2009年11月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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先週の土日(11/20,11/21)はミューズが大萩ファンで埋め尽くされました。
名実共に人気ギタリストNo.1ですね。ただかっこいいと言うだけのアイドルではなく、演奏が素晴らしい。以前から師匠の福田進一さんも大萩さんの音楽性を高く評価していましたが、益々演奏家としての実力に磨きが掛かってきているのを実感しました。小さなサロンで聴くと、微妙なニュアンスも非常に良く聞き取ることが出来ます。大きなホールで演奏する事が多い方なので、ダイナミックレンジはとても広い演奏をする人ですが、音量の変化、音色の変化、歌いまわしの変化などがとても良く伝わってきました。
使用された楽器は10年前に購入されたと言う1962年のブーシェ。10年のお付き合いで楽器も大萩さんの楽器になっています。彼の気持ちが楽器にとてもよく伝わっていました。ゆったりと、たっぷりと歌ってくれました。大萩さんの音色は本当にきれいですね。

プログラムは下記の通りでした。
・11月のある日/レオ・ブローウェル
武満 徹 編曲集「ギターのための12の歌」より
・ロンドンデリーの歌/アイルランド民謡
・イエスタデイ/ジョン・レノン/ポールマッカートニー
・アルハンブラの想い出/フランシスコ・タレガ
・ショーロス第1番/エイトル・ヴィラ=ロボス
・老いた賢者
・風の道/アリエル・アッセルボーン
・羽衣伝説~山入端博の旋律による~/藤井敬吾

公開レッスンは今回は5人が受講されました。大萩さんも公開レッスン形式で教えるのに慣れてきたんでしょうね。初めての時に比べると聴講者にも随分とレッスン内容が分かりやすく伝わって来ました。

レッスン終了後は受講者と共に打上げ。丁度月1回のレッスンに来ていただいていた藤井敬吾先生も合流して楽しいひと時を過ごすことが出来ました。レストランが貸切状態になったので、前回同様演奏が始まりました。トップバッターが受講者の金田栞奈ちゃん。彼女は受講者の一人、大西さん製作のラコートで演奏。可愛い栞奈ちゃんにラコートがピッタリ合って絵になるんです。つい写真を撮ってしまいました。ギター好きな仲間の飲み会には、このギター演奏のひと時がなんとも言えない至福の時となりますね。
山下 高博

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 中川祥治 リュートリサイタル

 11月14日、電気文化会館で行われた中川祥治リュートリサイタルでは、ひさかたぶりに彼の演奏する清々しく純粋な「音楽」に接し、大変心地よい時間を過ごすことができた。
彼は私と同じく青春とよばれる時分にはギターを弾いていたが、いつのころからか古楽、それもリュートに目覚め、以来その世界一筋に研鑽を積んできたのは皆さんよくご存知のところ。
何年か前、彼が2年間のスイス留学を終え帰国した当初、私は彼の自宅を訪問し、早速素晴しい楽器やその音色を聴かせてもらったことが今懐かしく思い出される。その時は古くからの友人が古楽器、それもリュートのプロフェッショナルとして戻ってきてくれたことに対し、心からの感動を覚えたものであった。その彼が今回17世紀から18世紀に渡るバロック時代の巨匠たちの名曲ばかりを取り上げ、研鑽の成果を披露してくれた。

 私は古楽に関してはまったくの素人であるため、あまり偉そうなことをいうつもりはないが、プログラムの冒頭、フィリップ・フランツ・ルサージュ・ドゥ・リシェーなどという今まで耳にしたことのなかった長ったらしい名前(まるで日本の「九郎 判官 源 義経」のような)の作曲家によるプレリュードそしてシャコンヌという素敵な作品を聴かせてくれたのは収穫であった。まだまだ我々の知らないこのような優れた芸術作品が、この時代には数多く埋もれているんだろう。そしてギターの世界でも良く知られているS.L.ヴァイスの大曲、ソナタ ヘ長調とおなじみのファンタジアも演奏されたが、これらの曲を聴く限り、ヴァイスがいかに優れた作曲家で、当時においても一頭抜きん出ていた芸術家であったかということが大変よく理解できる。もしヴァイスがリュートだけに留まらない作曲家であったなら、どれほどの名声と栄光を後世まで残していたであろうか。歴史では「もし・・・だったら」が意味のないこととわかっていても、敢えてそう考えさせられてしまうほど、当日の演奏はヴァイスの真価を知らしめるに充分な芸術性を発揮していた。そしてこの日の白眉は、やはりプログラムの最後におかれたバッハのチェロ組曲第4番 BWV1010であろう。なんとこの曲は演奏者自らの編曲とのこと。しかもそれが編曲とは思えないほどの効果を上げていたのは心地よい衝撃であった。編曲にありがちなオリジナルの幻影がちらつくこともなく、むしろ「この曲にとってはこちらの方が・・・」と思えるような効果を上げていた。リュートのオリジナル作品はいくらでも存在するなずなのだが、敢えて他の楽器のための作品を、しかもバッハの超有名曲を自らが編曲してまで取り上げたのも、聴き終わってみると理解できるような気がする。

 ギターの世界では古典ギターが大流行で、最近手に入れたソルやジュリアーニの作品を入れた何種類かのCDは全てそれで演奏している。確かにオリジナルの状態で古典を聞けるのはありがたいのだが、私の好みとしてはいつも割り切れない物足らなさを感じてしまう。現代のギターの演奏と比べると音が平坦で変化に乏しく、しかも弁当箱に弦を張ったような何だかペナペナな音に聞える。特にジュリアーニのロッシニアーナのような大曲になると、私にとっては、やはり現代のギターで演奏したものの方がはるかに表現に幅があり、音にも艶や深みもあって、音楽そのものがより大きく感じられる。おそらく当のジュリアーニさんもそのような表現がしたかったのではないだろうか。敢えて「もし・・・だったら」をいわせていただくと、ジュリアーニが現代のギターを知っていたら、迷うことなくそれを選んだことだろうと推察する。
19世紀の後半になって、次第に皆が古典ギターの表現力に不足を感じ始めたからこそ、A.トーレスという製作家が現れ、試行錯誤の上現代のギターを完成したのである。つまり古典ギターは、「楽器の改良」という名の元にその生命を終え、現代の楽器にとって代わられた楽器なのだ。すなわちチェンバロと同じ立場にある楽器といってよいであろう。ご存知のように、チェンバロも時代の要求とともに「ピアノ」というより大きな音と表現力をもった楽器に置き換わってきた。20世紀になって復活してきてはいるが、現代のピアノの表現力に比べるとやはりその能力の限界は致し方の無いところで、時としてはバッハのチェンバロ作品といえども現代のピアノの方がより優れた表現力を発揮することがある。(かといってチェンバロという楽器の存在そのものを否定しているわけではありません)
それに引き換えリュートは、音楽が時代とともに宮廷や貴族のものから庶民のものとなるに従って、より大きなホールで大勢の聴衆に対して大音量で演奏することがかなわなかったことにもより、やむを終えず音楽の表舞台から次第に遠ざけられていくことにはなったが、自身何か別の楽器にとって代わられたわけではない。つまりリュートは、使われている弦やその構造には多くの改良がほどこされてきたのであろうが、楽器そのものとしては、当時からもはや改良の余地のない完成されたものだったのである。改めてこの日の作品を聴いていると、私がソルやジュリアーニの作品を古典ギターで聴くときに感じるような一種の「ものたらなさ」といったものはまったく感じられず、やはりリュートの曲はオリジナルの楽器であるリュートで聴くことが最もふさわしいと感じたものであった。
当然だがレコードやCDで聴く限り、リュートの絶対的な音量の小ささはまったく気にならない。また今回のようによく響く会場であれば、数百人収容できるようなホールでも充分楽しんで聴くことができるということは証明された。現代こそリュートという楽器の本領を発揮できる時代なのではないだろうか。ひょっとしたら今後リュートを使って新しい作品を創作する作曲家がどんどん出てくるかもしれない。リュートは決して過去に封じ込められた楽器ではないのだ。
しかしその前に中川さんには、古きよき時代の超一級の芸術作品を、これからもどしどし我々の前に披露していただきたいと思っています。
<内生蔵 幹(うちうぞう みき)さんによる投稿>


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こんにちは。スタッフ~の関谷です。
少し日が経ってしまいましたが、日曜は「ライヴパーティ」でした。ライヴパーティとはミューズ音楽館で習っていらっしゃる、ポピュラー系の生徒さんの発表会です。
今回は、バラエティに富んだ構成でした。ゴスペル、ヴォーカル、ギター弾き語り、ウクレレ、ジャズピアノ、SAXまで入りましたから、メンバーもいろんな方がいらっしゃいました。
お酒も入ったりしますから、出始めで「ごめん、もう一回」などと弾き直しちゃったりして、こじんまりしたパーティならではの和気藹々感がとってもいい感じ!
う~ん、私の迷司会でも OKかしら?
お1人風邪で欠席されましたが、残念でしたね。あの楽しい空間は病みつきになりますよ!
最後はみんなで、スタンドバイミーを楽器も交えて、大合唱。先生のアドリブもかっこよかったですね!
また、来春のライヴパーティ、今から楽しみだなあ・・・。

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 4年ぶりの“ジョン・ウィリアムス”来日公演
 2005年秋(9月)、リチャード・ハーベイと共に愛知万博のコンサートに出演して以来、4年ぶりに来日したジョン・ウィリアムスのリサイタルが、11月の1日(日)、大阪の福島区にあるシンフォニーホールで行われた。
当日はお昼頃から雨が降り始め、少し肌寒いくらいの生憎のお天気。1700人入るこのホールに観客の入りはほぼ7割くらいといったところだろうか。大阪でしかも世界のジョン・ウィリアムスのリサイタルで、また入場料も先回来日の時に比べると少し安くなっているにもかかわらず(A席=¥8000)この人数ほどの会場が全て埋まらないとは、やはり世間の景気がかなり冷え込んでいるのが影響しているのかもしれない。
そして当日のプログラムもA3二つ折で、しかも単色刷りの簡単なもの。昔は来日ギタリストが行うリサイタルのプログラムというものは全て有料で、当時でも500円から800円ほどしたと記憶している。学生の身分でお金の無いころ故、当然チケット代を工面するのがやっとで、プログラムが欲しくても買えずに我慢をしていたことがよくあった。中には随分立派なプログラムもあって、実のところ買える人がうらやましかったものだったが、今回のようにチケットを切ってもらうときに配られる簡単な紙切れが、この天才ギタリストのリサイタルのプログラムというのも何だか淋しいような気がする。
日曜日ということもあって午後2時から開演したリサイタル。ジョンはいつものようにまったくラフなスタイルで登場。丸首に横ストライプの入ったシャツにゆったりしたズボン。まったく今空港に降り立ったばかりといった服装。こんないでたちでギターを片手に現れたジョンは大変にこやかに、またあちこちに向かって丁寧に挨拶をする。好感度抜群といったところ。
まず最初はジョンが最近よく弾いているヴィヴァルディの協奏曲で今回は作品3-9。全楽章をあざやかにしかも楽々と弾きミスなど最初から皆無。次はスカルラッティのソナタ2曲。K.448と175、どちらもジョンがずっと以前LPにも録音している曲だ。レコードやCDで聴くとなんてことはない曲に思えるのだが、目の前で実際に弾かれるとほれぼれするほど理に適った立派な演奏で、まるでオリジナル曲のように聞えてしまう。そしてその後はグラナドスの「詩的ワルツ集」とアルベニスの「朱色の塔」が続く。おそらく自分でもギターをやられる方はこのジョンの弾く「詩的ワルツ集」を楽しみにされていたのではないだろうか。最初の曲の冒頭、ジョンには珍しく弾き直しをしたが、あまりに瞬間的なことで、詳しくない方にはほとんどわからないようなご愛嬌程度。その後は流れるような甘い旋律、そして溌剌としたリズムが続き、いつものように不自然さのまったくない完璧な演奏だ。これもこの演奏以上のものを私は知らないし、知る必要も感じない。そしてジョンが22歳で日本に始めて来日した時も弾いたアルベニスの「朱色の塔」。この曲はジョンが17歳のときに入れたデビューレコードにも入っている曲だ。あのとめどない音の連続を、ポジションを移動しながら左指で押さえて右指で弾くという過程を踏まなくてはならないギターという楽器で、どうしてあれほど流れるように弾けるのか。実際に演奏を目の当たりにしながらも尚信じられないような薫り高い音楽が途切れずに流れてくる。私はこの曲を聴けただけでも、この日来た甲斐があったと思った。
第1ステージ最後の曲はジョンが自ら作曲したという「ノーツ・イン・ザ・マージン」。ちょっと無国籍風で不思議な曲。ただあまり印象に残るような曲ではないのが残念。
第2ステージはバリオスの大聖堂から始まったが、やはり表現、テクニック、いずれをとっても私にはこれ以上は必要もないほどの完璧さだ。ギターの場合音色の変化は普通やり過ぎと思えるほどオーバーなものが多い中、(セゴヴィアですら下品なほどブリッヂの近くで弾くカチカチの音を出すことがある)ジョンのそれは控えめながらとても適切で効果的。とにかくジョンの真の魅力はCDでは伝わり難く、ぜひとも生の演奏を聴いてほしい。
次はジョンがよく取り上げる“スカルソープ”というオースオラリアの作曲家の「ディジリ(オーストラリアの伝統楽器の名)」。音楽としては残念ながらあまり日本人好みとは言いかねるが、オーストラリア生まれのジョンにしてはやはり郷愁のようなものを感じているのかもしれない。
そしてそのあとは「シンドラーのリスト」、「ニュー・シネマ・パラダイスのテーマ」、デァハンターに出てくる「カバティーナ」と映画音楽が続くが、特にカバティーナについてはやはり「本家本元」といった感があり、映画音楽ならではの表現が絶妙で、胸に迫るものを感じさせられた。
そしてその後は再度ジョン自ら作曲の小品を4曲、そしてさらにジョンの編曲による「アイルランドの歌」と題した民族色豊な、これまた小品が4曲。芸術的な価値はともかく親しみ易い旋律がジョンの素晴しいテクニックに乗せて歌われ、クラシックの演奏会という堅苦しさをまったく感じさせないジョンならではのパフォーマンスでもあった。
ものすごい拍手が続いたのち、アンコールには以前CDにもなったアリリオ・ディアス編になるベネズエラの哀愁をおびた民族的な作品が2曲、そして最後はイタリア民謡の「カタリ・カタリ」で締めくくったが、ギター1本で情感たっぷり、観客もしんみりと泣けたコンサートとなった。
今年68歳になるジョン・ウィリアムスだが、その強靭なしかもなめらかなテクニックはいまだ健在、少しも衰えてはいなかったのを見てほっと安心した。端正で理に適った構え、確実な右手の弾弦、明瞭でよく通る音色、そして少しの無理も無い左の肩、肘、そして腕、手、指の動き。全てが初めて見たときのままであり、見ていても「絶対に間違えるはずがない」とさえ思えるほどギターを弾くということの理想形がそこにはある。全てのギタリストはジョン・ウィリアムスを手本とすべきであろう。この代われる者なき偉大なギタリストの演奏を、私たちはあと何回目にすることができるだろうか。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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こんにちは。スタッフの関谷です。
午前中は、良い天気だったのに雨ですねえ。
昨日は、子供のギターパーティでした。今回は、タイミングが悪かったか、インフルエンザの影響か、参加者が4人と少しさみしい発表会でしたが、その分、とってもアットホームないい発表会でした。

トップバッター浅井君は、6月に始めたばかりで初めての人前での発表ながら、上手に弾けました。
2番手大田君は、「2週間前は、どうしようかと思った」なんていう先生の暴露話もありましたが、当日「ここ、アレンジして弾いていい?」とまあ、びっくり!やるじゃん!
山根君はいつも落ち着いて、丁寧に弾いてくれます。今回は2曲ともテーマとヴァリエーションのある曲でしたが、自分でもヴァリエーションが作って弾けるようになるといいですよね。
最後は布目君。午前中サッカーの試合をやってこちらに駆けつけるというハードなスケジュールながら、最後までしっかり弾いてくれました。サッカーやってて爪を伸ばしてるから、ほんとにギターが好きなんだなあと思うのだけれど、気をつけてねって感じですね。

今回は普段お話しすることの無い、他の先生や、他の生徒のご父兄の方のお話を聞いてもらう為の時間を設けました。ギターを始めたきっかけや、おうちでの様子などお母さんやお父さんから聞くことが出来ました。
ミューズ音楽館で生涯のギター友達ができるかもしれませんよね
みんなには、ずーっと続けていって欲しいなあと思っています。


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