新城 郁夫, 鹿野 政直の対談 沖縄を生きるということ (岩波現代全書) 2017年6月
何度も繰り返しになるが、筆者は{内地、本土、ヤマトゥ}から左程の意図も目論見も計画もなく、ただ単に比較的温暖な土地を求めるという意味で{ウチナー、琉球、沖縄県、沖縄島}に移住してきた者である。その沖縄島(沖縄本島)でも北部、やんばると呼ばれる地域の中心都市、名護市(人口6万人余り)に10年前越してきた。その後近在の今帰仁村に新居を得、明らかに定住した恰好だ。
日本地図上に沖縄島等を眺めると何の変哲もない弧状の細長い島が点々と海の中に横たわっているだけで、我々の多くは日本国土の中にあるありきたりな一つの行政単位というイメージに終始する。この記号化された図形はこの島々の、国家によって軍事植民地とされ要塞化されているといった本当の姿など勿論一切示すことはない。だが初めて沖縄に接するものは、取り分け本土の人間はこうしたイメージからしかここには入っては来ない。様々な情報や報道は様々な前知識を植え付けようとするが、ここに来るものは単純に(数日後には元来た道に帰るだけの)観光客としてしか全てを受け止め得ないのはわかりきっている。どんなに(問題性のあるものとして)意識的にここへ来たとしても一旦ここを離れればそれで終わりだ。それは沖縄の現状に如何に慨嘆し国家政府のやり方に地団太踏んで憤ってもここから離れれば元の木阿弥にしかならないという人性の現実を示している。ましてやここに一度も来たことがない本土の人間が沖縄を真に知ることは先ずあり得ない。それはあらゆる沖縄シンパにさえどうかすると自省を込めて警告すべきことらしい。かく言う筆者がこうしたSNSを通じて痛切に実感するのは、高江も辺野古もその現場に行ってそこに存在していなければ、(ぬくぬくとした家庭に)居ながらにして百万言費やそうが恐らく机上の空論と変わらない口上に終わるということだった。但し、諸般の事情を盾にして筆者は到底継続的に早朝から行動に参加するわけにいかないと口ごもりながら、それでも誰かに何かを発信するこのブログをやめる気はない。
沖縄から何かを発信するということでも、SNSの場合、不特定多数の相手に偶発的なメッセージを垂れ流すことでしかない。そこに例えば「拡散」や「広告」効果を期待するにしろ、その内容が確かに不特定の誰にでも目に入るようにはなってないので、結局はある特定の閲覧者に限って発信されていると考えざるを得ない。実際、筆者も又多くの場合特定のSNS発信者のそれにしか触れることがない。さりながら電子版の新聞など情報源は多岐にわたり存在するので、そうしたものを「紹介」の形でできるだけ多くの人の目に入るように代行的に発信するのは、補足的だが意義あるものと思っている。沖縄に直接関連しなくともだ。
新城郁夫、鹿野正直両氏の対談集である本書は多くの意味ある示唆があったが、概して筆者にとっての「沖縄知」を比較確認する意味合いが強かった。移住者である筆者が真に「ウチナンチュ」かどうかは全く覚束ないが、実質「本土人」(かつてそこにいたからということだけでなく)であることは疑いようもない(安保ただ乗り、軽負担経済恩典受益者)。目線がそういう性格を示すのはよくよく意識する所である。ただ自分は「ヤマトンチュ」(その言は屡々敵意、軽蔑の含意がありそうだ)かどうかというと沖縄の人が持つイメージのそれとは違うのだと思っている(あるいはそうでなくあろうと努めている)。しかしかつての三里塚のシンパのようには若くもなく行動的でもない、かつはそういう単純なシンパ性を否定するような動きを自分の中に感じる。
沖縄高江辺野古他の市民活動は、全く単純に言うとどうやら三里塚闘争とは質に於いて違うのだと。そして重要なのは、ここでは市民運動の原基的モデルが実際に具体的に厳粛に実践されている、ということだ。それが「非暴力不服従運動」なのだが、筆者が感動し同調し賛同するのはその普遍的な価値観なのであり、これをもって体を張って行動し続けている「ウチナンチュ」の気高い精神性に敬意を表しないわけにいかない。(つづく)