沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩234

2010年11月15日 10時38分57秒 | 政治論
 仲井真の実態を知らない県民はなんとなく革新という「看板」の伊波君には民主党に裏切られた余波が押し寄せ、政策内容より保守的立場を重視する傾向を見せている。中国の尖閣が捏造的タイミングで勃発したので脅威を煽るには絶好の機会、黙っていても現状維持を望む声が勝ちを占めている。参議院選で島尻愛子が勝った瞬間この保守傾向は固定した。その後の内外情勢は安保堅持を助長する雰囲気になっている。残念ながら、沖縄の未来は暗い。基地問題は向こう10年このままで推移するだろう。

詩233

2010年11月14日 12時10分54秒 | 政治論
 この日米首脳会談という名の政治ショウ、少なくとも数百年の歴史を持つ一国の代表という立場、あらゆるメデアマスコミが必ず注目し数秒間息を呑む可能性すらある、選ばれたものの最高の時空間に、どうして彼らは画期的ではない、陳腐な、内容の全く欠けたこうした凋落的顔相を曝すのだろうか。理由はわかっている。彼らの政治的絶望は中間選挙結果や支持率低下など目に見えて表れる、苦労の報われぬ実情に辟易しながらも辛うじて保たれている政権の時間空間に、束の間の絶対的僥倖を味わっているわけだ。つまりここは彼らの唯一の私的空間であり決して史的空間足り得ない。重要なことはこの席に着く前に一切は決しているのであり今ここにいるのは、形骸と化した権力でありそれ故に無力な一個人なのだ。馬鹿馬鹿しい。常識的にはトップ会談で歴史的な瞬間が期待できるのにこいつらはただのパフォーマー、芸のない芸人以下の存在であろう。ことほどさようにブッシュのような戦争決定機関と化したウツケでもなけりゃ喝采を浴びる偉大な指導者は望めないのか。理想を失い理念を取りこぼした政治屋連中により世界がいよいよ俗悪で低劣な精神的煉獄を徐々に完成させていくというわけだ。

詩232

2010年11月13日 12時43分59秒 | 政治論
 非暴力不服従は当然積極的大衆運動としての有効性という観点から考えられる基本的姿勢であり、非暴力はいわゆる暴力に対して有効だというわけではない。この有効性の判断の根拠はむしろ暴力における定義の古典性が問題で例えば19世紀の戦争が機械化された重装備の軍隊による現代戦争資質と決定的な相違点をもつ理由は今更いわずともいい。すでに歴史的に証明された現代戦争のホロコースト化に対して「非暴力」を唱える馬鹿はいない。「非暴力」が有効なのは暴力化する議会制民主主義という観点、つまり多数決原理が有する非民主的一面に対する対抗措置としては一定の有効性を持つということだ。しかしながらアメリカ主導の21世紀的状況では所謂連携という名の国連機能が一極連動型に変質したり場合によっては度々国連決議さえ無視される事態に容易に流れる有様を見ては、最早「しかたなく」服従するという愚劣極まりない追従型対応には無反省な国家的欠陥を国民が容認している場合ではなく、「不服従」という運動に移行するしかないのだ。「非暴力不服従」は21世紀でも有効な大衆運動法といっていい。しかしいつの時代もこういう微妙なナイーブな問題は高度に政治的な状況で判断を求められ、歴史はその評価を多数の実例で明示している。沖縄に関して言えば正直に言ってこうした一般論は全く机上の空論としか思えない。運命論的な空疎な言い訳も「ふざけるな」というわけでどう考えても日本人日本政府民主政権菅内閣本土ナイチャー、アメリカ人アメリカ政府米軍海兵隊は沖縄の公害でありしかも人災公害の典型でありこいつらは人間じゃない。動物でさえない。こういう生物学的実情を有しない連中に「非暴力不服従」が何の意味がある?相手が人間だからこそ有効な方法なのにこれじゃあ暖簾に腕押し豚に真珠はいいとこで、ある日沖縄の煮えたぎるマグマが「暴力的」に噴出する光景を見ることは到底避けられまい。

詩231

2010年11月10日 14時02分05秒 | 政治論
 日本で最も純粋に古来の文化を承継し続けた琉球文化風土は侵略者の鋼鉄の爪に掻き毟られるべくその微細な精神性を近代機械文明の冷徹な浸潤の前に剥き出しのまま放置されていた。文民統制を喪失した軍部主導の米軍参謀本部は戦略的見地だけを優先し沖縄戦に物量を注ぎ込み、この島をズタズタにし人間をナチズムさながらに抹殺した。それは広島長崎にも及んだ。このアメリカ戦争指導の永遠の残忍さは100年後の教科書にようやくポツリと一行を書き加えるだろう。アメリカの傲慢と物質文明的冷淡さは暫くは人類を盲目にする。しかし帝国ローマが滅亡するように現代アメリカ文明は精神性の戦争によって駆逐されるだろう。そのアメリカに敗戦国として犬のように従順な日本はこの先ろくな目にあわない。何故ならこの国は国体護持という巾着袋のためだけに生き残ったのであり、その中身は空虚だ。そして唯一ささやかながら文化的伝統を掛け値なしに守護した琉球沖縄だけがその美しい海と空の間に本来性において生活の王道を歩くべく己の本分を全うする。

詩230

2010年11月08日 15時49分19秒 | 政治論
 憲法違反のしかも憲法企画母体のアメリカ自身が違反行為にある安保及び自衛隊が、この国に根強く明確に存在している限り、この国の国防問題は絶対に正常な論議を展開することはない。つまり永続的にこの国は自国を自力で防衛すべく国軍を有する可能性はない。にもかかわらず現状は国軍保有並みの防衛費及び思いやり予算を計上している。安保が専らアメリカの国際戦略に依拠して継続されていることは明白だ。と同時に在日米軍基地が日本再軍備乃至軍国化を牽制するためにあることも明らかだ。安保はこの国専属の守備隊を配置する実質はなく有事の際の日本防衛の任に当たるためのものでもない。しかし抑止力とか核の傘とか、よくよく凝視すればどう見ても幻想に過ぎない事実に依存して戦後65年を無戦状態で過ごした日本人は実に豪胆であるか大ばか者だ。いずれにしてもかかる現況からすれば何も金を払ってまでアメリカにいてもらわなくとも結構平和らしく暮らせるってことじゃないのか。おためごかしのアメリカ弁解は聞き流しここはさっさとでていってもらうことだ。自衛隊も解体する。まっさらになってようやくまともに国防論を展開できよう。

詩229

2010年11月08日 10時41分18秒 | 政治論
 仮想敵国、中国北朝鮮ロシア、他諸々のテロ、これが今のところ日本に脅威として存在するとされる軍事的な敵対関係だ。仮に日米安保が取り外されたとして、現実に起こりうる有事とは、多分尖閣竹島北方領土といった国境近辺の領有権を巡る争いと思われる。但し中国の西太平洋特に東南シナ海全面に渡る覇権行為はもう一つの重要な不穏事案であろうか。諸々のテロ活動は不測の事態としか表現できないがこれに関してはテロを戦争範疇に入れたブッシュ政権時の本質的誤謬乃至陰謀を論じることになろう。オバマの人気の翳りは、ブッシュ政権時の戦争に関する中途半端な対応も原因のひとつではなかったか。識者にはすでに常識ともいえるブッシュのテロ戦争宣言の過ちにつきオバマは「正義の戦争」論を持ち出して恰も擁護するような発言をした。少なくとも「核廃絶」を宣した同じ口から現実的戦争肯定論が飛び出し、更に核実験まで継続しているその偽善的欺瞞性に満ちた姿勢に、日本の民主政権に似た政治家の大嘘を国民は見抜いたということじゃないのか。オバマが史上劣悪な大統領とは言わないが、残念ながら政治技術に関してだけ言えば失敗の部類だろうか。いずれにしてもテロは戦争ではなく不測の事態、予測不能の、戦略的対応不能な特殊事件になり個別対応だけがあり得る。従って脅威の一つは除外しなければならない。残るのは所謂冷戦時に想定された仮想敵国そのものだ。アメリカの世界戦略も太平洋を巡る大国の思惑も一般市民は一切門外漢でなかったことはない。先の大戦も一般国民は日本に関しては何一つ知らされずに戦争誘導された。戦争はそれに勝利しようが負けようが、国民がその犠牲を強いられ苦痛に落とし込まれ無残な悔恨に満ちた死を甘受する運命にあることは間違いない。従って専権的に優先的に施行される国家的軍事的戦略的行為については、国民は必ずノーと言わねばならない。その行為の経過と結果において国民の犠牲と苦痛を強いる一切の国家的行為について必ずノーといわねばならない。意地でもノーと言わねばならない。そうしなければ先の大戦同様に知らぬ間に戦争に巻き込まれ知らぬ間にあらゆる不幸を甘受することになるから。何故なら国民の大半は戦争も軍事も戦略も国家的思惑も一切確信を持って知らされることはないのだから。国民は自己保存と基本的人権幸福追求の権利を何を措いても優先して行使するべきであり、国家がこれを排除して国益と称した軍事行為をするなんらの権利もない。国家は国民なしに存在するわけがないのだ。奇妙な国家のロジックに嵌められてはならない。さてここで国防を論じるとすればなによりも安保体制と憲法9条のにらみ合いを国民レベルで議論の俎上に上げる必要があるが、言を待たず安保体制は明らかに憲法違反である。しかしそのことと国防問題は次元が相違する。自衛隊も憲法違反である。だから現在日本ではまっさらな精神的健常状態にないということがまず重大な意味を持つ。(中断)

詩228

2010年11月07日 14時21分51秒 | 政治論
 カフカ「人生から人は容易に多くの書物をひきだせます。だが書物から取り出せる人生は実に微々たるものだ」数十冊の沖縄文献を紐解いた程度でわかった様な顔をしているがものではない。その通りだ。前後合わせて6年くらいのつきあいで沖縄を理解しているような振りはすまい。「沖縄に基地は絶対必要だ。中国が攻めてきたらどうするのだ?」こういう意見が本土のものだという偏見はやめる。沖縄のある住民は本心からこういったのだった。但し、米軍が沖縄を外敵から守護する現実はない。米軍基地が「抑止」機能を果たしているという意見は今のところ完全否定はできない。従って安保の破棄は見直しを前提にしなければならない。基地の全面撤去も実現性がゼロだ。しかし大概の住民は辺野古移設に反対しかつ県内に新たな基地設置は断固反対の意思に統一されている。恐らくこれが今沖縄の人々が概ね持っている主張であろう。多数決の原理からは沖縄の意思がそこにあるとみていいはずだ。そしてこれは県民総意かどうか知らないが、先の大戦とりわけ沖縄戦から得た教訓は、戦争の惨禍を二度と味わいたくなくまた基地がもたらす様々な害毒は我慢の限界であり今すぐ撤去してほしいという願いは切実なものだということ。こうした感想から導き出される一つの思想は戦争には絶対与したくない、現在沖縄にある戦争のための米軍基地もいらない、その存在のために惹起される攻撃誘発性は最も危険な因子だ、たとえ基地を撤去した結果として外敵が攻撃してきてもしかたがないがそれはむしろありえない状況だ、といったことになろうか。つまり本土的沖縄観については先の大戦のとりわけ未曾有の惨劇を齎した沖縄戦こそが沖縄の戦後のアイデンテテイを形成しているのであり、敗戦により被った異人種占領の体験、及び今なお75%の基地が集中している偏頗な現実が辺野古闘争のきわめて強固な意思を支持しているといったことになる。一方同じ日本人として同じ人間として、沖縄住民が特殊に際立って純粋な平和主義者でもないし、差別感情や利己主義が全くないなどという絵空事を述べるつもりもない。一般住民を巻き込む陸上戦や無差別な攻撃に否応なく巻き込まれたなら、本土の日本人も同じような反戦厭戦思潮に傾いたであろうという結果論だ。大戦から時間的な遠のきをすればするほどいよいよ好戦的な、憲法改悪による軍事回帰を目論む風潮こそ、いかにも浅はかな人間性を露呈していると思うのは果たして間違った感想だろうか。

詩227

2010年11月05日 11時18分54秒 | 政治論
 中国の中華思想からすればかつて朝貢していた日本も沖縄も中国の属国といって強ち根拠のない言い掛かりとはいえない。仙石の言うとおりである。よくよく考えるならこの事実はいかに沖縄を蔑視する本土の日本人も否定できまい。歴史上日本が独自に編み出した文化はその出自がすべて大陸にあったことは明白だ。しかしそのことと属国指定とは全く別問題で例えば人類がアフリカで誕生した事実は現今の白人に何の重要な指定を加えるか。かかる愚劣な人種問題を繰り返す人間の浅はかな児戯を大の大人が時間を費消して取り上げることか。わかりきったことだろう。だいたいにおいてアメリカや中国が沖縄に関し取り合いを論議するきっかけは本土政府以下日本人ナイチャーが古来沖縄人を不当に差別化し日本人ではないかのような扱いに終始したことが最大の要因に間違いない。誤った印象を与え続ける日本政府ナイチャーの無責任な態度はさながら小中学校のイジメみたいな根拠の薄弱なシカトに似て全く大人気ない。よくいうようにイジメもいじめられる側に一因があるというが、それがもし沖縄住民の歴史的に顕著な平和主義的な温厚さや従順さなどにあるというのなら、まさしく人間的な過ちを日本人ナイチャーが繰り返してきたという証拠だ。結局のところ沖縄戦における旧日本軍の非人道的な行為はアジアはじめ沖縄住民に対する差別的偏見に基づくのであり、本土決戦となった場合同じことが起こったかといえばいささか疑問に感じる。同じ日本人としてこうした低劣な精神的愚行につきまことに慙愧に耐えぬ。と同時にこうした日本人の精神傾向こそ先の大戦から最も重大な教訓として学習すべき事案だ。

詩226

2010年11月04日 16時46分09秒 | 政治論
 識者に聞きたいがアメリカは未だに沖縄分離策を継承しているのだろうか。これは周知のように戦前、いよいよ日本が中国から南方へ進駐するころアメリカでは真珠湾以前にすでに、日本の戦後処理に関する詳細な研究調査が行われ、アメリカの名だたる大学教授や研究者たちが報告書を作成しつつあったのだが、その後真珠湾攻撃、ミッドウエイ大敗と進む中沖縄に関する戦略的指針も本質に迫るところまで進化しその学術的検証も日本人より深く徹底的に行われ一つの重大な結論に至ったのだった。それが日本本土からの沖縄分離策でありその客観的根拠は琉球沖縄の薩摩侵攻以降400年にわたる日本人自身による差別待遇あるいは蔑視心情といったものから、沖縄人の異民族性、日本人ではないという内地人の意識、など戦後処理において考慮すべき日本列島分析に欠かせない心象を得、敗戦後のアメリカ又は連合国の占領政策に画期的な指針を与えたというものだ。無論日本政府がこれらの思考方法を沖縄に関して完全に黙認し一切抗議することがなかったことはすでに歴史的事実である。沖縄にとって日本国の敗戦はつまり占領支配植民地化永続的割譲を甘受しなければならない状況を意味した。そして本土がその憂き目を免れる担保として沖縄がその一切を背負うことになった。と同時に日本が今後二度と軍国化しないがために沖縄を軍事基地として軍事占領し徹底的に戦後日本を監視するという体制を執ったということであろう。つまりアメリカは日本国における沖縄の異質性に着目しこれを利用し軍事的拠点を設置するに至ったということ。そしてこの施策が本土の日本人の異議を生むこともないと判断してまんまと成功したのが戦後沖縄に関するアメリカ(とりわけ軍)の支配構図であろう。こうした米軍方針を助けた沖縄非日本人論は今でも彼らの中に生き続けているのだろうか。だから彼らは梃子でも動かないのだろうか。さすがに遺伝学的立証が可能な沖縄日本人同祖論には異論はあるまいが、彼らの中には根強く差別的偏見があるように思える。

詩225

2010年11月03日 16時32分45秒 | 政治論
 許しがたいのはアメリカにしろ日本政府にしろ現に人間が生きて生活する場に戦争用の基地をデンと構え更には強制的に土地を収用して軍拡を繰り広げるという、この配慮のなさと無茶苦茶な人民福利のなさであろう。しかも未だに130万人民が生活する普通の島に堂々と軍事訓練を繰り返し爆撃機をうならせ人民を精神的に駆逐するそのあきれた傍若無人ぶりは人間の歴史において恥ずべき行為としか言いようがない。所詮沖縄には最早戦争にまつわるかかる非人間的な施設は絶対に設置してはならない。辺野古のことは言わずもがなだ。戦前戦中通じて徹底的な検証調査考察の末に沖縄をどのように扱うか決定したのかを知らないが、沖縄県民がジャパンを選んでいる現状で米中の思惑に翻弄されてたまるか。日本政府のグータラ節につきあうつもりもない。ここは徹底して人民闘争を通じて憲法に保証する基本的人権のほか主張すべき権利を勝ち取る行動を継続していくことだ。

詩224

2010年11月03日 10時08分40秒 | 政治論
 「眼高手低」は確かに、目指すところはあくまで高邁に、しかしその過程においては現実を踏まえ揺ぎ無い歩みを見せるという意味で使われるが、この意味の誤用はとんでもない方向性を生むことになる。民主党政権の現状はそれを示唆している。マニフェストが眼高なら現実の政治は手低だ。しかしこの政権は手低でなくマニフェスト自体を低レベルに貶めた。それが普天間を巡る鳩山政権の5月決着であった、と一応言える。彼らはその過程においてなんら手探りから確信までの段階的検証の一切を踏まえることもなくしかも本来絶対にしてはならない国民(沖縄県民)への理不尽な裏切り、大嘘をかまして恥じることもなかった。こいつらは人間としても最低のやからであろう。万死に値するとはこのことだ。だが問題は彼らが牛耳っている現段階では何が起こってもおかしくないという恐ろしい現実である。彼らは自民政権さえしなかった強行突破を敢然と実行しかねない連中だ。逆に言えばこのままなしくずしに現状維持のまま愚図愚図と先送りして結局一切が水泡に帰すという結果をも想定しなければならない。