沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩349 沖縄と日本 2

2011年10月07日 10時07分47秒 | 政治論
 歴史認識としての日本(日本本土、ヤマトウ)と沖縄が同一地平にないという通観から「日本と沖縄」という場合どうしても「日本国と沖縄琉球」という対立概念を想定せざるを得ないことは多少でも沖縄を知る者には了解出来る話と思料する。この時47都道府県の残り46箇所において自分の地域が、あらゆる観点から、沖縄と同一な日本人感覚にあるとは夢にも思わないほうが良い。そしてここが重要なのだが、日本史上数限りなくあった「差別」の被害実例の多くは「アイヌ」を除けば同一民族的問題に収束しないこともないことは歴史が証明している(問題、ハンセン病)。つまり歴史経過上に生じた、なくともいい愚劣にして卑小な人間的業(ごう)に属する大規模な感覚感情的集団イジメこそ沖縄問題の根源なのだ。そこには薩摩の侵攻により服属させた歴史的成果感覚、江戸幕府幕藩体制に後発で組み込んだという異民族意識、そして琉球処分により軽視された文化的独立性が日本における沖縄問題の根幹といえる。彼ら(為政者)は沖縄認知において決定的な本質的無関心から一歩も出ない。何故なら彼らにあるのは全県同一地平上の沖縄県でありその線上にない一切について度外視する傾向にあることは間違いない。しかも同一地平にない沖縄琉球こそ沖縄の真姿でありここを欠けば実体のない行政単位をずっと相手にしてきた日本政府並びに日本人(ヤマトウ)がいたという有様だ。沖縄戦は何度も言われるように日本帝国が国家として引き起こした戦争(それは言い訳ならぬ侵略的覇権主義に基づく東亜施策に依ってアジアを凌駕しようとしたことから派生して欧米列国特にアメリカを刺激し同時にアメリカの国情に基づいた陥穽構図に嵌められ、神州幻想錯誤をもってこの国を誘導した最高戦争責任者たちにより雪崩のように自滅行為に走った結果である)、即ち日本(ヤマトウ)が勝手に始めた愚劣きわまりないイクサに巻き込まれた国民的被害の代表であり、もし負の遺産というものがあるのなら東南アジア、中国、朝鮮同様に沖縄もまたこの国が後世まで負うべき負の遺産、そのものに違いない。如何に歴史改竄の企てを彼ら性懲りもない右翼連中がしようとしても現に被害実例が脈々と息づき語られている以上消しようのない実態にあることを認めるほうが潔い。それとも精神的価値としての「ヤマト魂」を持っているというならば、生き続けるなら贖罪を、そうでなければ自死すべき事態であろう。いずれにしても歴史的真実をねじ曲げようと画策しても所詮悪あがきにすぎず本質的問題解決には決してなりはしない。一方「天皇制」だが、総論的にいえば沖縄でもヤマトウでも天皇は、日本の近代化を当初において歪めた実質であり、未曾有の国難(敗戦)を誘発した最大の張本人であり現代日本にとって全く必要とされない制度、機関、理念、支柱、国家的役割である。因みに天皇家について直接的遺恨をたたきつけた沖縄の思潮も過激にして真っ当な真情が溢れているが、「天皇制」に否定的でも「天皇」という個人または一人間につきその首を刎よという意見は僅少かなと思われる。その間の詳しい実態は知らない。大宅壮一の「動物的忠誠心」は彼一流の単純化だがどうも実際はもう少し複雑で琉球本来の共同体思想とニライカナイ信仰がからみ、強制されたにしろその「死」はむしろ「生」同様すでに昇華された精神的価値として贖われており、残余はそれを第三者がどう評価するかにかかり例えば歴史捏造集団がこれを「英霊」死、「皇国美談」化するようなことだけは忌避すべきものと思われる(そこにある琉球精神への差別行為を見逃すな)。(中断)