寄り道 まわり道 遠くへ行く道

新しいことを見つけるって楽しい!

防災の日

2012年09月01日 | 震災・災害関連
数日前に、南海トラフの巨大地震が起こった場合、最悪32万人が死亡という被害想定が出ました。衝撃的な内容に「恐怖をあおりすぎ」などの批判もあるようですが、この被害を何分の一にも縮小することができる、その対策とは「迅速に逃げる」ということに尽きるといいます。その「意識」を持つために、やはり「最悪」を想定した方がよい、と311を経験して思います。

あの日、仙台空港が水没した、というニュースを聞きながら、海から数キロの子どもたちの学校に津波が届くとは、私は全く、本当にまったく、考えませんでした。その日の夜、子どもたちが帰って来れないという事態になってもまだ、水のせいとは思ってませんでした。3年以内に98%以上の確率で地震が来るって聞いてました。だけど、津波のことを心配して、子どもたちとそのことについて話し合ったことは一度もありませんでした。

今日は防災の日で、釜石の子どもたちの話を朝からテレビで見ていました。
とても大事なことを言ってました。
小さな子供も、自分の命は自分で守る、だから、大人がいなくてもすぐに逃げる。親も、子どもが家で待っているのでは、と考えて迎えに行ったりしないで、逃げる。一人一人が自分で判断して動く、という約束が、子どもたちの命を守ったのだと。

親も子どもを信頼しなきゃいけない。
そして、何日か別れ別れになったとしても、必ず会えると信じて動く。
釜石では、その約束が、信頼が、多くの人の命を救ったのですね。

わたしは、阪神大震災も経験していたけど、津波について考えることをしないまま、3月11日を迎えてしまいました。子どもたちと別れ別れになったらば、どういう行動をとるべきか、そのことも十分に話し合っておくべきでした。

そしてその日その時を乗り切った「後」もあります。
東日本大震災以上の巨大地震が来る可能性がある、と正面からまともに考えて取り組んでおけば、きっと「その後」は違います。私も津波はまったく思いもしなかったけど、それでも防災のためのグッズはそろえていたから、あの数日を乗り切れました。今も考えるとぞっとします。わたしはホントは地震が来るなんてまったく予想してませんでした。でも、阪神大震災のときに3日生き延びることができるように備蓄をという教訓があって、それだけはとりあえず用意していました。でも内心、フリーズドライの食品、こんなにあったってどうせ賞味期限が来てしょうがなく処分することになるんだよな、と思ってました。だけど、無駄になったら無駄になったで「よかったね」ってことなんです。あの備蓄がなかったらあの数日は乗り切れませんでした。ただ今回は、実は3日では足りませんでした。ほんとの困窮は1週間後から。だから、最大級の被害想定で準備しておいた方が安心なんです。

ガソリンもこまめに入れておくこと。
めったに使わなくても自転車は持っておかなきゃダメ。
懐中電灯はしまいこんじゃダメで、絶対枕元に置いておく。
カセットコンロのガスは大量に準備しておく。
ガスの回復は絶対に最後になるから、電気調理器は必ず持っておく。
お風呂の水はおとさない。

ガソリンがなくなっていくのが毎日つらかったなあ。
「いつまで」って期限があればだいじょぶだったと思うけど、たとえばガソリンは4月の最初の週に買えるようになったんですけど、それが最初からわかってたらね、あれほどつらくはなかったんだけど、わかりませんでしたからねえ。ガソリン買えたあのときの安堵感、感謝の気持ち、ほんと一生忘れないです。米をもらったときもね、牛乳が買えた時もね、それから近所のパン屋でパンが買えた時も。ほんと忘れられない安堵感でした。

準備をしましょう。今日、今すぐに。











コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 考えてる | トップ | たまった教材に追い付く。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

震災・災害関連」カテゴリの最新記事