2007年4月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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昨日は~私が想う銘器の秘密~ A.トーレス/M.ラミレス/H.ハウザー~と言う副題でギター製作家の一柳邦彦さんとギタリストの吉本光男さんのお話と演奏がありました。
一柳さんはいろんなタイプのギターを作る製作家です。アルカンヘルモデル、ハウザーモデル、スモールマンモデル、ロマニロスモデル、そしてマヌエル・ラミレスモデル。彼はこれら全てを細部に至るまで研究しています。
そして今回はトーレスとその後継者と見なされているマヌエル・ラミレス(ホセ・ラミレスの弟)、トーレスとマヌエルを融合させて成功したハウザーについて話を聴きながら、吉本さんの演奏を聴くという、これまたサロン講座とサロンコンサートを融合した楽しい時間でした。一柳さんのとつとつとした話し方が却ってその内容に信憑性を増し、皆さんも熱心に耳を傾けていました。

用意されたギターが1900年作のマヌエル・ラミレス、1980年作のハウザーII世、そしてまだ6ヶ月の一柳マヌエルラミレスモデルと一柳ハウザーモデルの4本。これらを順番に吉本さんが演奏する事でオリジナル銘器と一柳ギターを聴き比べすることが出来ました。マヌエルは108歳のお婆ちゃん、片や半年の赤ちゃんですので枯れた音とまだ若い音の違いはあるものの、若さがある分元気もあり、このギターの将来がとても楽しみな印象を受けました。表板には47年経過している材を使ってあるため若いといってもその経過年数を感じさせる音がしています。
昨年の11月の世界の銘器展の時にこのマヌエルモデルをお借りして、150万円、180万円の輸入ギターを弾き比べをしても全く遜色ない出来栄えに感動し、私も1本製作を依頼、丁度1ヶ月前に出来上がってきたところでした。店に展示してありますので皆さんも是非一度試奏にお越し下さい。

さあ、今日からミューズ音楽館は5月4日(金)までお休みです。この休みに茨城のギター文化館に行って参りますのでまたその報告をさせていただきます。それでは皆さんも楽しいゴールデンウィークを!

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今日は酒井康雄さんによる名曲&リクエストコンサートが開かれました。
酒井さんと言えば中部地域で最も活発な活動を行っているギタリストですが、ミューズサロンでのソロコンサートは以外や今回が初めて。展示会での弾き比べミニコンサートや野村芳生さんとのデュオコンサートはありましたが・・・。

第一部はポンセの名曲をプログラムしてあるものの、第二部は用意した名曲リストからお客様のリクエストを頂戴して演奏すると言うユニークな趣向。結局第二部ではリストになかった曲も含めて下記の様な曲を披露。
<第1部>
~M.M.ポンセ名曲集~
 前奏曲集より3曲
 ヴァイス名による組曲イ短調 
 エストレリータ
 南のソナチネ
<第2部>
カルカッシ/25のエチュードよりNo.12,No.24
タレガ/ラグリマ、アデリータ、アラビア風奇想曲
スペイン民謡/聖母の御子
ブローウェル/11月のある日
ゲイラ/そのあくる日
ディアンス/タンゴ・アンスカイ
テオドラキスより3つの作品
日本民謡/さくらの主題による変奏曲
ヴィラ=ロボス/前奏曲第3番
スペイン民謡/禁じられた遊び

結構盛り沢山でしょ?
前半はやや乗り切らない曲もあったものの流石に手馴れたトークと演奏で終始和やかな雰囲気で進み、これぞサロンコンサートの典型と言う雰囲気を醸し出し、後半は小品やエチュードもこんなに素晴らしい曲だったんだと思わせる名演奏を披露して楽しいコンサートでした。特に私は酒井さんのタレガの演奏は好きですね。甘すぎず辛すぎず、絶妙な歌いまわしで聴かせてくれます。最後のアンコールで演奏した禁じられた遊びも近年稀に見る名演奏でしたよ。誰でも演奏する曲ですが、一味も二味も違った最後まで「いいなあ!」と思いながら聴けた禁じられた遊びでした。

それと事前にアナウンスはしていなかったのですが、酒井さんが飲み物とお菓子を持参して休憩時間に皆さんに飲んでいただくと言うサービスが付いていました。シャンパンもワイン、チーズもあり結構皆さん飲んでましたね。ワインもシャンパンは空になりましたからね。これもまたサロンコンサートの魅力、醍醐味ですよね。しかし、こう言ったサービス精神を持ち合わせている演奏者はそうは居ませんよ。これも酒井さんの人柄の良さですね。楽しいコンサートをありがとうございました。

 

  
 

  


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皆さんおはようございます。和泉です。
さて今日は気分を変えて朝に更新してみます

今日はあいにく曇り空ですね~
(なんかブログ書くたんびに天気の話してる気がする)
やっぱり晴れたほうが気分はいいですよね~洗濯物もよく乾くし

今日は我が後輩たちにミューズを宣伝すべく!(笑)
午後から母校にちょいと挨拶に行ってきます。
新入生がたくさん入ってるといいなぁ。

あっそれまでに仕事を片付けなければっ・・・
では今日はこのへんで
どんな感じだったかまた報告しますね☆



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一昨日の日曜日にサロン講座の初級者の為の和声基礎講座「和声の成り立ちと主要3和音」を受講された古橋さんから受講内容について投稿を頂きましたのでご紹介いたします。以下、古橋さんの投稿です。

「和声の成り立ちと主要3和音」を受講しました。
昨年も服部先生による和声の3回講座があり、私は都合で1回しか聞けなかったので今回、また受講させてもらいました。
前回シリーズは、3回で和声全般を網羅しようという盛り沢山の内容でしたが、今回は的を絞って判りやすく、を狙ったシリーズだそうです。

今回の内容です。
「和声の成り立ちと主要3和音」 基礎編
1.自然倍音列
2.音階・・・音名・全音・半音
3.調性・・・長・短音階 ♭2~♯4まで・30調
4.3和音の構成・・・根・3・5・7音
5.3和音の4つの響き・・・長・短・増・減和音
6.重複と削除
7.展開形・・・6.46  56.34.2
8.主要3和音と副3和音

「良い本は沢山有るが、講座の良いところは質問出来る事なので、いっぱい質問して下さい」という先生の言葉で講座が始まりました。
服部先生はミューズのブログでも和声について何回か投稿されていますが、生で説明を聞くと、なるほど判り易いです。

・今回行うのは機能和声について(古典派で完成)。これが和声の基礎で、いわゆる音楽の標準語。各地の方言(スペインものなど)も沢山ある。
・なぜ和音は3度づつ音を重ねているのか?(自然倍音に沿った音を配列しているから)
・音階の音の間隔を一緒にすれば、どんな音からでも音階が出来る。(全部作ると30調)
・短調の場合、音階は3種類出来た。(自然的音階、和声的音階、旋律的音階)
・和音の音の呼び方。(根音、3音、5音など)
・和音の響きの種類(長和音、短和音、増和音、減和音)
・削除して良い音といけない音
・ベースの音を上へ移動する(展開)

などをホワイトボードに音符を置いたりギターで音を出しながら解説して下さいました。


聴講者からも熱心な質問が出ました。
①和声の和って「調和」のこと?
②イ短調の旋律的音階でファ♯が出た時、和音はどう付ける?
③キーボードでCコードを弾く時、ベース音をソにする事が多いが理由は?

それぞれに服部先生はユーモアも交えながら丁寧に答えられました。
①「和声」と訳した人に聞かなければ判らないが、調和という意味は有ると思う。
②代用和音を使えば処理できる。(改めてレポートすると上手く書けません。服部先生、ブログ等で補足お願いします。m(_ _)m )
③ベース音の動きを滑らかにする為にCコードのベース音をソにする場合が有る。但し「ソ・ド・ミ」の和音は必ず「ド・シ・レ」と繋がる鉄則が有る。

次回からは応用編で、「和声の本領は応用(転調)ですよ」という服部先生の言葉で次回が楽しみにないrました。服部先生、次回もよろしくお願いします。



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<あれも聴きたい、これも聴きたい> フォリアの主題による変奏曲とフーガ

 ずっと以前、私がまだ二十歳そこそこのころ。まだ現役でギターを弾いていたころのこと。ギターのレパートリーに飽き足らず、ある作曲家の方に、つい「ギターはチマチマした小さな曲ばっかりで大曲がない。ベートーベンのピアノソナタのように30分、40分とかかるような大きな作品が欲しい」とぼやいたことがある。そうしたらその作曲家の方がどう答えたかというと、「あんたそりゃあ大間違い!作曲家は、そんな雄大で長大な音楽のイメージが湧いてきたら、だーれもギターでなんか作曲せーへんがね」だと。
一瞬「土器!」、いや「ドキッ!」としたが、作曲家のその言葉は、音楽というものに対する私の考えに、少なからず影響を与えた。目が覚めたような気もした。
たしかにピアノソナタや交響曲のような大きな曲のイメージが作曲家の頭に湧き上がってきたら、そりゃあ誰もギター用の曲として作曲なんかするわけがない。そんなことした日には周りから「楽器の選択を間違った」と言われ、恥をかくのが関の山だ。もっとも作曲している最中に、もはや「音が足らない」だの「音色が足らない」、その上「そもそも音量が足らない」だの、不自由を来たして、作曲の手が自ずと止まってしまうだろう。しかし今回取り上げたM.ポンセの手になるギターの有名な大曲「フォリアの主題による変奏曲とフーガ」は、そんなことに敢えてポンセが挑戦した曲なんではねえべが、という気がずっと以前からしていた。勿論ポンセは、この曲を盟友セゴヴィアの為に書いたんだろうが、正直なところ、この曲が書かれたいきさつはどうなんだべが。セゴヴィアが「おめえ、ここらで一発、超でっけえ曲さ書く気ねえが?」と言ったらポンセが「んだ」とでも言ったのか、あるいは反対にポンセが「世間であんまりオラの曲取り上げてくれる演奏家もいねえだども、いっぺん今までにねえようなでっけえ曲さこさえてセゴヴィアさぁに弾いてもらうべが」とでも思ったか、あるいは、ポンセがちょっといじわるに「こんな曲書えてみたけんど、弾けるもんなら弾いてみれ。セゴヴィアさぁのお手並み拝見だぁ」とでも考げえたか。本当のところはよう分からぬ。とにかくいろいろなギタリストがこの曲に挑戦してレコードやCDに録音しているが、、感想としては、はっきり言ってどれをとっても物足らない。主題は単純なんだが、それだけにやろうとしたテーマが普通のギター曲よりも遥かに大きい。にもかかわらず音域そのものが全体的に狭くて、しかも低いので、どのギタリストの演奏も表現力がついていかず、到底この大曲の魅力を表現し切れているとは言い難いものばっかりだ。

まあどなたかの弾くこの曲を「大好き!」という人は、世界中に沢山いるだろうから、ここであんまりけなしては申し訳ないけども、「私にとって」と限定してしまえば、曲の内容に見合った名演はなかなかありそうにない。
「じゃあおめぇはどれくれえの演奏を聴いたことがあるんじゃ」というお尋ねが聞えてくるような気がするので、今思いつくものだけを少し上げてみると、当然第一に「アンドレス・セゴヴィア」そして若い頃の「ジョン・ウィリアムス」、最近では「オスカー・ギリア」(ギリアは生で聴くこともできた)。ちょっとマイナーだけれどもスイス生まれのギタリスト、今年49歳の「フランク・ブンガルテン」、そして例のナクソスに出ている「ヨハン・フォスティエ」くらいだろうか。たしかに大した数ではないけども、しかし、そのどれをとっても曲の真髄を表現し切れているとは思えない。とにかく曲のもっている内容というか精神性というか、そんなものが大きすぎて、それらギタリストの弾くギターの範疇には納まり切っていない。
これはあくまでも個人的な感想なので「ちょっくら勘弁してね」とお断りした上で打ち明けると、私は以前からこの曲はギターで弾くよりむしろピアノかなんかで弾いてもらった方が良いのではないだろうかという気がしている。勿論その時にはもう少し音も足され、さらにピアニスティックな内容が盛り込まれているとは思うが。つまり、もともとピアノの作品として作曲されるべきものだったのではないかと思っておるのです。バッハの「音楽の捧げもの」や、ベートーベンの有名な「エロイカ変奏曲(主題と15の変奏とフーガ)」、よく似た作品として同じくベートーベンの「ディアベリ変奏曲(主題と33の変奏曲)」とまではいかねえまでも、このポンセの曲には、やはりギターの枠の中には納まり切らない大きさがあるような気がする。その証拠かもしれないが、ステージでこの曲を演奏してもらっても、ギタリストにとっては「労多くして効少なし」で、あまり舞台栄えがしない。ギターで演奏するにはあまりにも地味でパッとしないのだ。ひょっとしたら「ギタリストの表現力の問題」なんじゃないかと思い(できればそうあって欲しいと願いつつ)、他にもっと優れた表現力をもった人はいないかと思いを巡らしてみたとき、そういえばジュリアン・ブリームがいたなあと思い出した。しかし誠に残念ながら、彼はこの曲をレコードに録音していない。しかもブリームさんはこの曲を録音していないどころか、私の知る限りポンセの作品をまったくと言ってよいほど演奏していない。あれだけ沢山の録音を残したブリームさんが何故ポンセの作品だけ録音しなかったのか。セゴヴィアが生涯「アランフェス」を弾かなかった理由はなんとなく解るような気がするが、ポンセとブリームさんとの関係も、謎といえば謎だ。(ブリームさんがガキんちょのころ、どっかでポンセに会ったことがあって、その時「このバカタレ!」とでも言われて頭でも叩かれたことがあったりして・・・)このことにはごく最近気が付いたんだけれど、どなたかどこかのコンサートで、ブリームさんがポンセを弾いていたという記録をお持ちの方は、ぜひとも教えて欲しい。ましてや録音が残っているとしたらぜひとも聴かせてほしいと思います。

とにかくブリームがこのポンセの「フォリアの主題による変奏曲とフーガ」を弾いてくれておれば、この曲にもきっともう少し違った印象を抱くことができたのかもしれないが、今のところは、書いたポンセか、はたまた書いてもらったセゴヴィアが「楽器の選択を間違った」ような印象がどうしても拭えない。とにかくこの曲の演奏を聴くと、ちょっと例えは悪いが、少年野球の選手が、生意気にもプロ野球の選手の使う重いバットを振り回しているように見えてしかたがない。「おいら、こんなバットも振り回せるんだぜぃ!」と言いたいんだろうが、こちらから見ると、どうしても「バットに振り回されている」ようにしか見えんのよ。いつかギターで納得のいく演奏を聴いてみたーい。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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