今月の謡の曲目は「三輪」。
大和の国、三輪明神の森の近くに住む高僧のもとに毎日お供え物を持ってくる里女。
実は、その里女が三輪明神の化身だったという話。
ストーリーは、脇役がお坊さんで、主役のシテは神霊。
前場で神霊が里女として現れ、お坊さんは何者だろうと関心を持つ。
後場では、お坊さんの前に神霊として現れ、三輪の神とアマテラスの神々の謂れなどを話す。
神霊は神楽を奏し、舞をまうが、いつしか秋の夜は明けてお坊さんは夢から覚めた。
能の作品のストーリーは、脇役がお坊さんで、主役のシテは、神霊や現世に未練を残す霊魂などという設定が多い。
前場では、旅のお坊さんの前に霊魂の化身が村人などとして現れ、その土地であった昔物語を詳細に話す。
話し終わって何処へともなく去っていく。
後場では、お坊さんの前に霊魂が現れる。
現世での罪に悩まされて苦悩しつづけている霊魂は、この世に未練が残り、成仏できない。
そこで、お坊さんがお経を唱え、供養をすることで霊魂を成仏させて見送る。
このようなストーリーができたのは、仏教伝来のおかげ。
もと猿楽といわれていた芸能は、奈良・飛鳥時代にさかのぼり、1400年ほどの歴史がある。
だが、当初は、大陸から日本に伝わった散楽(曲芸や物まね、軽業などの芸能)であり、
その後、田楽(苦しい農作業をしている人々を周りで鉦や太鼓で囃して元気づける芸能)の要素を加え、
さらに仏教の教えを物語に導入して、高尚な芸能として、観阿弥、世阿弥などが完成させたもの。
お坊さんが案内役として登場、神道の八百万の神々が主役、というのが基本パターン。
神道に仏教の教えを取り入れることで高尚な芸能となった。
聖徳太子が大いに貢献!
ちなみに、聖徳太子の側近だった秦河勝は、能楽の始祖。
(つづく)
大和の国、三輪明神の森の近くに住む高僧のもとに毎日お供え物を持ってくる里女。
実は、その里女が三輪明神の化身だったという話。
ストーリーは、脇役がお坊さんで、主役のシテは神霊。
前場で神霊が里女として現れ、お坊さんは何者だろうと関心を持つ。
後場では、お坊さんの前に神霊として現れ、三輪の神とアマテラスの神々の謂れなどを話す。
神霊は神楽を奏し、舞をまうが、いつしか秋の夜は明けてお坊さんは夢から覚めた。
能の作品のストーリーは、脇役がお坊さんで、主役のシテは、神霊や現世に未練を残す霊魂などという設定が多い。
前場では、旅のお坊さんの前に霊魂の化身が村人などとして現れ、その土地であった昔物語を詳細に話す。
話し終わって何処へともなく去っていく。
後場では、お坊さんの前に霊魂が現れる。
現世での罪に悩まされて苦悩しつづけている霊魂は、この世に未練が残り、成仏できない。
そこで、お坊さんがお経を唱え、供養をすることで霊魂を成仏させて見送る。
このようなストーリーができたのは、仏教伝来のおかげ。
もと猿楽といわれていた芸能は、奈良・飛鳥時代にさかのぼり、1400年ほどの歴史がある。
だが、当初は、大陸から日本に伝わった散楽(曲芸や物まね、軽業などの芸能)であり、
その後、田楽(苦しい農作業をしている人々を周りで鉦や太鼓で囃して元気づける芸能)の要素を加え、
さらに仏教の教えを物語に導入して、高尚な芸能として、観阿弥、世阿弥などが完成させたもの。
お坊さんが案内役として登場、神道の八百万の神々が主役、というのが基本パターン。
神道に仏教の教えを取り入れることで高尚な芸能となった。
聖徳太子が大いに貢献!
ちなみに、聖徳太子の側近だった秦河勝は、能楽の始祖。
(つづく)