沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩246

2010年11月28日 23時14分18秒 | 政治論
 田原君が「敗戦の総括と戦後日本の検証がされてない」といってもパネリストの誰も論及しないテレ朝朝生の無駄な論議は朝日新聞系列ジャーナリズムの愚昧さを露呈している。緊急性も緊迫感も感じないこれらの日本論壇の堕落振りには絶望感しか残らなかった。森本敏氏が唯一戦前生まれ(1941年)だが他は全て戦後生まれ、田原氏は敗戦時11歳だ。本土における敗戦の受け止めはその体験内容で様々であるし一概に言えないが戦後65年の受け止めに大きな差ができていることはまちがいない。戦後世代に戦争を語らせても少しも説得力がないのは彼らが戦争を知らないからであり、敗戦の事実を体験的に受け止め得ないためだ。そのいわゆる戦無派時代に手かせ足かせとなっている日米安保とは一体何か。彼らは成長の初期の段階ですでに安保体制という枠組みの中に組み込まれていた。しかも彼らの成長段階において安保がその実質を明白に示したことなど一度もなかったろう。いわばあって当然の状態で安保は戦無派の内に根を下ろしたのだ。しかし沖縄は同じ日本でありながら彼らの体験と真逆の環境に置かれ、安保はまさに沖縄を食い破った。米軍基地がふんぞり返った本島はその初期にはまさに銃剣とブルドーザーが住民を蹴散らし私有地を分捕り次々と基地を建設し、その殺人部隊は悪逆非道な植民主義的犯罪集団と化し、住民を陵辱しひき殺して憚らなかった。こうした実情は沖縄県民の歴史的抱懐として内地の日本人には殆ど伝わっていない。従って長じて文献から過去の事件として垣間見た人が殆どだ。その後もさして画期的な変化もなく戦後65年は、米軍機墜落事故米兵犯罪の繰り返しであり、基地被害公害は不断に沖縄を痛めつけた。その日常的脅威危険性につき県民がいかに声を嗄らして訴えても目に見える改善は一向になされていない。かくして沖縄は普天間危険性除去というプラス展開を辺野古代替施設建設というまったくマイナスの暴力で脅迫する日米政府にノーを突きつけた。この10数年にわたる沖縄闘争辺野古編には沖縄のいわば戦後65年の抑圧の政治と琉球史における侵略の実態に対する憤怒の念がこめられているといっても過言ではなかろう。