読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

新刊「運命の日」を読む

2008年11月22日 | 読書

◇デニス・ルヘイン久々の著作「運命の日」(上/下)
       (原題:「The Given Day」)

  Dennnis Lehane 著 加賀山卓郎訳 早川書房2,008・8・25初版発行(各1,800円)

 原書で700ページを超えるという大作である。『ミスティック・リバー』(2001年)、
 『シャッター・アイランド』(2003年)も語り口・情感表現に感心したが、今回の作品
 は作者が満を持して書いた長編というべきである。「訳者あとがき」によれば、作
 者デニス・ルヘインが最近のインタビューで、「『シャッター・アイランド』の後の課
 題はボストン市警のストライキに関する本を書くことであり、すぐにそれが長い歴
 史物になることが分かった」と述べていることで分かる。
  通常米国の小説は、冒頭に主要登場人物が列挙紹介されるが、普通は1ペー
 ジ。ところがこの本では3ページを費やして総勢48人。大作であることはこれでも
 分かろうというものだ。

           

  時代は第一次世界大戦終結前後の1910年代終わりごろ。1929年の「アメリ
 カ大恐慌」をもたらした経済不況の始まる10年ほど前のことである。 物価が
 高騰。労使の対立が深刻化し、ロシア革命(1917年)の影響がアメリカにも及
 び、社会主義者、共産主義者、アナーキスト、黒人地位向上運動などさまざま
 な体制批判勢力が勃興していた。折りしも悪質なインフルエンザ(スペイン風
 邪)が流行し、ボストンはもちろん西海岸地域にも被害が及び、50万人という
 多数の死者を出すという悲惨な状況にあり、社会不安が高まっていた。
 (ちなみにスペイン風邪の発祥地はシカゴ。スペインは情報源がスペインであっ
 たためという。日本でも39万人、世界中では1億人が死んだといわれる。)

  物語はこうした時代背景の中で進むが、主軸を成しているのはボストン市警
 幹部トマスを家長とするコグリン家。妻と3人の息子がいる。もちろん息子はそ
 れぞれ気性が異なり、後々軋轢を引き起こす。主人公は父親と同じ道に進ん
 だ警官の長男のダーニーであるが、一本気で正義感・公平感では家族と一線
 を画している。
  情報集めの職務として、急進派や警察職員組合に入り込むが次第に彼らの
 主張に共感を覚え、これら組織の中で注目される存在になっていく。

  確かに物語の主軸はコグリン家のダーニーではあるが、この縦糸に横糸とし
 て絡んでくるのが黒人ルーサーである。軍需工場を首になり、若き妻ライラの
 里サンタフェで働くことになるが、悪友達に誘われて入り込んだ「ノミ屋」の取
 立てアルバイトでしくじり、殺人を犯すことになる。ついにサンタフェを逃れ、
 叔父がいたボストンに落ち着き、つてがあってコグリン家に雇われるとこにな
 る。

  ここからダーニーとルーサーの運命的な出会いが始まり、どういうわけか二
 人はウマが合って、過酷な状況の中で友情が強まり、助け合っていくことにな
 る。
  アメリカは奴隷解放と対外貿易を巡る意見の相違から南北戦争に突入する
 が、戦争が終わっても白人と黒人の間の意識は変わらない。人種間の平等を
 理解し、黒人と対等に付き合う人は少数派で、大多数はいまだに黒人を「お前
 は猿だ。・・・定義として受け入れられる人種に属していない。ただの労働力だ。
 足置きであり、荷物を運ぶ道具を越えるものでなかった。・・・ルーサー。わしは
 お前たちの誰かが死ぬより、足置き場が壊れるほうが哀しい。」
 これは作中、ダーニーの叔父でボストン市警警部補の言葉である。後のち黒
 人が公民権運動を本格化し、彼らを真に公平に扱うことを求めて立ち上がる
 まで(1960年代)、どれだけこうした偏見と向き合わなければならなかったか。
 アメリカ先住民(インディアン)からの土地の合法的略奪とともにアメリカの恥部で
 あろう。

  更に面白いのは時代背景の一人としてベーブ・ルースが登場することである。
 この本の始まりは「プロローグ」であるが、ベーブ・ルースを巡るアメリカ野球事
 情から始まる。何度かベーブルースが登場するが、黒人のルーサーとの出会
 いも実はここから始まっている。
  第一次大戦中、陸軍省が大リーグの旅行制限を行い、1918年のワールドシリーズ
 は両チームの本拠地で行われ、シカゴ・カブスは3試合を地元で、残り4試合は
 シカゴで戦った。(この頃ベーブ・ルースは23歳。アメリカンリーグのホームラン
 総数97本の時代に、彼だけで11本打った。)
  カブスはシカゴで連敗し、両チームは27時間掛けて鉄道でボストンに向かう。
 ところが列車の故障か、オハイオ州サマーフォードで長時間停車する。ベーブ・
 ルースらはこの間野原に出て脚を伸ばすことにするが、そこで野球の試合中の
 黒人たちに出くわす。ベーブルースはここで、見たこともないスピードでベースを
 駆け抜け、あっという間に打球落下点に立って捕球する男を見た。実はこれが
 ルーサーだった。
  
  白人の大リーガーはちょっとした遊び気分で、彼ら黒人チームと遊んでやろ
 うと思う。ところがルーサーは言った。「野球には詳しいんですよね、スー(サー
 のこと)?」彼はベーブ・ルースのことも、彼らの一団が大リーガーだという
 ことも知っていたのだが・・・。
  黒人チームのプレーヤーに口汚い野次を飛ばしていた白人チームも6対4
 で負けが込むと無口になり、今度はアウトをセーフと強引に通そうとする。要
 するにズルしたわけだ。ベーブ・ルースはアウトだと思ったのにチームメートに
 「セーフだろう?」といわれて「セーフだった」といった。

  9回裏、ツーアウト、3点差、打者はベーブ・ルース。彼の一発で逆転できる。
 しかしこのときの打球は外野のルーサーの上に飛ぶ。ルーサーは捕球できる
 位置にいながら捕球しないままグランドを立ち去る。そして他の黒人選手も黙
 ってベンチに引き上げた。
  この無言の抵抗、嘘をついた白人らに対する強烈な軽蔑が印象的である。
  ベーブルースはこのときの恥ずかしさ、負い目がトラウマとなって後々まで
 尾を引くことになる。(後にボストンでの試合で、偶然ルーサーを客席に見てし
 まったベーブ・ルースは、次の打席からまったくボールが打てなくなった。)

   ともあれ、主人公ダーニーと、彼が終生愛したノアとルーサーと三人の揺ぎな
 い心の交流、父親との確執や和解、次弟・末弟との愛憎、その他登場人物の 
 恋人として、家族としての愛情、友情、警察という組織の中における同士愛、
 激情の流れなどが実に生き生きと語られる。
  当時の警察官の処遇、警察官の組合化とAFL (アメリカ労働総同盟)への
 加入問題、州知事と市長、警察本部長との確執。警官ストから発展した暴動
 と州兵による弾圧の一部始終は、生々しい臨場感・迫力で伝わってくる。

  私が持っているアメリカ現代史「栄光と夢(全5巻)」は1932年以降1972年ま
 で。第一次世界大戦の復員軍人たちが、大恐慌の救済金支給を求めて、陸
 続とワシントンに集結してくる。時のフーバー大統領は軍隊の出動を命ずる
 事態になったところから始まっている。いつか来た道のようである。
 

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