沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩124

2010年07月14日 08時38分53秒 | 政治論
 沖縄に移住して4年、集中豪雨の雨マークがズラリと並ぶ週間天気予報は一人晴天マークで埋められた。この特別な地域に住んでいることは否応なくその地域性に着目させずにいない。11月末まで続く夏の空気、スコール、日光が際立たせるエメラルドの海、12月まで鳴いている蝉、奇妙なアクセント、異国的な顔立ち、決して美味でない琉球料理、豊富な果実、普通になっているバナナ、原色の鯛系魚、.......建築関係の図書を漁ったときについでに読んだ沖縄戦米軍基地関連の無数の文献は彼を忽ち反基地主義者に仕立て上げた。そしてこういう彼に見えてきたのが中央政府の完全な沖縄差別であった。まもなくこの背景が日米間の沖縄に関する裏取引(または公然の)によっていた事ははっきりしてきた。今この現実が堂々とまかり通っているときこの国の歩んだ戦後がいかに偏頗で不健全で無反省であったかを痛感せざるを得ない。かつて4年以前は同じようにこの状況に何気に過ごした時期があったのだが、もはやそこに安住するわけには行かなくなった。おまけに彼の住するヤンバルはまさに争点の辺野古を擁する沖縄北部に位置している。ここでは仮想敵国よりはるかに現実的に米軍機の脅威に曝されている。つまりは沖縄現場の声が本土には届かないし温度差は気温同様にある。いやこれはまやかしで実際は沖縄は特別であり、アメリカに売り渡した日本政府の罪過なのだ。そして初期の鳩山のようなドンキホーテが出てこない限り決してまともには扱われない永久的な基地の島となる。日本本土の犠牲として国土防衛の最前線として永久に捨て去られた島である。黙して語らぬシマンチュは黙々と現状に耐える犠牲的精神として本土の人間に望まぬ感謝を言われるわけだ。