沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩228

2010年11月07日 14時21分51秒 | 政治論
 カフカ「人生から人は容易に多くの書物をひきだせます。だが書物から取り出せる人生は実に微々たるものだ」数十冊の沖縄文献を紐解いた程度でわかった様な顔をしているがものではない。その通りだ。前後合わせて6年くらいのつきあいで沖縄を理解しているような振りはすまい。「沖縄に基地は絶対必要だ。中国が攻めてきたらどうするのだ?」こういう意見が本土のものだという偏見はやめる。沖縄のある住民は本心からこういったのだった。但し、米軍が沖縄を外敵から守護する現実はない。米軍基地が「抑止」機能を果たしているという意見は今のところ完全否定はできない。従って安保の破棄は見直しを前提にしなければならない。基地の全面撤去も実現性がゼロだ。しかし大概の住民は辺野古移設に反対しかつ県内に新たな基地設置は断固反対の意思に統一されている。恐らくこれが今沖縄の人々が概ね持っている主張であろう。多数決の原理からは沖縄の意思がそこにあるとみていいはずだ。そしてこれは県民総意かどうか知らないが、先の大戦とりわけ沖縄戦から得た教訓は、戦争の惨禍を二度と味わいたくなくまた基地がもたらす様々な害毒は我慢の限界であり今すぐ撤去してほしいという願いは切実なものだということ。こうした感想から導き出される一つの思想は戦争には絶対与したくない、現在沖縄にある戦争のための米軍基地もいらない、その存在のために惹起される攻撃誘発性は最も危険な因子だ、たとえ基地を撤去した結果として外敵が攻撃してきてもしかたがないがそれはむしろありえない状況だ、といったことになろうか。つまり本土的沖縄観については先の大戦のとりわけ未曾有の惨劇を齎した沖縄戦こそが沖縄の戦後のアイデンテテイを形成しているのであり、敗戦により被った異人種占領の体験、及び今なお75%の基地が集中している偏頗な現実が辺野古闘争のきわめて強固な意思を支持しているといったことになる。一方同じ日本人として同じ人間として、沖縄住民が特殊に際立って純粋な平和主義者でもないし、差別感情や利己主義が全くないなどという絵空事を述べるつもりもない。一般住民を巻き込む陸上戦や無差別な攻撃に否応なく巻き込まれたなら、本土の日本人も同じような反戦厭戦思潮に傾いたであろうという結果論だ。大戦から時間的な遠のきをすればするほどいよいよ好戦的な、憲法改悪による軍事回帰を目論む風潮こそ、いかにも浅はかな人間性を露呈していると思うのは果たして間違った感想だろうか。