(加茂氏と秦氏)
加茂氏は、地の人、もともと日本列島にいた人々であり、移動しながら、京都盆地の東の鴨川あたりに根をおろし、
一方、秦氏は、渡来人であり、応神天皇の代に渡来して京都盆地の西の桂川のあたりに土地を与えられて住み着いたらしい。
京都盆地の二大勢力となった。
対立するのではなく、お互い婚姻によって血縁関係を結んで和し、ともに栄えることになった。
争わず、和する、日本列島の良き伝統が感じられる。
賀茂川と高野川合流点あたりに両鴨神社。
桂川沿いの松尾大社は秦氏の氏神、京都の南に位置する伏見稲荷大社は御祭神が稲荷神で五穀豊穣を司る神を秦氏の先祖が祀った、いずれも創建は8世紀の初め。※2
(出雲族と九州族)
鴨川の中流の東に位置する八坂神社、主祭神は、素戔嗚尊 (すさのをのみこと)で出雲族の系統。※3
京都のさらに南に位置し、桂川、鴨川、宇治川の合流点近くに石清水八幡宮がある。※4
九州で勢力をほこる勢力が祀る宇佐神宮の神々(応神天皇ほか)を勧請。
九州族と言う言葉はないが、大陸や半島の勢力との接点で日本列島防衛上の要であり、強力な勢力が存在していたと考える。
(安定した平安京)
加茂氏と秦氏、出雲族と九州族の勢力を配置し、均衡させて、
京都の政治を安定させるための知恵だろう。
8世紀末に都として定め、19世紀までの長きにわたり、都として栄えた。
※2 松尾大社:京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎されている。
※3 八坂神社:山城国愛宕郡八坂郷に祀られていたので「八坂」。創建は、6世紀か8世紀かはっきりしない。主祭神は素戔嗚尊 (すさのをのみこと)。
※4 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社。旧称は男山八幡宮。
平安時代前期の貞観年間に大安寺僧の行教が宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請した神社で、京都の南南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座された。
主祭神は、八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后。
加茂氏は、地の人、もともと日本列島にいた人々であり、移動しながら、京都盆地の東の鴨川あたりに根をおろし、
一方、秦氏は、渡来人であり、応神天皇の代に渡来して京都盆地の西の桂川のあたりに土地を与えられて住み着いたらしい。
京都盆地の二大勢力となった。
対立するのではなく、お互い婚姻によって血縁関係を結んで和し、ともに栄えることになった。
争わず、和する、日本列島の良き伝統が感じられる。
賀茂川と高野川合流点あたりに両鴨神社。
桂川沿いの松尾大社は秦氏の氏神、京都の南に位置する伏見稲荷大社は御祭神が稲荷神で五穀豊穣を司る神を秦氏の先祖が祀った、いずれも創建は8世紀の初め。※2
(出雲族と九州族)
鴨川の中流の東に位置する八坂神社、主祭神は、素戔嗚尊 (すさのをのみこと)で出雲族の系統。※3
京都のさらに南に位置し、桂川、鴨川、宇治川の合流点近くに石清水八幡宮がある。※4
九州で勢力をほこる勢力が祀る宇佐神宮の神々(応神天皇ほか)を勧請。
九州族と言う言葉はないが、大陸や半島の勢力との接点で日本列島防衛上の要であり、強力な勢力が存在していたと考える。
(安定した平安京)
加茂氏と秦氏、出雲族と九州族の勢力を配置し、均衡させて、
京都の政治を安定させるための知恵だろう。
8世紀末に都として定め、19世紀までの長きにわたり、都として栄えた。
※2 松尾大社:京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎されている。
※3 八坂神社:山城国愛宕郡八坂郷に祀られていたので「八坂」。創建は、6世紀か8世紀かはっきりしない。主祭神は素戔嗚尊 (すさのをのみこと)。
※4 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市八幡高坊にある神社。旧称は男山八幡宮。
平安時代前期の貞観年間に大安寺僧の行教が宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請した神社で、京都の南南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座された。
主祭神は、八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后。
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