2010年2月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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昨日は久しぶりに浜松に言ってきました。浜松ギター鑑賞友の会の江間常夫さん演奏会に出席し、今朝一緒に名古屋までドライブしてきました。しかし、土日1,000円になってからやはり東名の交通量は増えましたね。
我々の世代には江間常夫さんの名前は知られていますが、今の若い人には馴染みのない名前かも知れません。ご本人も『私は敢えて自分自身を鎖国状態に置いています。』と言われるように、ギター界との接点を積極的に持たないようにされているようです。だから余計に名前を耳にする事が少なくなるのかも知れません。
それは氾濫する情報にご自身が惑わされたり毒されたりしないようにとのお考えからのようです。つまりご自分の軸をブラスことなく、信念を貫きたいと言うことだと思いますし、それが演奏にも現れていたように思います。誰かの真似や影響を感じさせることがない、江間さんの音楽を聴かせてくれました。

プログラムは我々の世代にはとても魅力的な名曲ばかりを揃えてくださいました。江間さんの演奏は今までに聴く機会がありませんでしたし、このプログラムを戴いた時からとても楽しみにしていました。
<プログラム>
●さくら変奏曲・・・・・・・・・・横尾幸弘
●アストリアス・・・・・・・・・・I.アルベニス
●カプリチオアラベ・・・・・・・・F.タレガ
●サウダ-ジNo3「郷愁」・・・・・R.ディアンス
●ワルツNo3、No4・・・・・・・・A.バリオス
~休 憩~
●大序曲・・・・・・・・・・・・・M.ジュリア-ニ
●大聖堂・・・・・・・・・・・・・A.バリオス
●魔笛の主題と変奏・・・・・・・・F.ソル
●グラナダ・・・・・・・・・・・・I.アルベニス

どうです?魅力的ですよね?昨年還暦を迎えられたと言うベテランギタリストの江間さんがこれらの曲をどの様に演奏されるかって興味深いですよね?
ご本人は『私も歳をとりました』と言われていましたが、なんのなんの、味のある良い演奏をされました。浜松でも、名古屋でも聴衆の皆さんが大満足でしたから間違いありません。
いろんな仕事を経験されているそうで、代議士の秘書の経験もおありとか。そして、ありとあらゆる苦労をされたとか。やはり苦労は買ってでもするものなんでしょうかね。
山下高博



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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 徳島ギター協会20周年記念コンサート
 もはや徳島ギター協会とは抜き差しならない関係に陥っているようだ。2・3週間前、徳島在住のT-hernさんことボーカル&ジャズギタリスト田中章弘さんから電話。「来てくんない?」の一言と「前の日の5時からリハなんだけど・・・」の二言で、もはや前日からのスケジュールが決定されてしまった。それは2月14日(日)、徳島ギター協会が創立20周年を迎えるにあたって開く記念コンサート、題して“これがギターだ!”へ「手伝いに来い」ということらしいのだ。当然お泊りは田中邸ということになり、13日の午後、150キロの道のりを、まずは一路徳島市郊外の田中邸へ。しばし休憩ののち会場である「あわぎんホール」へ。
 私の出番は第1ステージと第3ステージ。第3ステージの方は、全てギタリストの高田元太郎氏がギターを担当しているタンゴバンド「トリアングロ」の演奏ばかりなので、マイクとイクリプススピーカーを一度セットしてしまえば、もうあとは演奏者にお任せでいいんだが、問題は第1ステージだ。ギター三重奏あり、二重奏あり、さらにギター伴奏による歌、しかるのち最後にギターのソロと、めまぐるしくプログラムが変わる。この演奏形態が変わるということが何を意味するかというと、マイクとスピーカーの位置が一遍では決まらず、毎回セットしなおさなければならないということになるわけだ。えれぇこと引き受けちまったもんだ。そもそもこのPAシステムは、結構ビミョーなマイクセッティングをしなくちゃなんねぇってのに、出し物が変わる度にステージへ出て行ってマイクを動かし、スピーカーを動かし、演奏者に合わせてマイクの位置と向きを調整しなくちゃならねぇ。「そんなこと聞いとらへんぜよ」とおかしな高知弁に少し名古屋弁が混じったボヤキもでちまうところだが、時すでに遅し。自分はこの任務を引き受けて徳島まで来てしまっている。とにかくあれやこれやあわただしくステージの準備をし、その日は9時過ぎに終了。
 一夜明け、さあ運命の14日、本番の日が来ちまった。なにしろ出演者の多いコンサートゆえ、朝の9時からリハーサルが始まる。それが終了したのが12時半。これで終わりかと思いきや1時半からが本番。こちらは既に結構バテちまって「ええかげんにせえよ!」といいたいところなんだが、私もいっぱしの大人。打ち上げの料理の質に影響してはいけないと、そこはぐっとこらえて「みなさん、頑張ってね」と励ましのお言葉をかける。
 本番は、まず最初に徳島ギター協会合奏団(協会員11名による)がレクオーナの名曲「ラ・コンパルサ」「アンダルーサ」「マラゲーニャ」の3曲を演奏。
歳は取りたくねえもんだ。私の耳もモウロクしちまったらしい。何年か前この合奏団の演奏を初めて聴いたころに比べて、なんだかアンサンブルが上手くなったような気がしてしかたがない。次に続くは「芝 由美子さん」という、徳島ギター協会にはまったくもって似つかわしくない美系フルーティストをソロに迎えて(もっとも最初のラテンのメンバーにも入っておったが)かの大モーツァルトの作曲したフルート四重奏曲を、独奏フルートとギター6人で演奏してしまうという暴挙、いや快挙?をやってのけちまった。普段何を食ったらそんなことを考え付くのか訳わからんが、もはや我らが感想を述べるレベルをはるかに超えて、さすがに皆さん苦しそう、いや楽しそうに弾いておりました。そして次は徳島大学の学生三名が武満徹作曲の映画音楽「不良少年」を演奏。なんともかわいいお嬢さん二人と男子学生一人による楚々とした音楽を聞かせてくれた。これからもギター頑張ってね。そして続くは浅田省吾、平岡範彦両氏がソルの二重奏曲「喜遊曲」を演奏。この曲はソルの二重奏曲の中でも最も演奏機会の少ない部類の曲であったので、楽しく、また懐かしい思いで聴くことができた。そして次は会長である川竹道夫氏のギター伴奏、大塚実輝さんというソプラノ歌手によるスペインの歌と題して「すみれの花売り娘」「ラ・パロマ」そして有名な「鳥の歌」の3曲を演奏。いつもながら川竹さんの多芸さには舌を巻くほかない。絵画、彫刻、楽器製作にとどまらず、最近では万年筆の製作を始め、さらに二鼓や三味線といった民族楽器の演奏のほか、異次元妖怪バンド「ザ・メタボラーズ」を主宰。さらにコンピュータには若くして目覚め、こんな便利な物はないと今もプロとして使いこなしている。そのどれをとっても一流といってよい領域まで達しているのは驚異としかいいようがない。しかもギター教師として後進の指導に力を注ぐだけでなく、徳島ギター協会の会長をこなし、広く四国一円の音楽界、芸術界を牽引するスーパーマンだ。きっと上着を脱いだらシャツに「Sの字マーク」が書いてあるにちがいないと、私はかねてよりにらんでおり、いつか正体を暴いてやる必要があると考えている。
 第1ステージ最後を飾るは浅田侑子さん。現在徳島大学の学生であるが、いつもながらこの人の上手さには頭が下がる。初めて聴いたデュモン作曲というラベル賛歌と、アルベニスの朱色の塔、そしてご存知アルハンブラの思い出の3曲を演奏。いずれも劣らぬ名演奏。こちらの胸にも「キュン」とくる。皆さんもぜひ一度ご賞味くだされ。
しばしの休憩の後、第2ステージは5つのギターとマンドリンにより、懐かしい古賀メロディを3曲。やっぱり日本人の「心のふるさと」っちゅう感じでええもんやね。そして二人の徳島大学学生によるスチールギターとガットギターでさわやかなデュオを披露、次の3人組「ラインハルト」のジプシージャズへと続くが、これまた抜群のリズム感で小気味いいことこの上なし。それから先ほど紹介した川竹会長率いる「メタボラーズ」によりラテンの名曲を3曲とフラメンコダンサーを迎えてのフラメンコギターも披露。例の田中氏によるラテン語だかスペイン語だかの“カタカナ”カンテが炸裂。取り締まる者とてなく、何ともはや徳島県人は恐れを知らないこと夥しいが、声の美しさに関しては見事!
ところでここまでくると、今回の“これがギターだ!”というコンサートのテーマからいって、「いったいどれがそのおめえさんのいうギターなんよ!」といいたくなってしまうが、結局どれもこれもギターなんだと。つまりこのコーナーのテーマと似ているが「あれもギター、これもギター」なんだそうだ。
最後のステージはお待ちかね、高田元太郎ギターによるアルゼンチンタンゴ・バンド「トリアングロ」によるタンゴの名曲が、アンコールも含めて11曲披露された。さすがプロといったらそれまでだが、水も漏らさぬ(この言い方、合ってるかなあ?)完璧なアンサンブル。会場のお客さんからも最後大きな歓声が上がるほどの名演を聴かせてくれた。
1時半から始まって延々3時間を越える長丁場が終了し、その後はいつものように、いつ果てるともしれない打ち上げパーティが続くのであった。
内生蔵 幹

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こんにちは。スタッフの関谷です。
オリンピック見てます?私フイギュアスケートは、見逃せないなと思っております。ペアも素敵でしたね。毎回フィギュアで使われる曲って楽譜やCDも売れたりするんですよね。誰かギターの曲使わないかしら?

日曜は、ワンコインコンサートでした。
今回、私、関谷が司会デビュー何のことはない、社長がギター協会の総会と日にちがかぶっていることを忘れていて、「じゃあ関谷さん、よろしく!」となった訳で…。「私、今回出演もあるんですけど…」「2部の頭で演奏すればいいよ。」・・・・簡単に言ってくれるよ。

1部は、初参加の方が多く、緊張がこちらまで伝わってくる感じでした。いつもはリハ1回やったら、コーヒー飲みにいったり下で楽譜見たりしてる方が多いのですが、ほとんど降りてきてなかったですもの。
誰でも、初めてはあるんですもの。また2回3回と挑戦されるうちに少しずつご自分を表現できるようになりますよね。って、あんな演奏してて偉そうか。
2部はベテランさんもみえ、しっかり聴かせていただきました。少々間違っても動じてないあたり、流石です。
最後の演奏で使われた、「ケヴィンアラム」が委託で出ますので、またチェックしてください。いい音してましたよね

初めての司会で、初参加の方が「つまらないから、もう出たくない」なんて思わなかったか心配です。なんせ、皆さん静かでしたもの。
えーっと、それから、私の演奏については社長にチクらないで下さいます様、お願いいたします!

当日の演奏者と曲目は次の通りでした。
<第1部>
1.宇治野啓子   となりのトトロ/久石譲
  (ウクレレ)

2.小笠原康仁   ロマンス/スペイン民謡
            聖母の御子
            アメリアの遺言/カタロニア民謡

3.中川 善之   鐘の音/J.ペルナンブーコ

4.布目 知弘   スペイン組曲より /G.サンス

5.岡崎 英春   カバティーナ/マイヤーズ

<第2部>
1.関谷 眞理  25のエチュードよりNo3/M.カルカッシ 
          イパネバの娘 /A.Cジョビン

2.上田 和也  舟歌/N.コスト、
          ソナチネ/パガニーニ

3.樋口 洋行  白鳥の舞/F.A.Marsaglia
           オルゴール/後藤千秋

4.各務 昭子  フリア フロリダ
           ワルツ Op8‐No.3/A.バリオス

5.寺本 智   アラビア風奇想曲/F.タレガ
           バーデン・ジャズ組曲よりシンプリシタス/J.イルマル)

以上



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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 父が残していったレコード
 今年1月の28日(木)、私の父が病院で亡くなった。83歳であった。その父がずっと昔、私のために生涯でただ1度、お土産にと買ってきてくれたものがある。それはジュリアン・ブリームの弾くバッハのリュート組曲1番と2番が収録されているLPレコードだ。
 私は中学の2年生の初め頃からギターを始めたんだが、父はそのことに対しては何の反応も示さなかった。むしろ小さな家のこととて、ポロン・ポロンと弾いているうちはよかったのだが、高校生にもなると、結構なクラシックの名曲をバリバリ弾いていたので、父の虫の居所がよくないときなどは、あまりいい顔はしなかったように思う。だから私から見ると、私がギターをやっていることについて、父はあまり賛成ではないんだろうとずっと思っていた。6年前に亡くなった母親なんぞは、どちらかといえば「学業の差障りにならない程度にやるのだったら」と、基本的には陰日向になり応援してくれたんだが、父の方は私のギターのことについては一切何も語らなかった。従って公開の演奏会などは一度も来てくれたことがなかったし、興味を示したこともなかった。もっとも私の父親は元来そういうことが苦手で、私や私の妹(私の9年下)の父兄参観日にも、ついに一度も顔を出したことがなかった。小学校の低学年のころはそれが不思議で、「今度の参観日には来てくれないの?」と何度も訊ねた覚えがあるが、それも年を経るにつれ、いつしか私たち兄妹も「父は参観日がきらいなんだ」とあきらめるようになっていた。
そんな父が、あるとき仕事から帰ってくるなり突然、黙って私にレコードの入った紙袋を渡すではないか。「なに?これ」と訊いても特別な返事はなかったように思う。その日父は仕事の会合とかで名古屋へ行っていたんだが、名古屋などは年に何回も行っていたわけではないので、知っているレコード店などあるとは思えない。しかも会合となると大勢で酒や食事になるだろうから、それが終わってからではレコード店なんぞは開いているわけがない。だとすると名古屋へ着いたときまず最初にどこかのレコード店に入って、クラシックギター関係のコーナーをいろいろ物色した挙句、このブリームのバッハを見つけて購入したあと、会合やその後に続く会食の席に持って行き、忘れないよう気にしつつ、自分の座る横かうしろに置いて、その後家まで持って帰ってきたのではないだろうか。
 あまり言いたくはないのだが、私の父は母にとっては良い夫ではなかった。それは私が物心がつくかつかないかの頃からいやというほど見せられてきた。私たち子供の前で、母に向かって手を上げていたことも一度や二度ではなかったし、私自身わけもわからず何度も父に殴られたことがあって、長い間私と妹にとって、父親とはあまり有り難い存在ではありませんでした。
 そんな父が、私が18歳のころ、突然なんのいわれもなく(私にとってはそう思えた)ジュリアン・ブリームの当時新譜で出ていたバッハのリュート組曲のレコードを買ってきてくれたのだ。ジャケットは写真にあるように、当時のものとしては大変品がよく格調も高かった。なによりもバッハというのが驚きであった。当時私はギターでバッハを弾けるということは知ってはいたが、実際の演奏として聴いたことはなかった。かけてみると当然のごとく素晴しい名演が入っていて、何度も聴くうちにその良さが理解できるようになってきた。しかしそんなレコードを買ってきた父は「おれにも聴かせろ」というわけでもなく、私から見るとそんなレコードにはなんの興味ももっていないそぶりであった。
そもそも私の家にはそれまでレコードというものはあるにはあったが、私が自分で買ってきたもの意外では、特別クラシックのレコードがあったわけではない。せいぜい民謡や童謡のレコードがわずかにあったにすぎない。なのに何故あのとき父はジュリアン・ブリームの弾くバッハのリュート組曲のレコードを購入しようと思ったのか。
 そんな父が昨年の1月、近所の路上でなにかの拍子にころび、その後2月から入院することになって、この一年間何度も病院を代わったりして私たちは右往左往させられた。
 父はどんな気持ちで私たち自分の子供を見ていたのであろう。兄・妹揃って母親の見方になって父親を敵対視している子供たちにどんな感情を抱いていたんだろう。あのときどんな気持ちで息子のためのレコードを選んでいたんだろう。どんな思い入れを抱いて会合の間レコードを見ていてくれたんだろう。
去年暮から今年にかけては見舞いにいっても、私のことを分かっているのかいないのか、もはやそれほどまでに意識が朦朧としていた。
最期まで病院で父の面倒を見てくれていた伯母(母の妹から)から聞いた。まだ父の意識が朦朧となってしまう前、父は言ったそうだ。「あいつは(私のこと)今まで一度もおれに困ったから助けてくれと言ってきたことがない。えらいやっちゃ。おれとは違う。」父は自営で商売をしていたが、私には「こんな商売は斜陽だから」と、一度も後を次いでくれと言ったことはない。しかし私には次いでほしいと思っていることは何かにつけてわかっていた。家の中ではまったくの身勝手でいいところがないように思えた人だが、一歩外に出れば誰もが「あんな優しくていい人はいない」と評判の良かった父であった。
そんな父がこの1月28日の夜、肺炎を起こし呼吸困難に陥って亡くなった。
「あの時はどんな気分になってこのレコードを買ってきてくれたんや?」とひとこと訊いてみればよかった。もちろん父はそんなことはとうに忘れてしまっていただろうが。
今私にとってこのレコードは、ずっと繋がることのなかった父と、やっぱり繋がっているのかもしれないと思う唯一心の糸となっている。
内生蔵幹

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 村治教室、2010年弾き初め会
 毎年恒例、村治昇先生のお弟子さん達による弾き初め会が、今年もまた東京都台東区のミレニアムホールで行われました。昨年に続きお手伝いに呼んでいただいた私にも、一部おなじみの生徒さんができ、会う度ごとの目覚ましい上達振りを見るのもひとつの大きな楽しみになってきた行事です。
 毎年大勢の参加者に驚かされるのですが、今年はさらに増えて、70名を越す大人数。その舞台裏は戦争のよう。大人の生徒さんをはじめ、先生の教室で講師を勤められているプロの方々も総出で子供達の出番の整理や楽器の調弦をやられるのに加え、楽器の販売で有名な「メディア・カーム」の代表酒井さんはステージマネージャーとして大活躍。それはもう一大イベントです。
 まずは朝の9時に会場入り、10時前から少し大人の生徒さん達のリハーサルが始まります。この大人の方達といっても随分大きな方が多くて、(体が大きいというわけではありませんよ。あとで出てくる小さな子供達に比べてかなり年齢を重ねた方という意味です)中には若い頃から何十年も村治先生の教室に通って来られている方もおられるようです。
本番は11時かっきりに始まり、ひとりひとりソロを披露。一組だけお二人でソルの二重奏を弾かれた方もおられましたが(この二重奏がなかなか良かった)、その方達もきちんとお一人づつソロも弾きます。そして最後は大人全員(15名ほど)によるオーケストラバックで2曲を披露。この時点で12時45分。第2部は1時半からなので、それまでは全員昼食タイム。
 第2部はお待ちかね、ジュニアの部です。一番下は幼稚園の年中組みからはじまり数人づつステージに上がり村治先生や講師方の伴奏で一人ひとりが順番に弾いていきます。まあそのかわいいことといったら見ている方としてもたまらなくて、つい顔が緩んできてしまいますが、当然そのころには沢山の親御さんたち親戚一同で会場はいっぱいです。当然「わが子、わが孫の晴れ姿を・・・」とカメラやビデオが沢山並びます。自分のお子さんがステージの上でギターを構えていっぱしに演奏している姿は感動ものなんでしょうね。「あぁ、あの子が出てきた!」「あの子が椅子に座ってるゥ!」「あぁ、ちゃんと指を動かしてる!」「音が聞える!」とそれはもう大騒ぎなんでしょう。それに応えて子供達もちゃんとステージではお行儀よく、挨拶もきちんとしてとても得意げな子もいます。演奏が終わって会場に向かって手を振る姿もまたたまらなくかわいく、それだけでも会場がいっぺんに幸せな気分に包まれます。
 今回の呼び物は、なんといっても兄弟、姉妹による二重奏、三重奏です。8組のアンサンブルが行われましたが、なんと全員が村治先生のお弟子さんなんですね。つまり兄弟、姉妹そろって村治先生の教室に通ってくる子供達なんです。勿論年齢の近い兄弟もいますが、中には下は幼稚園で上が中学生という組み合わせもあって、ステージのネーミング通り「微笑ましいファミリー演奏」は大好評。いつでしたか村治先生とお話しているとき、「最近はいろいろ忙しくてちょっと疲れ気味なんですが、加えて発表会にどんなことをやるか考えなくてはなりません。でもそれがまた私の楽しみのひとつなんですけどね」とおっしゃっておられました。毎回少しづつ趣向の違ったプログラムを用意されて大変なことだと思いますが、その先生の期待に応えて小さな生徒さん達も精一杯実力をはっきしようと頑張っています。そんな光景を目の当たりにしていると、本当に村治先生のお弟子さんたちは幸せだなあと思いました。
 その後は去年コンクールに入賞した子供達によるソロ演奏が続きます。中でも感動したのは小学2年生の原田斗生君の弾くカバティーナと小学6年生の斎藤優貴君の弾く大聖堂でした。この二人の演奏には心底まいりました。なにしろ私が今までに聴いた同曲のどの演奏よりも完璧で、しかも感動的だったからです。勘違いされないようにもう一度いいますが、“どの演奏よりも”というのは“どんなプロの演奏よりも”という意味です。つまり私が今までに聴いたどんなギタリストの演奏やCDよりも素晴しい演奏だったということです。ギターの演奏を聴いて久しぶりに目頭が熱くなるのを覚えました。この演奏は皆さんにもぜひ聴いてもらいたいものです。「こんな子供達でも、これほど感動的な音楽を作り出すことができるのだ!」と、まさに驚異を覚えられることと思います。もはや「こんな子供達でも」などといってはいけないのかもしれません。
 独奏の最後は中学2年生の菅沼聖隆君が、リズミカルなお得意の南米の曲を演奏。会場をいっそう沸かせたあと、本日最後のステージはジュニアグループが、オーケストラバックによるジュリアーニのアレグロ・ヴィヴァーチェを楽しく演奏。2010年弾き初め会をしめくくりました。そして村治先生の「この次5月の発表会もみんな頑張ってね」のお言葉でやっと終了。
 朝の11時から始まって、この時点で6時15分。途中40分ほどの昼食タイムは入りましたが、もう大人たちはヘトヘト一歩手前?でもその後の打ち上げパーティで美味しいものがテーブルいっぱいで、子供達はまだまだ元気いっぱいといったところ。
 この2年ほど、ミューズサロンでのジュニアコンサートも入れて年3回、村治先生の教えを受けた子供たちの演奏を聴いていますが、そのたびに驚異的な成長を見せてくれています。彼らはこれからどんな演奏を聴かせてくれるのか、恐らく私の予想をまた気持ちよく超えてしまうんでしょうね。

内生蔵幹(うちうぞうみき)

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