沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩349 沖縄と日本 20

2011年12月02日 21時39分36秒 | 政治論
 さて、大東亜戦争、太平洋戦争、第二次大戦の敗北によって、当然「武士道」的に滅亡すべきであった「大和魂」ってやつは、確実に戦後日本を逆説的に、堕落の一途に突き落としたが、今や抜け殻としか言えないこいつらが、超大国アメリカをはじめとする欧州並び中国、インド、パキスタンなどと肩を並べるべく、核兵器保有国としての準備を着々と進めていたことは、原発事故を通じて、原発の矛盾があからさまになり、其の所以を追究した結果明白になった事実だ(その証明は多くの反原発学者が既に示している)。
 処分してさえなお、地中に、いつでも、地震・火山・地下水漏出によって放射能を撒き散らすべく、「高レベル放射性廃棄物」が永久に存在し続ける実態は、原発事故を、ここ30年のうちに必ず発生するM8を超える巨大地震(東海、東南海、南海地震)によって、確実に引き起こされる状態にまで高めたこの国の、「馬鹿は死ななきゃ治らない」愚行を余すことなく示しているが、この自殺列島に住する我々人民はやはりどこかで人類救済の企てを放棄せざるを得ない状況に追い込まれた、というべきであろう。
 すでにさいは振られたのであり、引き返すにも方法はない。既に晩年を迎えた、高齢化社会にある戦後民主主義の申し子たちは(政治の中枢にいる連中含め)、当然自己の存命中はほぼ大過なく(多少落命時期が早くなるとしても)余命を数十年程度は永らえるだろうと踏んでいるのであり、大方破滅の一途を辿った大本営参謀本部よろしく、其の時が来たならば「死なば諸共」の玉砕精神が蘇ることになろう。
 もし彼らが其の時にも生き延びえると安堵しているとしたら、彼らの自宅の地下付近に強固な核シェルターを発見するのは実に容易いことに違いない。多くの団塊ジュニアはじめ若者が老後の年金保険に加担しない心理は故なしとしない。この人たちが「老後」という文言を語る時間は果たしてありうるのだろうか。(中断)


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