上野の東京芸大の美術館で展覧会をやっているので、奈良に目の無いアタシは相方と連れ立って出かけた。
折から連休の3日目で空模様は怪しく今にも落ちてきそうな感じ。
それでも上野の森は大盛況、動物園などは長蛇の列。
元噴水のあった両側に喫茶室ができているのだが、その一つのスターバックスなどは買い物客の列が10m以上はあった。
今回は開館前からは並ばなかったが開館直後には入館、目的は「飛鳥 山田寺の仏頭」。
この美術館は今回B2階と3階で展示され仏頭は3階、順路はB2階からなのだがB2階に降りたアタシたちはそのままエレベーターに乗って3階に向かう。
展示物は写真が取れないので本からの転写
このお寺は現存していない。
蘇我馬子の孫である曽我倉山田石川麻呂と言う人が建立したのだが、謀反の嫌疑をかけられて自害します。
しかし、この人の娘が天智天皇と結ばれ持統天皇を生むという血筋の良さからお寺そのものはその後も存続していたようです。
この仏頭は珍しいほど履歴がはっきりしていて、678年に作られ始め685年に完成しました。
この後、興福寺と多武峰との争いの中に巻き込まれ、興福寺が平重衡の焼打ちにあったのち山田寺から本尊であったこの仏頭の薬師如来像を略奪したと言われています。
その興福寺が1411年に落雷によって西側が焼失し、今の東金堂と五重塔を残すだけとなりました。
それ以来、この薬師如来は行方不明となっていたのですが昭和12年(1937)の大修理の時に東金堂の須弥壇の下から発見されました。
なんと500年ぶりにその姿を現したのです。
頭部や左反面の損傷はその時の火事によるものだろうと考えられています。
飛鳥に飛鳥資料館と言う場所があり、そこはレプリカで石造物やこの仏頭などが展示されています。
その中に、1982年に山田寺の東回廊が倒れたままの状態で発掘され、その復元レプリカが展示されています。
発掘調査では山田寺は火災にあったらしく、今は想像するしかないけど興福寺の本尊略奪の時ではないだろうかとも考えられています。
今となってはナントモ悲しい話ではありませんか。。。
今回の興福寺仏頭展は国宝館に収納されている中からの展示で、この仏頭以外にも十二神将が展示されていました。
この十二神将は鎌倉時代の作品でこの十二神将に干支をつけた初めての作品らしく、ビカラとかハイラとかシンテイラとか漢字を当てはめて書いてはいますが、元は絶対梵字で書かれていた名前だろう難しい、怖い名前と顔の上に
こんなネズミが乗って、こんな動きがあったら全然迫力がなくなっちゃいますよねぇ・・・
この美術館からは東京スカイツリーも近くに見え
なかなか叶わぬことながら、平日にのんびり歩きたいなぁ・・・って毎回思うのです。
折から連休の3日目で空模様は怪しく今にも落ちてきそうな感じ。
それでも上野の森は大盛況、動物園などは長蛇の列。
元噴水のあった両側に喫茶室ができているのだが、その一つのスターバックスなどは買い物客の列が10m以上はあった。
今回は開館前からは並ばなかったが開館直後には入館、目的は「飛鳥 山田寺の仏頭」。
この美術館は今回B2階と3階で展示され仏頭は3階、順路はB2階からなのだがB2階に降りたアタシたちはそのままエレベーターに乗って3階に向かう。
展示物は写真が取れないので本からの転写
このお寺は現存していない。
蘇我馬子の孫である曽我倉山田石川麻呂と言う人が建立したのだが、謀反の嫌疑をかけられて自害します。
しかし、この人の娘が天智天皇と結ばれ持統天皇を生むという血筋の良さからお寺そのものはその後も存続していたようです。
この仏頭は珍しいほど履歴がはっきりしていて、678年に作られ始め685年に完成しました。
この後、興福寺と多武峰との争いの中に巻き込まれ、興福寺が平重衡の焼打ちにあったのち山田寺から本尊であったこの仏頭の薬師如来像を略奪したと言われています。
その興福寺が1411年に落雷によって西側が焼失し、今の東金堂と五重塔を残すだけとなりました。
それ以来、この薬師如来は行方不明となっていたのですが昭和12年(1937)の大修理の時に東金堂の須弥壇の下から発見されました。
なんと500年ぶりにその姿を現したのです。
頭部や左反面の損傷はその時の火事によるものだろうと考えられています。
飛鳥に飛鳥資料館と言う場所があり、そこはレプリカで石造物やこの仏頭などが展示されています。
その中に、1982年に山田寺の東回廊が倒れたままの状態で発掘され、その復元レプリカが展示されています。
発掘調査では山田寺は火災にあったらしく、今は想像するしかないけど興福寺の本尊略奪の時ではないだろうかとも考えられています。
今となってはナントモ悲しい話ではありませんか。。。
今回の興福寺仏頭展は国宝館に収納されている中からの展示で、この仏頭以外にも十二神将が展示されていました。
この十二神将は鎌倉時代の作品でこの十二神将に干支をつけた初めての作品らしく、ビカラとかハイラとかシンテイラとか漢字を当てはめて書いてはいますが、元は絶対梵字で書かれていた名前だろう難しい、怖い名前と顔の上に
こんなネズミが乗って、こんな動きがあったら全然迫力がなくなっちゃいますよねぇ・・・
この美術館からは東京スカイツリーも近くに見え
なかなか叶わぬことながら、平日にのんびり歩きたいなぁ・・・って毎回思うのです。
こういう シリーズものは やはり 自分の干支に目がいってしまいますね。。。
ってことは mさんは ねずみ年でしょうか???
やっぱ 美術館などは 平日がいいですよね~~
数年後の リタイヤまで お楽しみですね!!
相方も自分の干支ではないやつを撮ってましたよ。。。
アタシの干支はどの像がそうなのかよくわからなかったです。