今日は日曜日。
週の初めの日、わたしたちはパン裂きをする。1)
パンとぶどう酒とで、主イエス・キリストのことを覚えるその時間を、「パン裂き」って言う。これを、「聖体拝領(せいたいはいりょう)」とか「ミサ」、「正餐式(せいさんしき)」と言う場合もあるようだが、新約聖書で、このことを示す言葉は、「パン裂き」と「主の晩餐(ばんさん)」のみ。
このとき、何か、所謂(いわゆる)説教を聴くために、集まるのではない。
このときは、皆で、“主(しゅ)” を覚え…例えば、神様がどういうことを私たちのためになさってくださったのか、ということを覚え・・・、共に感謝の祈りを捧げたり、賛美歌(さんびか)を歌ったりするとき。だから、まったく聖書を知らない人や、ただ自分の、宗教的な、または道徳的な心を満足させるためだけに「教会に行ってみようかな」という人にとっては、面白くないことこの上ない時間かもしれない。≪もし、集会に初めて来るの/来たいのであれば、福音集会とかの方がいいかもしれない。≫
ちょうど、今日、新約聖書で通読しているところで、このように、パン裂きのことが記されている。
『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。
すなわち、主イエスは、渡される夜 2)、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約 3)です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで 4)、主の死を告げ知らせるのです。
(コリント人への手紙 第一 11:23-26) 』
ここで書かれている「パン」はキリストの身体の象徴(しょうちょう)、「杯(さかずき)」もキリストの血による新しい契約の象徴であって、…その昔、「耶蘇(やそ)は人の肉を食べるんだ」という誤解があったようですが…人の肉を食べるのでもなく、このパン裂きの場で、このパンとぶどう酒を飲んだからといって、霊的な益を得るわけではない。
このみことばに示されているように、パン裂きの目的は
一.主イエスを覚えること
二.主の死を告げ知らせること。
私は、十字架の死で示された、
私たちに対するキリストの愛を、完全にわかっているわけではない。
そのご忍耐を、完全に知っているわけでもない。
ただ、
すべての被造物(ひぞうぶつ)の試練と苦しみを、
すべてまとめて積み重ねたとしても、
キリストの御苦しみとは比較にならないに違いない。
【注】
1)『週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。』(使徒の働き20:7)による。いつ、初代クリスチャンたちが、パン裂きを行っていたのかは聖書でここにしか書かれていない。
ちなみに、キリストが十字架にかけられたのは、金曜日(安息日の前の日:ルカ23章54節、他)。
復活されたのが日曜日(週の初めの日:ルカ24章1-8節、他)。
祭司長、パリサイ人 5)たちが総督に願い出て、番兵が墓の見張り番をしていたのだが、無駄だった(マタイ27章62節~28章15節)。
2)渡される夜: イエス・キリストがユダヤの祭司長、民の長老たちに捕らえられた夜≪その後、十字架による死刑になる≫。その前に、このパンとぶどう酒のことを。
3)新しい契約:実は、古い契約(けいやく)が、神様とイスラエル≪というか、人≫との間に、あった。モーセの十戒(じゅっかい)という言葉で、知っている人がいるかと思う。10どころか、実際には、もっと長いんだけど・・・。
とにかく、新しい契約というのは、簡単に言うと
「イエス様が十字架で死んでくださったのは、自分ののためだ」
ということを信じるだけ≪受け入れるだけ≫で、罪が赦(ゆる)されて、天国に行ける、という契約のこと。
ちなみに、「新訳聖書」ではなくて「新約聖書」と書くかは、「新しい契約」だから
4)主が来られる:主イエス・キリストが再臨(さいりん)されること。その日のことを、「主の日」とか「神の日」etcとも言う。
5)パリサイ人:ユダヤ教の中で、最も厳格な戒律を守る派。イエスに厳しいことを言われて怒ったり、イエスの人気をねたんだり(マタイ27:18)する人々もいた-全員かどうかは知らないけど、どうも、多数だった様子。
参考・引用文献
・新改訳聖書 第二版、日本聖書刊行会、1987年
・J.B.カリー編:集会の真理と行動、伝道出版社、1995年
・J.B.カリー著:コリント人への手紙 第一 新約聖書注解シリーズ、伝道出版社、1990年
・R.C.チャップマン著:霊想録、牧草社、1993年
・成瀬治他監修:山川世界史総合図録、山川出版、2001年
「毎日をキリストの十字架とともに始め、キリストの十字架とともに終えること、これがすべての悪の予防と治療(ちりょう)の秘訣(ひけつ)である」
という、先輩の言葉がある。
常に、主とともに歩むこと。 ・・・・・・・失敗だらけだけど。
だが、とにかく、わたしたちの新しい一週間は、キリストの十字架によって、始まる。
平安のうちに。
週の初めの日、わたしたちはパン裂きをする。1)
パンとぶどう酒とで、主イエス・キリストのことを覚えるその時間を、「パン裂き」って言う。これを、「聖体拝領(せいたいはいりょう)」とか「ミサ」、「正餐式(せいさんしき)」と言う場合もあるようだが、新約聖書で、このことを示す言葉は、「パン裂き」と「主の晩餐(ばんさん)」のみ。
このとき、何か、所謂(いわゆる)説教を聴くために、集まるのではない。
このときは、皆で、“主(しゅ)” を覚え…例えば、神様がどういうことを私たちのためになさってくださったのか、ということを覚え・・・、共に感謝の祈りを捧げたり、賛美歌(さんびか)を歌ったりするとき。だから、まったく聖書を知らない人や、ただ自分の、宗教的な、または道徳的な心を満足させるためだけに「教会に行ってみようかな」という人にとっては、面白くないことこの上ない時間かもしれない。≪もし、集会に初めて来るの/来たいのであれば、福音集会とかの方がいいかもしれない。≫
ちょうど、今日、新約聖書で通読しているところで、このように、パン裂きのことが記されている。
『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。
すなわち、主イエスは、渡される夜 2)、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。
「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。
「この杯は、わたしの血による新しい契約 3)です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで 4)、主の死を告げ知らせるのです。
(コリント人への手紙 第一 11:23-26) 』
ここで書かれている「パン」はキリストの身体の象徴(しょうちょう)、「杯(さかずき)」もキリストの血による新しい契約の象徴であって、…その昔、「耶蘇(やそ)は人の肉を食べるんだ」という誤解があったようですが…人の肉を食べるのでもなく、このパン裂きの場で、このパンとぶどう酒を飲んだからといって、霊的な益を得るわけではない。
このみことばに示されているように、パン裂きの目的は
一.主イエスを覚えること
二.主の死を告げ知らせること。
私は、十字架の死で示された、
私たちに対するキリストの愛を、完全にわかっているわけではない。
そのご忍耐を、完全に知っているわけでもない。
ただ、
すべての被造物(ひぞうぶつ)の試練と苦しみを、
すべてまとめて積み重ねたとしても、
キリストの御苦しみとは比較にならないに違いない。
【注】
1)『週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。』(使徒の働き20:7)による。いつ、初代クリスチャンたちが、パン裂きを行っていたのかは聖書でここにしか書かれていない。
ちなみに、キリストが十字架にかけられたのは、金曜日(安息日の前の日:ルカ23章54節、他)。
復活されたのが日曜日(週の初めの日:ルカ24章1-8節、他)。
祭司長、パリサイ人 5)たちが総督に願い出て、番兵が墓の見張り番をしていたのだが、無駄だった(マタイ27章62節~28章15節)。
2)渡される夜: イエス・キリストがユダヤの祭司長、民の長老たちに捕らえられた夜≪その後、十字架による死刑になる≫。その前に、このパンとぶどう酒のことを。
3)新しい契約:実は、古い契約(けいやく)が、神様とイスラエル≪というか、人≫との間に、あった。モーセの十戒(じゅっかい)という言葉で、知っている人がいるかと思う。10どころか、実際には、もっと長いんだけど・・・。
とにかく、新しい契約というのは、簡単に言うと
「イエス様が十字架で死んでくださったのは、自分ののためだ」
ということを信じるだけ≪受け入れるだけ≫で、罪が赦(ゆる)されて、天国に行ける、という契約のこと。
ちなみに、「新訳聖書」ではなくて「新約聖書」と書くかは、「新しい契約」だから
4)主が来られる:主イエス・キリストが再臨(さいりん)されること。その日のことを、「主の日」とか「神の日」etcとも言う。
5)パリサイ人:ユダヤ教の中で、最も厳格な戒律を守る派。イエスに厳しいことを言われて怒ったり、イエスの人気をねたんだり(マタイ27:18)する人々もいた-全員かどうかは知らないけど、どうも、多数だった様子。
参考・引用文献
・新改訳聖書 第二版、日本聖書刊行会、1987年
・J.B.カリー編:集会の真理と行動、伝道出版社、1995年
・J.B.カリー著:コリント人への手紙 第一 新約聖書注解シリーズ、伝道出版社、1990年
・R.C.チャップマン著:霊想録、牧草社、1993年
・成瀬治他監修:山川世界史総合図録、山川出版、2001年
「毎日をキリストの十字架とともに始め、キリストの十字架とともに終えること、これがすべての悪の予防と治療(ちりょう)の秘訣(ひけつ)である」
という、先輩の言葉がある。
常に、主とともに歩むこと。 ・・・・・・・失敗だらけだけど。
だが、とにかく、わたしたちの新しい一週間は、キリストの十字架によって、始まる。
平安のうちに。