今月は、謡曲「加茂」と取り組む。
前シテは、里女で、「加茂の里の秦氏の女」として出てくる。
むかしむかし、京都では、加茂氏と秦氏が有力な一族で、
加茂氏は、京都の東の賀茂川あたり、秦氏は西の桂川あたりに勢力を張っていた。※
「加茂の里の秦氏の女」とは、加茂氏に嫁いだ秦氏の女ということだろうから、加茂氏と秦氏が婚姻関係にあったということだろう。
賀茂川と高野川の間に、下鴨神社、上鴨神社があり、この二つの神社は合わせて一つのように扱っている。
下鴨神社の御祭神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)、
上鴨神社の御祭神は、賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)、
である。
玉依比売命は、賀茂建角身命の配偶者ではなく、《娘》である。
別雷神は、白羽の矢を父として誕生した。
キリスト教の三位一体(さんみいったい)は、
父である神、神の子であるイエス・キリスト、聖霊の三つは一体のものとするが、両神社の神様を連想させる。
賀茂建角身命➡父である神
玉依比売命 ➡神の《子》であるキリスト
別雷神 ➡聖霊
※秦氏は渡来人。キリスト教を伝えたか。
(Webより)秦氏ゆかりの 大酒神社の由緒書『后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、金銀玉はく等の宝物を献上す。
弓月王の孫酒公は、秦氏諸族を卒て蚕(かいこ)を養い呉服漢織に依って絹綾錦の類をおびただしく織り出し朝廷に奉る。
絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、理益(うずまさる)と言う意味で酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。
尚、603年 広隆寺建立者 秦河勝は酒公の6代目の孫。』
前シテは、里女で、「加茂の里の秦氏の女」として出てくる。
むかしむかし、京都では、加茂氏と秦氏が有力な一族で、
加茂氏は、京都の東の賀茂川あたり、秦氏は西の桂川あたりに勢力を張っていた。※
「加茂の里の秦氏の女」とは、加茂氏に嫁いだ秦氏の女ということだろうから、加茂氏と秦氏が婚姻関係にあったということだろう。
賀茂川と高野川の間に、下鴨神社、上鴨神社があり、この二つの神社は合わせて一つのように扱っている。
下鴨神社の御祭神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)、
上鴨神社の御祭神は、賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)、
である。
玉依比売命は、賀茂建角身命の配偶者ではなく、《娘》である。
別雷神は、白羽の矢を父として誕生した。
キリスト教の三位一体(さんみいったい)は、
父である神、神の子であるイエス・キリスト、聖霊の三つは一体のものとするが、両神社の神様を連想させる。
賀茂建角身命➡父である神
玉依比売命 ➡神の《子》であるキリスト
別雷神 ➡聖霊
※秦氏は渡来人。キリスト教を伝えたか。
(Webより)秦氏ゆかりの 大酒神社の由緒書『后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、金銀玉はく等の宝物を献上す。
弓月王の孫酒公は、秦氏諸族を卒て蚕(かいこ)を養い呉服漢織に依って絹綾錦の類をおびただしく織り出し朝廷に奉る。
絹布宮中に満積して山の如く丘の如し。天皇御悦の余り、理益(うずまさる)と言う意味で酒公に禹豆麻佐(うずまさ)の姓を賜う。
尚、603年 広隆寺建立者 秦河勝は酒公の6代目の孫。』
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