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カンボジア~ベトナムの旅・・・5 バイヨン

2012-01-15 21:35:09 | 
南大門をくぐるとほどなくバイヨンが見えてくる。



東南の角は修復中の仮囲いがあった。

正規の正面の東参道に回る。

            

            東門から中に入る。

至る所にレリーフがある。

中でもアンコール遺跡の特筆はデバターと呼ばれる「女官像」だ・・・



                

                いずれ、このデバターだけの特集をしようと考えている。

                マジ面白い。。。。。




先に言ってしまうが、アンコールの遺跡群で、ここバイヨンとワットのレリーフは際立って精巧だ。

遺跡としての残り方も良かったのだろうが、それだけでなくこの物語を描いたレリーフのち密さも群を抜いている。

石組の建物としても造形は、どの遺跡を見てもそれほどの差異を感じなかっただけに、よけいそのことを思ってしまう。


チャンバ(今のベトナム)との戦の行軍。手前の短髪がクメール人、後ろが中国人

           
          中国人は髪を結っているのでそれと分かる

                      
                      中国人


これは行軍の後方で食料などを運ぶ人々。真ん中で棒を担いで振り向いている男は尻を亀に噛まれている。なぜかなぁ~?

           
          この短髪で耳たぶの長いのがクメール人。

人物と戦の物語だけでなく、仏教世界や日常生活、宮廷生活などなど・・・

しっかりと理解できて眺められたらもっと楽しいものになったと思う。。






建築物の陰から中央祠堂を観る。

アンコール遺跡は規模の大小はあっても、基本的に中央祠堂を二重三重の回廊が取り囲み、その外周を環濠が取り巻くという
構造になっている。
環濠と言ってもアンコールワットなどはその幅が最大で190mもあったらしい。

                

                中央祠堂を取り巻く第二回廊の伽藍

                          

                          伽藍に彫ってあるのは菩薩と言われている。



右に中央祠堂と第二回廊とその伽藍

ここは王宮ではなく、長い間のヒンドゥー支配から社会構造を改革するために大乗仏教の教えを積極的に取り入れた王政の権力の誇示なんだろうなぁ・・・って思う。

こうしてみると、日本の古代仏教もそうであったけど、この時代の仏教も王や貴族のものだったんだね。

仏教が庶民のものになるのは日本では鎌倉時代からだから13世紀、そのころここアンコールは滅びてしまっていた。



しかし、世界中には現在のその国家からは想像もできない文化と技術を持った同じ民族がいたんだから不思議だよなぁ・・・

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