つくづく、メディアの報道なども見ていて不思議なのは、福島第一原発について、おきている問題を直視する感覚が一体、どのくらいあるのだろうかという疑問です。いや、メディアというのは本質的な話ではなくて、一般の人々がどこまで現在おきている原発問題を直視しているのか、いつも疑問に想っています。よく、この話の中で、二極化というキーワードを聞きます。大半の人は、「大丈夫、たいしたことがない」とそれ以上に深く考えません。政府やマスコミの報道も、強烈ではありませんから、ある程度、安心感が強まります。そこでなんとなく「思考停止」。たぶん大丈夫→まず大丈夫→絶対大丈夫として頭の中にまわり始めれば、事柄はおさまっていくような気になります。原発の状況が現実にどうであるのかと言う事とそこからおきてくることについて、あまり考えないようにしていく状態です。水も野菜も、いろんな事について、放射性物質が出ているのも、「基準」があって、その「基準」を超えていないし、超えたものは流通しないから大丈夫と思い込む状態になります。大丈夫ということが、ある種の絶対的なワードになって、それ以上は考える事を進めない人々が多数である事は間違いない状態です。例えば、福島県内の子供たちの事象などは、いくらなんでも問題となりうる事象はたくさん考えられるのですが、特に首都圏から見た場合に、福島の話は福島の話と割り切ってしまい、こっちとは関係がないからと考える事もなく終わってしまうような状態ではないのかということです。ここであるのは、自分のところに影響さえしなければ、他の地域で何が起きても、思考しないというスタイルです。勿論、これも海外報道などで、悲惨な事が起きてもなかなかこちらは実感の持てないことがよくあるのと、近い構造ではないのかとも見えるかも知れません。ただ、海外の場合は、起きている事象が直接影響してくる可能性はほとんどありませんが、今回、福島第一原発の事故については、東京から二百キロ離れているぐらいの場所で始まっている話です。その距離感覚から思考していくと、関わりがないと考えるほうが難しいと想うのですが、距離があるのだから関係がない、もしくは大丈夫と思い込む構図になってきます。勿論、マスメディアが、どちらかというと、「大丈夫」に近いワードで報道していくスタイルをとり続けます。それを見て、「やはり大丈夫」と思うようになります。
大丈夫だと思わないと、人間、なかなかやっていけないものなのはよくわかります。いろんな活動をしていく基盤が、身のまわりにあって、それは変わらない日常が続いていくのでなければ、本質的に人間は安定的な思考は難しいのではないのかと思います。しかも、放射能と言うのは、歩いていて目にする事ができません。そこに、どういうものがあるのか、肉眼で見えない以上、日常の世界の中で確認する術がありません。だから、大丈夫と考える思考を続けていくしかない形式がさらに強くなります。目に見えたものは、爆発事象が二回あるだけです。その爆発も、確かに大きな爆発に見える事象でしたが、本質的にそこが爆発している事が見る事ができるだけで、爆発事態の火災的な現象は、敷地周辺の事柄だろうと一見、思えるので、さらに思考は進まなくなります。大丈夫だと言う事の枠を出る事はありません。
ところが、もう片方には、危機を感じている人々がいます。こうした人々は、まず感覚的に顕著になっていく大きなきっかけはこの二回の爆発事象です。爆発を見たときに、普通の工場爆発ではなくて、原子力発電所の爆発であると言う事が分かります。原子力発電所の爆発が過去におきたことは、チェルノブイリしかありません。チェルノブイリの知識がある場合は勿論の事、ない人でも調べようと思えば調べられます。そうしたら、ものの数分で、被害半径が数百キロに及んでいる事が認識されます。高濃度の被曝地帯が、350キロ圏内ではかなり達している事も、すぐにわかります。インターネットという道具はこうした時にものすごく使えるツールです。このツールで確認できるおかげで、ある程度の情報は得られます。おきている爆発事象の意味を考える発想になると、高濃度の被曝エリアがどういうふうに、福島第一原発のまわりから広がってくるのか、実は皆目検討はつかない事もおおよそ推定がつきます。こうなると早く動く人々は、この段階から行動が始まります。退避すると言う選択です。ただし現在までのところ、こうしたスタイルの人は確実に少数です。少数であるがゆえに、「おかしい」と多数の人々より非難される構図になります。現実に起きていることをそのまま見ていて、起こり得る状況をいちはやく想定するだけで、その人間が「おかしい」とみなされる構図と言うのは、「大丈夫」と考える人々の中で、ある特定部分が特に主張する構図になります。それは、日常の仕組みを優先するほうが先決で、有事に起きている事象を直視しないというスタイルになります。ここはさらに排除の論理が貫徹されます。「危険など実態はない。あいつは過剰だ。」と。どこに核心があるのかというと、おきている事柄を直視して、通常とは異なる行動を取る人々をけん制して、そういう行動を取らせないようにすると言う思考スタイルです。これは、政府の感覚と近いものかもしれません。政府としては、危険を直視することで、行動を求める人々が増えた場合、いろんなことをしなければ、いけなくなります。官僚機構も菅総理個人も、何か判断して積極的に対応していく人ではありません。福島の子どもたちの問題を、文部科学大臣や文部科学省が、見て見ぬふりをするということに最も顕著にあらわれています。福島の子どもが危険だから、学童疎開をなどと言い出されるほうが、面倒くさいわけです。面倒くさいし、予算もないし、やったらやったで世間から「非難」されるリスクもありますから、背負い込みたくないという思考です。だったら、「大丈夫」と言い張ろうという構図です。その危険を指摘する人々が直視している現実を、直視させない方向に、事柄はどんどん進んでいきます。危機を感じて主張する人々との乖離はさらに広がります。
二極化の一方は、事態に直面して、危機を感じている人々ですが、危機を感じている事から、行動に移る人々よりも、行動に移らないが、内面で危機を感じている人々の方が実は多いだろうと思います。この人々の数が、いったいどのくらい増えているのかが、僕は気になっています。爆発事象をテレビで見ながらなんとなく「これはまずいことがおきているのかも」と、自問自答がスタートします。周りはあまりこの話題に触れなかったり、「大丈夫でしょ。テレビも言っていたし。」という感じで返されます。周りでこの話をできる人はほとんどいません。そのうち、水道水が基準値を超えた話が伝わります。少し調べれば、暫定的に高い基準を設けたものさえ、首都圏の水道で超えはじめている事が分かります。自衛策のため、ペットボトルの水を中心に飲むしか方法はありません。そうしているうちに、今度は関東の野菜に放射性物質が付着していて、これも基準値を超えたことが分かります。暫定的に高く設定した基準値をこえていくものです。この暫定基準も少し調べれば、かなり高いものであることもよく理解できます。こうすると、あの爆発事象が、飲み物や食べ物に影響が出ている事がよくわかります。でも、周りでそのことを口にする友人や近所の人はほとんどいません。自分で、悶々として調べ始めると、さらに危険な可能性が認識されます。そうすると不安が高まります。高まるけれども解消する方法はなかなかありません。そうすると、さらに不安は高まります。
こうした人々が実は前よりも段々と多くなっているのではないのかと僕は思います。一向に事態解決のメドが見えないからです。原発のみならず地震も怖いけど、このまま東京にいても何か守られない気がする。このまま居続ける事が不安だから、できるなら離れたい、離れるのを許されないだろうから、会社を辞めようと思います、でも本当はどうしたらよいのかわからない。そうした相談も聞くことがあります。勿論、そう思うことが常に正しいとは言いませんが、原発問題を直視していくと、危険があるという実態は認識するしかないことはよくわかります。直視していくと、不安が強くなり、どう行動するのか迷いが生じている状態の人々、これは理解できる展開です。実はこういう感覚の人々が、どのくらいいらっしゃるのかということが、この原発問題が、発電所でおきている事柄そのものの解決ではなくて、社会的に解決できるのかどうかというメルクマールになるかもしれないと僕は思っています。行動に移す人々よりも、事態を直視して、内面に不安を抱える人が、サイレントマジョリティーになるくらいの状況であれば、社会的に今後展開してくる事が違ってくる可能性があります。どう違ってくるのかは分かりませんが、ある閾値を越えた瞬間から、こうした人々の想いというのは、実はいろんな形で吹き上げてくる可能性は、実は低くないと言う事です。
僕は、まずこの原発問題に直視してもらいたいという思いからのスタートです。僕がいくら危機的な状況を説明しても、全然聞き入れない事態が数日も続いた後で、僕はそれならば、自分の身で示す事で、まわりに、おきている事柄を分からせる気持ちもあって、退避しました。今、現在も同じ考えです。レベル7といい、実は危険だったという政府発言などからも、僕の認識は妥当であったと今も思っていますし、申し訳ないですが、現在でも妥当であると思います。今も危険は継続しています。ここの認識のレベルを直面しないで「大丈夫」を繰り返す人は、無責任としか私は思いませんし、今に至るまで、電話などで正面きってこのことを問いただしてきてきちんと僕に向き合ってきた人間は、残念ながら一人もいません(文句を直接言って僕に電話してくる人がいないのです、僕の電話を知っている人、知りえる人は数多くいますが、電話をかけてくる感覚さえないようです)。被爆と言う問題をきちんと思考して、僕に直接反駁してきた人間が現実に皆無の中で、何を批判したいのか僕にはさっぱり理解できません。感情論は、本質では全くありませんので、僕には関係ないですし、馬鹿馬鹿しいです。
このブログは原発問題に直面してほしいという僕の思いを、対外的にもきちんと表明する事が当初の目的でしたが、さらに思わぬくらい多くの人々が、このブログを読んで、今回の原発問題に直面していただくきっかけの一つになっていることは、僕にとっても大変にありがたい事です。というか、僕を超えて、ブログの読者の間でもいろんなことが始まっています。こういう作業が、次にどういうことにつながるのか、今、何か明確に見えているわけではないのですが、早晩、何か見えてくる事もあるのではないのかと僕は思って走っています。どういう列車かはわかりませんが、何か乗っている列車があって、きちんとしたどこかに着こうとして、ひたすら走っている気がしています。僕は、自分の意志で動いている感覚よりも、なにものかに突き動かされて進んでいるような感覚さえ覚えています。とにかく、当初の目的である、原発問題を多数の人に直視してもらえるのかどうかということへのトライアルが続くのだと思っています。
ところで、このブログを通して、具体的にいろんな事をしたいとおっしゃる方が、複数いらっしゃいます。今そういう方たちの間で、お互いに連絡を取りあおうという動きもあります。まだ、何ができるのか具体的なイメージはありませんが、つながっていく事で突破できる話もいろいろあるのかもしれません。そういうご希望のある方は、メールにお名前と電話番号をいれて伝えてください。
また、いろんな方の情報提供で、取材がうまくできるケースもあります。情報はどこから、何が突破するのかわかりません。いち早い情報が、皆さんの今後に役立つ可能性もあります。この福島第一原発に絡んで、少しでも情報がある方は是非メールしてください。よろしくお願いします。
何年もに渡り事故関係のテレビを見たり本を読み漁り、大好きなピスタチオも食べないように心がけてきました(ヨーロッパの木の実が危ないという情報から)。。
福島原発の3号機が爆発した時、「終わった」と思いました。あれが1号機と同じ爆発でないことは、ド素人でもわかること・・・。でも、私の周囲では「政府を信じて気にしない」又は「諦めムードで考えない」の人ばかり。。これが、ちょっと気に食わない先生が居ただけで、校長に詰め寄る母達と同じ人とは思えません。。
それどころではないのに。
子供が死ぬかもしれないのに・・・。。
なので、お友達と原発事故の話はできません。。
15日と22日は数日間東海~関西に一家で退避しましたが、親戚は皆関東なのでお金も続かず。。
拠点がすべてこちらなのもあり、子供の学校も始まってしまったこともありで、不安を抱えながら日々ネットだけが味方で過ごしております。
必死で購入したミネラルウォーターを使い、西日本の野菜を食べ、肉や魚は海外のを・・・、頑張ってはいますが、日々被爆量は増えているはず。。
ホットスポットなんです、うちの周辺は。。
いつまでこの生活が続けられるのか。。
東電内部では福島原発は今年一杯はもたないという内部文章が出回っているという噂も、ネットで見ましたが、今までの流れからするとさもありなんと絶望的にもなります。。
最悪の事態にならないことを毎日神様仏様ご先祖様に願いつつ、万が一のその時は死に物狂いで一家で逃げようと、心の準備だけはしています。
自分は思ったことを言葉にするのが下手なのですが
その中で今回こうして文字に起こしてくれたものを見て
そういった部分を昇華できたように感じました。
という訳で代筆・代弁ありがとうございます。と伝えたくて
コメントさせてもらいました。
因めば私も今回の危険だと思い仕事を辞め退避しようとしてる1人です。
巷間、様々な言説が取り沙汰されているが、どれも確定的ではない。
その中で、一般の人々の意見も千千に乱れている。
果たして、危険か安全かという形で二極化していると言えるのだろうか。
寧ろ、大多数は無関心で、その他の人々の間で意見が分かれているに過ぎないと見るべきではないのか。
ところで、投票率の低さからも分かるように、政治に対する国民の関心は薄い。
誰がやっても同じだとか、自分には直接関わりがない等々、様々な理由があるのだろうが、その根底には余裕というものの存在があると考えている。
先の政権交代をある種の革命と見る向きもあるが、投票した人々の意識の多くにそれ程の思い入れがあったと言えるのかは疑問である。
所詮は時のムードに流されているだけに思えるのだ。
大手メディアが政府や御用学者による楽観論を垂れ流す中で、原発事故に対する国民の問題意識が高まるだろうか。
ネットを通じて情報収集する人は未だに少数派である。
政治に無関心な人々が多いように、原発事故に関しても似た状況があるのではなかろうか。
政治に関しても、原発事故に関しても、余裕がなくなった時に初めて真剣に考え始めると思っている。
漠然としたものではなく、切実な問題と感じられた時、
例えば、前者においては経済的に生活が維持できなくなった時、後者においては健康被害が具体的に現れた時に。
少数派が多数派になるのは容易ではない。
その反面、ネットが契機となり、大きな変動が起こる可能性も感じている。
情報を持ち寄り、意見を交換し、より良い考えや行動に結び付けられれば、コメント欄への書き込みにも存在価値が生まれるというものだ。
チュニジアやエジプトは遠い国の出来事なぞではない。
対岸の火事ではないのだ。
http://www.universalsubtitles.org/ja/videos/2TnNJkefdfyZ/ja/72595/
日本語の字幕をつけましたヨ
素人なので間違えてるところもあると思いますが、誰でも編集に参加可能ですので、よろしければ。
ちょっとでもお役に立てればと思い始めました。
今朝の新聞で「八街市と市原市の牧草で放射能が検出」と載っていました。
八街市は私の住んでいる場所と隣接しています。
最近、豚肉は今まであまり買わなかったアメリカの肉を買い、野菜も西日本の物を買うように努力をしています。しかし、全て西日本の野菜を購入できるわけでなく今朝の記事がでるととうとう地場野菜も買えなくなります。
つい先日学校で何人かの友達と会う機会があり地震や原発の話をしましたが、危機感を感じている人はほぼ皆無です。ガソリンは常に満タン状態にする、水などの非常食をいま店頭にあるときに確保する、パスポートは家族全員取得済み、常に逃げられるように荷物はまとめておくなど話をしたらお笑いの話でも聞いているかのように笑われました。
ですがただ一人私には10年来の友人で同じ考えの人がいます。彼女は3月中旬の数日間北陸に避難をしていました。現在もメールなどでやり取りをしており、爆発したら次はもう逃げるしかないと先日会った時に話し合いました。(間に合えばよいのですが)
「怖い」さん色々大変ですが子どもたちのために頑張りましょう。結局最後は自分で判断をして行動しないといけない時が来るかもしれません(水蒸気爆発や台風や余震・津波など困難は数えきれませんが)。私は子どものために行動します。この国の政府は私たち国民を無事に避難させる判断はできないんですから。
マイノリティー派ですが頑張りましょう、子どもたちの未来のために。
こんなに大事な事なのに、この問題をきっかけに知り合った人としか真剣な話ができないというのはどういう事なのでしょう?
皆話している時だけは「大丈夫」と言うのがある意味エチケットになっている気がします。
そしてうすうす現実が見えている人たちは、孤独に生きる道を探すしかない。。。
「場所が無い」と言いますが、西日本に東日本の汚染地帯の人が全員移住したって、立って寝るような事になるわけは無いと思いませんか?
たとえ細分化され、ある程度分散はやむを得ないとしても、出来る限り地域のコミュニティを生かして、国が移住をサポートする姿勢を示してくれれば、皆で助け合って生きていく方向に変わると思うのですが。
そして、TV・大新聞という存在はそういう危険がある事を知らせる事は出来ないでしょう。
一つはスポンサーの問題、一つは結果責任という問題。スポンサー=御客様。会社において、会社の存亡に関る御客様の言う事は絶対です。
トヨタの下請けいじめや中小企業への苛烈なコスト削減が否定的な形ではほとんど報じられないのと一緒ですね。ましてや東電はトヨタ以上に広告費を払っている超優良顧客。メディアに本格的な原発批判が出来ないのは良く判ります。
また、仮に最悪の場合どうなるかを報じて経済活動に大きな損害を与え、最悪の事態にならなかった場合、それを報じたマスメディアは危機を煽ったとして糾弾する人間は必ず出てくるでしょう。損害賠償も起されるかもしれません。
低レベル放射線の害について、確立した理論が存在しない以上、メディアに今以上の報道を求めても無駄でしょうね。
まあ、こんなことは木下さんだって良く判っているのでしょうし、そんな大人の事情よりも大切なものを持っているからココで行動されているのでしょうけど。
また、福島市などの問題はいかに東電と政府が癒着しているのかをよく表していると思います。「ICRPの100mS以下の被爆では被害は無い!」という切り札がありますから。今後、健康被害がどの程度出るのか分かりませんが、国=東電が賠償を渋りに渋るのは目に見えています。
私は国の行動には納得しています。
昔から国のトップというのは、国民の幸せなんて考えていません。徳川家康の言「農民は生かさず殺さず、油を絞るが如し」。これが為政者の心得です。わずかな危険(国のトップはそう考えているのでしょう)があるからといって、「国の財政」や「原発というおいしいシステム」を犠牲にして退避指示なんて出すとは思えない。
もちろん選挙には行きますし、民主主義にほのかな期待は持っています。しかし、国に期待せず、国を信用せず、国の事情を察し国を利用する。これが庶民の生きる術だと考えております。
私は先日、子供の年間被曝量のことが親としてどうしても納得出来なかったので、文科省に電話してみました。
電話に出た男性は、
1.子供の年間被曝量を見直せという電話はたくさんかかってきている、
2.今は緊急時なのであのような値になった、3.この決定は政府(内閣)の、それも相当高いレベルから来ているものだ、私達役人はそれに従しうかない、
というようなことを言いました。
これはあくまでも私の個人的な所感ですが、結局、電話に出た人も「政治家がそのように判断したものに私達役人は従うしかないのだ」と半ばあきらめというか嘆き節を語っているように思えました。
私は「どうして子供の未来を守るべき筈の文科省がその決定に対して戦おうとしないのか」と詰め寄りましたが。
その後、私は民主党の複数の有力議員の事務所や、地元選出の国会議員の事務所に、何としてもこの決定だけでも早急に改めて欲しいとの電話をしました。
ここのブログのコメント欄の諸氏がおっしゃるように、やはり、どうも元凶は菅総理を始め、今の内閣ではないかと思わざるを得ません。
4、5月に行われる反原発デモのスケジュールまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2130371594088064501
原発なくてもエエジャナイカ大行進
http://eejan.sblo.jp/
日本社会のパーセンテージで考えたらまだまだ少数派かも知れませんが、この状況を深刻な危機と捉え、想像する方たちの絶対数が、かなり増えているのではと思います。
また、このままでは本当に危ないと、ボルテージを上げる方々も多くなっているように感じます。
4.10 原発やめろデモ!!!!!!!!! (報告)
http://410nonuke.tumblr.com/
メディアでは関東ローカルですが、東京新聞が、特報面を中心に浜岡原発の危険性や、福島の地元で原発反対運動に40年関わった方をインタビューし、反対運動がどのように切り崩され原発に取り込まれて行き、地元自治体は原発なしにはやっていけない状況になったのか・・・等々を報じています。
「『日本は資源に乏しい国だから』という言葉が魔法の言葉となり、国民が思考停止に陥っていると感じている。(中略)現在の事故がうまく収束しても、処理には数十年がかかるともいわれる。『いまの事故で放射性物質は東京にも流れていく。故瀬尾健助手(京大原子炉実験所)が福島での大事故を想定した試算では、首都圏で200万人以上が著しい健康被害を受けるという推計もある。自分たちだけは安全なんていう場所はない』」
(東京新聞・2011年4月1日朝刊・特報面より)
との事ですが、自身のお住まいの地域で自身の
地域が『ホットスポット』であると発言した方を初めて見ました。
『ホットスポット』に関しては、距離が事故現場から離れていても(300km)事故時の風向きや局地的な雨などの影響により、飛び地的に高濃度汚染地域が現れる。と認識しております。
つまり、事前策としては事故当時の風向き、その後の降雨を予測して想定するしか無い物と思います。事後策としては、大気、地表、食物、水等をしっかりモニタリングして数値変動を見るしか無いかと。そしてそれが公表されて初めてどう行動するか判断できる状態に至る、と。
そして、今この瞬間も放射性物質が出ている訳で、現在進行形であり、気象条件次第では降下してくるものと思います。
(それを踏まえると、国民全員が日々放射線飛散予測を見て、行動を変える必要があると思うのですが…)
(かつては、中国からの黄砂(工化学スモッグ)の降下状況により、グラウンドでの活動禁止などの措置をとっている期間があったくらいなのに…放射性降下物に関しては、そういう考え方をすると、常に外に出れなくなる為、諦めようという判断でしょうか…)
しかし、汚染状況(大気、水、雨)
http://atmc.jp/
を見ていると、
千葉より宮城、宮城より茨城の方が汚染されているのが解ります。
千葉県では、当初、水道水の隠蔽問題がありましたね。
それを踏まえ、千葉県が全体的にしっかりと計測し、公表しているから発覚しているのかもしれません。
自分達にとって不利益になる情報だが健康を最優先し、しっかり公表する。
全ての機関がそうあってほしいです。
また、不安を増幅させる事になってしまい恐縮ですが、
私のブログですがご覧ください
http://blog.livedoor.jp/gunoshinkoccho/archives/52171458.html
うまく、低く見せていますが、実際は、
4月19日までに、
浪江町島津津島
37.68mSv
飯舘村
21.14mSv
福島市
2.009mSv
被曝している可能性があります。
(あくまで、素人の計算なので可能性の話)
文科省の発信情報(空間測定)と思われますので、例の如く、内部被曝は加算されていないと思われます。
あえて、悲観的に言いますが、
~~東電女性社員は50代。事故発生後、女性の3カ月で5ミリシーベルトという国の限度の3倍以上となる17・55ミリシーベルトを被ばく。このうち13・6ミリシーベルトが内部被ばくだった~~
事を踏まえて、それでも少なめに(現場で作業していた訳では無いので)内部被曝を外部被曝の2倍として計算しても
浪江町島津津島
37.68mSv + 75.36mSv = 113.04mSv
飯舘村
21.14mSv + 42.28mSv = 63.42mSv
福島市
2.009mSv + 4.018mSv = 6.027mSv
あくまで、19日までの内部被曝を外部被曝の2倍とした計算で、福島市でも5mSvを超える試算が出てしまいました。
多かれ少なかれ空間や、地表、食物、水に放射性物質が含まれているのは確実な為、これでも結構過小計算であると個人的には思います。