2005年8月のブログ記事一覧(2ページ目)-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



今回は「音楽的表現」についての話をしてみたいと思います。

 まず楽譜にそって正しく弾けること、この段階をないがしろにしては新しい次の階段に上ることは出来ません。その意味で、暗譜は、最高の水先案内人を担ってくれているといっても過言ではありません。

 さて、「音楽的表現」です。ギターは「小さなオーケストラ」といわれるように、それ自身でいくつもの役割を演じながら音楽を創りあげていくすばらしい楽器です。メロデイーと伴奏が、縦糸と横糸のように紡ぎ出され、織りあげられ、次々と小さなサウンドホールから飛び出してくる時、私達は、どちらかというとメロデイーの方に耳を傾けてしまいがちです。
もちろん聴く側の立場で言うならば、それは当然のことで、美しいメロデイーが魂を揺さぶるように思うのです。しかし、演奏者の側から言うならば、魂を揺さぶるほどの美しいメロデイーの響きは必ず、それを支える伴奏が生み出す命の産物にほかならないということを忘れてはいけません。
極端な言い方をするならば、演奏とは、メロデイーを支えている伴奏をいかに表現しきるかにかかっているということでしょう。

 また、「音楽的表現」は個性そのものです。私が40年以上にも渡って、せっせと取り込んできた先人たちの技や知恵、同時代を活躍する偉大な先輩たちの素晴らしい演奏は、様々な形で私の演奏家としての血となり肉となっていますが、同時に、私を縛る窮屈な枠になっているのも事実です。自分自身の音楽を創っていくためには、この枠をはずすことがかなり重要になってきます。枠をはずした自分自身の演奏とはいかなるものであるのか。

 それは、五分五分の世界なのだろうという気がしています。つまり、演奏する前に、私はこのように表現したいというイメージ(枠ぐみ)が五分、後は、演奏の中での瞬時のひらめきや素直な感情に身をまかせていけば良いということです。とらわれない自由な心は、自身の「音楽的表現」、つまり、個性的表現への最大の理解者です。    
                                     吉本光男


  次回は 「一粒の音から音楽がこぼれる」 を予定しております。お楽しみに~。



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8月12日のブログ「特命職 手工ギター担当」と言うタイトルのヤマハ名古屋店時代のお話の最後に突然のメキシコ転勤の内示を受けて困惑した事を書きました。そして困ったことにその時に既に吉本光男さんとジョイント・リサイタルを企画していてチラシとチケットを配り始めていたとお話しました。

そうそう、その時のブログで一つ訂正があります。当時名古屋店のアドバイザーをやっていた酒井康雄さんが店長に私がヤマハに入社した事を話したと書きましたが、当時は酒井さんではなく中川祥治さんがコンサルタントをしていたようです。酒井さんは当時は学校の先生への講習会などでヤマハのお仕事をしていた関係で店長に話をしたとの事でした。

さて、話を戻します。
私にとっては青天の霹靂で何がなんだか分からない状態でした。当時名古屋支店にはもう一人ピアノの技術者で山下さんと言う方が居ましたので、「支店長はもう一人の山下さんと勘違いしてるんじゃないかな?」と1週間ほどは信じられませんでした。ギターが好きでヤマハに入って、好きなギターの担当をさせてもらい、好きな事をさせてもらっていましたから人も羨む仕事環境だったわけです。自分でも演奏活動をしながらヤマハでギターの仕事をする。こんないい事はそうそうありませんよね。高須勉民さんを中心とした演奏グループで演奏したり、ヤマハの講師だった橋本先生のポピュラーバンドで演奏させてもらったり、リコーダーの大岩広子さんとジョイント・コンサートをやったり結構活動をしていました。
そして吉本さんとジョイント・リサイタルを企画して、チラシ用の写真を我が家のソファーに二人が並んで座り、ギターを手前に置いて撮影しました。添付の写真がそれです。リサイタルの日はいつだったかもう記憶にありませんが、私がメキシコ転勤の内示をもらったのが1978年3月、正式辞令は4月、赴任が5月でしたのでリサイタルは5月の某日だったと思います。

内示をもらってから悩みました。リサイタルを実施してからの赴任にしてもらえないか、それをお願いできないか。名古屋店内ではまだその甘えも通用したかも知れませんが、4月に辞令をもらい一旦は本社外国部に転属になるため本社に挨拶に行った時にはその様な甘えは到底許される雰囲気ではないことを悟りました。
吉本さんには本当に申し訳ないけどサラリーマンの、宮仕えの辛いところ、社命を優先してジョイント・リサイタルを諦めることにしました。もう吉本さんには平謝りに謝って配り始めていたチラシとチケットの回収に走り回りました。
吉本さんはきっと凄く憤慨してみえたんだろうと思いますが、私は浜松外国部預かりとなり、5月23日に羽田からメキシコに向かって飛び立ちました。それから吉本さんの顔を見るのが恐くて、何年もの間ご無沙汰いたしました。再会したのは20数年経った5-6年前。その時に私は真っ先に27年前の不義理を謝りました。吉本さんは笑顔で「もうそんな事はいいですよ」と言ってくれホッとしました。
今ではご存知のようにブログへの投稿も含めて仲良くしていただいています。吉本さんには感謝しています。これからもよろしくお願いします。(ペコッ)

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今日はミューズ音楽館がオープンして丁度3ヶ月になります。
5月21日にプレオープンのお披露目をして翌22日に一般オープンをしましたから。
あのオープン記念ガラコンサートには100人を超す人に来ていただいて、3階のサロンが息苦しくなるほどグッツグッツで演奏を聴いていただきました。有難うございました。なんだかついこの間の様な、また随分昔の様な不思議な感じです。

その丁度3ヶ月目にして初めてのクレジットでの販売が今日ありました。7月にNICOS(日本信販)に申込みをして初めてでした。ここで言うクレジットとは分割払いの事ですが、36万円のギターを15万円の頭金を払って6回払いでご契約頂きました。ボーナス払いも併用して月々の支払いが¥17,000程度と非常に少ない返済額で購入いただけました。有難うございました。

私も初めての事なので知らなかったのですが、その場で即決で審査が通って商品を持ち帰れるんですね。お客様はクレジットの申込みをしてその場で信販会社に申込書と身分証明書(免許証)のコピーをファックスすると2~3分でセンターから電話が入りました。センターの人がお客様ご本人と簡単な確認をして電話を切ります。また数分するとセンターから電話があって審査終了、確認番号をいただいて、はい、完了。なんだか簡単すぎてあっけに取られました。昔だと審査に数日かかってしまうため、商品をその場で持ち帰るなんて出来なかったのではないですかね?
それとも私が知らなかっただけ?

いずれにしてもこんなに簡単にクレジット(分割)で商品が買えるなんて知りませんでした。クレジットカードでの分割払いは知っていましたが・・・。
そうそうミューズもマスターカードとビザカードなら使えるんですが、まだ一度も利用者がいらっしゃらないですね。カード会社さんに申し訳ないですね。カードリーダーも取り付けてもらったのに・・・

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先日、吉本さんの投稿で「宇宙との交信」をご紹介しましたが、一つ順番を飛ばしてしまいました。本当は「小さな星のオーケストラ」の順番でした。お詫びいたします。それにしても、ベートーベンが「ギターは小さなオーケストラ」と言ったと言われていますが、「小さな星のオーケストラ」とはロマンチックですね。きっと吉本さんの様なロマンチストが言ったんでしょうね。
それにしても今日の吉本さんの記事は彼の演奏の本質が見えてくるようなお話です。吉本さんの演奏を知っている人は「なるほど!」と納得するのではないでしょうか。

では、以下吉本さんの記事です。

ギターは、伴奏とメロデイーを同時にさまざまな手法で演奏できるところから、よく「小さな星のオーケストラ」といわれています。若いころは、それなりに‘‘なるほど‘‘と思う位でそれほど気にはならなかったのですが、、このごろになって、この言葉の持つ奥の深さに圧倒されています。

オーケストラというのは、ある意味では音楽を表現する時の最高の演奏スタイルでしょうから、1台のギターがそれに例えられることはそれはそれで嬉しいことです。しかし、私が気にいったのは「ちいさな星の」という部分です。最近私の課題は、ごくごく小さな音を演奏の中でどう生かしていくかということです。「小さな星」のイメージはこの課題を解決してくれる大きなひらめきをもたらしてくれたのと同時に、ギターという楽器の本質をも言い得ている気がしています。いまさら、と笑われるかもしれませんが、私にとっては実に嬉しい気付きでした。

                                           吉本光男


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「この夏あのマエストロが帰って来る!」と言うフレーズでオスカー・ギリア・ギターリサイタル2005が昨夜名古屋・伏見・電気文化会館で行われました。
お盆休み明けと言うこともあってか、やや物足りなり入場者数ではありましたが、コンサートは福田さんとの二重奏で始まり、マエストロのソロ、そしてまた二重奏、最後に地元で活躍している演奏家と三重奏をと言うマエストロのアイデアで酒井康雄さんが加わってのトリオとだんだんと盛り上がり素晴らしい演奏会になりました。

私は舞台袖で進行を担当しながら黒子として椅子の出し入れしていましたが、マエストロの日本語の上手なことと日本語での駄洒落が素晴らしいのに驚きました。名古屋弁もすぐ覚えて「どえりゃーうみゃーでいかんわ」と出てきます。とにかく6ヶ国語を話すと言うマエストロですから・・・
しかし、暫く観察していると分かったのですが、もう一人のマエストロ・福田さんがオスカーさんに悪い言葉も含めてスラングを教えているんです。福田さんにとってはギターの師匠に当たるわけですが、22歳の時からのお付き合いの上、福田さんも世界のマエストロの領域に達し、またオスカーさんの世話役をしっかりされているため、師弟関係だけではなく見ていると友達みたいなんです。

そのお二人が今日はミューズ音楽館を訪問してくれました。
福田さんはオープンの時に来ていただく予定でしたが、仕事の都合でお出でいただけなかったと言う事もあり、今回忙しいスケジュールにも拘らず時間を作っていいただきました。ホテルから着くともう酒井さんと加納さん、息子さんの大西さんがお待ちになってました。着くなり「わぁ、凄いな!」と福田さん。「いい店ですね!」と誉められて私も大満足。取り敢えずは店で冷たい水出し茶で一息入れていただき、加納さんが持ってきた先代の骸骨ギターと息子さんの第一号ギターをマエストロ・オスカーが試奏。「イイデスネ~!チイサイオトデモキレイ」といい評価でした。

その後、3階のサロンにご案内して福田さんにもここでマスタークラスをお願いし、2階の教室ではマエストロがマリンバに興味を持ち、マレットで遊び始めました。マエストロが「ギターヨリムズカシイネ」と言うと福田さんが「そんなこと無い、ギターの方が難しいよ」と日本語の会話。そして店で写真撮影をしていよいよ名古屋駅へお見送り。12:24発のぞみ号のグリーン車で東京へ向かって無事発たれました。
マエストロ・オスカー、マエストロ福田、素晴らしい演奏と楽しい時間をありがとうございました。




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