この、仲井真という知事を選び取った、多数決原理に基づく「複雑な内容」の県民意思は、多くの「沖縄特区」の選挙対策費(官房機密費も含め)を消費して、沖縄財界が方向付けた中央寄りの振興対策傾斜を醸しだしているが、今となっては、かつての名護市における比嘉市長の変節や、大田県政切り崩しのための卑劣な「札束ばら撒き」再現という、極めて愚劣な政治劇を演出するお膳立て、というしかない情勢となっている。
こうした形勢は当初から予想された事態とはいえ、所詮「金でしか動かない人心」という、彼ら為政者が願ってもない、人間の「低俗な」真相を暴露しただけの、なんとも情けない人騒がせ事案というわけだ。
してみれば鳩山のあの裏切り行為は、まさしく、文字通りの絶望的沖縄差別を表現した憎むべきしわざだったわけで、ここにきてこの国の政治が、驚くべき醜悪なる実相を示し始めた、と人民は悟る必要がある。
よくあるように実際に「その時」が来ないと目が覚めない事態というものがある。否、こと原発事故に関してはそれが現在進行中でありしかも想定された確率的事変を無視してまでも強行された「推進」行為の結果でありながら、なお、他国に輸出しあまつさえ自国のそれの再稼動を検討するという、あきれ返った「馬鹿は死ななきゃ治らない」症状を醸しているわけで、更に謂うなら、敵国アメリカによって、自国の無辜の民を抹殺された、人類最初で最後?の原爆投下につき、国家的抗議の声を張り上げない、この国の「大和魂」の腐敗振りにおいてをや。
辺野古大浦湾を前に老体を鞭打って座り込む「おじいおばあ」たちが、15年一歩たりと進捗させなかったこの国とアメリカの、人民にとってなにひとつためにならない軍事的蛮行が、ここにきて人民の敵どもの手によって無理強いに強行されようとしている事態を、本土の人間は少しも同情することなく眺めることだろう。ここにきわまったこの国の理念的堕落と滅亡の道は最早取り返しがつかない。だから何故かかる仕儀に到ったか大いに熟考検証する機会ではある。といって誰も振り向くことはないのだろうが。(中断)