沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩552 辺野古へ 3 本土からの移住者が思うこと

2014年08月25日 08時48分47秒 | 政治論

 8月23日の県民大集会は、近在ながらwebの生中継実見で当人としてはリアルタイム参加したような具合だったが、主催者側発表3600人余が集うとあの狭い辺野古のゲート前路側はひとつのメッセージを象って、あの時間帯に、潜在する「沖縄の市民の声」を集中的に表現したのだと評価できる。恐らくは、事前に数か月の間隔があれば数万人規模のものとなったのであろうが、今後同様の「市民の声」集結を繰り返し企図すればこれに見合う意思表現は効果的に流布するのであろう。但し、この安倍政権という、稀代の、機械化された官僚主導非人間的事務的政治集団は一切「聞く耳を持たない」ファシズム政権だということを踏まえておく必要がある。問題はだから、彼らが事実上「調査、工事断念」せざるを得ない状況に現実に追い込むことにしか、この市民闘争の実効性は図れない、ということだ。そのために普段の市民活動が一層重要になり、その分活動負担は過酷を極める。安倍晋三配下の機械化集団が「住民排除」の、戦後間もない米軍並「銃剣&ブルドーザー」方式で様々な前近代的弾圧を繰り返せば「世界」が黙ってはいないであろうが、その「世界」を国連あたりに見ようとすると多分大きな間違いを犯すことになる。あの「諸国民連帯」の無力な「連合」のできるのは「勧告」程度で終始し、決して現今米国パクスアメリカーナ体制に風穴開けるだけの力などない。およそ国家同士が利害関係抜きで虚心坦懐談合することなぞ不可能な話だ。よく言うように「あなたの心にこそ世界がある」という言い回し以外思い浮かばない。あなたがたの中にこそ「世界性」を保障する真摯な声があると。だから我々自身が「世界」の中心となって、単独で、自分の認識と判断力に伴う行動力を稼働すること。(つづく)