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旧日光田母沢御用邸・・・

2014-07-17 15:54:46 | 
日光田母沢御用邸記念公園では(旧日光田母沢御用邸)は、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のため、明治32(1899)年に造営された。
 建物は、赤坂離宮から移されたものを骨子として、明治31年から工事が始められ、明治32年6月に本館その他の工事を終了。その後、大正7年から9年にかけて、大正天皇の滞在に伴って、大増改築が行われた。
 建物の広さは4500平方メートル、部屋数は106あり、大正天皇は大正14年夏まで、毎年のようにお過ごしになられた。昭和になってからも、昭和天皇並びに香淳皇后、また第2次世界大戦の折には、天皇陛下が日光疎開により昭和19年7月から約1年にわたってご滞留なされた。
 敷地面積は、大正11年時では約10万7000平方メートルあったが、現在は約3万平方メートル(9000坪)となり、当時と比べて約3分の1の規模となっている。
 この旧御用邸の持つ価値として、以下の4点があげられる。1.江戸・明治・大正時代の建築が融合し、建築学的にも大変貴重であるといわれる。2.これほど、大規模な木造建築は全国でも数少ない。3.明治期に建築された旧御用邸のうち、本邸宅に残存するものは旧日光田母沢御用邸のみである。4.建築内部に施されている装飾・絵画など、建築全体に文化的価値があるといわれる。






ソースかつ丼を食べ終わって外に出たころから、一粒二粒と雨が落ちてきた。

御用邸に着くころにはすっかり雨。

まぁ、内部見学だから雨は関係ない。

こういう建築物は日本の文化遺産だし、中々見ることのできないものなのでじっくり見させていただいた。





建物の構成は、赤坂離宮、昔の徳川尾張藩江戸屋敷から移築したものと、地元の名士の屋敷、それに新築されたものが合体して出来上がっている。

宮内省内匠寮が腕をふるって手がけただけに、アタシのような人間には昔の職人のすごさを改めて感じた一日だった。



このビリヤード台は当時のまま。その上部にあるランプシェードは復元品である。



基本的に日本建築なので、和風の造りや素材の素晴らしさを堪能した。

遥拝所



毎朝、皇居にある三殿に向かって遥拝をなさっていた。

皇居のある南が透明ガラス、それ以外はすりガラスである。



樹齢400年と言う樹や



雨にぬれる庭がホントにキレイです。





この2枚は





貞明皇后が使われていたお部屋で、ランプシェードの赤い色は金を他の金属との化学変化で発色させる方法で女性への心遣いが感じられる。



この部屋を見て



なにか感じませんか?


照明器具が部屋の中央ではなく障子側についています。

この障子の向こうは外部となっていて、この部屋は皇后の女官が使用していた部屋なのだが、中央に照明器具があると、その影が障子に映り、中の様子が外部に感じ取れることから、

窓際に照明器具を移すことにより、その不測の思惑を排除している、という気遣いなのだとか・・・

皇室ともなると、すべての位置、形、設えにその思いや理由があるんですねぇ。


NHKの歴史ヒストリアで、殿様がその下に畳を重ねて一段高くして座るのは何のためか?なんていう話がありました。

アタシみたいな単純なものは、威厳を保つため、なんて断定的に思ってしまいますが、下からの敵の攻撃を防ぐ意味もあるんだそうな。

同じように、湯あみする場所が広くて、その中央で体を洗うのも身を守るため、そして裸にならなかったのもイザと言う時にすぐ対応できるからなんだそうです。

知らないことっていっぱいありますよねぇ・・・・・



そんなこんなで

    



    



この旧田母沢御用邸を堪能しました。

雨が降っていても



お庭もしっかり歩いてみましたよ。