2005年8月8日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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7月26日のブログで大学時代に南山大学ギター音楽研究会を作ったお話をしましたが、今日はその続きです。

2年生の時には中部日本ギター協会の第5回新人演奏会に出演しました。1971年でした。この年からオーディションが設定され、オーディションを受けた結果、演奏会ではトリを飾る栄誉をいただきました。協会の歴史を見ると、第1回に野村芳生さん、吉本光男さんが出ており、第3回には酒井康雄さんが出ているんですね。今や中部ギター会の大御所として活躍されている方たちです。
そして同じ南山大学ギター音楽研究会の中川祥治君は第7回新人演奏会に出演しています。

その後1975年の第9回新人演奏会より協会賞が儲けられて審査が始まり、1992年に名古屋ギターコンクールへと変遷して行ったんですね。

新人演奏会の変遷はさておき、話を戻しますね。大学を卒業する1974年3月に中川君とジョイントリサイタルをする事になりました。どうしてジョイントリサイタルをする事になったのかはっきりとは覚えていませんが、その前の年には四日市ギター連盟を結成し、西森秀男先生が会長、私が副会長となり、ギターの普及・発展のための活動を始めた時期でもあったり、私はヤマハへの就職が決まり、ひとつの区切りをつけるのに丁度良いタイミングであった事などが重なったからだと思います。そこで写真にもあるように主催が四日市ギター連盟になっています。私が四日市在住、中川君が桑名在住と言うことで地元の皆さんの暖かい応援があって実現したものでした。今でも感謝しています。

この時のプログラムを見ると、彼がダウランド、スカルラッティ、バッハ、ソル、ビラ=ロボス、私がタレガ、三宅榛名編曲の日本の歌、ビラ=ロボス、2人の二重奏がソルの喜遊曲第2番、テデスコのカノン風ソナチネと時代を感じさせる古風なプログラムですね。

このコンサートは1974年3月25日。コンサートの前に就職が決まったヤマハの新入社員研修があり、私はギターを持って参加。気兼ねしながらもヤマハの研修会館で練習をしました。昼間の研修が終わり、夜は皆それぞれ飲みに出かけたり、館内で飲んで歓談している傍らで私はギターの練習をしていました。そのお陰で同期には私がギターを弾くことが知れ渡り、覚えてもらえる結果となりましたが・・・

そしてジョイント・リサイタルも無事終了。ある人の現代ギター誌への投稿では「中川君と私とを陰と陽の対照的な演奏」と評されたことを覚えています。

その後、当時ヤマハの名古屋店で手工ギターのアドバイザーをしていた酒井康雄さんが店長に私のことを話してくれたそうです。「今度ギターの上手い人がヤマハに入ったよ」と。そのお陰か、私の配属先が名古屋店になり手工ギター担当と言う嬉しい仕事をさせていただくことになりました。そしてアミーゴス・デ・ギターラを作っていろんな事をしましたが、その辺りのヤマハ時代の話はまた今度・・・




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