2005年8月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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以前から、私は、セゴビアの演奏を理想とし、その奏法強い関心をもっていました。従って、セゴビアが演奏するビデオについては、何回も見ています。しかし、「見る」という作業の中でどれだけの事実に気づくことができるかということは、案外、見た回数とは関係ないようです。

音楽における表現力を高めていこうとする過程の中で「どうしてもセゴビアのような音が欲しい」と求める想いが強くなったとき、ビデオの中に新たな事実が見えてきたことがそのことを如実に物語っています。

 セゴビア奏法(音づくり)には、極めて重要な事実が隠されていることを発見したとき、どうして今まで気がつかなかったのだろうと不思議に思ったものです。求める心がいかに大切かということでしょう。

 セゴビア独特の奏法を自分の演奏に取り入れるようになってから、ここ4~5年ですが、聴いた人達が異口同音に、「たった一粒の音の中に、音楽があふれている。」「ギターは小さなオーケストラという言葉の意味が実感できる。」あるいは胸に手をあてながら「キュンときた。」など評してくれます。暗中模索の身には、非常に嬉しい言葉でした。


セゴビア奏法を、演奏の中に納得のいく形で生かす為には、まだ時間がかかりそうですが、希望を持って前進できそうです。

「一粒の音から音楽がこぼれる」 そんな音色に包まれてコンサートでは、胸のすくような演奏がしたいものです。      
                  吉本光男


次回は 「腹のことを考えない人は、頭のことも考えない」 です。おたのしみに~。


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先日8月27日(土)に浜松で中川祥治さんのバロックリュート演奏会がありましたので行って来ました。浜松ギター鑑賞友の会の第22回鑑賞会でした。

このサークルは私がアルゼンチン勤務を終えて帰国後にヤマハのギター製作家の江崎さんと二人で仲間に呼びかけて始まったサークルです。最初は23名でスタートして今では70数名に会員が増えています。会員の会費で運営されていますが年に4回プロの演奏家を招聘して基本的には会員だけで演奏を鑑賞すると言う贅沢な会です。もちろん非会員も入場できます。HPはhttp://www.h4.dion.ne.jp/~hgktomo/です。

中川さんの演奏は彼がスイスから帰国後初めて聴くので私はとても楽しみにしていました。スイスに留学する前のリサイタルを名古屋市熱田文化小劇場で聴いていますが、そのときも素晴らしい演奏でした。私は本人にも「大家の雰囲気を感じさせる演奏だったね」と言いました。その彼が2年間スイスのバーゼルでホプキンソン・スミス氏、アントニー・ルーリー氏、クロウフォード・ヤング氏に指示して勉強をしてきたわけですから、どれ程完成度を上げてきたのかとても楽しみでした。

第一部はエヌモン・ゴーティエのフランスバロックで始まり、ギターでもよく演奏されるバッハのBWV1006aのルーレとガボット、BWV1002からサラバンドとそのドゥブル、テンポ・ディ・ボアレとそのドゥブルと盛り上がっていきました。ゴーティエの曲はギター弾きにはあまり馴染みが無いので「いい演奏だな」と思いながらも冷静に客観的に聴いていました。が、バッハの曲で私はのめり込んで行きました。中川祥治のリュートの世界にすっかり引き込まれていきました。平静ながらも奥ゆかしい高尚な歌いまわしに痺れていく思いでした。堂々とした演奏でした。このバッハでおそらく私だけではなく会場の全員が中川祥治の世界に入っていたと思います。

私は学生時代からの旧友としてこんなうれしいことはなく、つい興奮して一部が終了したときに司会者として自分の感動ぶりを皆さんに押し売りしてしまいました。

第2部はまたシャルル・ムートン、デュ・ヴュー、ジャック・ガローなどのフランスバロックから始まり、プログラムの最後を飾ったのはドイツの大リューティストS.L.ヴァイスのソナタ変ロ短調より抜粋で4曲が演奏されました。ヴァイスの曲もかなりの難曲と思われますが、ミスを感じさせずに弾ききりました。圧巻でした。その時に思いました「大した演奏家になって帰ってきたもんだ」と。
そしてもう一つ思ったのが、私はフランスバロックよりドイツバロックの方が好きだということ。重厚さとかっこ良さがありますね。フランスはしゃれているんですけどね。

それにしても本当にこんな素晴らしいリュートの演奏会は初めてでした。私自身があまりリュート奏者を知らないのでこんなことを言うと叱られるかも知れませんがね。でも本当に良かった。そして9月10日のミューズサロンでのコンサートも益々楽しみになってきました。ミューズではリコーダーの柴田さんも共演されるので演奏会全体のバリエーションも広がりますからね。皆さんも是非中川さんの演奏を聴いてみてください。



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 こんにちは。渡辺なつ実です。久しぶりにブログを書きます。

 今日は第4日曜日で、藤井敬吾さんがレッスンにいらっしゃいました。レッスンを受ける生徒さんは勿論ですが、たまたまミューズ音楽館について雑誌で見かけた、ということでお店に来てくださったお客さんも何人かいて、いろいろギターについての話で盛り上がって、にぎやかでした。

 最近、三浦さんのギターが入ったのですが、山下さんがそのギターを弾いているのを聴いて、澄んだ音色がするギターだと思いました。三浦さんのギターは、藤井敬吾さんも使っていらっしゃるそうです。音量は勿論あるのですが、なによりも澄んだ繊細な音色が魅力的です。三浦さんは30日の火曜日にミューズ音楽館にいらっしゃるそうですよ。

 暑い暑いと思っていましたが、お盆を過ぎてから、夜は前より涼しくなったような気がします。よく見ると、黄金色のトンボが漂っていたりもします。私はもうすでに秋の訪れにわくわくしています。秋になると、より一層ギターの調べを聴きたくなったりしませんか?短いですが今日はここで終わりと致します。

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ジョイント・リサイタルを諦め、約1ヶ月半の本社外国部での研修を終えていよいよヤマハ・デ・メヒコ(Yamaha de Mexico)に赴任です。しかし、メキシコと言うと最初に浮かんだのがサボテンの荒野とソンブレロをかぶり弾創を肩から斜めに掛けたメキシカン・カウボーイでした。西部劇で必ず出てくるあのスタイルです。あんな国で楽器が売れるんだろうか?と疑問を感じながら赴任に先駆けていろいろ調べてみると、メキシコシティーは人口1千4百万人の大都会だったんです。

当時成田空港が5月24日に開港しようとしている時で反対グループと機動隊のぶつかり合いが頻繁に起きていました。そこで私は危険を避けて羽田空港最後の国際便で飛び立つことにしました。それが5月23日でした。幻のジョイント・リサイタルは5月25日の予定でした。

15時間の飛行時間でメキシコシティーに到着。上空からの夜景は宝石をちりばめたような照明でそれは奇麗なものでした。時差が15時間なので出発した同じ日時にメキシコに到着。なんとも不思議な感じでした。当時メキシコは工業化の遅れで電気製品、電子機器が高価でしかも最新式はなかなかない時代でした。そこでヤマハ・デ・メヒコの依頼で最新式の電卓をかばんに入れて持参しました。これはメキシコの警察庁長官へのお土産だったんです。しかし、かの国の習慣として税関ではなかなかすんなり通してくれません。その電卓を見つけていろいろと言ってくるんです。私も始めての事で要領が悪く通関に随分と時間が掛かってしまいました。なんだかんだと言いながら結局は袖の下で通してもらったんですが、その渡し方にもコツがあったんです。パスポートに挟んで渡さないといけないんですね。

さて到着ロビーに出るとそこにはヤマハ・デ・メヒコの駐在員全員が待っていてくれるではないですか。支店長から工場長から7人全員なんです。私は通関に手間取ったので恐縮するやら感激するやらオロオロ状態でした。メキシコ支店は昔から着任者を全員で出迎えて、帰国時には全員で見送る習慣があったんです。

そして当時の原田支店長が私をホテルまで送ってくれて一緒に食事をしてくれました。それがレストラン京都と言う日本食レストランで赤提灯がぶら下がっているではないですか。初めてメキシコと言う外国に着任して興奮気味の私でしたが、異国情緒どころか日本情緒の中で食事をして「僕は今どこに居るんだろう?」と少し期待を裏切られた様な、しかし落ち着いてホットするような不思議な感覚でした。
この原田支店長はその日はとても優しいいい人に見えましたが、仕事では厳しい人だったんです。翌日からはスパルタ的教育が始まろうとしていました。その辺りのお話はまた後日・・・

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出てきました。二日前のブログでご紹介した幻のジョイントリサイタルのチラシが。しかも誰が持っていたと思いますか?リューティストの中川祥治さんです。彼からメールでデータが送られてきました。私もびっくり!えぇっ!ウソ!ホント?のような感じでした。

私も当時親友だった中川さんに当然チケットの依頼をしたんですね。そしてリサイタルは没になり、チケットの回収をしましたが、中川さんが言うには、幻のジョイントリサイタルのチラシだから将来ひょっとしたら価値が上がるかもと思って取っておいたと言うのです。私も今日の電話で「そんな馬鹿な!」と言ったのですが、それは誰にも分からないことですよね。吉本さんか私のどちらかが将来有名人になっていたら、世界に一枚しか残っていない幻のジョイントリサイタルのチラシならプレミアムが付いたかも知れませんね。

それにしても中川さんは几帳面な人だと言うのが今回良く分かりました。四日市で行った彼と私のジョイントリサイタルのチラシ、プログラムも彼はちゃんと保存してあるんです。もっとずぼらな性格かと思っていましたが全く私は彼を知らなかったことになりますね。まあ几帳面でなければ学校の教職の仕事や古楽の研究は出来ないかもしれませんね。それに反してずぼらな私は本当に勉強をしませんでしたから・・・

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