2007年5月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> カルロス・ボネル

 この5月、東京でリサイタルを開いたカルロス・ボネルのレコードを始めて聴いたのは、今からもう30年近く以前。「アランフェス協奏曲」と「ある貴神のための幻想曲」が裏表のLPだった。そしてそのすぐ後に発売になったのが今回紹介する「椿姫」幻想曲と題したLP。前回のアランフェスがどうもピンとこない演奏だったので、「あまり期待はできないな」とは思いながらも購入してみたが、あにはからんや、これがなかなかのいい演奏をしているので驚いた。前回のアランフェスでは申し訳ないがちょっとテクニックが不足しているところを露呈してしまい、どうもオーケストとうまくかみ合っていない感が終始つきまとう。多少リズム感に難ありなのも否めない。もっともテクニックが不足するとリズムもへったくれもあったもんじゃなくて、スケールにしても突入した時のスピードというか音と音との間隔がずっと維持できず、ところどころまばらになって、モタモタしてしまう。どうもこの人はスケール的な動きがあまり得意じゃないみたいで、そのようなパッセージへくると大概左手のスラーを多用して右指の動きを省略する傾向があるようだ。しかしテクニックがいまいちの人に限って、「せめて音楽的な表現の方で何とかしなくちゃ」と考える傾向にあるのか、今回のこのLPでは充分その目的を達成しているようだ。
収録されている作品を上げると、
① チャピー/ムーア風のセレナーデ
② アルベニス/アストゥリアス
③ パガニーニ/ロマンチェとアンダンティーノ・ヴァリアート(大ソナタの2・3楽章)
④ ヴィラ=ローボス/練習曲 第11番
⑤ バルベルデ/カーネーション
⑥ リョベート/スケルツォ・ワルツ
⑦ ヴィラ=ローボス/前奏曲1番・2番
⑧ タルレガ/ヴェルディの「椿姫」の主題による序奏と幻想曲
⑨ ショパン/前奏曲、Op.28 No.7
⑩ ヴァイス/シャコンヌ

以上の11曲だが、見ればお分かりの通りあまり技巧的に難易度の高い曲は入っていない。ところどころ(先ほど言ったスケール的な動きのところなどで)危うく破綻を来たす一歩手前のところも見られるが、それでも音楽としては充分楽しめるものがある。先回紹介した「軽くて薄い」テクニックだけのE・Fとは大違い。1楽章が収められていないのが気になるが、パガニーニも聴き応え充分だ。リョベートのスケルツォ・ワルツもナクソスからリョベートばっかりのCDを出しているロレンツォ・ミケーリほどのシャープさはないが、なかなかいい演奏だ。タルレガにいたっては、ヴェルディのオペラの華やかな雰囲気がとても良く出ていて名演だ。そして何よりもその楽器、多分「フレータ」だと思うが、なんともシャープないい音が聴けるのが大収穫。このカルロス・ボネルは名古屋出身のギタリスト掛布雅弥さんの師であることは現代ギター誌の5月号にも紹介されているが、ぜひともこのようないい演奏のLPはCDでも復刻してもらいたいものだ。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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先日の日曜日(5/27)でショートスケールフェアが終了しました。多くの方に試奏に来ていただきありがとうございました。試奏された全ての方が、その弾き易さと鳴り具合に感動され、ショートスケールに対する見方が変わったようです。私自身630mmにすっかりはまってしまいました。

先日アンヘル・ロメロと村治佳織さんの大阪公演にリハから立ち会いましたが、その時のアンヘルの手の大きさに感心しながら「ずるい!」と思いました。手の平の横幅が広いため殆ど指を開けない状態で1フレットから4フレットまで届いているんです。私は630mmを弾くときに1フレットから3フレットまでを全く指を広げないで押さえられるんですね。これを実感してアンヘルの事を思い出していました。彼にとって650mmが私にとっての610mmくらいではないかと。

650mmと630mmとで1フレットから3フレットの距離に約2mmの差が出ます。数値で言うと何だたったの2mmかと言う事になります。が、650mmでG7コード(6弦の3フレットのソと1弦の1フレットのファ)を押さえる時に誰でも普通に抑えられますが、よく見ると左手の指は開いているため強張っています。ややツッパリがあるんですね。そこでこの2mmが効いて来るんですね。指の強張りがフッと取れます。そうすると指の動きが楽になるんですね。これは実際に体験しないと分からない事かも知れませんが、今回多くの方に実感していただけたと思います。特に有効なのが、手の小さめな方、年齢的に腱が硬くなって来ている方、若いし手のサイズも普通だけど技術的に広げた押さえが難しい方などですが、かく言う私自身がはまってしまいました。

と言う事で今後ミューズでは普段からショートスケールも豊富に揃えていろんな方へのニーズにお応えできる様にしていきたいと思っています。日本中どの店よりショートスケールが多い店になるのではないでしょうか?ご期待下さい。

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昨日の日曜日(5/27)に「大人のギターパーティー」と称してミューズ音楽教室のクラシックギターコースの初級~中級者の皆さんの発表会がミューズサロンで開かれました。今回で3回目となりますが、今回は6歳から70歳までの幅広い年齢層の皆さんが参加されました。おいおい、「大人のギターパーティー」なのに6歳も出たの?と言われるかも知れませんが、そこは多めに見てください。決して教育に悪い事はしていませんから。そもそも何故「発表会」を「大人のギターパーティー」と称するのかと言いますと、お酒と食事を出してパーティー形式でやるからなんです。

これは参加していただく皆さんに少しでも気楽な雰囲気で楽しくやっていただきたいと言う気持ちからなんです。人前で演奏すると言うと誰でも緊張して上がってしまいます。中には「そんな人前で演奏するなんて恐ろしい事出来ません」と言う方もいらっしゃいます。しかし、私は常日頃から人前で演奏する事を楽しんでいただきたいと強く願っています。折角ギターを習っているわけですから、演奏する事を楽しんでいただきたいのです。最初は人前で演奏する事は恐い、恥ずかしいと思うことなんですが、最初の一歩を踏み出すと意外と楽しく出来るようになるものなんです。

そして今回は一番初めに乾杯から始まりました。私の挨拶の後、乾杯して幕を開けます。数分歓談して雰囲気も和らいだところで1番の人が演奏です。それでも今回も参加された人は皆さん緊張して上手く弾けなかったと仰います。しかしその反面とても楽しかったと言っていただきます。緊張して上手く弾けなかった60歳台の男性曰く「これは楽しいわ!いいね、この企画は!」とワインで赤くなった顔で上機嫌です。そして今回はまだ力不足で演奏参加できなかった人も次回は頑張りますと仰っていただきました。

皆さんも是非ギターを弾く事を楽しんでくださいね。ワンコインコンサートなどもどんどん利用してください。場数を踏む事と楽しむと言う心がけがアガリ(緊張)を和らげる一番の対策にもなりますからね。



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今日は先回大好評を頂いた、脳医学博士の中村先生に『音楽する脳を科学する』の第2回目「アガリの対応策」と「音楽家の手の障害と対応策」をお話いただきました。手の障害も多くの方が経験していると思いますが、人前で演奏するときに緊張して「アガル」と言う問題は万人が共通に抱える問題ですよね。従って今日も多くの方に来ていただきました。ある方は大阪から来ていただきました。ありがとうございました。

さて、その内容ですが、第1部は「音楽家の手の障害と対応策」。
一般的には何でもかんでも腱鞘炎だと誤解される方が多いのですが、3つの障害に分かれるそうですね。
1.腱鞘炎→腱鞘の障害
2.手根管症候群→末梢神経の障害
3.ジストニア→中枢神経の障害
原因はどれも使い過ぎから来るそうで、症状も似ているため勘違いされる方が多いのだそうです。解剖医学的な説明もあり、先生曰く、
・手がどれ程驚異的なメカニズムで動いているかを理解し、手をいたわろう。
・全てが腱鞘炎ではない。
・予防に勝る対策なし→正しく無理の無い練習と休む勇気を
・不幸にもなってしまったら専門医の診断を

ある年配の方の質問への答えで、「年とともに腱も硬くなってきますので、無理な手の開きで練習するより、ショートスケールなどを使う事で楽に演奏できる様にする事も有効です」と言う、ショートスケールフェアをやっている私には嬉しいお話もありました。

第2部は「アガリの対応策」
これは一言で言うと交感神経と副交感神経のバランスの問題なんですね。交感神経が高ぶると脈拍、血圧、発汗などが活発化するんですね。それは緊張するとその症状になり、アドレナリンが増えるんだそうです。アドレナリンが出すぎると心臓がバクバク、血圧が上がり、手足が振るえ、汗をかくんですね。つまり頭がパニクル=アガリまくると言う事です。そしてこのアガリの対策は心のコントロールにあり、と言う事です。
・不安・恐怖をなくす
 ポジティブ思考、自信を持ち失敗を恐れない
 聴いてもらう事を喜びや楽しみに
・経験不足を解消
 場数を踏む
 イメージトレーニングで補う
・気負い過ぎないように
 普段より上手く弾けるはずがないのだから普段の6割でよしとする

これらは私が普段から皆さんに言っていた事と合っていますのでホッとしましたし、今後更に自信を持って言えます。是非ワンコインコンサートなどを利用して人前で弾く回数を増やしましょう。しかも楽しんで弾きましょう。
その他、ゆっくりした深呼吸や体を冷やさない事、空腹を避ける事、他などの土壇場対策のお話もありました。

兎に角このブログでは全てをお伝えできませんが、大変参考になるお話を聞かせていただきました。やはり医学的な解説を踏まえたお話には説得力がありますね。しかもギターが上手い中村先生のお話には尚更説得力がありました。


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<あれも聴きたい、これも聴きたい> エドゥアルド・フェルナンデスのデビュー

 レコードつまりLPというものが、そろそろその終焉を迎えようとしていた頃、1984年の録音で、突然エドゥアルド・フェルナンデスというギタリストのレコードが国内で発売された。しかもレニャーニの奇想曲Op.20という当時としては珍しい作品からの10曲がA面の冒頭に収められており、買って帰ってそのレコードに針を下ろした途端ぶったまげたもんだった。まず収録されているその他の曲をあげてみると、先ほどのレニャーニの次にジュリアーニのジュリアナーテOp.148から3曲(6、7、8番)、ソルの魔笛の主題による変奏曲、そこまでがA面。B面はA.ディアベリのソナタ ヘ長調というこれまたちょっと珍しい作品と、ご存知パガニーニの大ソナタ イ長調(ヴァイオリン無しのソロ版)。ソルとパガニーニ以外はあまり演奏されることの少ない曲ばかりなので楽しみに買って帰ったんだが、とにかく聴いてみてびっくり。超絶技巧の連続、連続、また連続。「目にも止まらぬ」とはこのことかと思うほど音が打ち出されてくる。「打ち出されてくる」とはいっても先に紹介した「アンヘル・ロメロ」のマシンガンとはちょっと違って、何とも「軽い」といったらよいのか「薄い」といったらよいのか。せいぜい空気銃の連射ってとこかな。とにかくアンヘル・ロメロのような音に「重厚感」がまるでない。高音弦はペチペチいうし、低音弦はボソボソして音に「芯」がない。これだけ速く弾けば指が弦をとらえてしっかりと弾弦するということをやっておれないんだろうけども、それにしても音にも表現にも充実感が感じられない。人によっては「ただ弾いているだけ」とか「指がよく廻るだけのギタリスト」としか感じられないかもしれん。確かにこのあとフェルナンデスはたて続けにレコードやCDを出すんだが、その全てが軽く、内容も個性も乏しいため、あまり「好みの演奏」というわけにはいかないものが多かったが、それでもこの日本最初のデビュー盤ほどではなかったように思う。とにかくこのレコードに収められている曲全てが「軽薄短小」音楽表現というものに興味がなく、極端な言い方をすれば、「ただ楽譜に書いてある音符をメトロノームに合わせて順に出してみただけ」という感じを受けてしまうほど味も素っ気もない。音楽にはそれぞれある程度適正な速度というものがあるとか、楽器がその魅力を充分発揮できる限界というものにはまったく無関心に、「速く」と表記してあるから「速く弾いたまでやんか」といった内容の演奏ばかりで、「どれ位の速さで」ということについてはまったく意に介していないように見える。とにかくこれだけ猛烈な速さで弾くと、曲の表現どころか楽器の能力を超えて音がブチブチに切れて、ギターの楽器としての能力の限界を露呈してしまい、ただチョコマカとせわしないだけ。魔笛なんぞはジャケットの解説にもあるが、主題から変奏から音もリズムも表現も何の変化もなく、ただ弾き通すだけで味気ないこと夥しい。まったくメトロノームそのもの。解説には「やや素っ気ないほどに手堅く仕上げられて・・・」とあるが、ものは言いようで、これがもしコンクールかなんかだったら恐らくこっぴどく酷評されるんではねえべが。「あんちゃん、音楽っちゅうものを根本から勉強し直してケロ」とか何とか言われて。それでもフェルナンデスさん、よっぽど気に入っておるのかパガニーニのソナタではちょこっと何かやろうという気配も見られるが、それでも3楽章なんかではスピード違反がみられ、表現というに到ってはおらん。このような演奏のレコードの解説を書かなければならなくなった人はちょっと気の毒な気がする。買ったお客が聴けばすぐ判ってしまう内容を、いかにも『良い演奏』という前提のもとに書かなくてはならない。要するに「嘘」を書かなくてはいけないことになる。テレビの鑑定団ではないが、ほとんど価値のない掛け軸を「天下の名品」のように言うわけだから、聞こえは悪いが「詐欺」にも等しい。だったら解説としても正直に「音楽的にいって今のところあまり見るべきものはないが、これだけよく指の廻る演奏もまた一興。一度は聴いてみる価値はあるかも知れない。しかし今後一層の精進を願って止まない。」くらいに書いたらいいと思うんだけども・・・・。(昔はそういう解説を書いた評論家もおりました)だけどもこういった演奏を賞賛した解説を読んでいると、「この人、ほんとにこんなこと考えとるんやろか?」と解説者の方の感性を疑ってしまうが、フェルナンデスの最近の活躍を見ると、当時のことが嘘のような変貌振りなのにはまたまた驚かされる。そうしてみたらこのレコードの解説の終わりに「ともかく、第一級の技巧に加えて確かな音楽性を具えたギター奏者が、ここに登場したことは疑いない。」とあるから、やはり当時から才能を見抜いていたということになるねえ。だとしたらデビュー当時は「しょーもない」と思われていた画家が、年を追うごとに大成して立派な絵描きになったようなもんだけど、画家の描く絵と同じように、このしょーもないデビューレコードの価値が上がって「今じゃえらい高値が付いて・・・」というわけにはいかんやろか。しかしこのレコードにも良いところはある。デッカの録音がとても素晴しいことだ。「フェルナンデスの最初の頃の録音は良くない」ということをよく耳にするが、そんなことはない。しっかりしたシステムで聴いてやると、演奏者の音は良くないが、録音はその良くない音を的確にとらえていて、楽器や弦の微妙な立ち上がりの音がはっきりと聴き取れる。これくらい細部に渡ってギターの音をとらえた録音も珍しい。それほどの素晴しい録音が行われている。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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