フォリアの主題による変奏曲とフーガ - ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> フォリアの主題による変奏曲とフーガ

 ずっと以前、私がまだ二十歳そこそこのころ。まだ現役でギターを弾いていたころのこと。ギターのレパートリーに飽き足らず、ある作曲家の方に、つい「ギターはチマチマした小さな曲ばっかりで大曲がない。ベートーベンのピアノソナタのように30分、40分とかかるような大きな作品が欲しい」とぼやいたことがある。そうしたらその作曲家の方がどう答えたかというと、「あんたそりゃあ大間違い!作曲家は、そんな雄大で長大な音楽のイメージが湧いてきたら、だーれもギターでなんか作曲せーへんがね」だと。
一瞬「土器!」、いや「ドキッ!」としたが、作曲家のその言葉は、音楽というものに対する私の考えに、少なからず影響を与えた。目が覚めたような気もした。
たしかにピアノソナタや交響曲のような大きな曲のイメージが作曲家の頭に湧き上がってきたら、そりゃあ誰もギター用の曲として作曲なんかするわけがない。そんなことした日には周りから「楽器の選択を間違った」と言われ、恥をかくのが関の山だ。もっとも作曲している最中に、もはや「音が足らない」だの「音色が足らない」、その上「そもそも音量が足らない」だの、不自由を来たして、作曲の手が自ずと止まってしまうだろう。しかし今回取り上げたM.ポンセの手になるギターの有名な大曲「フォリアの主題による変奏曲とフーガ」は、そんなことに敢えてポンセが挑戦した曲なんではねえべが、という気がずっと以前からしていた。勿論ポンセは、この曲を盟友セゴヴィアの為に書いたんだろうが、正直なところ、この曲が書かれたいきさつはどうなんだべが。セゴヴィアが「おめえ、ここらで一発、超でっけえ曲さ書く気ねえが?」と言ったらポンセが「んだ」とでも言ったのか、あるいは反対にポンセが「世間であんまりオラの曲取り上げてくれる演奏家もいねえだども、いっぺん今までにねえようなでっけえ曲さこさえてセゴヴィアさぁに弾いてもらうべが」とでも思ったか、あるいは、ポンセがちょっといじわるに「こんな曲書えてみたけんど、弾けるもんなら弾いてみれ。セゴヴィアさぁのお手並み拝見だぁ」とでも考げえたか。本当のところはよう分からぬ。とにかくいろいろなギタリストがこの曲に挑戦してレコードやCDに録音しているが、、感想としては、はっきり言ってどれをとっても物足らない。主題は単純なんだが、それだけにやろうとしたテーマが普通のギター曲よりも遥かに大きい。にもかかわらず音域そのものが全体的に狭くて、しかも低いので、どのギタリストの演奏も表現力がついていかず、到底この大曲の魅力を表現し切れているとは言い難いものばっかりだ。

まあどなたかの弾くこの曲を「大好き!」という人は、世界中に沢山いるだろうから、ここであんまりけなしては申し訳ないけども、「私にとって」と限定してしまえば、曲の内容に見合った名演はなかなかありそうにない。
「じゃあおめぇはどれくれえの演奏を聴いたことがあるんじゃ」というお尋ねが聞えてくるような気がするので、今思いつくものだけを少し上げてみると、当然第一に「アンドレス・セゴヴィア」そして若い頃の「ジョン・ウィリアムス」、最近では「オスカー・ギリア」(ギリアは生で聴くこともできた)。ちょっとマイナーだけれどもスイス生まれのギタリスト、今年49歳の「フランク・ブンガルテン」、そして例のナクソスに出ている「ヨハン・フォスティエ」くらいだろうか。たしかに大した数ではないけども、しかし、そのどれをとっても曲の真髄を表現し切れているとは思えない。とにかく曲のもっている内容というか精神性というか、そんなものが大きすぎて、それらギタリストの弾くギターの範疇には納まり切っていない。
これはあくまでも個人的な感想なので「ちょっくら勘弁してね」とお断りした上で打ち明けると、私は以前からこの曲はギターで弾くよりむしろピアノかなんかで弾いてもらった方が良いのではないだろうかという気がしている。勿論その時にはもう少し音も足され、さらにピアニスティックな内容が盛り込まれているとは思うが。つまり、もともとピアノの作品として作曲されるべきものだったのではないかと思っておるのです。バッハの「音楽の捧げもの」や、ベートーベンの有名な「エロイカ変奏曲(主題と15の変奏とフーガ)」、よく似た作品として同じくベートーベンの「ディアベリ変奏曲(主題と33の変奏曲)」とまではいかねえまでも、このポンセの曲には、やはりギターの枠の中には納まり切らない大きさがあるような気がする。その証拠かもしれないが、ステージでこの曲を演奏してもらっても、ギタリストにとっては「労多くして効少なし」で、あまり舞台栄えがしない。ギターで演奏するにはあまりにも地味でパッとしないのだ。ひょっとしたら「ギタリストの表現力の問題」なんじゃないかと思い(できればそうあって欲しいと願いつつ)、他にもっと優れた表現力をもった人はいないかと思いを巡らしてみたとき、そういえばジュリアン・ブリームがいたなあと思い出した。しかし誠に残念ながら、彼はこの曲をレコードに録音していない。しかもブリームさんはこの曲を録音していないどころか、私の知る限りポンセの作品をまったくと言ってよいほど演奏していない。あれだけ沢山の録音を残したブリームさんが何故ポンセの作品だけ録音しなかったのか。セゴヴィアが生涯「アランフェス」を弾かなかった理由はなんとなく解るような気がするが、ポンセとブリームさんとの関係も、謎といえば謎だ。(ブリームさんがガキんちょのころ、どっかでポンセに会ったことがあって、その時「このバカタレ!」とでも言われて頭でも叩かれたことがあったりして・・・)このことにはごく最近気が付いたんだけれど、どなたかどこかのコンサートで、ブリームさんがポンセを弾いていたという記録をお持ちの方は、ぜひとも教えて欲しい。ましてや録音が残っているとしたらぜひとも聴かせてほしいと思います。

とにかくブリームがこのポンセの「フォリアの主題による変奏曲とフーガ」を弾いてくれておれば、この曲にもきっともう少し違った印象を抱くことができたのかもしれないが、今のところは、書いたポンセか、はたまた書いてもらったセゴヴィアが「楽器の選択を間違った」ような印象がどうしても拭えない。とにかくこの曲の演奏を聴くと、ちょっと例えは悪いが、少年野球の選手が、生意気にもプロ野球の選手の使う重いバットを振り回しているように見えてしかたがない。「おいら、こんなバットも振り回せるんだぜぃ!」と言いたいんだろうが、こちらから見ると、どうしても「バットに振り回されている」ようにしか見えんのよ。いつかギターで納得のいく演奏を聴いてみたーい。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
弾かない曲 (dolce)
2007-04-22 06:22:59
ブリームがポンセを弾かないのはあるコンサートで弾いたときに酷評されてからだとの話をどこかで読んだ覚えがあります。真偽は不明ですが。
あのジョン・ウィリアムスもソルの曲を弾きませんね。若い頃の20の練習曲を除けば魔笛しか聴いたことがありません。でもブリームとのデュオでは名演をしています。タレガもアルハンブラだけですがこちらはなんとなく弾かない理由は分る気がしますね。
 
 
 
またまた情報ありがとさんです。 (uchiuzou)
2007-04-22 12:59:36
なるほど。ブリームでもその演奏を酷評されたことがあったとは。でもそれだけではない何かがあったような気がいたしまするなあ。
ジョンが魔笛以外を弾かないのはどうでしょう。案外「ギターのベートーベン」とか言われているソルですが、ひょっとして「超名曲」と呼べるのは「魔笛・・・」ぐらいなんじゃないだろうかとも思えまする。(ものすごい個人的な意見ですが)むしろソルさんの他の作品と比較してみると「魔笛・・・」だけがえらい出来すぎていて、もしかしたらその「魔笛・・・」もソルの作曲ではないのでは、と思えてしまうくらい出来すぎ・・・。と思いませんか?(こんなこと言ったらどれりゃあ文句が来そうで、ちょっとおそぎゃぁけど)
 
 
 
Unknown (Unknown)
2018-01-17 21:57:44

フォリアの主題による変奏曲とフーガは私の大好きな曲ですが、この曲で見聞する話は大体、小品が幅を利かしているギター界では弾き手も聴き手もスタミナ不足という印象。この曲をピアノで弾いても、音が透けて聴けたものではないと思います。聴いてみたいのはヴァイオリン・ソロ。さぞかしドラマチックだろうなと想像します。
 
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