2007年3月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 双子ギターデュオ“カトナ・ツインズ”

 珍しい演奏会が開かれたのでご紹介します。
ギターデュオとクラシック・サキソホンとのコラボレーション。(私としては歳のせいか、どうも「コラボレーション」という言葉を使うのは気が引けてしまう。かといって今更「合奏」というのもダサいようでなんとももどかしい)
ギターデュオはカトナ・ツインズというピーターとゾルターン・カトナのハンガリー出身の若手双子ギタリスト達。(二人ともとってもイケメンで、今後女性ファンが大勢できることは確実!)ロンドンでジュリアン・ブリームやジョン・ウィリアムスに習い、世界各地のコンクール(ソロ、デュオ)にて優勝あるいは上位入賞を果たした上現在活躍中の注目ギターデュオ。自ら著名な作曲家達に新作を委嘱しているが、それだけに留まらず、彼らのために何人かの作曲家が曲を書いているようだ。2つのギターによるコンチェルトも数知れず経験し、日本における知名度より遥かにヨーロッパやその他の国では好評を博しつつある。そのカトナのギターデュオと日本のクラシックサキソホンの第一人者「須川展也」さんとのコンサートが先日、浜離宮朝日ホールにおいて行われた。

 クラシックギターとサキソホンは音色からいってもとてもよくマッチしており、ご本人達はどんな響きになるのかご心配なさっておられたようであるが、想像してみても分かるように、聴いているこちらとしては特上のサキソホンの音色とギターは合わないはずもなく、むしろ今まで経験したことがないほどの極上の香りを放ち、充分に新しい音世界を築くことに成功していた。
 プログラムを紹介しておくと、
① ヘンデル:トリオ・ソナタ Op.2の5(須川+カトナ)11分
② ロッシーニ(カトナ編):泥棒かささぎ 序曲(カトナ)6分
③ ファリャ:「恋は魔術師」より抜粋(須川+カトナ)15分
休憩
④ ボノー:ワルツ形式によるカプリス(須川)5分
⑤ ピアソラ:ブエノスアイレスの秋(カトナ)
ニ長のミロンガ(須川+カトナ)10分
⑥ ピアソラ:タンゴ・エチュードより1番、3番(須川)9分
⑦ 加藤昌則:マドリッド・インスピレーション(須川+カトナ)15分

冒頭のヘンデルからギターのアンサンブルと何と言っても須川さんのサックスの弱音が素晴しい。管楽器で通奏低音を勤めたわけであるが、なんともバロックの雰囲気がよく出て「これは大有り!」といった感じ。続くロッシーニもCDでは福田進一さんとフェルナンデスとの二重奏でおなじみの曲であるが、こちらも負けず劣らず2つのギターの激しい掛け合いが見られ、思わず「見事!」。ファリャにしても二人のギターの音色と音量の「ダイナミックレンジ」がものすごい。「そこまで落とすか!」、といった柔らかい弱音から、割れるような強奏まで自由自在に弾き分け、久しぶりにソロでは味わえないギターデュオの魅力を堪能できた。

休憩を挟んでのサキソホンのソロも、ジャズやポップスと一味も二味も違い、その音色とテクニックとに充分酔いしれた。しかも最後のマドリッド・インスピレーションでは、ギター2本によりシャブリエのスペイン狂詩曲の一節が出てきたり、なんとサキソホン1本によるアストゥリアスのおいしいところがふんだんに出てきてたまげた。皆さんもアストゥリアスは弾かれたことがあると思うが、ギターで弾くあの出だしの部分。旋律と伴奏の音が交互に出てくるところ。あれを同じようなスピードでサキソホン1本で演奏するのを想像してみてください。管楽器のことがわからないこちらとしては超絶技巧を見せられたようで、終始驚きの連続。クラシックサキソホンという分野を初めて目の当たりにして、今度CDを買ってみようという気に充分させられた。

随分須川さんへの感想が多くなってしまったが、今回のカトナ・ツインズ、先日私がここに書かせていただいたように、現在アサド兄弟以外ではなかなか一目置けるギターデュオが見当たらないという考えはどうやら捨てなくてはならないようだ。
まだ時折若干の荒削りさは見られるものの、カトナ・ツインズはこれから充分ギターデュオとして私達を楽しませてくれる存在になりうると思う。今回は東京の1公演のみのようであるが、これからもどんどんと来日して、ソロにはないギター二重奏の魅力を広めていただきたいものだ。
尚今回のコンサートにおいては、サキソホンとギターとの若干の音量バランスを取るため富士通テン イクリプスシリーズの最高峰「712z-s」を2本使ったMS DIGITAL PA SYSTEMが使用された。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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和声学あれこれ(7)「和音の転回と重複・削除」

今まで図で色々な和音を基本形で表示してきましたが、実際の曲の中では様々な形で使われています。和音の最低音即ちベース音(根音)が、その和音の基となる音が使われている場合、これを基本形と云います。記号としてはそのままです。上に積み上げられた音がどの様な配置であっても基本形には違いありません。→図1 基本形は曲の最初と最後、楽節の段落にも使われます。ギターは演奏する上で開放弦をベースにする場合が多いので勿論曲中でもよく使います。次に基本形の第3音をベースに持ってくる場合、これを第一転回形といい、ロクの和音と呼びます。→図2。これも曲中で多く使われます。この時、気を付けなくてはならないのは上部和音やメロディーにこの第3音を使わないことです。これを第3音の重複不可と云います。

次に第5音をベースにする場合、これを第2転回形といい、シロクの和音と呼びます。→図3。
不安定な和音の為、普通単独ではあまり使われません。主和音の場合制約があります。即ち主和音の第5音は属音(属和音の根音)でもありますから、属(和)音のうえに主和音が乗っているとみますと非常に不安定ですので、ただちにこれを解決するために属和音に進行しなくてはなりません。これを記号化すると「イチのヨンロク+ゴ」として一つの属和音の変形とみなします。クラシックでは終止形の定石となっています。→図5
ついでに、属七のような四和音の場合、転回形の呼び方が少し変わり、第3転回形もあります。→図4
 
さて、通常クラシックでは三和音(ポピュラーでは四和音)を使いますが、和声学では説明する時ピアノ譜のような二段譜に常に四声体で書く習慣です。しかしギターで実際の曲を四声体を連続して使うのは演奏上不可能ですので、主に二・三声体で書かれているのが普通です。
そこで、和音は3和音、書くのは四声体で、ということはどれかの音を一つ付け加える事に
なります。これを「重複」と云います。また、四声体でも三声体でも3和音の内一つ省略する場合もあります。これを「省略」と云います。では、いったいどの音を「重複・省略」していいのか、いけないのか、今回はそのことについて考えてみましょう。編曲するときにも役にたつかも知れません。
まず「重複」ですが、原則として四声体で書ける(弾ける)時はできる限り全ての音(完全体といいますが)を使います。充実した響きが得られるからです。その時重ねていい音は基本的に根音、次に第5音となります。しかし第3音は重ねて行けない事になっています。第3音はその和音の性格を決める大切な音です。また、属和音の場合の第3音は導音、属七の場合の第7音は限定進行音といい、絶対重ねては行けないことになっています。→図6

次に、「省略」ですが、これも原則として3和音の完全体で全ての音を使いましょう。
ですが、どうしても省略しなくてはならない時は、第5音のみで根音、第3音は削ってはいけません。根音を省略しますと和音が曖昧になりますし、第3音を削りますと長・短の和音の区別が判らなくなります。(もっとも、曲の流れから大体判別出来ますけど)また、属七の第7音を省略しますと属和音になり、属七を使う意味がありませんし、第3音の導音を削りますと主和音への強い指向性が薄れます。→図7
結局、重複していい音は根音と第5音、省略していい音は第5音という事になります。
一つの和音の中にもいろいろ役割や重要性があるものですね。
次回は或る和音が次の和音に進む時の限定進行音についてです。
題して「安定・不安定・・・限定進行音」です。
                              服部 修司



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こんにちは、渡辺なつ実です。

名古屋も桜が少しずつ咲き始めましたね。枝の所々に、桜の花の塊があるのを見ると、春が来たと思って嬉しくなってしまいます。

今日は、2件ほどご報告があります。

実は、この度第16回日本歌曲コンクールの作曲部門にて応募作品に優秀賞を頂きました。この作品は、9月に東京で開催される同コンクール声楽部門の課題曲の一つとなります。少し緊張しますが、やはりうれしいことです。

また、9月には自作曲による個展も開かせていただくこととなりました。今までに書いた曲の中からと、また今も続行で書き中の新曲とで構成されます。なかなかないチャンスなので、本当にありがたいことです。9月22日(土)の19:00より、港文化小劇場で行われます。詳細はまたお知らせいたします。皆様にお越しいただけたらうれしいです。

これも、応援してくださっている方々のおかげです。この場を借りてお礼を申し上げます。

私事ですみませんが、お知らせでした。

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> アルベニス 決定盤!

 紹介が山下さんに先を越されてしまったが、今回ピアニスト上原由記音さんによるアルベニスの作品集の第一巻を聴いた。
はっきり言って、私はこれほど素晴しいアルベニスを聴いたことはない。今までいろいろな演奏家でアルベニスを聴いてきたが、そのなかでも最上。よく「最も素晴しいもののなかのひとつ」というような曖昧な表現を聞くが、この演奏に限っては私にとっては唯一最上のものと断言して良い。

今まで聴いたスペインものを弾くピアニストとしては、当然第一にご存知アリシア・デ・ラローチャがいる。そしてちょっと古くはホアキン・アチューカロ、ホセ・イトゥルビ、新しくは最近売り出しのエステバン・サンチェスや、ジャン・フランソワ・ハイザーなど。もっと大物ではマルタ・アルゲリッチもバレンボイムの指揮で、ピアノとオーケストラのための「スペインの庭の夜」を演奏していた。しかし今回聴いた上原由記音さんのアルベニスは、わたしにとってはそれらのさらに上をいくものとして、これからも一生ずっと聴き続けていくことと思う。

東洋に住まう日本人でありながら、ここまでスペインの真髄を表現することが可能なのか。あるいは、現代では充分インターナショナルになった日本の演奏家にしてみたら、そんな考えは少なからず過去のものなのだろうか。
ベートーベンの曲を演奏するのはやはりドイツ人でなくてはとか、ショパンのマズルカはポーランド生まれのピアニストの方がとか、ウィンナワルツの真髄は長年ウィーンで過ごしてみなくては、いやウィーン生まれでないととかいったような考え方は随分薄れてきたように思えるのだが(現地へ行くと厳然としてそんな気持ちもまだ残っているような気もするが)しかし、スペインと日本では違い過ぎるではないか。しかもスペインの中のスペインといっても良いようなアルベニスを、ここまで十全に表現し切れるとは、なんと素晴しいことであろう。とにかくこの前このブログでも読ませてもらったその「間」が素晴しい。

「間」とは「魔」にも通じて、ひとたび扱いを忘れたり間違ったりすればすべてが台無しになってしまうほど恐ろしい。カンバスの中で画家がいかに空白を配置するか。(空白の中に何かを配置するのではなく、空白そのものを主題として扱う)空白や空間といった「間」は偶然そこに存在するのではなく、もちろん出した音と次に出した音との間に無意識に出来てしまうものではない。作者と表現者(この場合演奏家)は目に見える音符(耳に聞える音)と音符との間に生じる「間」も設計している。書道家が白い半紙のある点に、(実は充分な計算に基づいたポイントに)あたかも偶然のごとく自然に筆を下ろし、結果としてその周囲に絶妙なバランスを保った空白が自然にできるように、この上原さんのアルベニスは自然にその世界を表現している。

収録された曲目をご紹介しておくと、
スペイン組曲 第1集
グラナダ
カタルーニャ
セビーリャ
キューバ
セレナード・エスパニョール(通常カディスと呼ばれている)
2つの性格的小品
 ホタ・アラゴネーサ
 タンゴ
ラ・ベガ(沃野)
組曲「イベリア」(4巻からなる12の新しい印象)第2巻
 ロンデーニャ
アルメリーア
トゥリアーナ

以上11曲であるが、今後4巻まで順次発売になるとのこと。ここまでくればアルベニスの大方の重要曲は網羅されるため、なんとも待ち遠しいこととなった。
今回のCDの第一曲、有名な「グラナダ」を聴いてみて欲しい。その遥かなる大地を思わせるゆったりとした懐かしい旋律と、なんとも美しいその「間」。セビーリャに聴かれるはち切れるような躍動感。カディスにおける揺れ動く旋律と郷愁をそそられるその歌。
そしてグラナダに降り注ぐ霧のような雨を思わせる出だしのラ・ベガ(沃野)。もちろんグラナダではどのような雨の降り方をするのかを私は知らないが、ともかくこれほどの説得力をもったラ・ベガを私は初めて聴いた。CDを聴きながら目頭が熱くなるのを覚える。
殆んどがソロ、デュオという違いはあってもギターで弾かれる曲が多いので、皆さんにもぜひともこのCDは聴いていただきたい。きっと一日中流していても聴いていられるようなそんな素晴しい演奏であることは間違いない。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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今日は徳永真一郎サロンコンサートのレポートです。
彼はこの3月に高校を卒業したばかりの、まだあどけなさを残す18歳の少年でありながら、鮮やかな技巧と歌心の両面を持つ立派な若きギタリストでした。キラリと光るものを随所に見せる演奏で名古屋の観客に大きな足跡を残した事に違いないでしょう。彼はジュニアギターコンクール(‘00)をはじめ、第30回日本ギターコンクール・オヌール部門(‘03)や第20回スペインギターコンクール(‘03)で1位(最優秀賞)などを獲得していると言いますから、中学3年生で輝かしい経歴を作った事になります。しかし、彼の性格と師匠である川竹道夫先生(徳島ギター協会会長)の教えがいいのか、決して驕った所は無く、素直でとても好感の持てる少年です。

第1部の1曲目の「おいらはキャベツ作りの子の主題による変奏曲」(ジュリアーニ)では切れの良い鮮やかで且つ色彩感と立体感のある演奏でググッと迫るものがありました。ラマンチャの歌(トローバ)と二つのカタロニア民謡(リョベート編)の盗賊の歌、聖母の御子では若い演奏家にありがちな技巧に走る演奏ではなく充分に歌えるギタリストですと証明。ただ、アルベニスのセビーリャでは「さあ、今からセビーリャだぞ!」と言う気負いがあったのかやや固さを感じました。昨年11月の徳島でのデビューリサイタルのPR用CDでは見事な演奏をしていたので期待していただけにやや残念でした。

第2部の二つのベネズエラ舞曲、エル・マラビーノとワルツ・クリオージョ(ラウロ)はさらりと弾き切り、ヴィラ=ロボスの五つの前奏曲は1番から順番に演奏していく中で、第3番、第4番では聴衆と演奏者が一体となる空気を漂わせました。ゆっくりしたテンポのところは丁寧に歌う事で聴衆が引き込まれていくのです。が、その緊張感を持続する事の難しさを感じました。演奏者も集中力を長く維持する事が難しいのと同様に聴衆も集中力を長く維持する事は難しいんですね。やはりテンポの設定と変化など聴衆の空気を感じ取りながら生きた演奏をする事が大切なんですね。この点を18歳の経験の浅い徳永君に要求するのは酷かも知れませんが。
サウダージ第三番(ディアンス)儀式~踊り~祭りと終曲では彼の持ち味が存分に発揮されていました。やはりこの曲は彼の年代に合っているのでしょうか。切れの良い技巧と小気味良いリズムで、時には彼の体が左右に揺れるくらいに乗った演奏でした。このノリは逆にベテランのギタリストには出せないかも知れません。ただ、アンダンティーノ・バリアート(ポンセ)では惜しいポカをやりました。忘れた部分があり、彼は変奏を2つ程飛ばして先へ行きました。後で川竹先生から聞いたところによると、この曲は小学生の時からやった曲らしいのですが、ここ何年も弾いていなかったらしいのです。ディアンスで素晴らしい演奏をした後のプログラム最後の曲だけに惜しまれました。

しかし、とても良いもの、光る才能を持った人であることは間違いありません。聴衆全員が彼の演奏に惜しみない大きな拍手を送りました。5月からフランスに留学するとの事ですが、きっとひと回りもふた回りも大きく成長して帰ってくるでしょう。皆さんで「留学を頑張って来るんだよ。帰国したら又ミューズでも演奏してね!」と言って分かれました。徳永真一郎君、ガンバレ!フレー、フレー、と・く・な・が。

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