七戸国夫というギタリストを知ってますか?(思い出のスモールマン) - ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 宝物CD編

こんなジャケットのCDをご覧になったことはあるだろうか。
このジャケットを見るたび、私は何か胸にこみ上げるものをどうすることもできません。今から何年前になるでしょうか、その時私は会社で仕事をしていました。私の仕事は外に出る仕事なので、その時いつもは既に出かけているはずの時間でした。 そんな時かみさんからの電話です。
「七戸さんが亡くなったんだって」
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。
「なんて?」
「だからあ、七戸さんが夕べ亡くなったんだって」
どうしてそんなことが・・・。彼とは当時既に10何年来の友人で、私が名古屋にいるころは企画を引き受け、ギター製作家の加納さんのご自宅で彼のコンサートを開かせていただき、その時のアルベニスのグラナダが素晴しい演奏で、しばらく名古屋でもグラナダを何とかあのように弾きたいと、流行ったものでした。

彼とはよく「電話で二重奏の練習しようかあ」と冗談を言い合った仲でした。
私が大阪へ来てからも、知り合いの喫茶店で彼のサロンコンサートを開かせてもらい、その夜自宅にも泊まってもらって、夜遅くまで語り合ったものでした。そして次の日、奈良でコンサートがあるというので、大阪市内のある駅まで車で送っても行きました。そしてある年、暮れ近くだったと思います。滋賀県の守山駅の近くの小さなホールでコンサートがあるから来てくれないかとの連絡が彼からありました。「勿論」と言って、その日はかみさん共々車で行きました。その時の演奏はまったく彼らしい、何かひっそりとした中にも味わいの深い、また信じられないくらいの美音を奏でていました。

その時の楽器がかの有名なグレッグ・スモールマンです。
それまで彼はよく野辺さんの楽器を使っていましたが、いつしかスモールマンを手に入れ、それをまったく自分の楽器として手中に収めていたのです。ほんとに美しい音でした。あれほど美しいギターの音を聴いたことは、それまで一度もありませんでした。その日、演奏後「打ち上げに来てよ」と誘われましたが、その時なぜか主催者の方に遠慮して断ったら、彼は「なんでよお」と怪訝な顔をしていました。
しかしその「なんでよお」という言葉が私にとっては彼の最後の言葉になってしまいました。

翌年たしか3月だったと思います。先ほどの電話が会社にかかってきたのは。今ではあの時私がいつものように一緒に行っていれば、彼も死なないで済んだのかもとさえ思えてしまうほどです。その後2ヶ月ほどしてやっと彼の自宅を訪ねることができ、位牌に手を合わせた後、奥さんに「主人のギター弾いてやってくれますか」と言われ、ケースから取り出して音を合わせ弾いてみましたが、いくら頑張ってもあの美音は出ません。信じられないくらいにあの音が出ません。楽器が自ら私を拒否しているようでした。「この楽器でどうしてあんな甘いいい音が出せたんだろう」

その後半年ほど経って奥さんから連絡があり、七戸さんが亡くなる直前神戸に行っていて、そこから「六甲山の上から眺める神戸の街がとても素敵だ。いつか一緒に来よう」との電話があったことを思い出し「そこへ私も一度行ってみたい」とのこと。六甲山のふもとにホテルを予約して、かみさんと三人で山頂へ行きました。
「ここが主人が来たところですか?」その時奥さんはとても感慨深げでした。
その七戸さんの奥さんが、生前七戸さんの残した録音をなんとか集めてCDにし、送ってくれたのがこの写真のCDです。
今日はとても文章が長くなってしまいました。すみません。  内生蔵 幹


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コメント
 
 
 
はじめまして (長縄広紀)
2006-01-18 01:47:37
内生蔵 幹様



はじめまして.いつも楽しくブログを拝見させていただいております.初めて書き込みをさせていただくのですが,それはジャケットの画像を見て,釘付けになったからです.



私が幼いころから習っていた先生が七戸國夫さんと親しく,一度地元の小さな公民館でコンサートを企画してくださいました.

当時私はギターを習い始めたばかりの小学生か中学生くらいで,誰が有名なギタリストも全く知らないような状態で七戸さんの演奏会を聞きました.



驚きました.ギターがこんな音が出る楽器なんだと.

もちろん何の楽器を使っていたか覚えている訳がありませんが,あの音色は衝撃でした.コンサートはCDと同じで目立った技巧を駆使する曲はなく(七戸さんの演奏がそれだけ完璧だったということに当時は気が付かなかっただけですが)美しい音を出すギタリストだと思っていましたが,アンコールでやったサグレラスのはちすずめには鳥肌が立ちました.

あの曲をあの音で弾いたのですから.



コンサートの後にCDを買い,「長縄広紀くんへ」とサインをもらって「ギター頑張ってね」と握手をしてくださったことは今でも忘れません.



それから数年後でしたが,私が本格的にギターを勉強していこうと思った頃に,当時の先生から悲報を聞き,何故か後悔をしたことも覚えています.



久しぶりに七戸さんのCDを聞きたくなりました,と思ったら今実家に置いてることを思い出しました



すいません,長くなりました.

失礼致しました
 
 
 
ありがとう (内生蔵)
2006-01-18 21:52:00
 大変うれしいコメントをありがとうございます。長縄君のコメントを読ませてもらって、あまりに嬉しくなり、七戸さんの奥さんにお電話して、そのことを報告いたしました。今年で13回忌だと言っておられましたが、私としてはいまだにこうして七戸さんのことを愛していてくれる人が全国にいるのだということを知ってもらいたかったのです。もう一度聴きたいですね。あのしっとりした心に響くギターの演奏を。

 それからひとつ私だけが知っていることをお教えします。七戸さんが亡くなった時、譜面台にはテデスコの「プラテロと私」の譜面が開いたままになっていました。当時七戸さんはいつかそれを演奏したいと練習中だったとのことです。これからプラテロのことはこのブログに掲載しますが、私は七戸さんとこのプラテロが何か不思議な糸で繋がれているような気がしてなりません。そんなプラテロをぜひ七戸さんに演奏してもらいたかった。本当に残念でなりません。

 それから長縄君には先日ミューズでお会いしています。先週の土曜日楽器の修理のためにミューズに来られた時に。お店で演奏を聴かせてもらった時に少しだけお話しましたね。これからも頑張っていい演奏を聴かせてください。
 
 
 
コメントありがとうございました (長縄広紀)
2006-01-19 02:00:10
内生蔵 幹様



長縄です.色々と書いていただきありがとうございました.

先日のお会いした方だったとは知らず大変失礼いたしました.

あの時は無礼にも挨拶をせず,申し訳ございませんでした.



早く七戸さんのCDを聞きたくなってきました.

そしてもう一度自分の演奏に還元するための勉強をしたいです.

少しでも七戸さんの生演奏を聞けたことを幸せに思います.



「プラテロと私」の話,拝見させていただくのを楽しみにしております.

またミューズとかでお会いすることがありましたら,色々とゆっくりとお話を伺ってもよろしいでしょうか?

よろしくお願いいたします.



失礼いたしました.
 
 
 
Unknown (内生蔵)
2006-01-19 06:43:03
いつでも結構です。私も一度ゆっくりお話ししたいと思っておりました。今度ミューズに行く時は、前もってお知らせするようにします。携帯かアドレスをミューズの山下さんにお伝えください。私の原稿に注目してくださって本当にありがとう。
 
 
 
Unknown (長縄広紀)
2006-01-20 02:34:49
内生蔵 幹様



ありがとうございます.

土曜日の午前中にミューズにお伺いするので,そのとき山下さんに連絡しておきます.

よろしくお願いいたします
 
 
 
はじめまして (東隆幸)
2006-01-20 08:09:53
 七戸先生についてのコメントがあり、とても嬉しくなり投稿させていただきました。

 私はほんの僅かな期間でしたが七戸先生が亡くなるまで教室に通っていました。

 残念ながらコンサートを聴く機会には恵まれませんでしたが、レッスン中にたくさんの曲を演奏してくださいました。音楽とギターに対する愛情がとてもよく伝わってきました。今でもとてもよい思い出です。
 
 
 
皆さんありがとう (内生蔵)
2006-01-21 23:53:55
長縄君。了解しました。必ず近々連絡をいたします。その時ゆっくりお話しましょう。楽しみにしています。

東さん。どちらにお住まいの方が存じませんが、コメントありがとうございました。実は私は昨日20日、平塚の中央公民館のホールで行われた村治佳織さんのコンサートに行ってきましたが、その時横浜にある七戸さんのおうちまで久しぶりにお線香を上げさせてもらいに行ってきました。その時奥様にこのブログのことを紹介したら、実際に読ませてもらったと翌日お電話で泣いておられました。七戸さんが亡くなって13年も経つというのに、こんなにも皆さんの心の中に生き続けているのかと思うと・・・と。

そんないつまでも人の心に残るような人間になれるのだろうかと思うと、まだまだだなあと反省することしきりです。いつか東さんともお話したいですね。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-01-24 04:00:55
写真のCDは七戸さんが生前にお出しになったもので、奥様が復刻したのは別のCDのはずです。

私も七戸さんの演奏、音がとても好きでした。次のCDも計画されていましたが……。

七戸さんのような音を出すギタリストはもういませんね。
 
 
 
Unknown (内生蔵)
2006-01-24 06:44:06
その通りです。失礼しました。先日ジャケットの写真が間違っていたと気がついたので、正しいものの写真をお送りしてあります。近日中に変更していただけると思いますので、もう暫くお待ちください。それにしてもそんなことまでご存知の方がこのブログを読んでいただいているなんて、本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。また何か私の原稿に間違いでもございましたら、教えてください。

私も先日七戸さんのお宅にお邪魔した後、もう一度CDを3枚たて続けに聴きました。本当に素晴しい演奏、音色で新たな感動を覚えました。

スモールマンもお邪魔した時に弾かせてもらいましたが、その時は腰のある、しかもまるい、とても良い音がしていました。嬉しかったですね。
 
 
 
GOOGLEから来ました (えこお)
2012-05-22 00:30:24

 震災で失業したので 仙台に来て仕事探し中。

 マクドナルドでパソコンの充電しながら
七戸さんのCD聞いてました。

 グーグルでアルバムの曲順を検索したら
ここのブログを見つけました。

 ここで読むと泣きそうになるんで とりあえず


 いろんな音楽好きですが

 七戸さんの音色ほど精神安定剤な音は なかなか無いと思います。。。

 愛の宝石箱 と月の光  大好きです。

愛の宝石箱は 友達にプレゼント用に何枚買ったことか、、。

 ギターも弾けないのに楽譜まで買ってしまいました、。
 
 
 
七戸さん、懐かしいです (水谷 修)
2021-01-24 09:48:09
七戸さんとは、東戸塚にあった「イビサ」というスペイン料理店で、週に一度はワインを片手に語り合った友人でした。二次会で、何度か彼の家にもお邪魔しました。
まじめな紳士で、繊細な人でした。
亡くなったという連絡を受け、「イビサ」のシェフ山室さんとご自宅にお伺いしました。あれから、もうすでに27年の月日が過ぎてしまいました。
懐かしいです。
 
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