当方の第二の故郷「金沢」の地名の由来は、
広く流布している話によれば、
日本むかし話の「芋堀り藤五郎(いもほりとうごろう)」が、
山で掘ってくるヤマイモについてくる砂金を、
洗った湧き水の沢を「金洗沢(かなあらいざわ)」といい、それが「金沢」の地名になった。
現在の兼六園の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」がその泉。
地元の歴史家(浅香年木)によれば、※
一向一揆の総本山石山本願寺が別院の形で支房を建設した。
その際に※2、
証如(しょうにょ)※3 が「金沢」という地名を選んだ。
当地には金の鉱脈があって砂金が採れたので洗うのに利用する小さな沢(金洗い沢)があった。
他に地名の候補はたくさんあったが、金沢を選んだ。
縁起がよかったからで本願寺ほど流通経済、金儲けに一生懸命になった教団はいない。
※ 『百万石の光と影』浅香年木、26-29頁
※2 天文15年(1546)
※3 証如は、戦国時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第10世宗主・真宗大谷派第10代門首。
広く流布している話によれば、
日本むかし話の「芋堀り藤五郎(いもほりとうごろう)」が、
山で掘ってくるヤマイモについてくる砂金を、
洗った湧き水の沢を「金洗沢(かなあらいざわ)」といい、それが「金沢」の地名になった。
現在の兼六園の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」がその泉。
地元の歴史家(浅香年木)によれば、※
一向一揆の総本山石山本願寺が別院の形で支房を建設した。
その際に※2、
証如(しょうにょ)※3 が「金沢」という地名を選んだ。
当地には金の鉱脈があって砂金が採れたので洗うのに利用する小さな沢(金洗い沢)があった。
他に地名の候補はたくさんあったが、金沢を選んだ。
縁起がよかったからで本願寺ほど流通経済、金儲けに一生懸命になった教団はいない。
※ 『百万石の光と影』浅香年木、26-29頁
※2 天文15年(1546)
※3 証如は、戦国時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第10世宗主・真宗大谷派第10代門首。