沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩631 沖縄を生きるということ、とは

2017年09月01日 18時35分30秒 | 政治論

新城 郁夫, 鹿野 政直の対談 沖縄を生きるということ (岩波現代全書) 2017年6月

 何度も繰り返しになるが、筆者は{内地、本土、ヤマトゥ}から左程の意図も目論見も計画もなく、ただ単に比較的温暖な土地を求めるという意味で{ウチナー、琉球、沖縄県、沖縄島}に移住してきた者である。その沖縄島(沖縄本島)でも北部、やんばると呼ばれる地域の中心都市、名護市(人口6万人余り)に10年前越してきた。その後近在の今帰仁村に新居を得、明らかに定住した恰好だ。

 日本地図上に沖縄島等を眺めると何の変哲もない弧状の細長い島が点々と海の中に横たわっているだけで、我々の多くは日本国土の中にあるありきたりな一つの行政単位というイメージに終始する。この記号化された図形はこの島々の、国家によって軍事植民地とされ要塞化されているといった本当の姿など勿論一切示すことはない。だが初めて沖縄に接するものは、取り分け本土の人間はこうしたイメージからしかここには入っては来ない。様々な情報や報道は様々な前知識を植え付けようとするが、ここに来るものは単純に(数日後には元来た道に帰るだけの)観光客としてしか全てを受け止め得ないのはわかりきっている。どんなに(問題性のあるものとして)意識的にここへ来たとしても一旦ここを離れればそれで終わりだ。それは沖縄の現状に如何に慨嘆し国家政府のやり方に地団太踏んで憤ってもここから離れれば元の木阿弥にしかならないという人性の現実を示している。ましてやここに一度も来たことがない本土の人間が沖縄を真に知ることは先ずあり得ない。それはあらゆる沖縄シンパにさえどうかすると自省を込めて警告すべきことらしい。かく言う筆者がこうしたSNSを通じて痛切に実感するのは、高江も辺野古もその現場に行ってそこに存在していなければ、(ぬくぬくとした家庭に)居ながらにして百万言費やそうが恐らく机上の空論と変わらない口上に終わるということだった。但し、諸般の事情を盾にして筆者は到底継続的に早朝から行動に参加するわけにいかないと口ごもりながら、それでも誰かに何かを発信するこのブログをやめる気はない。

 沖縄から何かを発信するということでも、SNSの場合、不特定多数の相手に偶発的なメッセージを垂れ流すことでしかない。そこに例えば「拡散」や「広告」効果を期待するにしろ、その内容が確かに不特定の誰にでも目に入るようにはなってないので、結局はある特定の閲覧者に限って発信されていると考えざるを得ない。実際、筆者も又多くの場合特定のSNS発信者のそれにしか触れることがない。さりながら電子版の新聞など情報源は多岐にわたり存在するので、そうしたものを「紹介」の形でできるだけ多くの人の目に入るように代行的に発信するのは、補足的だが意義あるものと思っている。沖縄に直接関連しなくともだ。

 新城郁夫、鹿野正直両氏の対談集である本書は多くの意味ある示唆があったが、概して筆者にとっての「沖縄知」を比較確認する意味合いが強かった。移住者である筆者が真に「ウチナンチュ」かどうかは全く覚束ないが、実質「本土人」(かつてそこにいたからということだけでなく)であることは疑いようもない(安保ただ乗り、軽負担経済恩典受益者)。目線がそういう性格を示すのはよくよく意識する所である。ただ自分は「ヤマトンチュ」(その言は屡々敵意、軽蔑の含意がありそうだ)かどうかというと沖縄の人が持つイメージのそれとは違うのだと思っている(あるいはそうでなくあろうと努めている)。しかしかつての三里塚のシンパのようには若くもなく行動的でもない、かつはそういう単純なシンパ性を否定するような動きを自分の中に感じる。

 沖縄高江辺野古他の市民活動は、全く単純に言うとどうやら三里塚闘争とは質に於いて違うのだと。そして重要なのは、ここでは市民運動の原基的モデルが実際に具体的に厳粛に実践されている、ということだ。それが「非暴力不服従運動」なのだが、筆者が感動し同調し賛同するのはその普遍的な価値観なのであり、これをもって体を張って行動し続けている「ウチナンチュ」の気高い精神性に敬意を表しないわけにいかない。(つづく)

 


詩596 沖縄タイムス辺野古高江ツイート

2017年09月01日 18時26分20秒 | マスコミジャーナリズム
 

9月1日午前11時10分、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブK1護岸建設予定地近くでは、抗議船の市民が新基地建設反対を訴えています。仙台市の大学生は、国の工事強行で県民同士が対立させられているとし「この現状は異常」と海上保安庁職員らに訴えました。♯沖縄 ♯辺野古

 
 

9月1日午前10時26分、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に、ぜんざいの差し入れがありました。晴天の下座り込む市民たちは「力が出るね」と冷たくて甘い夏の味を楽しんでいます。


詩596 琉球新報辺野古高江ツイート

2017年09月01日 18時21分39秒 | マスコミジャーナリズム

9月1日午後1時40分、N5護岸建設予定地付近の仮設道路の整備が続いています。トラックから大量の石材が積み降ろされています。   

 

 

9月1日午前11時すぎ、高知や仙台から来た学生らが「胸を張って『きれいな海を埋め立てて、軍事基地をつくってる』と言えますか。やめましょうよ」などと工事の中止を訴えています。   


詩596 琉球新報社説 <社説>オスプレイ緊急着陸 日米は危険性直視せよ

2017年09月01日 18時18分23秒 | マスコミジャーナリズム

<社説>オスプレイ緊急着陸 日米は危険性直視せよ

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-566427.html

米国の軍隊に日本人や沖縄県民の危険性など眼中にない。こいつらは人殺し軍団に他ならない。これに追随する日本国家政府は傀儡国家以上でも以下でもない。度し難い。


詩596 琉球新報記事 基地周辺の浄水場除染で値上げも 沖縄水道料金、負担は県民に? 防衛局は因果関係不明と認識

2017年09月01日 18時14分19秒 | マスコミジャーナリズム

基地周辺の浄水場除染で値上げも 沖縄水道料金、負担は県民に? 防衛局は因果関係不明と認識

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-566442.html

防衛局の認識など認識にあたらない。傀儡国家のでたらめが沖縄を苦しめ続けている。

資材運搬70台がシュワブ内へ 沿岸部仮設道路設置続く

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-566846.html


詩596 LITERA記事 黒澤明も証言、関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ! 小池百合子、ネトウヨの歴史修正に騙されるな!」

2017年09月01日 14時54分50秒 | マスコミジャーナリズム

黒澤明も証言、関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ! 小池百合子、ネトウヨの歴史修正に騙されるな!

http://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html

〈人の手で虐殺された犠牲者も自然災害によって命を落とした犠牲者と同じ、よって虐殺された朝鮮人らへの別途追悼の辞は手間だ不要だと言っているのに等しい。〉  〈大震災など非常事態時に流言飛語が飛び交うことがあるという歴史の教訓、朝鮮人や中国人に対する差別・偏見が無辜の人々の命を奪う行動にもつながったという過去の歴史的事実に目をそむけるものである。〉