さすらうキャベツの見聞記

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新しい一週間が始まる

2005-11-20 18:52:07 | Sunday 聖書
今日は日曜日。



 週の初めの日、わたしたちはパン裂きをする。1)

 パンとぶどう酒とで、主イエス・キリストのことを覚えるその時間を、「パン裂き」って言う。これを、「聖体拝領(せいたいはいりょう)」とか「ミサ」、「正餐式(せいさんしき)」と言う場合もあるようだが、新約聖書で、このことを示す言葉は、「パン裂き」と「主の晩餐(ばんさん)」のみ。

 このとき、何か、所謂(いわゆる)説教を聴くために、集まるのではない。
 このときは、皆で、“主(しゅ)” を覚え…例えば、神様がどういうことを私たちのためになさってくださったのか、ということを覚え・・・、共に感謝の祈りを捧げたり、賛美歌(さんびか)を歌ったりするとき。だから、まったく聖書を知らない人や、ただ自分の、宗教的な、または道徳的な心を満足させるためだけに「教会に行ってみようかな」という人にとっては、面白くないことこの上ない時間かもしれない。≪もし、集会に初めて来るの/来たいのであれば、福音集会とかの方がいいかもしれない。≫


ちょうど、今日、新約聖書で通読しているところで、このように、パン裂きのことが記されている。


                   


『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。
 
 すなわち、主イエスは、渡される夜 2)、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。

 「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
 
 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。

 「この杯は、わたしの血による新しい契約 3)です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで 4)、主の死を告げ知らせるのです。

                 (コリント人への手紙 第一 11:23-26) 』

                       

 ここで書かれている「パン」はキリストの身体の象徴(しょうちょう)、「杯(さかずき)」もキリストの血による新しい契約の象徴であって、…その昔、「耶蘇(やそ)は人の肉を食べるんだ」という誤解があったようですが…人の肉を食べるのでもなく、このパン裂きの場で、このパンとぶどう酒を飲んだからといって、霊的な益を得るわけではない。


 このみことばに示されているように、パン裂きの目的は

  一.主イエスを覚えること
  二.主の死を告げ知らせること。


                                 



                 私は、十字架の死で示された、
       私たちに対するキリストの愛を、完全にわかっているわけではない。

           そのご忍耐を、完全に知っているわけでもない。


                         ただ、
             すべての被造物(ひぞうぶつ)の試練と苦しみを、
                すべてまとめて積み重ねたとしても、

             キリストの御苦しみとは比較にならないに違いない。
 



                                         



【注】
1)『週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。』(使徒の働き20:7)による。いつ、初代クリスチャンたちが、パン裂きを行っていたのかは聖書でここにしか書かれていない。

ちなみに、キリストが十字架にかけられたのは、金曜日(安息日の前の日:ルカ23章54節、他)。
 復活されたのが日曜日(週の初めの日:ルカ24章1-8節、他)。

 祭司長、パリサイ人 5)たちが総督に願い出て、番兵が墓の見張り番をしていたのだが、無駄だった(マタイ27章62節~28章15節)。


2)渡される夜: イエス・キリストがユダヤの祭司長、民の長老たちに捕らえられた夜≪その後、十字架による死刑になる≫。その前に、このパンとぶどう酒のことを。


3)新しい契約:実は、古い契約(けいやく)が、神様とイスラエル≪というか、人≫との間に、あった。モーセの十戒(じゅっかい)という言葉で、知っている人がいるかと思う。10どころか、実際には、もっと長いんだけど・・・。
 とにかく、新しい契約というのは、簡単に言うと
イエス様が十字架で死んでくださったのは、自分ののためだ
ということを信じるだけ≪受け入れるだけ≫で、罪が赦(ゆる)されて、天国に行ける、という契約のこと。
 
 ちなみに、「新訳聖書」ではなくて「新約聖書」と書くかは、「新しい契約」だから


4)主が来られる:主イエス・キリストが再臨(さいりん)されること。その日のことを、「主の日」とか「神の日」etcとも言う。
 
5)パリサイ人:ユダヤ教の中で、最も厳格な戒律を守る派。イエスに厳しいことを言われて怒ったり、イエスの人気をねたんだり(マタイ27:18)する人々もいた-全員かどうかは知らないけど、どうも、多数だった様子。


参考・引用文献
・新改訳聖書 第二版、日本聖書刊行会、1987年
・J.B.カリー編:集会の真理と行動、伝道出版社、1995年
・J.B.カリー著:コリント人への手紙 第一 新約聖書注解シリーズ、伝道出版社、1990年
・R.C.チャップマン著:霊想録、牧草社、1993年
・成瀬治他監修:山川世界史総合図録、山川出版、2001年


                               


「毎日をキリストの十字架とともに始め、キリストの十字架とともに終えること、これがすべての悪の予防と治療(ちりょう)の秘訣(ひけつ)である」
という、先輩の言葉がある。

常に、主とともに歩むこと。   ・・・・・・・失敗だらけだけど。


 だが、とにかく、わたしたちの新しい一週間は、キリストの十字架によって、始まる。
   
平安のうちに。
                        

           
コメント (3)
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