2008年3月のブログ記事一覧-ミューズの日記
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先週末の二つのコンサートレポートです。
3月28日(金)は大阪のギタリスト・古川忠義さん、翌29日(土)は若きギタリスト・熊谷俊之さんでした。
古川さんは正にプロのエンタテイナーです。元々はクラシックギタリストですが、今はジャズ、カントリー、クラシックなどオールラウンドに演奏できる人で、ベンチャーズのCDでは聴く人を唸らせる素晴らしいテクニックとその音楽性を見せています。28日のライブでもベンチャーズのナンバーを中心にラウロの3つのワルツ、ソルの魔笛、マラツのスペイン・セレナーデなどクラシックも見事な演奏を披露してくれました。彼の演奏は音楽全体に流れるリズム感、拍感、大きく捕らえたフレーズ感とその歌い方が魅力的で如何にもプロの演奏です。
また一般的にクラシックの演奏家がクラシック以外の音楽を演奏をする場合は、往々にしてリズムが重かったり、乗りの悪さがあったり、チョット違う何かを感じるものですが、古川さんはそれを感じさせないんです。そして彼はプログラムを作りません。お客さんの反応、顔色を見ながら演奏曲を、また話の内容を考えながらライブを進めて行きます。ジョークも飛び出しますし、笑いを取って雰囲気を盛り上げていきます。彼は歌も上手いのですが、今回も当日の朝作った新曲として「東山公園慕情」を披露。単なる替え歌なのですが、「横浜たそがれ」のメロディーに合わせて、高畑から東山公園までの地下鉄の駅名を歌にしてしまうのです。また、「東京砂漠」のワンフレーズで「あなたがいれば、私は差し歯」と笑いを取ります。本当に彼はプロのエンタテイナーです。来場された人はその素晴らしい演奏とライブの雰囲気全てに大満足。「今度はいつ来るの?」と確実にファンは増えています。まだ聴いたことのない人は次回是非お出でください。絶対お勧めです。

熊谷俊之さんは23歳の若きギタリストで、昨年の東京国際ギターコンクールで2位入賞を果たし、その入賞記念リサイタルとして師匠である高田元太郎さんの肝いりで実現したコンサートでした。名古屋出身の服部文厚さんが友情出演でプログラム最後に二重奏で参加。元太郎さんも一緒に来て頂きました。東京、札幌でもリサイタルを行い、周囲の人たちの大きなサポートを貰いながらデビューリサイタルが実現できたと彼自身感謝の意を表していました。有難い事ですね。皆さんの支援が貰えるという事は。それなりに彼自身にその理由があるんだと思いますが・・・。

彼の演奏は若々しい力強さを感じさせるものです。今回使用した楽器は新しく出来た今井勇一ギター。東京国際の時には師匠の元太郎さんの今井ギターを借りて演奏したそうですが、今回は彼自身の今井ギター。彼はそのギターで音量も大きく、安定したテクニックで弾ききりました。来月にはウィーンに留学が決まっているそうですが、数年して更に成長した彼の演奏をもう一度聴きたいと思いました。
ヨーロッパでいい勉強をして来て欲しいと思います。

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 個性?

 あくまでも私の個人的な考えなので、皆が皆同意してくれるとは考えてはいないが、今世の中では、何かにつけて「個性、個性」と言われ、ちょっと「個性」ばかりを求めすぎていないだろうか。ファッションにしても、流行ばかり追って一人ひとりの個性がないとか言われる。芸術にしても昔の演奏家に比べて今の若い演奏家は個性がなく皆同じに聞えるだのと、とにかく個性ばかり求められているように感じられる。しかし若い人なら堂々と流行のファッションを取り入れ、しかもそれを着こなしている方が、流行に無頓着でくすんだ格好をしているより私は好きだし、演奏にしても、個性的ではあるかもしれないが、作曲家よりも変に演奏家が前に出過ぎたような演奏はあまり好みではない。

私から見ると世の中には個性的なものは腐るほどあって、むしろ氾濫しているように見える。但しその個性的なものは「不細工」という個性であり、また「調和のとれていない」という個性である。つまり「格好悪い」「中身がない」「好き勝手な」という個性で溢れているように感じられてならない。
 私は個性的なものというのは求めて得られるものではなく、より優れたものを求めた結果、それが見る者に「個性的」と映るのではないかと思っている。だから、今の「もっと個性を」という風潮は、個性的なものを求めるあまり、結果、良いものではなく、つい「他人と違ったもの」を求める方向に向かわせてしまっているような気がして仕方がない。以前にも書いたことがあるような気がするが、演奏家にしても、デビューしたての若い頃は、若さと共に芸術に対する強烈なあこがれを感じさせ、聴くものをして感動へと導く何かがあるものだ。しかし年を経るにつれ中堅、そして大家と呼ばれるようになってくると、今度は世界中に自分を目指して続々と若い人たちが生まれてくる。そうなってきてからのその大家の変化に注目してみると、殆んどの大家はどうも「若いやつらと同じことはできない」という強迫観念にとらわれてしまうのではないかとさえ思えるほど、演奏スタイルがどんどん崩れてくるようだ。そうなってくると先ほど言った「良いもの」というものよりも「他人と違ったもの」を求めるようになってきてしまうものだ。従ってつい余計な表現が付け加わってくる。やたらとまわりくどい表現をするようになってくる。そしてどんどんと音楽が自然ではなくなってくる。私の感ずるところ殆んどの大家と言われる演奏家がそういった道を歩んでしまっているように思われてならない。若いときにはあんなに溌剌とし、才気に溢れ、音楽が前へ前へと前進していたのに、大家となってからは音楽が濁り、淀み、不自然さが極まってくる。しかもその演奏に対する世の批評は「偉大な芸術」、「表現の幅が広い」「音楽が深い」「重厚で年輪を感じさせる」といったように言われることが多い。過激なことを言って申し訳ないが、私にはただ「モウロク」してしまったに過ぎないように聞えることが多いのにである。

敢えて他人と違ったものを求める必要があるのだろうか。演奏家は本当に自分のやりたいことをやれば良いのであって、一生懸命人のやらないことばかり探し回って音楽を不自然にしてしまう必要など毛頭ないのではないか。私は年を取るに従ってどんどん良くなる演奏家というものに殆んどお目にかかったことがない。勿論人によって差異はあって、あるところまでは確かにどんどん良くなるのだが、大家と呼ばれるようになってからがどうもいけない。セゴビアはどうか。イエペスはどうか。ブリームはどうか。カラヤンはどうか。バーンスタインはどうか。ベームはどうか。それらの大家と言われた人たちは晩年、確かに個性的ではあるが、音楽が純粋ではないように感じられる。考えてみれば特別な場合を除いて、一人の芸術家が死に向かって限りなく上昇し続けるということの方が土台無理なのかも知れない。しかしそんな範疇に入らない人たちもいたことは確かなのである。ハイフェッツ、ミケランジェリ、ルビンシュタインなど。それらの人たちは最晩年まで音楽が瑞々しく自然であったように思う。

レコード芸術という音楽雑誌に、名師匠列伝というインタビュー記事があり、その3月号に指揮者の秋山和慶さんが取り上げられている。最後にとても良いお話が出ていたので、ここにご紹介したい。秋山さんはもう一人の有名な指揮者「小澤征爾」さんと同じ齋藤秀雄門下であるが、その齋藤さんのことについての話の仲で「指揮者には個性が必要だなんていいますが、齋藤先生は指導の段階では・・・・」という質問があった。それについて秋山さんの答え。「そんなことは何もいいませんでした。個性なんてあとからついてくるものということだったんでしょう。小澤さんとボクと飯森君はだいたい同じ年代でしょう。まったく同じ指導で、同じ教材使って、同じ時間をかけて齋藤先生は教えてくださっていますが、3人はまったく異なった表現をやってますよね。でも先生は個性なんてことは何もおっしゃらなかった。共通点はあるでしょう、棒が分かりやすいとかね。でも、個性を出せなんて一言もなかったですよ。基本をおさえておけば、あとからついてくるということではないでしょうか。」
内生蔵 幹(うちうぞう みき)


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A・R・Eなんて言葉は初めて聞く言葉ですが、Acoustic Resonance Enhancementの略(イニシャル)だそうです。それでも何の事か分かりませんよね。
先日の定休日(月)にヤマハのディーラー対象の新商品内覧会に行ってきました。ただし、クラシックギターの新商品はなく、フォークギター、エレキギター、ベース、電子ドラムなんですが・・。目的はヤマハフォークギターに新しく採用されたこのA・R・E処理されたギターの音を確認する事にありました。

これは私がヤマハに在籍中に研究していた木材の古木化技術なんですが、当時から社長が「古木化」と言う言葉は使わないようにと言うお達しで、最終的にこのA.R.Eになった様ですね。高圧水蒸気処理で木材の経年変化を人工的に施す技術なんですが、やっと商品化されると言う訳で、その成果を見たかったんです。
元々はヴァイオリンの製作にこの技術を採用する事からスタートして、私がヴァイオリンやギターの開発・設計・生産を担当していた時に木材技術部と研究していました。どの様に変わるかと言いますと、音の立上りが速くなり、減衰も少し速くなります。そして音量が増します。特に中高音域で顕著に現れます。すると余分な倍音が少なくなりスッキリ、バランスよく、良く鳴り、音に温か味が加わります。
つまり、長年弾き込んだギターの様に余分な雑音がなくなると言う訳なんですが、ギターへの応用に3年以上掛かったんですね。しかも、現在はフォークギターに応用されただけで、残念ながらクラシックギターへの応用はもう少し先になるようです。


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昨日はアルゼンチンのヤマハのディーラーさん達がミューズを訪問してくれました。これはYamaha Music Argentinaが販売成績の良かったディーラーをジャパン・トリップに招待したものですが、旅程の多くはヤマハ本社、工場、ヤマハ直営店、音楽教室、大手ヤマハ・ディーラーを訪問して、ヤマハをより良く理解し、ロイヤリティを高めて頂こうと言うのが目的です。しかも日本滞在は1週間ほどで結構タイトなスケジュールを組んでいるんです。それが何故ミューズを訪問するの?と思いますよね。

これは、ヤマハ・アルゼンチンを作ったのが私でして、現地従業員もディーラーさんも私に対して熱い思いを抱いてくれているんですね。嬉しいじゃありませんか。私は朝10時に名古屋駅に迎えに行きました。ヤマハ本社のスタッフも入れて9名のご一行様です。名古屋駅で9年ぶりに逢う懐かしさで皆さんとハグハグしました。私の秘書をしていたスサーナは涙ぐんで喜んでくれました。このミューズ訪問も彼女の強い要望で実現したそうです。彼女は駐在員事務所設立直後に採用した人で、販社設立の時も一緒にオフィス探しをして苦労を共にした人です。

ミューズには見るものが何もありませんから、三階のサロンでコーヒー、お茶、和菓子を用意して皆さんにギターの演奏を披露しました。勿論使用ギターはヤマハ、曲は地元の作曲家、後藤千秋さんの「オルゴール」。気持ちを込めて演奏しました。そして懐かしい話で盛り上がってきた時にスサーナがヤマハ・アルゼンチンの歴史を語り始めました。素晴らしい記憶力で、私が話した事、皆に教えたヤマハの哲学、私のフィロソフィー、誰がいつ採用されたか、あの時誰が何を言ったかなど事細かに話し始めました。彼女はヤマハ・アルゼンチンの歴史の生き字引です。「あの時ヤマシータさんがああ言った、こう言った。こんな風に皆を励ましてくれた。」などと私を持ち上げてくれます。私もその話を聞きながら懐かしい昔を想い出し、少しセンチメンタルになりました。
するとディーラーさん達までも「あの時ヤマシータさんが、私の町に来た時、店を将来5階建てのビルになるようヤマハと一緒に仕事をしよう。と未来のビジョンを描く事を教えてくれた。今やっと2階建てに増築できた。」「ディーラー会議で皆が喧々諤々のヒート状態になった時もヤマシータさんはジーッと聞いていて、最後に皆を収めてくれた。」などと、私が忘れている様な事でも彼らの話で鮮明に蘇ってくるんです。嬉しいやら目頭が熱くなるやら、心の中はグショグショでした。

そして用意していたお土産を渡して、全員で集合写真。全員のカメラで。しかし、私は感動と感激のあまり自分のカメラで撮影するのをすっかり忘れてしまっていました。そして近くのレストランで用意してもらっていた特製ランチを食べて、お腹も満たされたところで、名古屋城へ。その後、ヤマハの名古屋店にもお連れして、社長と店長にお出向かいして頂き、全館をご案内。最後には名古屋駅裏のビックカメラで皆さんの買い物をお手伝いして、隣の喫茶店でコーヒーとケーキを食べながらまたひとしきり歓談。彼らとはまたハグハグして別れを惜しみながらお見送りしました。長いようであっと言う間の一日でした。一日店を留守にしましたが、最良の一日でした。

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> クラシック音楽とのお付き合いは?

 このブログを読んでいただいている方々の殆んどがクラシック音楽のファンだと思うんですが、では皆さんはどんなきっかけでクラシック音楽を聴くようになったんでしょう。これにはきっと人によっていろいろなことがあるでしょうねえ。「いや、おらは絶対フラメンコだど。クラシックなんかにゃ興味はねえ。」という人は今回はちょっとだけあっちへ行っててね。

 物心がついたときからお父様お母様が既にクラシック音楽に親しんでおられて、いつも家の中にはクラシック音楽が満ち溢れ、ご家族の一番の楽しみが時々揃って出かける音楽会。そしてその時のもうひとつの思い出が、お父様お母様、そして姉やと一緒にレストランに入って食べたフランス料理の味、といような今後あまり関りをもちたくないにくったらしいお方もおられるかもしれない。また自分の憧れのお方がクラシック音楽を趣味にしていて、「私もやりたい!私もクラシック音楽を聴いて、あの憧れの君のそばにいつもいたい!」とほのかに思いこがれたのがきっかけというお方もおられることでしょう。「いや、おいどんは誰からも影響なんか受けておらんでごわす!若い頃学校の音楽教室で聴いたベートーベンの第5番の交響曲に肝つぶすくらいびっくらこいて、音楽を始めたんでごわす!」という人もおられるかも知れない。
 いずれにしても自分の周りを見渡してみると、「クラシック音楽が大好き!」という人はとてもとても少数派ですね。最近でこそ「歌謡曲が好き!」という人はさすがに少なくなったように思いますが、世の中圧倒的に「ポップスが好き」という人が多い。次にロックかなあ。ジャズなんてのも多いように思うのですが、それがあんさん、なかなか難しいらしくて、ひょっとしたらクラシックよりも少数派かも知れないそうな。
カントリー&ウェスタンなんてのも日本じゃあんまし受けないらしくて、これも少数派。少し新しい傾向としちゃあ「ボサノバ」なんてのもあるが、それでも私の周りに「ボサノバ大好き!」という人はあんまり見かけない。勿論「おらぁ、なんといっても日本の民謡さね。江刺追分なんざ最高だんべ!」という人もやっぱり少数派だし、当然「私はなんといってもジャワの現地住民が踊る時に歌う歌。これが最高!」という人はずっとずっと少数派だ。
 いずれにしても皆さんはそういった世間では少数派といわれる「クラシック音楽」にどういったきっかけでおちかづきになれたんでしょう。

私の場合、小さいころから家庭内にはまったくと言ってよいほど音楽的な環境はなく、小学校の時なんぞは一番きらいな授業は音楽でしたね。みんなで揃って童謡を歌っているときはまだいいのですが、たまに先生が「はい、あなた一人で歌ってみましょう」なんて指名するんですね。これがなんともいやだった。「なんでおれが一人で歌わなあかんの!もっと上手い人おるやんか!」とそれがいやで音楽の授業は一番苦手だった。
 ところがその苦手の音楽の授業で、小学校6年だったか中学校1年だったか、そこらへんはあまり覚えていないのですが、とにかくレコードをかけてくれたことがあった。その時は「音楽鑑賞の時間」とかいってまず自分が一人で歌わされるといった危険がない。
そんな安心感があって油断していたあるとき突然感動しちまったんですね。なんだか解らず背中がゾクゾク!としてしまった。「なんやこれは!」てなもんだ。人生初めての経験ですなあ。その曲がシューベルトの作曲した歌曲「魔王」だったんですわ。今から思えば子供のくせにえらい渋い音楽に感動したもんだ。
猛烈なスピードできざまれる地響きのような低い和音。吹きすさぶ一陣の風のように駆け上がる音階。気味の悪い男性の低音。それらがみななんだかおどろおどろしくて、目の前にこわーい映像がはっきり浮かんできて、とにかく「かっこいい!」と思ってしまった。それまでなーんにもわけがわからなかったクラシック音楽っちゅうものの中にも「けっこういける曲があるやんけ」そう思いましたなあ。それからですわ。「他にもなんかいい曲あるんでねえの?」と思い始めたのは。そして次に感動したのはドボルザークの交響曲「新世界より」でしたなあ。今でもはっきりとジャケット写真を覚えているが、その時聴いた演奏はジョージ・セルが指揮したクリーブランド管弦楽団の演奏だった。4楽章までがあっという間だった。聴き終わった後「こりゃええわ!」てなもんどした。そして次はお決まりのベートーベンの「第5」でんなあ。この3楽章から4楽章にかけての地から這い上がってくるような推進力つうかなんというか。まるで映画の大魔神が目を覚まして、悪人達をやっつけに立ち上がる時のような、とにかく血湧き肉踊るっちゅう感じでしたが、これはかの有名なブルーノ・ワルターが指揮したコロンビア交響楽団。そのB面(懐かしい言い方だなあ)にはシューベルトの未完成交響曲(こちらはニューヨーク・フィルハーモニック)が収められていて、そりゃあ飽きるくらい何回も何回も聴いたもんだけども、これらのレコードは今でもそのまま自宅にある。そしてそこまでくればしめたもんで、どんどんクラシック音楽が好きになっていきました。なんだか砂場の砂の中からどんどんと小判が出てきたみたいに、無尽蔵な楽しみを見つけてしまったような嬉しさがありましたね。
私が初めてギターを手にするちょうど一年くらい前のことでした。
しかし最初がシューベルトの「魔王」から始まったからかもしれないが、私は未だに音楽では声楽が一番しっくりくるようだ。最近では年のせいもあってか、ますます歌曲が好きになってきて、シューベルトをはじめリヒャルト・シュトラウスやマーラーの歌曲なんかいいなあという気がどんどんしてきた。
皆さんのクラシック音楽とのお付き合いの始まりはどんなでしたか?
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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