~伴奏への気配り~ - ミューズの日記
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今回は「音楽的表現」についての話をしてみたいと思います。

 まず楽譜にそって正しく弾けること、この段階をないがしろにしては新しい次の階段に上ることは出来ません。その意味で、暗譜は、最高の水先案内人を担ってくれているといっても過言ではありません。

 さて、「音楽的表現」です。ギターは「小さなオーケストラ」といわれるように、それ自身でいくつもの役割を演じながら音楽を創りあげていくすばらしい楽器です。メロデイーと伴奏が、縦糸と横糸のように紡ぎ出され、織りあげられ、次々と小さなサウンドホールから飛び出してくる時、私達は、どちらかというとメロデイーの方に耳を傾けてしまいがちです。
もちろん聴く側の立場で言うならば、それは当然のことで、美しいメロデイーが魂を揺さぶるように思うのです。しかし、演奏者の側から言うならば、魂を揺さぶるほどの美しいメロデイーの響きは必ず、それを支える伴奏が生み出す命の産物にほかならないということを忘れてはいけません。
極端な言い方をするならば、演奏とは、メロデイーを支えている伴奏をいかに表現しきるかにかかっているということでしょう。

 また、「音楽的表現」は個性そのものです。私が40年以上にも渡って、せっせと取り込んできた先人たちの技や知恵、同時代を活躍する偉大な先輩たちの素晴らしい演奏は、様々な形で私の演奏家としての血となり肉となっていますが、同時に、私を縛る窮屈な枠になっているのも事実です。自分自身の音楽を創っていくためには、この枠をはずすことがかなり重要になってきます。枠をはずした自分自身の演奏とはいかなるものであるのか。

 それは、五分五分の世界なのだろうという気がしています。つまり、演奏する前に、私はこのように表現したいというイメージ(枠ぐみ)が五分、後は、演奏の中での瞬時のひらめきや素直な感情に身をまかせていけば良いということです。とらわれない自由な心は、自身の「音楽的表現」、つまり、個性的表現への最大の理解者です。    
                                     吉本光男


  次回は 「一粒の音から音楽がこぼれる」 を予定しております。お楽しみに~。



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