沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩349 沖縄と日本 21の3

2011年12月11日 19時58分06秒 | 政治論
 大国の思惑通りにことが運ぶことはないと教訓を垂れたのがベトナム戦争であり他の民族紛争であったのだが、沖縄における「普天間移設」に関しては、とりわけ米軍再編という、冷戦解消後の世界軍事制覇思想の新たな構築実現を目論むアメリカ欧米アングロサクソン覇権主義が、新意匠により実行されようとする防共対中北テロ戦略に基づく、琉球島嶼の、軍事基地最前線要塞化構想のほんの一環に過ぎず、オバマのラッキョウ頭蓋の中には、消し粒ほどの「辺野古」が目をパチクリさせているという感じなので、共闘する反基地運動という、一種の民族自決主義が有する根強い民衆の底力に結局16年経てさえ一歩も前進しえない普遍的な必敗理由があるとアメリカが認識するには、かなりの時間がかかると思わねば成るまい。現今野田政権がごり押しする事務手続き上の進展(環境影響評価書、公有水面埋め立て許可)は丁度実体のない法律行為(国家間合意のみで地元人民が許容しない案件)が決して実際の効験を示さない法治主義の原則(物的証拠のない立件の不毛、実体のない法律行為の無効性)からすれば、国家行為としても実に無駄なものとして槍玉にあがるべき事案といえる。にもかかわらず本土メデアジャーナリズムが本質的論難をこの政府行為について言上げしない一種の自堕落さは沖縄からみると文民統制的には実に情けない惨状である。(中断)