2005年8月のブログ記事一覧(3ページ目)-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



先日ヤマハの名古屋店時代のお話をした時に、イエペスの公開レッスンの話が出ましたが、今日はそのお話を致します。

その頃イエペスは4年に一度くらいの割合で日本に来ていました。当時イエペスは私にとってギタリストの枠を超えた演奏をする演奏家として最も好きな、そして尊敬するギタリストの一人でした。そして私がヤマハに入社して3年目の年にイエペスが来日することが分かりました。私は思い切って小原安正先生に電話をして恐縮しながら公開レッスンの可能性をお聞きしました。数日後OKが出ました。私は飛び上がって喜びました。

公開レッスン当日、私は憧れのイエペス先生と小原先生をお迎えに名古屋駅まで行きました。ホームで列車の入ってくるのをドキドキしながら待っていました。自分でだんだん興奮が高まっていくのが分かりました。列車が到着してお二人が降りてきたとき、私は"Mucho gusto, Maestro!"(はじめましてマエストロ)と大学時代に習ったスペイン語で挨拶をして手を差し出しました。

ホテルにチェックインするとき一つ驚いたことがあります。
イエペス先生は宿泊者カードに記入するのにルーペを取り出して字を書き始めたのです。小原先生によると、彼はひどい近視でめがねを掛けていても殆ど見えていないそうなのです。従って新曲を練習するときには先ず楽譜を暗譜してから練習するのだそうです。しかも楽譜を目の数センチ前に持ってきてあたかも匂いを嗅ぐように。

公開レッスンは私は司会をしながらトップバッターで受講しました。曲はソルの魔笛。ここで詳細をご報告することは出来ませんが、それはもう目からウロコ状態、驚き桃の木、山椒の木状態でした。私のギターをイエペスが「チョット貸しなさい、こう弾くんだよ」と弾くと、「これが僕のギターの音?」と言うような信じられない音がしました。バッハの曲で受講した人もいましたが、イエペスは「どこそこ博物館にある鍵盤用の自筆譜はこうなっていて、どこそこ博物館にあるバイオリン用のオリジナル譜はこうなっているので、ギターではこう弾くのがよろしいでしょう」とそれはもう誰もが納得するしかないと言うか、とてつもない説得力なのです。

そうして楽しい打上げ。ここでは更に二つ驚きました。イエペス先生の手と私の手を比べると私より小さいではないですか。私も小さい手なのでハンディがあるんだと人に言ってきましたが、イエペスはもっと小さい手で10弦ギターを弾きこなしていたんです。それ以来手が小さいことをハンディだと人に言えなくなりました。
もう一つは暗譜の事について質問すると、昔イエペスが暗譜の勉強を始めた最初の曲がなんと、ストラビンスキーの春の祭典のオーケストラスコアと言うじゃありませんか。私はもう無言でした。そして彼はこう付け加えたのです。「私はバッハの受難曲全曲、モーツァルトのシンフォニー全曲、そしてベートーベンの交響曲全てを暗譜しています。だから今でも棒を振れます。」これには参りました。ギタリストを超えた演奏家として評価を受けている理由、裏付けを見た思いでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日も吉本光男さんに登場していただきます。
うらやましいお話です。

4~5年位前からいくつもの曲に対して「このように弾きたい」というイメージが、まるで終わりのない万華鏡の世界の様に次々にひろがってきます。実は自分でも驚いているのですが、日々の練習が実に楽しいのです。イメージに添って思いのままに表現していると、日常を超えた時間が流れていくのを感じます。自分で弾いているメロデイーを、二分化したもう一人の自分が静かにそばで耳を傾けているという状況。分かってもらえるでしょうか。その中で何時間も練習していると、もはや、弾いている自分も二分化した自分も消え、広い宇宙の中で、紡ぎ出された音楽だけがまるで宇宙との交信ででもあるかのように私に聴こえてくる瞬間がやってきます。徹底して集中した時間が私の中を流れているとき、紡ぎ出された音たちは永遠の距離を一瞬にして駆け上がり、ちいさなきら星になっていくような気さえするのです。(もしかしたら宇宙の意志と響きあう波動をもちはじめたのかな?)

うれしい実感です。練習が楽しいというのは、言葉を換えるなら、弾くことを練習と思わなくなったということなのでしょう。

 一人一人個性のちがう皆さんが、私と同じ経験をすることは難しいことかもしれませんが、集中力を高めるという意味では「宇宙奏法」はなかなか威力を発揮してくれるのではないでしょうか。だまされた気分で一度試してみるのも楽しいかもしれません。宇宙との交信が飛来してくるかも。。。
                         吉本光男

 次回 PART8は 「伴奏への気配り」 を予定しています。おたのしみに~。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




長い夏休みもあっという間に終わり、明日からまたミューズ音楽館の開店です。最初は8日間のお休みをするのに抵抗感はありましたが、やりたいことが山積みだったので思い切って休みを取りました。
お陰で教室の防音のやり直し、掲示板、〒ポストの設置、お店とサロンのワックス掛け、シャッターの掃除、ポスター類の作成、四日市と岐阜の墓参りなどなど、やりたい事の多くは出来ました。しかし、出来なかったことが二つあります。一つは屋根裏の整理。まだ引越し荷物の一部が放り上げられたままです。ここを整理して屋根裏改造計画があるのですが秋になりそうです。二つ目はギターの写真撮影。ホームページに取り扱いギターの紹介をしたいと思っていますがなかなか手が回りません。新着情報で一部は紹介していますが、全ての商品をご紹介したいと思っています。もう少しお待ち下さい。

さて、今日のタイトル「ミューズ讃歌」ってなんだろうと思いますよね。写真から既に想像はお付かと思いますが、これは私に献呈されたギターソロ曲の題名なんです。な・な・なんと、山下なんぞに曲を作ってやろうなんて奇特な人がいるんかいな?といぶかしがる人も多いかと思いますが、これは私の大学の大先輩(6年先輩)でアンドレアス・ギター室内楽研究会を主宰されている服部修司さんの作品なんです。先日休みの日にわざわざ届けていただいて、私もびっくり、そして恐縮しました。
その場で初見で音を出してみると讃歌と言うだけあって歌を唄いたくなるようなメロディーとそれを支えるリズムが心地よく刻まれているではありませんか。
いつか人前で披露させていただくことをお約束して有難く頂戴いたしました。服部さん、ありがとうございました。

この服部さんは12月に「究極の調弦法~調弦を科学する~」と言うタイトルでワンコイン講座をお願いしている人ですが、学生の頃から編曲を手がけるうちに自作品を作るようになったそうです。今ではアンドレアス・ギター室内楽研究会で他楽器とのアンサンブルの演奏活動をする傍ら作曲・編曲活動をされています。8月31日にも上前津のローズコートホテルでフルートとのコンサートをされる予定です。
アンドレアスのホームページには練習曲からギターソロ曲、バイオリン、フルートとの曲まで100曲近くが公開されています。MIDI音でどんな曲かを聞けるのでとてもいいですよ。また、「もうひとつの調弦法」と言うページも公開されています。なかなか面白い内容です。皆さんも是非一度HPをご訪問下さい。「アンドレアス・ギター室内楽研究会」で検索してください。また12月のワンコイン講座の予習として目を通しておくといいかもしれませんね。私も今から楽しみにしていますので皆さんも是非お出でくださいね。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日で吉本さんの投稿も5回目になります。
毎回のテーマがフッと考えさせられる内容でいつも楽しみにしています。
今日も「なるほど!」と消えていく音にも耳を傾けたくなりそうです。

では、吉本さんにご登場いただきます。

最近は、若いときのようにがむしゃらに練習するということがなくなった。これは、年をとったからとか日常が忙しくなったからとか、ということとは無縁の問題である。

 ギターは、多くの弦楽器の中でも特に繊細な楽器であると言われている。確かに、その音色や響きの美しさと透明感という点において他の追随を許さないが、音の持続性という点においてき極めて悩み深い立場に置かれている。このことは、ギターの持つ弱点であり宿命のようなものであると、ごく最近まで思っていた。しかし、考えてみれば、この弱点とも思える「消えていく音」の残り香にこそギターの最も優れた特性が潜んでいるのではないかと思うようになった。どんなに

美しく至福の音色であろうとも、サウンドホールから飛び出した瞬間からそれらは消えていく運命にある。その短い命に演奏者はどこまで思いを込められるのだろう。そう思うとき、ただやみくもに音を頑張らせるのではなく、「消えていく音にこそ」注意を払い、十分に耳を傾けていかなければならないことに気づかされる。もちろん、音を立ち上げていく時の表現に対する緊張感(呼吸)とタッチの問題は、依然として私の最大の関心事ではあるが、「消えていく音」に対する思いもま
た終わる事のない関心事になりそうである。

 日頃のギターの練習も、一音一音に気持ちを集中させ音楽を楽しむものにしていきましょう。                                         吉本光男

 次回は PART6は 「ギターは小さな星のオーケストラ」 です。お楽しみに~。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




8月8日に大学4年の時のジョイント・リサイタルのお話をしましたが、今日はヤマハに入社してからの話をいたします。

入社前の研修と入社後約2ヶ月間の研修を終えて配属になったのが名古屋店でした。係りは楽器係、そしてなんと手工ギター担当と言ううれしい担当を拝命しました。当時は川上源一社長の特命で「一流の楽器を作れ、プロに使ってもらえる楽器を作れ」と言う大号令が暫く前から掛かっていて、技術者の海外留学や海外から一流の製作者、職人を招聘しては勉強したり、プロの演奏家に評価をもらいながら改良を重ねる作業が盛んに行われていました。ギターで言うと江崎秀行さんがスペインに留学したり、フェレールをヤマハに招聘したり、エルナンデス・イ・アグアドのエルナンデスにまで浜松に来てもらってはヤマハの職人さんたちは勉強をしていました。

そして丁度私が入社した昭和49年にGC30A, GC30B, GC30Cと言う当時30万円した手工ギターをヤマハが発売したのでした。川上社長の号令で「この手工ギターを売れ~!」と言う事になったときですから、名古屋店の店長もギターのことが分かる人材が欲しかったんですね。
丁度酒井康雄さんがアドバイザーの仕事を名古屋店でしていたときでしたので、彼が店長に「今度ギターの上手い新入社員が入りましたよ」と言った様です。それが決定打になったかどうかは分かりませんが、私は名古屋店に配属になり、しかも「特命職として手工ギター担当を命ずる」と言う辞令を頂きました。こんなクラシックギターのしかも手工ギターだけの担当と言うのは前代未聞だったようです。

私はそれまであった手工ギターの試奏ルームを2階の管楽器の売り場に移してもらい新たな手工ギター試奏ルームを作りました。写真がその試奏ルームです。
そしてアミーゴス・デ・ギターラと言う友の会を作りました。
そこで毎月コンサートを行いいろんな演奏家に来てもらいました。その頃に名古屋に来ていただいて今もお付き合いいただいている人達が藤井敬吾さん、稲垣稔さん、岩永善信さんたちです。芳志戸幹雄さんも月1回のレッスンに来てもらってました。合歓の里のギターサマースクールもやりました。イエペスの公開レッスンもしました。コンラッド・ラゴスニックやレオナ・ボイドにも来て貰いました。世界の銘器展も行いました。

当時は景気も良かったし、会社もお金があった時代ですから企画書を書けば何でもやらせてもらえたんですね。今では考えられない事です。新入社員がギターが好きだからこれもやりたい、あれもやりたいと言ってお金を使わせてもらえますか?普通はノーですよね。でも特命職の手工ギター担当だったんです。会社も手工ギターを売るのに一生懸命だったのでプレッシャーもありましたが実績も出しました。名古屋店が小売店としては日本で一番売るようになりました。

そして、4年経とうとしていたある日、支店長に呼ばれました。当時支店長なんて雲の上の人でしたから、「何か悪いことをしたかな~?」と胸に手を当てながらドキドキしながら支店長室に入りました。すると「メキシコに転勤してもらう」「海外だから少し早めに内示する」と言うじゃありませんか。いきなりメキシコと言われて何がなんだか分からない状態でした。それと困ったことにこの頃吉本光男さんとジョイント・リサイタルを企画していてチラシとチケットを配り始めていたんです。あぁ、どうしよう?と思いつつも悲しきかなサラリーマン。選択肢はありませんでした。このあたりのお話はまた今度・・・

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »