇのだぞ、真面目に考えろ』
   「すまねぇ」
 新三郎が考えたのはいつもの手で、ヤツ等が辰吉に追いつくまでに、一人の浪人に新三郎が乗り移り、裏切り者になる。一人か二人を新三郎がやっつけて、新三郎が憑いた男が斬られそうになったら別の男に移り代える。だが、新三郎を無視して辰吉に襲いかかるものが必ずいる。それは辰吉が身を護らねばならない。
   「わかった、自分の身は自分で護る」
   『侮ってはいかん、利根川の水は冷たいぞ』
   「死んでいるのに…?」
   『それ、近付いて来たぞ、拔かるなよ』
   「へい」

 浪人達がバラバラっと走り寄ってきた。辰吉が六尺棒を構えて立っていると、浪人たちが一斉に手を振った。

   「江戸の辰吉さん、待ってくれー」
   「ん?」
   「辰吉さんの弟子にしてくれ」
   「何の?」
   「博打ですよ、辰吉さんみたいに強くなれたら、食いはぐれがない」
   「ズテッ」辰吉、転けた。

 これは我が家に伝わる門外不出、一子相伝の秘密だからと丁重に断り、三両を酒代だと与えてなんとか引き上げて貰った。
   「新さん、いい加減なのだから…」
   『すまん』

 伊勢の国は関に着いた。聞いていた関の小万が住む家を訪ねてみると、小万が独りでひっそりと暮らしていた。
   「それで、弥太八の消息でもわかったのかい?」
   「わかんねぇ」
   「そうだろうねぇ、弥太八は寒いのが苦手だったから、安芸か長門へでも行ってしまったのだろう」
   「そうか、寒いのが苦手か」
   「それに、賑やかなところが好きでねぇ、今頃は色街の用心棒でもして、女たちにチヤホヤされて鼻の下を伸ばしているだろうよ」
   「賑やかなところが好きで、色街の用心棒…と」
   「辰吉さん、何を書いていなさるの?」
   「いや、弥太八を探す手掛かりにしようと… それで弥太八さん腕は立つのかい?」
   「口ばかりで、喧嘩になれば一番後ろに隠れているようなヤツだ」
   「ふーん、そうかい、それじゃあ、あまり遠くには行ってねぇと思うよ」
   「どうしてだい?」
   「案外寂しがり屋で、小万さんのことを恋しく思っているだろう」
   「そうだと、嬉しいねぇ」
 小万は、弥太八の姿を思い浮かべているようだった。
   「辰吉さん、今夜はここへ泊まっていくかぇ」
   「いいのかい?」
   「弥太八がいつ帰ってきてもいいように、寝間着も布団も用意してあるのだよ」
 辰吉は考えた。「弥太八の代理なんて、まっぴら御免だ」と。
   「やっぱり止めとくよ、弥太八さんに悪いや」
   「バカだねぇ、何も弥太八の代理をしてくれと言うのではないよ」
   「それなら… 余計止めとく」
 辰吉は、懐から小判を出し、二十両を小万に渡した。
   「金には困っていねぇようだけど、弥太八さんが帰ってきたときに着る着物でも買いなよ」
   「おや、そんなにくれるのかい」
   「うん、そこらの賭場で儲けた泡銭だけどね」
   「辰吉さん、いかさまでもやったのかい」
   「まあね」
   「いい加減にしておかないと、殺されて利根川に浮かぶよ」
   「なんか、聞いたことがあるようなセリフだ」
   「冗談で言っているのではないよ」
   「うん、わかっている」
   「可愛いねぇ、その うん って言うの」
   「そうかい」
   「これから何処へ行くのだね」
   「浪速だ、大坂(今の大阪)の親父の店に戻ろうかと思っている」
   「辰吉さん、長男だろ、そのうち大店の旦那様だね」
   「それが、親父は若くてねぇ、なかなかくたばりそうもないのだ」
   「お前さん、罰があたるよ、若くて元気なら有難いことじゃないか」
   「まあな」
 
 大坂で弥太八を見つけたら、縄で引っ張ってでも連れて帰ってやると小万と約束を交わし、辰吉は大坂への帰路の旅に就いた。
 
 
   「あ、江戸の辰吉だ、味を占めて又来やがった、とっちめてやろうぜ」
   「よせよせ、ヤツは妖術を使うと言うじゃないか、気が付かない振りをしていよう」
   「何が妖術だ、どうせインチキに決っている、構わぬからやっちまえ」

   「おい、江戸の辰吉、よくもこの辺の賭場を荒らしてくれたな」
   「止めろと言うのに、辰吉を怒らせたら命がねぇぜ」
 連れの男が必死に止めている。
「荒らしちゃぁいねえ、そっち等が賭場に寄せ付けなかったのじゃねぇか」
辰吉は笑っている。
   「辰吉が笑っている間に、止めようや」
   「ふん、何が妖術だ、ただの手妻(手品)にちげぇねぇ」
 辰吉が真顔になった。
   「あ、やべえ、逃げようぜ」 
血気に逸る男の袖を引っ張ってビビっている連れの男を振り解き、辰吉の前で胡座をかいた。
  「さあ、妖術でも算術でもかけるものならかけてみやがれ」
辰吉は平然としていたが、守護霊の新三郎が頭に来たようだ。男はヒョロッと立ち上がり、近くの一本松の根っこまで来て崩れた。
  「安心しな、殺してはいねぇ」
辰吉は大きく笑った。連れのビビっている男に聞かせるためだ。


 京極一家に立ち寄った。顔見知りの若い衆が人懐っこい笑顔で迎えた。
   「おっ、辰吉また来たな」
   「うん、三太兄ぃが立ち寄っただろ」
   「へえ、確かに」
   「寛吉という若い男を連れていただろ」
   「寛吉なら、奥に居まっせ」
   「あ、やはりここへ預けていったか」
   「それが何か?」
   「そうだろうと思って、金を稼いで持ってきた」
   「稼いだ? いかさま博打でもやったのか」
   「賭場の客にいかさまは出来ないだろ」
   「そらまぁそうやな」
   「二百両稼いだが、二十三両使ってしまった、これを置いて行くわ」
   「辰吉さん、他人に頼まれて殺しをやったのではないのか?」
   「俺に人が殺せねぇ」
   「そうやなぁ」
   「では、俺はこれで失礼します、貸元さんによろしく」
   「何や、そんな直ぐに出ていかないでも、今夜は泊まっていかんかいな」
   「泊まっているときに、出入りでもあったらいけないので、このまま伏見まで行って三十石船で夜を明かします」
   「さよか、ほんなら船が出るまで時間がたっぷりおます、お茶なと飲んで行っておくれやす、その間に船上で食べる弁当をわいが作ってやります」

 その夜、辰吉は三十石船の甲板で、京極一家の若い衆が作ってくれた弁当を食いながら、親父のところへどんな面を下げて帰ろうかと考えていた。
   「新さんと、もっと旅を続けたいなぁ」
   『辰吉は跡継ぎだよ、そろそろ腰を落ち着けて、商人修行をしないといけねぇよ』
   「親父の跡は、弟の己之吉に継がせたらいい、あいつの方が向いているよ」
   『それで長男は嫁も貰わずに風来坊か』
   「風の向くまま西東、気の向くままに北南」
   『病で熱を出しても、看病するものも居ない』
   「何もしないで賭場に顔を出せば金は入る」
   『騙し討に合えば、山犬かカラスの餌になり』
   「もう、新さん、嫌なことばかり言う」
   『本当の事だ』
   「止めた、止めた、明日親父のところへ帰ろう」
   『それがいい、それがいい』
   「学芸会のその他大勢か」

  「第十八回 浪速へ帰ろう」  -続く-  (原稿用紙17枚)

   「第十九回 鷹塾の三吉先生」へ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十七回 越中屋鹿衛門

2015-05-24 | 長編小説
 辰吉は才太郎を背負って歩き始めたが、走り回り大げさな立ち回りをしたので疲れがでて来た。
   「新さん」
 守護霊の新三郎に何とかして貰おうと心の中で呼びかけてみた。
   「新さん、新さん」
 応えがない。
   「あれっ、新さん居ないのかい?」
 まさか、幽霊が居眠りをしている訳でもなかろう。辰吉に断らずどこかに出かけたようだ。出かけると言えば、逃げていった十一人のうちの一人に憑いて行ったのだろう。
   「辰吉さん、どうかされましたか?」
   「疲れてしまいました、少し休ませてください」
   「背中の才太郎さんが重いのでしょう、私が代わって背負いましょう」
 若い友吉でなく、初老の鹿衛門が言ってくれた。
   「大丈夫ですよ、歳はとっても若い者には負けません」
 折角の言葉なので、少しの間だけでも代わって貰うことにした。ところがどうして、若い辰吉よりも力があって、とうとう上田城下の緒方養生所まで背負って行ってくれた。

   「緒方三太郎先生はお出でになりますか?」
 奥から、三太郎の奥方が出てきた。
   「あ、これは辰吉さん、この前は卯之吉さんに会いに行くと言って出かけたままお帰りになりませんので、先生心配なさっていたのですよ」
   「すみません」
   「先生、ただ今新しい患者さんを診ていますので、ちょっとお待ちください」
 若先生の佐助が、四人を招き入れて足盥を用意し、部屋に案内して女中にお茶を入れさせた。

 やがて診察部屋から緒方三太郎先生が出てきて、才太郎の診察をしてくれた。
   「おや、橘右近先生に診てもらったのですか、それなら安心です、あの先生は名医ですからね」
 才太郎の折れた足首の晒を取り、両手で優しく包むようにして診ていたが、才太郎の顔を見てにっこりした。医者のにっこりは、患者にとって千両の値がするものだ。
   「辰吉さんの手当も良かったようです、これなら直ぐに骨は元通り、いや元よりも丈夫になりますよ」
 才太郎は嬉しそうに、辰吉と会ってから初めてにっこりと笑った。


 「お待たせしましたね」と、緒方三太郎は越中屋鹿衛門に微笑みかけて「お話を聞きましょう」と、話しかけた。鹿衛門は、辰吉に話したことを三太郎にも聞いて貰った。

   「そうでしたか、それは大変な事態ですね」と、言ったわりには、三太郎は平然としていた。
   「それでは、直ちに藩侯に会えるように手配しましょう」
 三太郎には、何やら公算があるらしい。
   「早速、城へ向かいましょう、ただ…」
 三太郎は申し訳なさそうに付け加えた。
   「このままノコノコ出掛けて行って、すぐに藩侯にお目通りが叶う筈がありません」
 三太郎は、お目通りを叶える策だとして、咎人を装って鹿衛門に縄を打って城中に入り、時を待って藩侯にお合わせすることにしようと提案した。
   「越中屋の信用を落す訳にはいかないので、顔を隠して参ろう」
 鹿衛門は、藩侯にお会いできるなら、と三太郎の提案に従うことにした。
   「鹿衛門さんを賊の牙からなんとしても護らねばならない、辰吉さんの腕も借りますよ」
   「へい、ガッテンです」

 才太郎と友吉は養生所に預けて出発しようとしたが、鹿衛門はどうしても友吉も連れて行くのだと言い張った。
   「わかった、そうしよう」
 三太郎が折れた。辰吉は三太郎の弟子という名目で、友吉は鹿衛門の身の回りの世話をする手代だとして、一緒に行くことにした。

 四人はまず奉行所へ行った。そこで鹿衛門と友吉に縄を打ち、奉行所の役人を五人伴って城へ向かった。大手門は避け、北裏がわの櫓門を開けて貰って入城した。城内に入ると、鹿衛門は縄を解かれたものの、取り敢えずとお牢に入れられた。どうしたことか、友吉は縄を解かれ、辰吉と共に部屋に案内された。そこで、友吉は息せき切ったように辰吉に事の次第を告げた。

   「三太郎先生、お殿様にはまだお会いすることが出来ませんか?」鹿衛門が焦れた。
   「今、ご家老と交渉中だ、どうした、もう待てないか?」
   「早く次第を告げて、ここから出して戴きとうございます」
   「もう、直ぐでしょう」

 その時、藩侯が入ってきたかと思われたが、違っていた。藩侯兼良の弟君、兼伸であった。
   「越中屋鹿衛門とやら、ご苦労であった」
   「ははぁ」牢の中で鹿衛門が畏まっている。
   「これ牢番、この者を牢から出してやれ」
   「ははぁ」牢番は柱に掛けてあった鍵を外し、お牢を開けようとした。
   「どうした、早くしないか」牢番は、懸命に鍵を開けようとしているが開かない。
   「申し訳ありません」
   「鍵を貸してみろ」
 兼伸は焦れて、牢番から鍵を取り上げた。三太郎は、その様子を垣間見ながら、見ないふりをしている。兼伸が鍵を開けようとしたが、やはり開かない。その時、兼伸は懐から布に包んだものを牢内にそっと入れた。それを見届け、それまで黙っていた三太郎が口を開いた。
   「兼伸さま、鍵が違うのです」
   「三太郎、お前は鍵の行方を知っているのか」
   「はい、知っております、わたくしの懐に入っております」
   「貴様、この儂を愚弄しているのか、早くその鍵を持って参れ」
 三太郎は、懐から鍵を出し、兼伸のもとへ持って行こうとして、再び鍵を懐に戻した。
   「その前に、何故にお牢を開けようとなさるのですか?」
   「決まっておるだろう、兄上の御前にコヤツを連れて行くためだ」
   「そうはさせません」
   「貴様、誰に向かってその口を叩いているのだ」
   「はい、藩侯の弟君、兼伸さまでございます」
 兼伸は顔を真赤にして怒った。
   「この無礼者メが、そこへ直れ、手打ちに致す」
 三太郎は落ち着き払って兼伸の前に進み出、跪いて言った。
   「それではお尋ね申します、お牢の中の男を、兼伸さまは誰だと思っておられる」
   「聞いておるわ、越中屋鹿衛門であろう」
   「わたくしは藩士であると共に、町医者です、米問屋の越中屋鹿衛門は、わたくしの患者で、よく存じております」
   「この男ではないのか?」
   「真っ赤な偽者で御座います」
   「では何故に城へ参ったのだ」
   「それは、兼伸さまがよくご存知でございましょう」
   「米の相場が跳ね上がり、庶民の暮らし向きを案じて訴えるためであろうが」
   「米の値段が高騰したのなら、庶民の中で養生所を営む医者が知らないわけがありません」
   「貴様、それを嘘だと申すのか」
   「はい、嘘も嘘、真っ赤な大嘘でございます」
   「では、この男が城に来た目的は何なのだ」
   「それをお答えするまえに、先ほど兼伸様がお牢に忍び込ませた布に包んだものは何だったのでしょうか」
   「そんなことはしていないわ」
 兼伸は立ち上がって、脇差しを抜いた。三太郎の眼前に見せつけるようにすると、両手で太刀を振り被った。
   「三太郎、死ぬがよい」
 兼伸は大刀を振り下ろしたが、その途中でポロリと太刀を落とした。
   「三太郎、儂に何をした」
   「いいえ、何もしておりません、こうしておとなしく大刀を受ける覚悟でおります」
   「そうか、よい覚悟だ」
 兼伸は、またも大刀を振り下ろしたが、やはり手から外れてポロリと落とした。兼伸は焦って何とか三太郎を討とうとするが、大刀を落としてしまう。兼伸は諦めて、三太郎を足蹴にしようとしたが、三太郎の掌で受け止められてしまった。

 その時、牢への廊下で声がした。
   「兼伸、悪足掻きはもう止しなさい」
 藩侯の兼良であった。
   「兄上、何故にこのような場所へお出でなされた」
   「余は、何も言うまい、言えばそなたの命を取らねばならない」
   「お答えください、何故に私は兄上に死を給わねばならないのですか?」
   「諄いぞ、兼伸」
 兼良は弟の兼伸に「立ち去れ」と命じた。実の兄としての温情なのだ。


 兼良は、兼伸に同情こそすれ、けっして叱りつけようとはしなかった。祖父を切腹に追い遣られ、母を出家させられた過去があるのだ。長く恨み続けた挙句の計画だったのであろう。

 その後、兼伸もまた出家させられ、越中屋鹿衛門を名乗った刺客は、打首となった。また、友吉は越中屋の手代であることは間違いなく、刺客の人質にされて利用されていたことが判明して、お構いなしとされた。

 三太郎は、過ぎし昔を思い出していた。父佐貫慶次郎とともに当時の上田藩主、松平兼重候をお護りして奮闘したこと、父上の懐に抱かれて、馬にのって旅をしたこと、また三太郎の懐には、ひよこのサスケを抱いていたことなどが、次々と走馬灯のように駆け巡っていた。

   「辰吉、そなたに伝えたいことがあります」
 三太郎は、辰吉を大坂へ帰したいと思っている。
   「何でしょうか?」
   「辰吉は、もう旅を続ける必要はないのだよ」
   「俺は、凶状持ちです」
   「凶状持ちとは、凶悪な犯罪で逃げている者のことで、辰吉は殺されようとしたのを防いだために起きた事故だから凶状持ちではないのだよ」
   「それでも、人を死に追い遣りました」
   「その罪は、とっくに許されているので、江戸でも大坂でも大手を振って歩けるのです」
   「そうだったのですか」
   「そうですよ、亥之吉さんは、江戸のお店を一番番頭に与えて、大坂へ戻りました、辰吉さんも大坂へ戻り、商いの勉強をなさい」
   「はい」
   「それから、チビ三太さんも、大坂にお店を構える準備をしているそうです」
   「わぁ、ほんとうですか、三太の兄ぃに会いたい」
   「三太さんも、辰吉さんに会いたがっています」
   「でも、まだ大坂へは行けません、才太郎のこともあるし、他にも頼まれごとがあるのです」
   「才太郎のことは、わたしに任せなさい、きっと悪いようにはしません、わたしも小さい時に捨てられて辛い思いをしていますので、きっと才太郎と気が合うでしょう」
   「わかりました、大坂へ行きます」
   「そうだったねぇ、辰吉さんは大坂へ帰るのではなくて、行くのでしたね」
   「はい」
   「では、その頼まれごとを果たしたら、大坂へ行きなさい、ご両親やご兄弟が辰吉さんのことを、首を長くして待っていますよ」
   「ははは、三太兄ぃがここに居たら、ろくろ首を思い出して震え上がっていますよ」
   「辰吉さんは知らないでしょうが、亥之吉さんもお化けが怖いのです」
   「俺よりも、三太兄ぃの方が親父の息子みたいですね」

 それから十日ばかり才太郎の元に居て、その間に卯之吉の店と、小諸の斗真を訪ね、三太郎養生所の皆と別れ、辰吉は守護霊新三郎と共に大坂へ向かった。


  「第十七回 越中屋鹿衛門」  -続く-  (原稿用紙15枚) 

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十六回 辰吉の妖術 

2015-05-23 | 長編小説
 辰吉と、才太郎を背負ったどこの誰か分かもらないおっさんは、鵜沼の宿に差し掛かった。辰吉が山を見て感慨に浸っている。
   「どうした辰吉、何を考え込んでいる」
 喋る声は、おっさん。言っているのは新三郎である。
   「うん、新さんはここで死んだのだろ」
   「忘れていたが、そうだ」
   「ちょっと寄って、花を手向けていきたい」
   「よせよせ、あっしはここに居るし、墓は江戸の経念寺にあるのだから」
   「でも、新さんの最期を思い、手を合わせたい」
   「あっしがここに居るのに?」
   「新さん、粋でいなせで、強かったのだろうなと」
   「あのね、死ぬ時というのは、哀れなものですぜ」
   「ばったり倒れて、コトンと死ぬ…」
   「いや、とどめを刺されないと、苦しんでのたうち回り、時間をかけて死んでいくのだ」
   「そうなの?」
   「そうだよ、さ、先を急ごう」
   「うん」

 好天続きで、木曽路の難所太田の渡しは快適に渡り、伏見の宿あたりで背中の才太郎を辰吉に引き継いだ。
   「もしもし、おじさん、こんなところで寝ていると風邪を引きますぜ」
 道の橋で倒れていたおっさんの意識が回復した。
   「えっ、わしはこんなところで寝ていましたか?」
   「はい、まだ日が落ちるには間がありますが、山犬にでも噛まれたらいけませんのでお起ししました」
   「ありがとう御座います、わし狐につまれたのか、行き先を通り越しております」
   「どこへ行かれるところでしたか?」
   「はい、鵜沼です」
   「この辺りは、悪い狐が出そうですね」
   「わし何にも悪いことをしていませんのに、ほんとうに悪い狐です」
   「どうぞ、お気をつけてお戻りください」
   「へい、有難う御座います」

戻って行くおっさんを見送って、辰吉は木曽路を急いだ。
   「新さん、あの人に悪いことをしましたね」
   『その分、辰吉が楽をしたのだから、あっしを責めるのは止してくだせぇよ』
   「新さんを責めてはいませんけど…」


 それから幾日か後、上田藩のご城下に着いた。とにかく才太郎の面倒を緒方三太郎先生にお願いして、その費用を稼がねばならない。

   「新さん、忘れていたが、又八は親分から預かった二百両をどうしただろう」
   『又八のことだ、正直に役人に届けたことでしょう』
   「そうだろうね」
   『惜しくなったのか?』
   「まあね」

 旅姿の商人らしい初老の男と、使用人らしい若い男の二人連れが、走って辰吉に追いついた。前へまわり辰吉の顔を見て拝むような仕草をすると、大慌てで笹藪の中に身を隠した。暫くして、三人の浪人風体の男が辰吉に近寄り横柄な態度で声を掛けてきた。
   「おい、今、男が二人逃げてきただろう」
   「へい、来ました、藪の中に隠れましたぜ」
   「そうか、この奥だな」
   「へい、そいつらは何をしたのです」
   「余計なことを訊くな」
  浪人たちが笹藪に踏み込もうとしたのを辰吉が遮った。辰吉は背中の才太郎をそっと下ろすと、笹薮に隠れた二人に声をかけた。
   「お二人さん、隠れていねぇで出てきなさい」
 「ガサッ」と音を立てて、初老の男が藪の中で立ち上がり、恨めしそうに辰吉を睨んだ。もう一人の若い男は、立ち上がることも出来ない程、恐怖に襲われているようであった。観念した商人風の男に促されて、漸く立ち上がったが、手足が震えて動けない。その顔は真っ青で、涙が溢れていた。

   「兄さん安心しな、この江戸の辰吉が、滅多なことでは手出しはさせねぇ」
 若い男は、辰吉のその言葉に気を取り戻したのか、辰吉の方へ一歩だけ踏み出した。
   「訳を言いなせぇ、どちらに非が有るのか分からねぇでは、俺はうっかり手出しができない」
 辰吉の言葉を聞いて、「しゃらくさい」と、三人は刀を抜いて辰吉に切っ先を向けた。
   「兄さん、何も言わねぇでも分かりやした、この浪人共が悪そうだ」
 辰吉は六尺棒を構えた。
   「話は後で訊くぜ、藪に戻って動かずに待っていなせぇ」
 商人と連れの若い男が隠れると、直ぐに浪人の一人が叫んだ。
   「おい、貴様気でも狂ったか、それとも目が見えなくなったのか」
 浪人の一人が、切っ先を仲間の浪人に向けたのだ。
   「止めろ、止めんか」
 だが、次の瞬間、一人の浪人が浪人の一人を刀の峰で倒していた。後の一人は、驚きながらも構わずに辰吉に斬りかかってきた。
   「おっと」
 辰吉はその切っ先を避けると、力任せに男の肩を叩いた。「ドスッ」と鈍い音がして、男の顔面は苦痛に歪んだ。
   「新さん、いざ勝負!」
   『遊んでいる暇はない、早くあっしを打ちのめさねぇか』
 仲間を討った浪人が笑いながら言った。
   「そんな、無防備でニタニタ笑っている男を、討てないよ」
   『そうか、ではこれではどうだ』
 男は、いきなり辰吉に斬りかかった。辰吉は、反射的に、敵を倒していた。

 辰吉が藪に向かって声をかけた。
   「お二人さん、もう大丈夫ですぜ、出てきなせぇ」
 ガサガサッと、笹を分ける音がして、若い男が初老の男に支えられてでて来た。
   「お前さん、若いのにだらしがねぇぜ、しっかりしなせぇ」辰吉は若い男に言った。
 若い男は、倒れている三人の浪人を見て、漸く安堵したのか、顔に血色を取り戻した。
   「こいつ等は皆、骨折しているようだから、もう後は追ってきません、安心して訳を聞かせて戴きやしょう」

 この二人は、信州上田の城下で米問屋をしている越中屋鹿衛門と、そのお店の手代、友吉と名乗った。昨年、天候不良が続いた影響だとして、信濃国一帯で米の値段が上がり続けた。米問屋の主が集まり「仕方がない」と、更に米の値段引き上げを申し合わせたのだが、天候不良で不作は嘘で、各問屋が備蓄米を隠し、故意に値段を引き上げているのであった。鹿衛門はこれに断固反対し、仕入れた米を安く売続けた。
 当然、問屋仲間の陰湿な妨害が続き、鹿衛門は意を決して、庶民に温情あると名高い上田藩主松平兼良に訴え出て調べて貰い、周りの藩主にも調査を促して欲しいと入牢覚悟で上田城に向かったのだが、問屋仲間の知るところとなり、刺客を差し向けられたのであった。

   「よく分かりました、俺も上田藩のご城下へ行くところです、無事に上田のお城までお護りしましょう」
 鹿衛門が、はじめて辰吉に心を許した。
   「有難う御座います」
 三人の浪人に追われている時は生きた心地がしなかった友吉が、嬉しそうである。歳を訊くと、辰吉よりも三つ年下で、忠義者だが気が弱い、未だ幼さの残る少年であった。
   「旅人さんは上田のご城下へ、どのようなご用で行かれるのですか?」
 友吉も、辰吉に話しかける余裕が出てきた。
   「うん、この才太郎を知り合いのお医者先生に預けるためだ」
   「足首の骨を折られたようですね」
   「そうなのだ、長い間痛い思いをさせたのに、痛いとも、辛いとも言わないのだ」
   「強いのですね」
 才太郎は、辰吉に気兼ねをしているのだ。「強い」と言われて、ますます「痛い」とは言えなくなった才太郎であった。
   「才太郎、随分遠回りをして悪かったが、もう少しの辛抱だ」
   「うん」
   「佐貫三太郎先生…、違った緒方三太郎先生だ、優しいぞ」
   「早く逢いたい」
 辰吉は才太郎のその言葉を聞いて、「辛い」のを我慢しているのがよく分かった。その時、鹿衛門が何かに気付いたようだ。
   「もしや、佐貫三太郎さんとは、佐貫慶次郎さまのご子息ではありませんか?」
   「おや、ご存知でしたか、その通りですよ」
   「上田藩の佐貫慶次郎さまと言えば、お殿様への忠義心の篤いことで、知らないものは居ません」
   「そうなのですか」
   「貴方様は、三太郎さまのお知り合いですか?」
   「俺の父が、三太郎先生の友達です」
   「三太郎さまも、お医者様ながらお父上の跡をしっかり引き継いで、剣と医で藩侯に忠義を尽くされておられるそうです」
   「佐貫さまのことをよくご存知なのですね」
   「そればかりか、あなたのお父様のお名前も存じているかも知れませんよ」
   「へー、親父も信州で有名なのですか?」
   「はい、多分ですが、池田の亥之吉さん、またの名を江戸の福島屋亥之吉さんではありませんか?」
   「わぁ、当たりです」
   「そうでしょう、その六尺棒が決め手です」
   「恥ずかしい、親父の棒は天秤棒なのです」
   「よく存じております、何が恥ずかしいことがあるものですか、実は私、以前に亥之吉さんに命を助けられたことがあるのです」
   「親父から、そのような話は聞いたことがありません」
   「奥床しいですね」
   「ははは、奥床しいと言うよりも、忘れっぽいのですよ」

 長閑に、そんな話をしながら上田に向かっていると、行く手から大勢の男達が走ってきた。賊は、一言も発せず辰吉たちを取り巻いた。どうやら鹿衛門の顔は知っているようで、命が狙いのようである。
   「何だ、何か用か」
 辰吉は百も承知ながら訊いた。賊は無言の儘で匕首を鹿衛門に向けた。
   「問答無用か、この方を米問屋越中屋の主人と知っての襲撃のようだな」
 言いつつ、族の人数を数えると十一人であった。これでは辰吉もおいそれと飛び込んでくるのを待ってはいられない。
   「俺は使いたくはないが、この人数では仕方がないので妖術を使う」
 辰吉は六尺棒を構えると同時に、賊の先導者とみられる男に目を付けた。その男を棒で指して叫んだ。
   「お前が先導者だな、くたばれ!」
 一瞬の間があって、男がバッタリ倒れた。残りの者は、「おぉ」と声を漏らし、たじろいだ。
   「次はお前だ」
 辰吉は、賊の中で一番の血気盛んそうな男を指した。間、髪を容れずにその男が倒れた。残りの者は、一歩後に下がり、辰吉が言った「妖術」の威力を恐れているようであった。辰吉は、一瞬の敵の隙を突いて攻撃に出た。
   「とりゃ」
 大袈裟な辰吉の掛け声と六尺棒の技で一人、また一人と男が倒れ、残り五人となったとき、最初に倒れた先導者と見られる男の気がついた。周りを見回して「キョトン」としている。

   「命は取らずにおいた、有り難く思え!」
 言うが早いか、残りの五人の内、辰吉は気の弱そうな男に向かって行った。辰吉の思惑通り、男は逃げた。辰吉がその男を執拗に追いかけると、追い掛けられ男は、とうとう悲鳴を上げて逃げ惑った。残りの者たちに恐怖心を植え付ける為だ。

 残りの四人は逃げて行き、立ち止まって振り向いている。鼬などの小動物が追い掛けられたとき、安全なところまで逃げると立ち止り、振り返って様子を伺う、あの動作だ。
ポコポコと、倒れていた男の気がつき始める。
   「今は、命までとろうとは言わない、だがまだ鹿衛門さんを襲うなら、二度と容赦はしない、帰って首謀者に伝えるがいい、鹿衛門さんは江戸の辰吉が護り通すと」
十一人もの男が、辰吉一人に追い払われて逃げていった。鹿衛門と友吉は、辰吉がとてつもなく頼もしいと思えた。

   「辰吉さん、妖術が使えるのですか」
   「嘘ですよ、相手は十一人、こちらは一人、ハッタリをかますのも戦術ですよ」
   「でも、手を使わずに敵を倒したではありませんか」
   「こちらの陽動作戦に陥りやすい人間が居るのです、俺の妖術という言葉を聞いただけで術にかかったような気になるのです」
   「へー、よくわからないが、すごいものですね」

 なんとか、誤魔化せたかなと思う辰吉であった。


  第十六回 辰吉の妖術   -続く-  (原稿用紙15枚)


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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十五回 ちゃっかり三太

2015-05-15 | 長編小説
 三太、辰吉、又八の三人と、守護霊新三郎は、揃って彦根一家の戸口に立った。殴り込みに備えて準備万端、三太たちを待ち構えているのか、静まり返っている。うっかり戸を開けると、一斉に飛びかかる算段であろう。又八を戸口の横へ退避させ、三太と辰吉が戸の両脇に立ち、「トントン」と叩いてみた。返答が無い。引き違い戸を二人が呼吸合わせて「セーノ」で開くと、どうしたことだろう子分たちは目を回して倒れている。その一番奥に親分が呆然と立ち、その前で若い旅人風の男が長ドスを構えて親分を護っている。
   「来るな! 親分に近づくと斬る」
 見るからにヘナチョコ若造の癖に、度胸満々で威勢を張っている。
   「どうした」
 三太が若造に尋ねた。
   「わからん、突然仲間討ちが始まって、みんな倒れた」
 若造も何が何だか分からない様子である。だが、三太と辰吉には分かったらしい。
   「三太兄ぃ、これは…」
 三太は笑って頷いた。その辰吉が言った「三太」に、若造が反応した。
   「三太さん? もしや…」
   「わいを知っているのか?」
 三太の顔を繁々と見つめていた若造が驚きの声を上げた。
   「やっぱり、三太さんだ、江戸の三太さんだ」
   「江戸の?」
   「そう、京橋銀座、福島屋へ奉公に上がった三太さんだ」
   「わいは今浪速に戻っているが、その通りだ、だがお前さんに憶えがない」
   「三太さんに無くとも、おいらははっきり憶えています、それ、七里の渡しで…」
   「ん? 十何年も以前のことか?」
   「おいらは寛吉(かんきち)と言います」
 三太と同じか一つ二つ下であろうその若造が、目を輝かせている。
   「もしや、あの時の…」
   「そうです、海に落ちて溺れているところを三太さんに助けて貰った寛吉です」
   「へー、奇遇やなぁ、それでおっ母さんは元気なのか?」
   「三太さんに助けてもらった上に小判まで貰ったと、折につけ江戸の方に向かって手を合わせていましたが、一昨年に流行病で死にました」
   「そうか、亡くなられたのか」
   「その後は、ご覧の通りのやくざ渡世の渡り者です」
   「どうして、江戸へわいを訪ねては来てくれなかった」
   「三太さんは堅気の衆、こんな渡世の男がノコノコ顔を出せるものですか」
   「そんなことがあるものか、わいは大江戸一家や、京極一家ともお付き合いさせて貰っていますのや」
   「そうでしたか」
 三太と寛吉がそんな話をしていると、目を回していた子分達がモソモソ動きだした。気が付き始めたのだ。辰吉がその男達の頭を「ポコンポコン」と棒で叩いて回っている。
   「三太さん、不思議なことがあるのです」
   「どうした?」
   「子分たちみんなで殴りあっているのに、おいらには誰もかかってこないのです」
   「憶えていたらしいですね」
   「誰が?」
   「あっ、いやええのや」
 新三郎が憶えていて護ったのだ。
   「寛吉さん、この一家の子分ですかい?」
   「いえ、たまたま世話になった旅鴉でござんす」
   「一宿一飯の恩義で、命を張りなすったのか」
   「へぃ、意地と義理との世界に生きる者として…」
   「およしなさい、こんなケチな親分の為に命を張るなんて、賢い男のすることやない」
   「ケチなのですか?」
 辰吉が、ツツっと寛吉に近付いた。
   「そうよ、将来を言い交わした男が居る又八の姉さんを、自分の女にする為に罪のない子分の又八を嵌めて殺そうとしたのですぜ」
 気がついて頭を擦っている子分どもにも聞こえるように、辰吉は親分の魂胆を全部明かしやった。
   「可愛い子分を騙し討にするなんて」
   「そうだろ、コイツ等も、いつ殺されるかも知れねぇのだ」
 子分たちがざわついている。
   「又八が二百両盗んでトンズラしたって言うのも嘘だったのだ」
 子分たちも可怪しいと思っていたのだ。母親と姉が一家の近くに住んで居るというのに、盗みを働いて逃げ出せば親娘が責められるのは又八にも分かっていた筈だ。親思い、姉思いの又八がすることとは、どうしても考えられなかったのだ。
   「やはりな」
 子分たちに、ようやく納得がいけたようだ。子分たちは、二人出ていき、また三人出ていきして、誰も居なくなった。残された仁王立ちの親分がその場に崩れた。ようやく子分が去ったことに気が付いたのか、嗄れた声で呟いた。
   「何が起きたのだ」
 子分の誰かがタレ込んだのであろう、その日、親分は代官所の役人に縛られて連れていかれた。何の罪かは三太たちに分からないが、その後、親分は二度とこの家の敷居を跨ぐことはなかった。
   「又八、これからどうする?」
 辰吉が尋ねた。
   「へい、おふくろと姉を守って、百姓をします」
 
三太と辰吉は、又八の家まで送って行った。三太は又八の母親に用があるらしく、何やら話し込んでいるが、辰吉は才太郎を背負って又八に別れを告げ、三太と寛吉よりも先に家を出た。

   「わいは、お蔦さんと夫婦になると誓い合ったのや、浪速に店を構えて独り立ちしたら迎えに来ますよって、それまでしっかり護っていてくださいよ」三太は「なぁ」と、お蔦を見た。お蔦は恥ずかしそうに下を向いて頷いた。
 「旅先で持ち合わせがないのやが、これ支度金の一部や」
 三太は、裸のままの十両を母親に渡した。

 三太と寛吉も、又八と親娘に別れを告げると、辰吉の後を追った。
   「寛吉さんは、行く宛が有るのですか?」歩きながら三太が寛吉に尋ねた。
   「ありません、風の吹くまま気の向くまま、三太さんが居なくなって寂しいが、お江戸の方に向かってみようと思います」
   「ほんなら、わいの居る浪速へ来んかいな、わいが店を出したら、一番番頭にしてやります」
   「おいらが堅気のお店で番頭になるのですか?」
   「そうや、その気はありませんか?」
   「いけませんや、おいらは『いろは』のいの字を、どこから書くのかも知らない文盲です、番頭なんか勤まりませんや」
   「そんなものは習えばよろしい、何ならわいが手厳しく教えてあげます」
   「本当ですか、おいらがこの世界から脚を洗ったら、おっ母があの世で喜ぶだろうなぁ」
   「よっしゃ、それまで京極一家に預けておきましょう」
   「えっ、あの京極一家ですかい、光栄です」
   「光栄って、そのままずっと居座る積りと違うやろな」
   「居心地がよかったら、気が変わってそうなるかも知れません」
   「やっぱり、京極一家に預けるのは止めておきますわ」
   「あっ、変わりません、変わりません」

  三太は寛吉と話ながら歩いていて、「はっ」と気付いた。辰吉と才太郎が居ないのだ。
   「あれっ、どっちに行ったやろか?」
 どうやら、三太が又八の家で話し込んでいる間に、また北陸街道を北へ向かったらしい。
   「まぁいいか、新さんがしっかり護ってくれているのが分かったことだし」
 だが、肝心なことを一言も伝えていなかったことに気付いた。一つは、辰吉が役人に追われる身ではないこと、もう一つは父親の亥之吉が江戸のお店を一番番頭に譲り、辰吉の母親や兄弟ともども浪速に戻ったことだ。
   「迂闊だった、坊っちゃんは、何処を目指したのやろか」
 それさえも、聞くのを忘れていたのだ。
   「たしか、才太郎を浪速の診療所へ連れて行くとか言っていたような気がするが…」
 それならば、何の問題もない。浪速に向かう道のどこかで、待っているかも知れないと、三太は少し急ぎ足で辰吉を追い掛けようと思った。


 辰吉に出会わないまま、京極一家に着いた。京極一家の舎弟が、三太を見るなり少々腹立て気味にいった。
   「こら三太、うちは寄せ場やあらへんで」
   「どうかしましたか?」
   「どうもこうも無い、胡散臭いヤツを二人も送り込みよって」
   「あの、浪人者ですか?」
   「そうや、剣の腕はヘナチョコで度胸はないし、薪割りも飯炊きも出来ない、ただ威張るだけや」
   「えらいすんまへん、それでどうなりました」
   「どうもこうもあるかいな、賄いの金を十両盗んで、逃げてしまいよった」
   「わぁ、これはえらいことをした、親分カンカンに怒っているやろな」
   「金は三太に弁償してもらえと、親分怒っていなさるわ」
   「今、持ち合わせがないけど、必ず利子つけて返します」
   「そうか、ほんなら、親分のところへいって謝ってきなはれ」
   「先代の親分は、こころの広い優しいお方でしたね」
   「こら三太、今の親分は違うと言うのか」
   「いやいや滅相な、そうは言っていません」
   「ほんなら、それをそっくり親分に言うてみなはれ」
   「言えません」
 
 三太は畳に手をついて親分に謝ったが、信用を無くしてしまったようだ。
   「へぇ、ところでもう一つ頼み事がおます」
   「まだかいな、ほんまにうちは寄せ場やないのやで」
   「へぇ、分かっています」
   「それで頼み事とは何や」親分はジロリと寛吉を見た。
   「わいが独り立ちするまでの間、この寛吉の面倒を見てやってほしいのです」
   「ほら、舌の根が乾かないうちに、また寄せ場送りや」
   「この寛吉さんは、義理に厚く度胸のいい男です、わいがお店を持ったら、この寛吉さんを一番番頭として引取り、立派な商人にしてみせます」
 三太は、彦根一家の出来事で、一宿一飯の恩義に報いるために、必死で親分を護っていたことを話した。
   「わかった、引き受けてやる、そやけど寛吉の気が変わって商人なんか嫌や、京極一家で立派な侠客になると言い出したら、お前には返さへんで」
   「仕方がおまへん、そうなったら諦めます」
   「ほんまやな、よし、儂が立派な渡世人に育てて、背中に刺青も入れさせてやる」
   「あかんがな、寛吉さん、彫り物なんかしたらあきまへんで」
   「へい」
   「若い時に弁天さんの刺青を入れても、寛吉さんが歳をとったら、弁天さんが砂かけ婆ぁになってしまいますのやで」
   「こら三太、儂の背中に弁天の彫り物があるのを知って言うとるのやろ」
   「知りまへん、知りまへん」
   「嘘をつけ、ほんなら今晩親分子分の杯を交わそうかな、寛吉」
   「へい、有難うござんす」寛吉、頭を下げる。
   「あかんがな」

 三太は、もとの奉公先相模屋に戻って、独り立ちの構想を練るつもりだが、どうやら相模屋長兵衛から暖簾分けをして貰い、福島屋亥之吉にも出資してもらう算段らしい。ちゃっかり三太の腕の見せどころである。


 そのころ、辰吉は中山道にゆく手をとり、信州は上田藩の使用人と下級武士専門の藩医兼町医者である緒方三太郎のもとを目指していた。背中のもと越後獅子、才太郎の面倒を見て貰う為だ。
   「わい疲れて来た、新さんまた助っ人の用達を頼むよ」
   『よしきた』

   第十五回 ちゃっかり三太  -続く-  (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十四回 三太辰吉殴り込み

2015-05-11 | 長編小説
 嘗てのチビ三太、天秤棒を武具とする池田の亥之吉の一番弟子、三太が又八の実家に着いた。小さな田畑に囲まれたあばら家である。牛小屋は無く、鶏や兎を飼っていたようであるが、食ってしまったのか籠や小屋はもぬけのからである。
母屋の戸はピッタリと締められ、空き家のように静まり返っている。三太は戸を叩いてみたが返事は無い。
   「もし、お蔦さんはおいでですか?」
 人の気配はない。もしや殺された、それとも夜逃げでもしたのかと、三太は心配になってきた。
   「わいは怪しい者ではおまへん、又八さんの友達です」
 又八という名に反応して、「カサッ」と音がしたように思えた。
   「わいは、江戸の福島屋という店の番頭です、又八さんに頼まれてやって来ました」
 やはり反応はない。
   「失礼して、開けさせて貰いまっせ」
 戸は支え棒が効いていて開かない。なお力を込めて開けようとしたら、「カラン」と音がして支え棒が倒れた。戸を開けて中に入ると、男が飛び出してきて、いきなり平伏した。
   「堪忍してください、どうぞ娘を連れて行かないでください」
 男は、お蔦の父親のようであった。父親に続いて、お蔦が決心したように顔を見せた。
   「お父さん、もういいのです、私は親分さんの妾になります」
   「何を言うのだ、お前には伝六という末を誓った男がいるではないか」
   「捨てられました、弟が盗人だと知らされたとたんに、冷たくされるようになったのです」
   「又八は、貧乏に負けてやくざにこそ身を窶したが、他人の物を盗むような子ではない」父親が三太に訴えた。
   「きっと何かの間違いです、信じてやってくださいと何度も頼みましたが、もう口も利いてくれないどころか、逢ってもくれなくなりました」お蔦が溜息を一つついた。
   「そうか、お前はもう諦めるのか」
   「はい、親分さんの妾になって、弟を代官所に突き出さないように頼みます」
   「そうか、お前も不憫な娘だ、不甲斐ない父を許しておくれ」
 母親の忍び泣きが、嗚咽にかわった。
   「親分のお使いの方、どうぞ娘を連れて行ってください」
   「違う、違う、お蔦さんを連れにきた使いの者やなくて、助けに来たのです」
   「本当に又八の友達ですか」
   「まだ一回しか会っていないので、友達言うのは嘘ですけど、旅先で又八さんの命を護っている辰吉という男が、わいの師匠の息子ですわ」
   「又八は、命を狙われていますのか?」
   「そうですがな、狙っているのが彦根一家の親分でっせ」
   「それは何故です?」
 三太は、親分の企みを全て話して聞かせた。
   「そやけど安心しとくなはれ、辰吉がしっかり護っています、辰吉は師匠の息子だけあって、腕も度胸も備わった強い男です、」
 男は三太の言葉を聞いて安心したようであった。三太はお蔦の顔をみて、その中々の美形に惚れたのか、雄弁になってきた。
   「お蔦さんは、わいがしっかり護ります、任せておいてください、やくざの五人や六人が束になってかかってきても、この棒一本で叩きのめしてやります」
 天秤棒を見せた。家の中でなかったら、ブンブン振り回して見せたところだろう。
   「それに、代官なんか怖くはおまへん、わいには上田藩や亀山藩や神戸藩に知り合いがいます、亀山藩は藩主と知り合いですわ」
 しっかり虎の威を借りるところなどは、師匠の亥之吉譲りというところか。

 彦根一家に脅されて表に出られず、ろくに食べ物を口にしていないのではないかと、途中の旅籠で作ってもらった塩結びをお蔦と両親の前に差し出すと、「その通りです」と、涙ながらに頬張った。
 又八たちが戻って来るまでに、三太は食べ物を買い込みに出て行った。いつ彦根一家の子分たちが来るか知れないので遠くまでは行けず、近所の農家を回って米と味噌を買い込んできた。

 その日の夕刻、案の定四人の子分たちがやってきた。
   「お蔦、親分がもう待てないと言っていなさる、まだ嫌だというのなら、又八を代官所に訴え出て、お縄にしてもらうそうだ」
 そうなれば、又八は二百両を盗んだ罪で捕らえられ、磔獄門(はりつけごくもん)の刑に処せられると、脅しにかかっている。
   「言うことは、それだけか?」
 裏に居た三太が表に周り、子分達の後ろから声をかけた。
   「誰でぇ、てめぇは」
   「わいか、わいはお蔦ちゃんの許嫁や」
   「嘘をつけ、お前なんか見たことねぇぞ」
   「たった今、言い交わしたのや、なぁお蔦」
 お蔦が頷いた。
   「それ見ろ、嘘なものか」
   「お蔦は、うちの親分の女だ、どこの馬の骨かわからん奴に渡せるものか」
   「そうか、それならここ二・三日中に、親分に挨拶に行くわ、帰って親分に言っとけ」
   「バカぬかせ、これが黙って引き返せるものか、生意気な口が叩けぬようにしてやろうぜ」
 四人は、手に、手に匕首を握り、切っ先を三太に向けた。
   「わいを怒らせたら、痛い目に遭うで」
   「煩せぇ、黙らせてやる」
 一人の男が三太の懐に飛び込もうとした時、三太は二歩飛び下がって男の右上腕を打ち据えた。男は「ひーっ」と悲鳴を上げて、匕首をその場に落し、ふらふらっと蹌踉めきながら五・六歩下がってしゃがみ込んだ。
   「次、誰や?」
 三太は三人の男を見回したが、匕首を突き付けているものの、飛び込んでくる様子はなかった。
   「じゃまくさいから、三人一遍にかかってきやがれ」
 三太は六尺棒を頭上高くで回転させた。
   「憶えておけ」
 三人の男は、捨て台詞を残して走り去った。上腕を打たれてしゃがみこんでいた男も、落とした匕首を拾うと、三人の男たちに続いた。


 辰吉たちは三太に遅れて、二日後の昼前に戻ってきた。才太郎も痛みに耐えて、意外と元気な
顔をしている。辰吉の励ましと手当が、功を奏しているようである。
   「遅かったやないか、何を愚図々々しておったのや」
   「ここ何日か月夜だったから、兄ぃは夜駆けしたのだろ」
   「まぁな」
   「それでお蔦さんは無事だったのか?」
   「ああ、今、畑に野菜を採りに行っている」
   「独りでか?」
   「ああ、すぐ近くやさかい、大丈夫やろ」
 三太ともあろう者が何と迂闊なと、辰吉は腹がたった。慌てて飛び出そうとした辰吉を三太が止めた。
   「坊っちゃん、この縁側に来て寝転んでみなはれ」
   「何?」
   「お蔦ちゃんが菜を摘んでいるのがよく見えていまっせ」
 別に寝転ばなくでも、まる見えである。
   「本当だ、良かった」
   「今なぁ、又八さんのおっ母さんが、昼餉の支度をしてくれている、飯食ったら昼から殴りこみや、又八さん、覚悟しときや」
   「へぇ、有難うごぜぇます」

 昨日、三太の立ち回りを見た所為か、縁側から見えるお蔦の顔に安堵の笑みさえ窺える。
   「おーい、姉さん」
 又八が縁側から叫んだ。
   「又八、無事で良かった」
 三太から聞いていたので、もう心配はしていなかったようである。

   「又八さん、行くで」
 才太郎をお蔦と両親に預け、三太の掛け声に、三太、又八、辰吉の順に並んで家をでた。

 三人が彦根一家を目指していると、家の陰、木の陰、石灯籠の陰と、三人を見張っている者が二・三人見え隠れしている。
   「彦根一家の三下やな」
 三太が気付いて呟いた。
   「見るのやないで、知らんふりして歩け」
 その三下風の男の一人が、駈け出していった。一家に知らせに行ったようだ。

   「親分、来やしたぜ」
   「そうか、何人だ」
   「へぃ、又八を入れで三人です」
   「何だ、たった三人か、準備するまでも無いな、用心棒の先生に任せておこう」
 二人の浪人が親分に呼ばれて、何やら耳打ちされていた。
   「よし、分かり申した、任せておきなさい」
   「これは酒代です、三人共殺ってくだせぇ、後始末は子分どもにさせます」
  途中まで出て、又八たちを迎え討つらしい。二人の浪人は、小走りで出て行った。

   「止まれ!」
 三太達の前に、二人の浪人者が立ち塞がった。
   「何や? 何者ですかいな」
   「お前らに恨みを持つものではない、金で頼まれ申した、ここで死んで貰う」
   「嫌やと言ったら?」
   「嫌も糞もない」
 浪人二人が刀を抜いて構えた。
   「何や、たいした使い手でもなさそうやなぁ」
   「何をぬかすか、この若造が」
 一人の浪人が刀を両手で持って、三太をめがけて飛び込んで来たのをヒョイと交わして天秤棒で尻を思い切りビタンと叩かれると、浪人は及び腰で前に五・六歩進み、ベタンと前に倒れた。
   「わっ、カッコ悪い倒れ方や」
 嘲笑う三太に、もう一人の浪人が斬りかかったが、後ろから辰吉の棒で尻を突かれて、これもベタンと倒れた。
   「のびた蛙みたいや」
 嘲笑われて頭にきたのか、二人は立ち上がって落とした刀を拾うと、離れて立つ三太と辰吉に、それぞれ刃を向けた。三太は自分に向かってきた浪人の刃を横に交わすと、辰吉に刃を向けている浪人の後ろから頭をポコンと叩いた。辰吉は三太に叩かれて怯んでいる浪人を交わすと、三太に向い空振りをした浪人の後ろから頭をポコン。二人の浪人は、その場に座り込み、刀を置いて頭を擦っている。

   「おっさん達、まだかかってくるか?」
   「すばしこい猿め、手古摺らしやがって」
   「かかってくるのなら早く立て、今度は手心加えへん、利き腕の骨を砕いてやる」
   「若造だと思い油断しただけだ、お前らこそ念仏でも唱えておけ」
   「やめとき、腕の骨を折られたら、もう用心棒は出来へんで」
   「喧しい」
   「そんな弱い腕で用心棒なんかしていたら、直ぐに殺されて川に捨てられるわ」
   「そうだろうか」
  何とあっさり三太に乗せられている。
   「そらそうや、腕の骨を折られてから考えても、後のまつりや」
   「わしらに、どうしろと言うのだ」
   「あのな、わい京極一家に馴染みがありますねん、あそこへ行って池田の亥之吉の一の子分、三太さんに聞いて来たと言えば、あんじょうしてくれはります」
   「子分になるのか?」
   「清水一家の大政さんも、元お侍さんです」
   「そうか、行ってみるか」
 もう一人の浪人は、「なぁ」と同意を求められて「うん、うん」と、頷いている。


   「三太兄ぃ、口達者だなぁ、丸め込んでしまった」
 浪人達と別れて、彦根一家に向かいながら、辰吉が呟いた。
   「ほんまに腕の骨を折ってやろうと思ったのやが、その後あのおっさん達はどうやって生きて行くのかと考えたら、哀れに思えて来たんや」

 またも、彦根一家の三下が、見え隠れに様子を伺っていたが、全部走り去って行った。親分にご注進というところだろう。
   「次は、どんな手を打って来るやろ」
   「大勢を集めて、一斉に襲ってくるかも知れない」
 さすがの辰吉も、少々ビビっているように見える。
   「辰吉坊ちゃん、気が付かなかったか?」
   「何を?」
   「新さん居るか?」
 辰吉が新さんに呼びかけているようだが、応答がない様子である。
   「ほれ、新さん居ないやろ」
   「うん」
   「あの三下の誰かに憑いて行ったのや」

  第十四回 三太辰吉殴り込み  -続く-  (原稿用紙15枚)

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猫爺のエッセイ「Romancer 第二弾」能見数馬

2015-05-03 | 長編小説
 猫爺の長編小説、シリーズ第一作の「能見数馬」を、Web book(Romancer)にアップしました。

 猫爺の連続小説の発端が「能見数馬」です。すべてはここから始まり、現在執筆中の「江戸の辰吉旅鴉」に続いております。

 ヒーローは、能見数馬に始まり、佐貫三太郎、捨て子の三太が佐貫三太郎を継ぎ、能見数馬を継ぎ、今は緒方三太郎という医者になっています。

 途中で、池田の亥之吉、佐貫鷹之助、チビ三太とヒーローを代えて、「江戸の辰吉…」では、池田の亥之吉の長男辰吉になっております。

 尚、捨て子の三太と、チビ三太は別人で、年齢も離れています。

 どうぞ、ブログ版ともども、宜しくお願い致します。(猫爺拝)

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十二回 辰吉に憑いた怨霊

2015-04-06 | 長編小説
 一足先に行った見知らぬ男と又八と才太郎を、辰吉とお駿が追い掛けたが、どこまで行っても待っている様子がなかった。見知らぬ男には、辰吉の守護霊新三郎が乗り移っているので心配はしていないが…。
   「あいつら、どこで待つつもりだろうか」
   「私らが気付かずに追い越してしまったのではありませんか?」
   「そうかも知れません」

 暫く様子を見ようと路端で休憩をしていると、二人を付けてきた訳でもなかろうが、縞の合羽に三度笠の男が声を掛けてきた。
   「旅人さんたち、どちらへ行かれるのです?」
   「加賀の国は小松まで、このお内儀を送って行きます」
   「先程から見ておりますと、お連れさんと逸(はぐ)れなすったようですね」
   「そうなのですよ、男ばかりの三人ですが、独りは背負われた子供です」
   「やはりそうか、その三人連れなら、四丁ばかり手前の'御宿すずめ'に子供と若い衆を預けて、男が一人血相変えて今来た道を引き返していきやした」

 そう言って暫くお俊をみていたが、はたと気が付いたように男が言った。
   「もしや姐さん、新太郎兄貴の女将さんじゃござんせんか?」
   「えっ、お前さん新太郎をご存知かぇ」
   「そうか、どこかで見たようだと思っていましたが、お俊さんでしたか」
   「それで、新太郎とはどこで…、新太郎は何処へ行くと言っていましたか?」
   「へい、兄貴には長浜で命を助けて貰いました、当てはないが江戸へでも行ってみようかと言っていました」
   「どこで新太郎と知り合ったのですか?」
   「姐さん、あっしですよ、兄貴の弟分です」
   「そう言えば、新太郎が可愛がっていた子供が居たねぇ」
   「それがあっしです、粟生の松吉です」
   「何年か前に家を飛び出して、上方へ行ったと新太郎から聞いております」
   「上方へ行くつもりが、持ち金を掏摸に盗られて野垂れ死に寸前に、長浜一家に拾われて子分にして貰いやした」

 子分と言っても下働き同然で扱き使われていたのだが、隣の一家の縄張りで堅気衆から銭を脅し盗ったと濡れ衣を着せられて私刑(リンチ)に遭った。長浜一家からは「恥曝し」と罵られ、見放された。
 松吉は、隣の一家の者たちに簀巻きにされて重石を付けられ、琵琶湖に沈められようとしているところに、葦原で野宿をしていた新太郎に助けられたのであった。
   「姐さん、こちらの兄さんは連れを探しに行かれるようですので、あっしが姐さんを小松まで送りましょう」
 お俊は、少し考えたが、思い切るように言った。
   「松吉さん、ちょっと待っておくれ、わたしは小松へ戻るのを一年延ばそうとおもいます」
   「どうされるのですか?」
   「江戸へ行きます、江戸へ言って亭主の新太郎を探します」

 会ってどうなるものではない。体を奪われ、体を売り、汚れてしまった自分は新太郎の女房に納まろうとは思わない。一目会って自分を捨てた恨みを一言いって、思い切り新太郎の頬をぶっ飛ばしたい。そして泣いて涙が涸れたなら、新太郎から三行半(離縁状)を受け取り、小松へ戻ってささやかな小料理屋でもやって独り生きていくと、お俊は語った。
   「松吉さんはどうするつもりですか?」
   「やくざはこりごりなので、小松へ帰ろうと思っていたのですが、姐さんさえよかったら、江戸まで付いて行って、兄貴捜しのお手伝いがしとうござんす」
   「松吉さん、ありがとう」

 ふたりの話を黙って聞いていた辰吉は、松吉の情を好ましく思った。ひょっとしたらこの二人、落ち着くところへ落ち着くのかも知れないと思ったのだ。
   「これでお俊さんのことは安心だ、俺は連れのところへ戻ろう」
   「辰吉さん、ありがとうございました、ひとまず小松へ戻って今後のことを考えます」
 お俊が頭を下げた。
   「お俊さんのことは、あっしが護ります」
 又八の言葉に、辰吉はにっこり笑って頷き、今来た道を'御宿すずめ'目指して戻っていった。


   「辰吉兄ぃ、心配しやした」
 又八が気を揉んでいたらしい。
   「才太郎を背負ってくれた男はどうした?」
   「辰吉兄ぃを心配して、姐さんを助けたところへ戻りました」

 新三郎はどうしたのだろう。ここで待っていれば戻ってくるのだろうか。辰吉は居ても立ってもおれず、宿を飛び出して行こうとしたが、新三郎が止めた。
   「なんだ、新さんここに居たのかい」
   『才太郎の中にね』
   「あの男はどうしてお俊さんを助けたところへ戻って行ったの?」
   『いや、あの男は京へ向かっていたらしい、わしは何故こっちへ歩いてきたのだと首を捻っていたよ』
   「あのね…」
 せめて、加賀、越中、越後方面へ行く人に憑いてほしいと、才太郎を背負わせた男に申し訳ないと思う辰吉だった。

 
 ここは大坂。お絹の父親である福島屋の隠居善兵衛がニコニコしていた。
   「そうか、いよいよお絹と亥之吉が孫たちを連れて大坂へ帰ってくるのか」
 福島屋圭太郎の妻お幸が、善兵衛の肩を揉みながら言った。
   「大旦那さま、大坂にもう一軒福島屋が誕生しますねぇ」
 大旦那は満足そうではあるが、不安材料もあるらしい。
   「亥之吉はしっかり者やが、女にだらしないところがあるから心配や」
   「誰がそんな告げ口をしたのです?」
   「お絹や、お絹が手紙に書いておった」
   「豪傑色を好むと言いますから、仕方がないことなのでしょうね」
   「あいつ、豪傑か?」
   「天秤棒を持たせたら、強いのでしょ」
   「まあな、そやけど、弱点もあるのやで」
   「何です?」
   「あのな、あいつが偉そうにしていたら、これを思い出し」
   「亥之吉さんは偉そうになんかしませんけれど」
   「あいつ、お化けが恐いのや」
   「へっ、お化けとは、一つ目小僧とか、ろくろ首ですか?」
   「そうや、そやから一人で旅に出ても、すぐに連れをつくりよる」
   「あはは、いい歳をして…」
   「なっ、おもろいヤツやろ」
   「へい」

 今朝も旅籠を出て、辰吉が才太郎を背負っているが、ものの一里も歩くと音を上げるのである。新三郎が気を利かせたのか、茶店の床几にどっかと腰を下ろした初老の男が辰吉を呼び止めた。
   「新さん、もっと若いのを捕まえてよ、お爺さんじゃないか」
 辰吉は、つい口に出してしまった。初老の男が「むっ」としている。
   「誰がお爺さんじゃ、子供を背負っているお前、ここへ来て座りなさい」
 男は易者らしく、筮竹を手に持っている。
   「お前には、怨霊が憑依しておる」
   「ええっ、怨霊ですか」
 辰吉は大袈裟に驚いてみせた。
   「間もなく、怨霊にとり殺されるであろう」
   「嫌だ、まだ為すべきことがある、死ぬわけにはいかにいのだ」
   「さもあろう、まだ若いからのう」
   「二十歳にもなっていないのだ、女も知らないし」
   「それは不憫じゃ、拙者が一両で除霊してやろう」
   「お侍さんは八卦見だけではなくて、霊媒師でもあるのですか?」
   「さよう、儂には霊が見えるのじゃ」
   「その怨霊は、男ですか、女ですか?」
   「女じゃ、おぬしは女を斬り捨てての兇状旅であろう」
   「ななな、なんと…」
   「図星であろう」
   「一両で俺の命が助かるのですか?」
   「そうじゃ、たったの一両で助かるのだ、安かろう」
 辰吉は懐の財布から一両を取り出して易者に渡すと、易者はなにやら怪しげな祈祷をした。
   「どうだ、背中の荷を下ろしたようであろう」
   「いいえ、まだ荷を背負っているようです」

 新三郎が不服そうである。
   『何でこんなヤツに一両も渡した』
   「路銀を使い果たして困っていたのでしょう」
   『あっしのことを、怨霊と言いよった』
   「あれは口から出任せで、新さんのことをいったのではないのでしょう」
   『辰吉、お金の無駄遣いをしてはいけない、騙されたふりをして一両ドブに捨てたのも同然だろう』
   「人助け、人助け」
   『辰吉はそれで気分が良いかも知れないが、これに味をしめて、また善良な旅人を騙すじゃないか』
   「そうかなぁ」
 
 易者が辰吉の背負っている才太郎を自分が背負って行ってやろうと言ってきた。
   「新さん、新さん、あれっ居ない、やはり易者に憑いたな」

   第十二回 辰吉に憑いた怨霊 -続く-  (原稿用紙11枚)

   「第十三回 天秤棒の再会」へ

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十一回 加賀のお俊

2015-04-03 | 長編小説
 次の宿場まで歩いていないのに、辰吉は音を上げた。
   「どこかで休憩しよう」
 守護霊新三郎が呆れて言った。
   『まだ一里しか歩いていませんぜ』
   「子供だと侮っていたが、重い、肩に食い込むのだ」
   『信州の緒方三太郎さんのところまで背負って行くと強がっていたのに、だらしがねぇですぜ』
   「なんとか、駕籠に乗り継いで行くよ」
   『そうか、金はイカサマで稼いだのがあるからな』
   「足りなくなったら、新さん頼む」
   『それは良いが、又八さんに代って貰えばいいじゃないですか?』
   「俺の雇い主だからな、代わってくれとは言えない」
   『二十両は受け取る気だね』
   「うん」

 休息をとっていたが、駕籠がみつかるところまで頑張ろうと歩き出し、暫く行くと遊び人風体の見知らぬ旅人が声をかけてきた。
   「おや、江戸の辰吉親分ではありませんか」
   「如何にも辰吉だが、お前さんはどなたです?」
   「ほら、あっしです、銀座福島一家の貸元、池田の亥之吉でござんす」
   「ん? 嘘だい、池田の亥之吉は、俺の親父だぞ」
   「まあ、固いことを言わずともいいじゃないか、あっしがその背負子を担ぎましょう」
 男は、辰吉たちが旅籠をとるまで、才太郎を背負って歩いてくれた。

   「池田の亥之吉さん、有難う御座いました、俺達はここで宿をとります」
   「そうかい、あっしはもう少し先まで歩きます」
 旅の男は、そう言って数歩いたところで足がフラついた。持ち堪えると、その場に佇み首をひねって考え、不思議そうに後を振り向いた。

   「辰吉親分、あの池田の亥之吉さんとお知り合いのようでしたね」
 又八が辰吉に尋ねた。
   「そうなのだ、銀座福島一家の貸元でね、俺の親父のような、違うような間柄です」
   「変な間柄ですね、あっしに体力があれば背負ってあげのだが…」
   「いいよ、おれの雇い主にそんなことはさせられない」

 辰吉は、気がついていたらしい。
   「新さん、有難う、お陰で楽が出来たよ」
   『いつ気が付いた』
   「そりゃあ、池田の亥之吉と名乗ったところです」
   『あはは、辰吉はきょとんとしていたじゃないか』
   「びっくりもしますよ、いきなり親父の名前が出てくるのだもの」
   『親父さんが恋しくなったかな?』
   「うん」


 その頃、江戸では福島屋のお店を一番番頭に譲り、亥之吉一家は上方へ戻る相談をしていた。
   「辰吉、今頃どこをうろついていますのやろ」
 お絹が、独り言のようにポツリと言った。
   「三太からの便りで、守護霊の新さんを付けてくれたさかい心配いらんと言っていたやないか」
   「そやかて、母親というものは、子供の顔を見るまで心配なものや」
   「可愛い子には旅をさせろといいます、文字通りの旅をさせておきましょうやないか」
   「へえ」

 交渉して一家で船に乗って大坂まで行こうと思ったが、お絹が船を怖がるので、お絹は駕籠を乗り継ぎ、ゆっくりと旅を楽しみながらの東海道中膝栗毛に落ち着いた。
   「有り難いやないか、三太は辰吉を庇って罪を被ってくれたというのに、辰吉は呑気に旅の空や」
 亥之吉が、ポツリと言った。
   「辰吉やかて、今頃お金が無くて苦労しているかも知れませんよ」
 お絹が言い返した。この調子で旅の間、辰吉の話が出ないことはなかった。
   「新さんが一緒なのに、何で三太が罪を被ってくれたことを辰吉に言ってくれないのやろか」
 今度はお絹が呟いた。
   「新さんは新さんの考えがあってのことやろ、幽霊さんに任せておきましょう」
 亥之吉が、明るく振る舞って言ったものの、亥之吉も不安なのである。


 ここは越前国、北陸街道を北に向かって歩きながら、辰吉が新三郎に話しかけた。
   「そろそろ、またあの手をお願いします」
   『まだ半刻も歩いていないのに、もう音を上げるのですかい』
   「うん」
 そのとき、辰吉たちを追い抜いて言った屈強そうな遊び人風体の男が、数間先で立ち止まったかと思うと、くるりと踵を返して戻ってきた。
   「あっしは、池田の亥之吉という者でござんす」
   「またかい」
   「重そうな子供を背負ってお困りの様子、あっしがお手伝いいたしやしょう」
   「有難うござんす、新三郎どん」
   「間違えねぇでおくんなせぇ、あっしは池田の亥之吉です」
   「そうかい、そうかい、池田の亥之吉どん」

 池田の亥之吉に才太郎を背負って貰い、更に二里も進んだだろうか、一台の駕籠とすれ違った。駕籠の周りには、駕籠舁きのほかに三人の男が付き添っている。その駕籠から、女の呻き声が聞こえた。
   「その駕籠、ちょっと待った」
 辰吉が反射的に声を掛けてしまった。
   「何だ、なにか用か?」
   「駕籠から呻き声が聞こえたが」
   「ああ、女房が道端で産気付いて、産婆のところへ行く途中だ」
 また、苦しそうな声が聞こえた。
   「なんだか、暴れているぞ」
   「早く行かねばならん、邪魔立てはしないでおくんなせぇ」
   「そうか、それは済まなかった」
 駕籠は行きかけたが、駕籠から縛られて猿轡をされた女が転がり出た。
   「こら、どこが妊婦だ、縛られているじゃねぇか」
   「煩え、こやつを黙らせようぜ」
 才太郎を背負った男は、知らんふりをして行ってしまった。辰吉は、又八にも「行け」と、目で合図を送った。
   「どうやら、拐かしのようだな」
   「なまいきな糞ガキめ、腕の一本でも圧し折ってやろうぜ」
 辰吉は新三郎が居ないので少し緊張したが、六尺棒は軽快に舞った。三人の男は倒したが、駕籠舁きが残っている。
   「お前らもかかってこい、足を折ってやるぜ」
 辰吉が構えると、駕籠舁きはその場に平伏した。
   「待ってくだせぇ、あっしらはただの駕籠舁きで、この男たちに雇われただけです」
   「そうかい、そうは見えねえが」
   「本当です」
 ところが、辰吉が気を抜いて、その場を立ち去ろうとすると、いきなり懐からドスを取り出した。
   「ほら、やはり仲間じゃねぇか」
 辰吉が六尺棒で駕籠舁きたちのあしを打ち据えた。
   「ぎゃっ」
 一人、また一人、その場に崩れた。

   「大丈夫ですかい?」
 女を縛っていた縄を解き、猿轡を外してやると、女は辰吉に寄りかかってきた。
   「危ういところを、有難う御座いました」
 聞けば、女はこの男たちに捉まり、散々弄ばれた末に、女郎に売り飛ばされるところだったと言う。
   「おんなの独り旅の訳は?」
   「わたしを独り残して『後は追うなと』旅に出た薄情鴉の亭主を捜しての旅です」
   「もう、諦めて帰りなさい、今回は命だけは取られずに済みましたが、いずれは殺されますぜ」
   「はい、わたしもそう思い、上方から生まれ故郷の加賀の国は小松へ帰る途中で男たちに襲われたのです」
   「お家は加賀ですか、ご亭主の名は?」
   「亭主は新太郎で、わたしはお俊と申します」

 伊勢の国は関の弥太八と言い、加賀小松の新太郎と言い、惚れてくれる女や女房がいるのに、どんな事情があって旅に出たのであろう。自分のように、やむを得ぬ事情があったに違いない。
   「俺たちも加賀国を通りますので、一緒に行きましょう、もうあのような目には遭わせませんよ」
   「ありがとうございます、国で亭主の帰りを待ち続けます」
   「それがいいですね」
   「ところで、お連れさんがおいでになったようですが…」
   「先に行きました、どこかで待っているでしょう」

   第十一回 加賀のお俊  -続く-  (原稿用紙11枚)

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十回 越後獅子

2015-03-22 | 長編小説

 辰吉が盆茣蓙(ぼんござ)を囲むのは二度目である。一度目は、真っ当な勝負で十両儲けた。これは只々ツキであった。今度は違う。イカサマで一儲けしょうと言うものだ。

   『暫く後ろで待って居なせぇ、丁の目が出た後が勝負に加わるときだ』
 守護霊新三郎が辰吉に指示を出す。

 進行役の中盆(なかぼん)の掛け声で、客はそれぞれ丁半に賭ける。
   「丁半どっちも、張った、張った」
 客が賭けた丁半のコマが揃うと、つぼ振りの出番である。
   「三六(さぶろく)の半、被(かぶ)ります」
 掛け声とともに、サイはツボ振りが持った笊(ざる)の中に投げ込まれ、笊は盆茣蓙の上に伏せられた。

 笊が開けられ、勝敗が決る。
   「四二の丁」
 勝者の安堵のため息と、敗者の気抜けのため息が入り交じる。ここで辰吉の盆茣蓙の囲み時である。辰吉と新三郎のイカサマとは、ここでツボ振りの生霊と新三郎が入れ替わるだけである。あとは辰吉が丁に張れば新三郎の技で丁を出し、辰吉が半と賭ければ半を出すだけなのだ。
 ツボ振りと、辰吉は守護霊新三郎の存在を知らない者から見れば何の繋がりもない。放っておけば賭ける客がいる限り勝てるのだが、ものは限度というものがある。辰吉の持ってきた一両が、三十両になったところで切り上げた。

   「客人、ツイとりますなぁ」
 些か、不自然でもある。疑われて然りではあるが、イカサマである証拠がない。ツボ振りは、貸元(親分)に向かって、済まなさそうな顔をした。このツボ振り、実は新三郎なのだが。

 流石に医者である。ぐったりしていた子供を、僅かな時間で少し元気を取り戻し、話ができるようになっていた。足首は膏薬で包まれ、晒と板切れでしっかり固定されていた。整骨も上手くいったようで、半年もすれば杖なしに歩けるようになるでしょうと医者が言った。まだまだ酷い痛みが続いている筈であるが、子供は一言も「痛い」と言わないそうである。

 少し子供から事情を聞いておこうと辰吉は思った。
   「名前は?」
   「才太郎」
   「何歳?」
   「八歳」 
 ぶっきらぼうだが、はきはきと答える。   
   「家はどこ?」
   「無い」
   「生まれは?」
   「越後の糸魚川」
   「お父さんは?」
   「死んだ」
   「お母さんは?」
   「死んだ」
 母は、才太郎が三歳の時に病で死んだそうである。その後、父は後添い(のちぞい)を貰ったが、才太郎が五歳の時に伝馬船(てんまぶね)で海へ漁に出かけて時化(しけ)に遭って死んだ。危険と分かっていながら、時化の日に漁をすると魚が高く売れることから、子供や妻にひもじい思いをさせまいと、無謀にも漁へ出掛けてしまったのだった。
 父の死後、義母は才太郎を「越後獅子」の親方に売り、行方不明になったそうである。

 越後獅子とは大道芸人で、例えは悪いが猿回しの猿のようなものである。子供にでんぐり返し(バック転等)や逆立ちをさせて往来の見物客から銭を貰うのである。
   「何をして足の骨を折ったのかい?」
   「芸の練習をしていて」
   「それで親方は?」
   「芸の出来なくなった獅子には用が無いと、置き去りにされた」
 酷い話である。置き去りにすれば死ぬかも知れないと分かっていて、壊れた道具のように捨てられたのだ。
 きつい訓練でこき使われて、死ぬほど辛い思いをしてきたのであろう。痩せた体と相手の目を見ずに話す癖が、それを物語っている。背中や尻には、撥(ばち=太鼓を叩くもの)で打たれたミミズ腫れが多くあるに違いない。
   「俺が見つけたからには、もうそんな辛い思いはさせないから安心して足を治そうな」
 才太郎は、「うん」と頷(うなず)いたが、決して嬉しそうではなかった。
   「おじさんに、お願いがある」
   「何でも言ってみな」
   「おいらを糸魚川の海まで連れて行ってほしい」
 辰吉は、首を傾げた。
   「身寄りはないのだろ、知り合いでも居るのかい?」
   「いや、お父と、お母のところへ行きたい」
 昨夜、足の痛みに耐えているとき、気を失う寸前に両親の夢を見たと言う。父は両手を広げて言った。
   「辛かったら、お父とお母のところへおいで、力いっぱい抱きしめてやるから」
 父のその言葉を聞くと、「すーっ」と痛みが消えて辛さも悲しさもなくなり、霞に包まれていったと、才太郎は語った。
   「おいらを、糸魚川の海に捨ててくれ、今は何もお礼は出来ないけれども、幽霊になっておじさんのところへお礼に来る」
 悲しいその願いは聞いてやれないと思いつつ、辰吉は答えた。
   「わかった、才太郎の願いを聞いてやろう」
   「おじさん、ありがとう」
   「だがなあ」
 辰吉は話を続けた。
   「お父とお母のところへ行くには未だ早過ぎる、これから努力して立派なおとなになった才太郎を両親に見せてやろうよ、その方が喜ぶと思う」
 才太郎は、小さい内から辛(つら)い思いをしてきただろう。それと比べたらこれからの努力なんぞ屁のようなものだと辰吉は思う。
   「俺には、信州にも江戸にも上方にも相談できる人がいるのだ」
 江戸には政吉と新平という兄弟同然の人や両親や友達が、上方には祖父母や叔父夫婦、信州にはこれまた兄同然の斗真と、卯之吉や緒方三太郎が居る。そして、誰よりも頼りになる「中乗り新三」こと守護霊の新三郎が居る。きっとその人々と霊が才太郎のことを考えてくれるだろう。自分は他人(ひと)任せの坊っちゃん鴉だが…。

 
 それから十日間、越後獅子の才太郎は医者のところで寝泊まりをして治療受けた。辰吉は旅籠に寝泊まりし、昼間は才太郎の看病にあたった。その間、又八は文句を言わず、親分に叱られる心配をするでもなく、おとなしく辰吉が旅に出るのを待った。

 辰吉は、才太郎の看病にかまけて、すっかり又八のことを忘れていた。
   「又八さん、ここで随分足止めを食わせてしまったが、親分に叱られるだけで済むだろうか」
   「あっしはそのことをずっと考えていたのですが、どうも腑(ふ)に落ちないことがあります」
 又八を追ってきた三人の兄貴分たちは、自分らの欲で又八を殺して金を奪う為ではないように思えてきたのだと又八は言う。やはりこれを命じたのは、親分であったのだろう。
 目的は、又八の姉お蔦である。姉には惚れ合って将来を約束した男が居る。男は大工の見習いで、棟梁から「筋がいい」と嘱望(しょくぼう)されている。双方の親たちも二人が夫婦になることを手放しで賛成しているのだ。この仕合せな二人に横槍を入れたのが彦根一家の親分である。
 親分は又八に命じて、又八の姉を自分の妾になるように説得してくれと命令されたが、又八は親から勘当された身であり「出来ない」と、きっぱり断った。それで親分は分かってくれたと思っていたのだが、その嫌がらせがこの使いだったのだ。嫌がらせだけではない。又八に二百両持たせて使いに出し、この二百両を又八が盗んだとして子分たちに追わせて殺害し、その損害を又八の親に弁償させようとしたのではないだろうか。
 又八の親がそのような大金を返せないことは分かっている。それなら、又八の姉をよこせと、二百両の代わりに姉を取る魂胆であろうと又八が推測した。

   「親分は執念深いお人だから、第二、第三の追手を送ってくるでしょう」
 又八は、辰吉と離れることは、即「殺られる」ことである。ここはどうしても辰吉に付いて行くしか道はないと、こころに決めた又八であった。
   「又八さん、どうやらその判断は正しいようだね」
   「はい、多分…」
   「俺達がここで留まっている所為(せい)で、第二の追手は俺達を追い越して加賀の金沢一家まで行き、又八さんが未だ来ていないことを知って、どこかで待ち伏せをするだろう」
   「おいらは、どうすれば良いのでしょう」
   「逃げているだけではお姉さんが危ないから、追手に立ち向わねばならないだろうね」
   「辰吉親分には迷惑ばかりかけて…」
   「用心棒を引き受けてしまったのだから、決着まで付き合うよ」
   「すみません」

 辰吉は、又八と才太郎という二つの荷物を背負込んでしまった。医者は才太郎に無理をさせないという条件で旅に立っても良いと言ってくれた。
   「歩かせると、接ぎかかっている骨が崩れてしまうのだ」
   「先生、わかりました、これから善光寺まで行かねばなりません、その後は、信州上田に知り合いのお医者が居ますので、暫く才太郎を預けます」
   「それが宜しかろう」
 医者は少し考えて、
   「信州上田のお医者とは、もしや緒方三太郎先生ではあるまいか」
   「えっ、三太郎先生をご存知ですか?」
   「奇遇じゃ、やはりそうであったか」
 この医者は、水戸の緒方梅庵のところで西洋医学を学んだ梅庵の弟子だと言った。
   「三太郎先生は、私の師梅庵先生の弟君だ」
 あの先生に任せておけば、才太郎君は、半年もすればまたとんぼ返りが出来るようになること間違いなしだと太鼓判を押してくれた。
   「三太郎先生にお会いされたら、医者の橘右近
がその節はお世話になりましたと言っていたと伝えてくだされ」

 辰吉は、医者の提案で背負子(しょいこ)に才太郎を後ろ向きに座らせて紐で括り、背負って行くことにした。背負子は、村の世話役に頼んで使い古しを手に入れて貰った。その代金も含めて、先に辰吉が医者に渡して置いた金子(きんす)で十分に足り、まだ余ったと幾らかを返してくれた。

   「気を付けて行きなさいよ」
 医者橘右近夫婦が、辰吉、又八、才太郎たちに、手を振って見送ってくれた。

  第十回 越後獅子  -続く- (原稿用紙13枚)
「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第七回 一宿一飯の義理

2015-03-08 | 長編小説

 辰吉は、鳥居本宿(とりいもとしゅく)から北陸街道を米原宿(まいばらしゅく)へ向かう積りを変更して、中山道を番場宿(ばんばしゅく)に向かった。まだ名前も訊いていない近江商人のお嬢さんとお店の番頭と共に三人連れである。
   「俺は江戸の辰吉だが、お前さん達は?」
   「あ、これは失礼しました、こちらは近江の造り酒屋、津ノ国屋のお嬢さんでお千花(ちか)さん、わたしは扇造(せんぞう)と申します」
   「それで?」
   「は?」
   「尋ねていく男の名前です」
   「名は伊吉、歳は二十一、身体つきは、がっしりとして長身です」
   「実家の場所の手掛かりはないのですか?」
   「さて?」
   「お寺の近くとか、神社とか、池とか川とか」
   「そうそう、子供の頃に蓮華寺(れんげじ)の境内でよく遊んだと話していました」
   「そこへ行きましょう」

 番馬の蓮華寺を訪れ、住職に伊吉と言う男を尋ねると「当寺の檀家、鴨ノ池の伊三郎の倅じゃ」と教えてくれた。
   「伊吉は近江の造り酒屋に奉公しておった真面目で正直な男じゃが、何を仕出かしたのか、くびになって帰って来よった」
   「その男に間違いありません、こちらは、伊吉さんが奉公していた津ノ国屋さんのお嬢さんと番頭さんです」
 辰吉は二人を紹介して、住職に話を訊いた。伊吉の実家は蓮華寺から近い農家の三男であった。

 大きな農家で、父は農業の傍ら「年寄」と呼ばれる庄屋を補佐する村役人も務める男である。
  
   「こちらに、伊吉さんと言う方がいらっしゃいますか?」
   「はい、倅ですが要件は何でしょう」
 伊吉の父親が怪訝(けげん)そうに訊いた。辰吉はペコンと頭を下げると、三人を代表して口火を切った。
   「とにかく、伊吉さんに会いたいのですが」
   「伊吉は庄屋のところへ行っておりまして留守なのです」
   「すぐにお帰りになりますか?」
   「この度、伊吉と庄屋の末娘の縁談がまとまりまして、その打ち合わせに行っております、いつ戻りますことやら」
 お千花が驚いているが、辰吉は構わずに紹介した。
   「こちらは伊吉さんが奉公していた先のお嬢さんで、お千花さんと言います」
   「これはお初にお目にかかります、その節は伊吉がお世話になりました、それで何か?」
 伊三郎の言葉の裏には、「真面目に働く者をくびにしておいて、今更何の用か」と怒りが隠っているようであった。
   「お千花さんと伊吉さんはお互い好きあって、お嬢さんは伊吉さんの後を追って家出をしてきたのですが」
   「それは可怪(おか)しいですね、伊吉はそんなことは微塵(みじん)も言っておりません」
   「お千花さんとのことは、忘れたと言われるのでしょうか」
   「それも違います、伊吉は我儘なお嬢さんが嫌いだったと申しておりました」
 お千花は、手で顔を隠した。丁度、そこへ伊吉が戻って来た。
   「親父が言う通りですよ、おいらは一度もお嬢さんのことが好きになったことも、好きだと言ったこともありません」
   「惚れ合ったのではないのですか?」
   「こんな我儘なお嬢さんに惚れる訳がありません」
 お千花が恨めしげな顔で伊吉を見て言った。
   「あんなに優しくしてくれたではないの」
   「主人のお嬢さんですから、普通にお仕えしていただけです」
 辰吉は、伊吉の言っていることに何ら疑問はなかった。実は、辰吉自信もお千花を好きになれないのである。それでもお千花の代弁をした。
   「お千花さんは、家出をして伊吉さんに逢いに来たのですよ」
 伊吉は辰吉の言葉を聞いて、憤懣遣る方ない気持ちであった。
   「おいらは、長年真面目に働いてきた津ノ国屋を、何の落ち度も無いのにたった二両ポッキリを投げ与えられて馘首(ぐび)になったのです」
 それもこれも、このお嬢さんの所為だと伊吉は言いたいのだ。
   「お嬢さんには、恨みこそあれ、逢いに来て貰っても嬉しくはありません」
 お千花は、我儘を破裂させた。
   「伊吉、憶えておきなさい、駆け落ちを強要されたと訴えでてやるから…」
 伊吉は笑った。
   「そんなことになるだろうと、くびになって帰る途中に代官所へ寄り、津ノ国屋での一部始終をお代官にお話してあります」
 そのうえ、村役人の娘と祝言を挙げるに当たって、村役人である庄屋にも話してある。津ノ国屋のお店においても、お嬢さんと浮いた話一つ無かった伊吉である。誰が聞いても、お千花の話は明らかに嘘だと気付くのだ。

   「ふーん、ばからしー」
 辰吉は、お千花と番頭を振り切り、さっさと鳥居本まで引き返そうとしたところ、守護霊の新三郎が待ったをかけた。
   『あの番頭が嘘の証言をしないように、ヤツの心に釘をさしておきます』
 新三郎は辰吉の元から出て、そして戻ってきた。
   「何をして来たの?」
   『娘に対する番頭の忠義心を切り取ってドブに捨てた』
   「えーっ、新さんそんなことが出来るのかい?」
   『あははは』
 幽霊新さん、笑って誤魔化した。


 米原のを通過して、長浜へ来たところで日が暮れてきた。
   「えーっと、ここらに一宿一飯にありつける一家は無いかな?」
   『待ちなさい、まだ懐に金があるだろう』
 新三郎が諭した。
   『一宿一飯の恩義など、頼りにしない方がいい』
   「だって、先は長いのです、お金は節約しないと…」

 新三郎の言うことを聞かず、辰吉は遊び人風の男に声を掛けて、龍神一家を教えて貰った。
   「お控えなすって、お控えなさんせ」
 三下らしき男が出てきた。
   「へい、控えさせていただきやす」
   「早速のお控え、有難うござんす」
 辰吉が下手くそな仁義を切る。
   「てめえ生国と発しますは、花のお江戸でござんす」
 三下は、おとなしく聞いてくれる。辰吉、いい気分になったが、何やら奥が騒がしい。
   「金座銀座の銭の町、恐れ多くも上様のお膝元、京橋銀座の生まれでござんす」
   「江戸っ子さんでござんすね」
   「ほんでもって、名は辰吉でおます…」
   「ん?」
   「いや、何でもありやせん」
   「浪花の江戸っ子さんでござんすか」
   「ちゃうわい」
 
 三下の名は綱五郎と言った。その綱五郎が先に立って部屋に案内してくれた。
   「辰吉どん、どうぞこの部屋でごゆっくり寛いでくだせぇ、直ぐに食事を運んで参りやす」
 二階の狭い部屋だが、表通りが見渡せて、辰吉は満足だった。食事も少々豪華とも言えるもので、子分たちの食事とは別誂えのように思えた。
   「遠慮なく、食べてくだせぇ、後で風呂にご案内しやす」
 その夜は、貸元と代貸に挨拶をして、三下が敷いてくれた布団でゆっくりと休んだ。

 翌朝、貸元から頼み事をされた。
   「旅のお方、北陸街道を北へ行かれるそうだが、序に一つ使いを頼まれてくれませんか」
   「どうぞ、何なりと仰ってくだせぇ」
   「いや、そんなに大層なことではないのだが、木之本宿の朝倉一家に手紙を届けてもらいたいのだ」
   「お安いご用で」
   「そうか、済まねえな」
 書状らしきものを、更に白紙で覆った手紙と称する包を渡された。
   「朝倉権九郎と言う親分に渡して貰いたい」
 手紙は封がしてあり、辰吉には読めないようにしてあった。

   「では、これを届けて、その脚で旅に立ちます」
   「そうか、権九郎親分によろしく頼む」
   「へい、わかりやした」
 
 辰吉は、龍神一家の手厚いもてなしに感謝して、朝倉一家へ向かった。
   「昨夜出された料理、旨かったなぁ、龍神一家は、良い人ばかりだった」
   『はたして、そうかな?』
   「新さんは、何か裏があるとでも言うのですか?」
   『あっしも元旅鴉だったから分かるのだが、この使いには何か裏がありやすぜ』
   「そうかなあ」
   『こころして、この手紙を渡しなせえよ』
   「うん」

 何故だか、朝倉一家もまた、ざわついていた。
   「龍神一家の使いで来ました、朝倉の親分さんにこれを渡してくだせぇ」
 朝倉一家の者たちが「おーっ」吠えた。
   「親分、来やした、龍神の使いが来やしたぜ」
   「そうか、使いに来た子分はどいつだ」
   「旅人のようです」
 手紙一通で、「何だ、この騒ぎは」辰吉は呆れた。
   「龍神の親分が、朝倉の親分に宜しくと伝えてくれと言っとりました、確かに伝えましたぜ、それでは俺はこれで失礼します」

 辰吉が立ち去ろうとすると、親分が止めた。
   「待て、龍神の野郎、旅人を使うとは小癪な手を使いやがって」
 辰吉は、まだ気が付かない。
   「何なのです、このお手紙」
   「お手紙じゃねえ、これは喧嘩状だ」
 親分は辰吉を「捕らえろ」と、子分に命令した。
   「俺はただ頼まれただけです」
   「馬鹿を言え、お前は龍神一家の恩義受けて加担したのだから、龍神の手先だ」
 辰吉の周りを子分達が取り囲んだ。辰吉は「やっぱり新さんの言う通りだった」と、後悔した。
   「俺をどうしようてんだ」
   「お前には、龍神への返事を届けて貰う」
   「俺は後戻りになるので、他の者に頼んでください」
   「この喧嘩状の返事は、お前の死体ぇだ」 
   「使いをしただけで殺すのか?」
   「お前は馬鹿か、お前も渡世人なら、それぐらいの覚悟をして来い」
   「ほな、自分の命が惜しいから、俺は黙って殺られまへんで」
   「喧しい、早くこのガキを殺して、死体を荷車で龍神一家の前に置いて来い」
   「へい」
 三本の長ドスが辰吉に向けられた。 …が、次の瞬間、辰吉の六尺棒が舞い、三本のドスは跳ね飛ばされた。男たちはドスを持っていた手首を抑えて、苦痛の表情を露わにした。
 
 次から、次から、辰吉に男たちが向かってくるのだが、辰吉が危なくなると辰吉の「えい」と言う気合で男が次々と倒れた。残る者はその様子に気味悪がって、戦意を無くしてしまった。
   「どや、まだかかって来ますかいな」
 辰吉、得意げに言ったが、守護霊新三郎の働きを忘れているようである。

   「しんどいけど、このまま立ち去ったら龍神一家が襲ってきて傷ついた者を皆殺しにするかも知れん。戻って公平にしてやらんといかんな」
   『辰吉、浪花言葉にするか、江戸の言葉にするか、どっちかにしなはれ』
   「うーん、選びきれん…って…、新さんもじゃないか」

 辰吉は、龍神一家に戻って来た。
   「わっ、あの旅人、生きているぞ」
   「生きていては悪いのか」
 辰吉は、少々機嫌を損ねている。
   「それで、朝倉は何と?」
 親分が尋ねた。
   「わいが大勢倒したので、この喧嘩、不公平になってしまった」
   「それで?」
   「公平を期するために、返事を持ってきた」
   「その返事、渡してもらおうか」
   「よし、今渡してやる」
 辰吉は六尺棒を振り上げた。
   「渡してやるから、受け取りたい者はかかって来い、俺の復讐だ」
   「何を小癪な、それっ、殺ってしまえ」
 親分の掛け声で、子分どもがドスを振り翳したが、こちらも朝倉一家の子分たちと同じ目に遭った。その中で、立ち去ろうとする辰吉をしつこく追ってくる男が居た。
   「辰吉、待ちやがれ」
 綱五郎であった。
   「お前、おいらに手加減しただろう」
   「していないよ」
   「嘘をつけ、兄ぃらと同じように闘ったのに、一家で一番弱いおいらが無傷なんて可怪しい」
   「お前、本当は強いぞ、何を弱ぶっているのだ」
   「本当か?」
   「そうとも」
 綱五郎が匕首を左右に振って、辰吉に斬りかかってきた。
   「俺は命が惜しいから逃げるぜ」
   「待て、この卑怯者」
 龍神の親分の目の届かない所まで追って来ると、綱五郎は「ぷい」と踵を返して戻って行った。

 木之本宿を通りすぎて、塩津宿に入った。
   「新さん、綱五郎はいいヤツだった」
   『いいヤツは、辰吉もだ』
   「ところで新さん、あいつらは何で喧嘩をしようとしたのだろう?」
   『子分同士が、女の取り合いで喧嘩をしたのが始まりらしい』
   「それで、女はどっちをとったのだろう?」
   『別の堅気の男が好きらしい』
   「ちっ、アホらし、それで俺は命を落としかけたのかい」

  第七回 一宿一飯の義理(終)-次回に続く- (原稿用紙18枚相当)

「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第六回 辰吉危うし

2015-03-05 | 長編小説
 辰吉の周辺で「ガサッ」と音がした。
   「出やがったな、山賊ども」
 またもや、「ガサゴソッ」と音がした。
   「何をしてやがる、はやく姿を現してかかってきやがれ」
 辰吉が虚勢を張って六尺棒を振り回そうとしたが、辺りには灌木が茂っている。六尺棒は灌木の枝に引っかかり、動きがとれなくなった。辰吉が焦って外そうとしているところに、四人の男が一斉に飛びかかってきた。
   「何でぇ、卑怯者、離せ!」
 辰吉が精一杯藻掻(もが)いたが何せ相手は四人、たちまちねじ伏せられてしまった。
   「女はどうした、殺っちまったのか」
 辰吉が叫ぶと、横から女の声がした。
   「あたいのことかぇ」
 どうやら女は仲間だったらしい。
   「姉御、また一匹引っかかりやしたぜ」
   「そいつ、金は持っているかい」
   「へい、懐に巾着がありました、五両がとこは入っていますぜ」
 男は辰吉の巾着を姉御と呼ばれた女に差し出した。
   「身包みを剥いで、後始末はしておきな」
   「へい、殺して川に放り込んでおきます」
   「そうしな」
 女は冷たくそう言ったが、裸にされて木に縛られた辰吉を見て「ちょっと待ちな」と男たちを制した。
   「若い男じゃないか、いい体をしている」
 近付き、辰吉の顎(あご)を押し上げた。
   「おや、よく見ると男前だねぇ」
 男たち、はうんざりしているようである。
   「また、姉御のスケベ心が、頭を擡(もた)げやがった」
 小声で言ったのだが、姉御に聞こえてしまったようだ。
   「今言ったのはどいつだい、二度と言えないように、その首を胴と引き離してやる」
   「済まねえ、勘弁しておくんなせぇ」
   「源、またお前か、お前は文句が多くていけないね」
 他の三人の男達に命じて源の自由を奪わせ、姉御の両刃の剣が辰吉の心の臓に狙った。
   「待ちな、お前ら仲間だろ、何てことをする気だ」
 辰吉が叫んだ。
   「煩(うるせえ、あの世へ行く前にこの姐さんが楽しませてやろうと言うのだ、有難く思え」
   「ふん、こんな汚ねえ姐さんじゃ、楽しくねえやい」
   「言いやがったな、この糞ガキ、あの世へ行きやがれ」
 女は、源を後回しにして、剣を辰吉に向けて襲いかかったが、辰吉が「やめい」大声を上げると、女はへなへなっとその場に崩れ落ちた。
   『辰吉、あっしを当てにするのはいいが、せめてあっしが居ることぐらい確かめなせぇ』
   「新さんごめん」

 四人の男達は、こそこそと話し合っていた。
   「このガキ、人間じゃねえで」
   「化けものか?」
   「声だけで、姐さんを倒しやがったじゃねぇか」
   「そうだなぁ」
 その時、辰吉が叫んだので、男たちは揃って「びくっ」とした。
   「お前ら、何をボソボソ言ってやがる、早く俺の縄を解け!」
 ビクつきながら、辰吉の縄を解くと、またしても辰吉が叫んだ。
   「お前ら、何をボサッとしてやがる、早く女に縄を打て!」
 気を失っている女に縄を打たせると、
   「お前ら同士で縄を打つのだ!」
 残った一人は、辰吉が縄で縛り、五人を数珠繋ぎにした。
   「我慢して、役人が来るのを待っていろ」
 辰吉はその場を立ち去ろうとしたが、新三郎に止められた。
   『辰吉、何をうかうかしとる、お前の着物を取り返さんかい!』
   「おっと、裸で行くところだった」
 辰吉が着物を着て行きかけると、新三郎がまたしても止めた。
   『辰吉、まだ取り返すものがあるだろ』
   「ん?」
   『頼りないなぁ、巾着だよ』
   「あ、忘れるところだった」
 チビ三太は、『七歳でもしっかりしていたぞ』、新三郎はそう言いそうになって止めた。人はそれぞれだし、苦労知らずの辰吉と、苦労人の三太を比べるのは良くないと思ったからだ。

 守護霊の新三郎は考えた。三太が辰吉の罪を被って「江戸十里四方所払」の刑を受けたことを話すべきか、このまま暫く伏せておいて旅を続けさせるべきかである。
 『可愛い子には旅をさせよ』とは、正しくこの事である。両親の亥之吉とお絹には、恐らく三太が説明するであろう。また、辰吉が三太に負い目を感じてはいけない。熱(ほとぼ)りが冷めるまで、暫くはこのまま旅を続けさせよう。新三郎が考えた結論である。


 辰吉は暫く歩いて、不意に立ち止まった。
   「新さん、俺に何か話しかけようとしたが、あれは何だったの?」
   『しーっ、黙って歩くのだ、後ろを振り向いてはいけませんぜ』
   「何?」
   『辰吉の後を尾行している男が居るのだ』
   「何だい何だい、一つ終わればまた一つかい」
   『そうらしい』

 だが、悪い男ではないようだ。男はツツっと近寄ってきて、辰吉の前にまわりペコンと頭を下げた。
   「旅人さん、ここらで十七・八の一人旅の娘を見かけませんでしたか?」
   「いいえ見ていませんが、若い女の一人旅とは物騒ですね」
   「そうなのですよ、わたしは追いかけながら心配で、心配で…」
   「何か訳が有りそうですね、力を貸しますから話してくれませんか?」
   「いえ、それには及びません、お店の恥になることですから」
   「そうですかい、では訊かないでおきましょう」

 辰吉が行きかけると、また男が追い掛けてきた。
   「すみませんやっぱり話します、どうぞお力添えください」
   「おや、気が変わったのですか、では聞いてあげましょう、お話なさい」
 辰吉は、依頼の口調(くちょう)ではなく、命令の口調になった。
   「あるお店のお嬢様なのですが、旦那様が薦めた縁談を「どうしても嫌だ」と仰って家出をしてしまったのです」
   「親御さんは、お嬢さんが嫌がるのに、そんなに無理やり押し付けようとしたのですか」
   「そうなのです、お嬢様も我儘(わがまま)なのですが、旦那様も頑固で…」
   「それで家出ですか」
   「はい、後先も考えずに、無謀なことをしたものです」
   「いま頃、悪い男に捉まって、弄ばれた挙句に女郎屋(じょろや)に売りとばされているかも知れません」
   「驚かさないでくださいよ」
   「別に驚かせている訳ではありませんが、考えられないことではありませんよ」

 男は近江にあるお店の番頭だと名乗った。旦那様は意地を張って「放っておけ」と言うが、そうも出来ずにお嬢さんが心配になって追ってきたのだと言う。
   「どうして中山道(なかせんどう)に向いたと思ったのですか?」
   「お嬢さんの惚(ほ)れた男が、番場(ばんば)の出だからです」
   「その男もお店を出たのですかい?」
   「一月前、馘首(くび)になって故郷へ戻ったのです」
   「お嬢さんに惚れられたからですか?」
   「そうです」
   「これは放っておけないですね、その男が気の毒です」
 男は罪が無いのに「主人の娘と駆け落ちした」と訴えられたら死罪である。そんなことも考えずに男の後を追った娘は、「無謀」では済まされない。男一人を死に追いやるかも知れないのだ。
   「新さん、俺は二人をなんとか助けてやりたいが、俺には何も出来ない」
   「出来るさ、とにかく追いかけて番場まで行ってやりなさい」
   「うん、わかった」
 辰吉は番頭に向かっていった。
   「番頭さんは、このままお嬢さんを追い掛けていてもいいのですか?」
   「はい、馘首(くび)になっても構いません」
 辰吉はここから北陸街道に進むつもりであったが、中山道を番場まで脚を伸ばすことにした。
   「番頭さんは、お嬢さんの惚れた男の家を知っているのかい?」
   「番場ということしか知りません」
   「その男が、番場に戻っているとは限らないが、探してみましょう」
 
 番頭と二人で番場に向かっていると、駕籠舁(かごか)きとすれ違った。
   『今の駕籠、怪しいですぜ、ちょっと待っていてくだせぇ』
 新三郎が、スーッと辰吉から抜けた。辰吉が振り返ってみると、駕籠かきの一人が棒立ちになっている。
   「おい相棒どうした、進まないかい」
 男は固まったように動かない。辰吉が駆け寄ってみた。
   「ちょっと駕籠の中を見せてもらうぜ」
   「待ちやがれ、役人でもないくせに何をしやがる」
 辰吉は簾(す)を捲ると、女が縛られて猿轡(さるぐつわ)を噛まされていた。
   「あっ、お嬢さんです」
 番頭が声を上げた。新三郎が辰吉の元へ戻ってきた。
   『危ねえところだぜ』
 番頭が娘の縄を解くと、娘は番頭を詰(なじ)った。
   「私を連れ戻しに来たのだね、帰っておくれ」
 娘は、例えお女郎(じょろ)にうられようとも、金輪際(こんりんざい)店へは帰らないと言う。

   『困ったものだぜ、お女郎が男の相手をするものだと分かって言っているのかねぇ』
 これで万事終わった訳ではない。この後が大変だ。頑固者の近江商人を相手にしなければならないうえ、娘が惚れた男の命も救ってやらねばならない。一番面倒くさいのは娘である。
   「任せておきな、俺がまるく治めてやるからな」
 なんて、辰吉は娘に大口を叩いている。

  第六回 辰吉危うし(終)-次回に続く- (原稿用紙13枚)
「江戸の辰吉旅鴉」リンク
「第一回 坊っちゃん鴉」
「第二回 小諸馬子唄」
「第三回 父の尻拭い?」
「第四回 新三郎、辰吉の元へ」
「第五回 辰吉、北陸街道を行く」
「第六回 辰吉危うし」
「第七回 一宿一飯の義理」
「第八回 鳥追いの小万」
「第九回 辰吉大親分」
「第十回 越後獅子」
「第十一回 加賀のお俊」
「第十二回 辰吉に憑いた怨霊」
「第十三回 天秤棒の再会」
「第十四回 三太辰吉殴り込み」
「第十五回 ちゃっかり三太」
「第十六回 辰吉の妖術」
「第十七回 越中屋鹿衛門」
「第十八回 浪速へ帰ろう」
「第十九回 鷹塾の三吉先生」
「第二十回 師弟揃い踏み ...」
「第二十一回 上方の再会」
「第二十二回 幽霊の出る古店舗」
「第二十三回 よっ、後家殺し」
「第二十四回 見えてきた犯人像」
「第二十五回 足を洗った関の弥太八」
「第二十六回 辰吉、戻り旅」
「第二十七回 辰吉、旅のおわり」
「最終回 成仏」

猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第五回 辰吉、北陸街道を行く

2015-03-03 | 長編小説
 夕暮れ時、まだ閉店するには時間が早い道修町(どしょうまち)福島屋本店の店先、暖簾を潜ったのは三太であった。
   「ごめんやす」
   「へえ、いらっしゃいませ」
 店の間に居たのはこの店の御寮さん、主人圭太郎の妻お幸(ゆき)である。
   「江戸の辰吉(たつきち)さんに会いに来ました」
   「おや、甥の辰吉ですか、出掛けておりまして、まだ帰っていないのですが…」
   「えっ、まだだすか、お爺さんの家に帰ると、もうとっくに相模屋を出たのですよ」
   「どこかに寄り道をしているのかも知れませんね」
   「そやけど、辰吉坊ちゃんは、浪花には他に知り合いはいまへん筈だすが」
 三太は暗くなるまで待ったが、辰吉は帰って来なかった。
   「しまった、またどこかへ旅立ったようや」
 三太が気付いたのが遅過ぎた。どちらを向いて歩いて行ったか分からないので追い掛けることも出来ない。
 
 福島屋の人々には、辰吉坊ちゃんは江戸へ帰ったようだと伝え、三太は為す術もなく相模屋への帰途に着いた。
   「ねえ、新さん、辰吉はどこへ行く気やろか?」
 守護霊新三郎の返事がない。
   「新さん、どうしたのだ?」
 やはり、何らの応えもない。
   「あっ、そうか、新さんは辰吉坊ちゃんと一緒なんや」
 相模屋の店先で会ったとき、すぐに新さんは辰吉に憑いていたのだ。
   「よかった、新さんと一緒なら何も心配要らへん、新さん有難う」
 三太の胸の内に忍び込んでいた心配が、さっと消えた。


 敬愛する三太が住む浪花に、お上に追われる身の自分が居てはつい甘えてしまう。祖父や伯父にも迷惑がかかってしまう。三太と別れて福島屋に戻ろうとした辰吉だったが、歩きながらそう考えた。
   「もう、会えないかも知れない、いや、会ってはならないのだ」
 辰吉は、再び京へ向かうと、東海道を草津に、草津から中山道にとって鳥居本へ、鳥居本からは北陸街道に進路をとった。京から近江、越前、加賀、越中、そして越後へ抜けるつもりである。越後の冬は厳しい寒さだと聞いたことがある。そこで野垂れ死にするかも知れない。覚悟を若い胸に畳んで、辰吉は独り峠の坂を登っていた。

   「お兄ちゃん、何か食べるものを持っていないかい?」
 六・七歳だろうか、ボロを纏った男の子が辰吉の元へ近付いてきた。
   「坊、お父さんはどこ?」
   「居ない」
   「お母さんは?」
   「どこかへ行ってしまった」
   「坊を放っといてかい?」
   「いつものことだよ、また何日かすれば戻ってくる」
   「飯はいつから食っていないの?」
   「昨日から」
   「そうか、兄ちゃんと飯食いに行くか」
   「うん」
   「何が食べたい?」
   「食い物だったら何でもいいよ」
   「と、言っても、食い物屋なんて何処にもなさそうだな」
   「おいら、腹が減って遠くまで歩けねえ」
   「よし、そこらの旅籠で頼んでみよう」
 辰吉は、子供を待たせて近くの旅籠に飛び込んで行った。暫くして、辰吉はぼやきながら出てきた。
   「旅籠の親父、足元を見やがって、一朱(250文)も取りやがった」
 手には、大きな包を持っていた。
   「賄いの残り飯で、握り飯を作って貰った、ほら、御数も有るぜ」
   「おいらが全部食べて良いの?」
   「いいとも」
 子供はガツガツと食べ始めたが、辰吉の顔を見て言った。
   「半分持って帰ってもいいかい?」
   「誰のために?」
   「おっかさんだ」
   「おっかさん、どこかへ行って帰って来ないのだろ」
   「うん、だけど今日帰って来るかも知れない」
   「いいよ、持って帰りな」
   「うん」
 子供は残った握り飯を包みなおすと、喜んで帰って行った。

 それから暫く歩いていると、何処からとも無く辰吉を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
   「誰だい、俺を呼んだのは?」
 辰吉は辺りを見回したが誰も居ない。
   「何だ、空耳か」
 また歩こうとすると、今度は、はっきりと何者かが自分を呼んでいるのが分かった。
   『辰吉、あっしの名は新三郎だ』
   「新さんかい?」
   『そうだ、守護霊の新さんだよ』
 辰吉は三太の兄貴から守護霊のことを聞いたことがある。その時は「子供騙しのお伽話だろう」と、驚いて見せただけであった。
   「どうして俺に新さんの声が聞こえるの?」
   『聞こえているのではなくて、心に伝わっているのだよ』
   「では俺は声を出さなくても新さんに伝わるのかい?」
   『そうだよ』
   「新さん、いつ俺のところへ来てくれたの?」
   『相模屋で辰吉が三太と会った時だ』
   「ずっと、俺を護ってくれるのかい?」
   『そうだよ、三太に頼まれたのだ』
 辰吉は、胸がジーンと熱くなった。
   「新さん、嬉しいよ、三太のお兄ちゃん、ありがとう」

   『ところで』
 新三郎が辰吉に先程の子供のことを話そうとした。
   「新さん、俺わかっていたよ」
   『そうかい』
   「うん、おっかさんなんて嘘だろ」   
   『そうだ、おっかさんではなくて元締めなのだ』
   「今頃、叱られているかも知れないね」
   『それだよ、子供はお金をせびるように命令されているのだ』
   「子供は自分が腹を空かせているから、食い物をねだってしまった」
 辰吉は、金も持たせてやるべきだったと後悔している。孤児を集めて、旅人にお金をせびらせて、金を持ってきた子供にだけ食べ物をあたえている元締めが居るのだ。
   「よし、俺がそいつを退治してやる」
 辰吉は勇み立ったが、新三郎は止めた。
   『元締めを退治したところで、子供たちはどうなる』
 元締めを失えば、子供たちはむしろ盗みに走って、将来は掏摸や盗賊になるだろう。この街道をよく通る旅人は、安い通行料ていどに思って、十文、二十文を子供に与えているのだ。それを辰吉は一朱もの大金を与えて、しかも子供は元締めに叱られているかも知れないのだと、新三郎は辰吉に教えた。
   「新さん、よくわかった」
 辰吉のこの素直さは、三太の影響だなと、新三郎は思った。

   『ところで辰吉…』
 新三郎は、何かを辰吉に伝えようとしたとき、灌木に挟まれた獣道の奥から女の叫び声が聞こえてきた。
   「誰か、助けて…」
 辰吉は、思わず声のする方へ分け入った。
   「誰だ、何をしている」
   「ううう」
 女は口を塞がれたのか、声が呻きに変わった。
   「今、助けに行くぞ、何処に居るのだ」
   「ウウウ~ッ」
   「そこで女の口を塞いでいるのは何者だ」
 漸く男の声がした。
   「止まれ、来ると女を殺すぞ!」
 ドスの利いた声である。   
   「やめろ、俺は弱い若造だ、金ならやるから女を離せ」
 一瞬ざわざわっと音がしたが、それきり何の音もしなくなった。尚も辰吉は獣道を分け入ったが誰も居ず、声も音もしなくなった。

   「新さん、今の音は俺の幻聴か?」
   『いや違う、何者かが辰吉を取り囲んでいるようだ、油断をするな!』
 辰吉の身が引き締まった。杖にしていた六尺棒が、「キッ」と、武具に変る瞬間である。
   「何者だ、出てこい」
 ふっと、辰吉は女の気配がないことに気付いた。
   「女をどうした、何処に居るのだ」

   第五回 辰吉、北陸街道を行く -次回に続く-  (原稿用紙11枚)

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猫爺のエッセイ「貧乏性と貧乏」

2015-03-01 | 長編小説
 貧乏性と貧乏は自ずと違うもの。貧乏でないのに必要でないものまで捨てることが出来ないのが貧乏症。例えば猫爺はごく最近こんなエピソード仕入れた。

 某県、某市の大きな神社の宮司さん、宮司さんと言えば会社で言えば社長さんである。常日頃「自分は貧乏症だ」と仰っている。
 マクドナルドで食事をした後の空き箱を、「戦利品」と称して持ち帰り、家庭での朝食の折に手作りのホットドッグなどを詰めて「朝マック」の雰囲気をお子達と共に味わっていらっしゃる。
 何と微笑ましい貧乏性なのだろうと、猫爺の顔が緩んでしまう。貧乏性と言えば、傍から見ればチマチマと不愉快なケチを想像するのだが、このかたはなんと大らかで好感が持てる貧乏性なのだろう。

 貧乏な人が貧乏症であっても、貧乏の影に「性」が隠れてしまう。猫爺はこのパターンである。若い頃に「貧乏性」だと言われたことはないが、家の押入れなどは「屑」の山。古い電化製品や機器などが捨てられないのだ。最近になって、若い頃にやっていたアマチュア無線の機器やパソコンのPC8001などは漸く捨てたが、まだ古いカメラや8ミリ映写機などが残っている。所謂我が家はゴミ屋敷の類かも知れない。

 猫爺の小説「チビ三太」などに登場したが、浪花商人や近江商人の「ケチ」は貧乏症ではない。「倹約家」あるいは「節約家」である。たとえ話に「爪に火を点す」というのがあるが、大金持ちでも徹底的に無駄遣いを省き、贅沢をしないままに「お店」を護り抜くのが使命のように思っている商人が、猫爺のイメージではあるが多かったように思う。