沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩229

2010年11月08日 10時41分18秒 | 政治論
 仮想敵国、中国北朝鮮ロシア、他諸々のテロ、これが今のところ日本に脅威として存在するとされる軍事的な敵対関係だ。仮に日米安保が取り外されたとして、現実に起こりうる有事とは、多分尖閣竹島北方領土といった国境近辺の領有権を巡る争いと思われる。但し中国の西太平洋特に東南シナ海全面に渡る覇権行為はもう一つの重要な不穏事案であろうか。諸々のテロ活動は不測の事態としか表現できないがこれに関してはテロを戦争範疇に入れたブッシュ政権時の本質的誤謬乃至陰謀を論じることになろう。オバマの人気の翳りは、ブッシュ政権時の戦争に関する中途半端な対応も原因のひとつではなかったか。識者にはすでに常識ともいえるブッシュのテロ戦争宣言の過ちにつきオバマは「正義の戦争」論を持ち出して恰も擁護するような発言をした。少なくとも「核廃絶」を宣した同じ口から現実的戦争肯定論が飛び出し、更に核実験まで継続しているその偽善的欺瞞性に満ちた姿勢に、日本の民主政権に似た政治家の大嘘を国民は見抜いたということじゃないのか。オバマが史上劣悪な大統領とは言わないが、残念ながら政治技術に関してだけ言えば失敗の部類だろうか。いずれにしてもテロは戦争ではなく不測の事態、予測不能の、戦略的対応不能な特殊事件になり個別対応だけがあり得る。従って脅威の一つは除外しなければならない。残るのは所謂冷戦時に想定された仮想敵国そのものだ。アメリカの世界戦略も太平洋を巡る大国の思惑も一般市民は一切門外漢でなかったことはない。先の大戦も一般国民は日本に関しては何一つ知らされずに戦争誘導された。戦争はそれに勝利しようが負けようが、国民がその犠牲を強いられ苦痛に落とし込まれ無残な悔恨に満ちた死を甘受する運命にあることは間違いない。従って専権的に優先的に施行される国家的軍事的戦略的行為については、国民は必ずノーと言わねばならない。その行為の経過と結果において国民の犠牲と苦痛を強いる一切の国家的行為について必ずノーといわねばならない。意地でもノーと言わねばならない。そうしなければ先の大戦同様に知らぬ間に戦争に巻き込まれ知らぬ間にあらゆる不幸を甘受することになるから。何故なら国民の大半は戦争も軍事も戦略も国家的思惑も一切確信を持って知らされることはないのだから。国民は自己保存と基本的人権幸福追求の権利を何を措いても優先して行使するべきであり、国家がこれを排除して国益と称した軍事行為をするなんらの権利もない。国家は国民なしに存在するわけがないのだ。奇妙な国家のロジックに嵌められてはならない。さてここで国防を論じるとすればなによりも安保体制と憲法9条のにらみ合いを国民レベルで議論の俎上に上げる必要があるが、言を待たず安保体制は明らかに憲法違反である。しかしそのことと国防問題は次元が相違する。自衛隊も憲法違反である。だから現在日本ではまっさらな精神的健常状態にないということがまず重大な意味を持つ。(中断)


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