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ちゃたろう山日記+

山の日記や日々のたわごと

遍路を回る

2006年12月07日 | 建築・アート
四国八十八ヶ所のお遍路回りの際にはお寺で納経札というものに名前を書いて納めるのだが、八十八ヶ所を何回回ったかでお札の色が異なっています。
初めての人は白紙でしてその後、何回かで色が変わって、100回!以上回った人は錦織製の納経札となるわけです。(自分で作るのですが・・)
たまたま自分がお札を納めるときにそれが有った場合、ありがたく頂いてもよろしいということになっているらしい。 と、今回なんとそのお札がたまたま有りまして、ありがたく頂いて来たわけです。裏に書いてあるのをみると、この方はなんと180回もお遍路を回っている様です。スゴーイ!。
 当然四国の方で、車で周回しているからここまで回れるのでしょうが、それにしてもこれまでにさせる力があるところがお遍路の凄さですね。

数多く回る人、歩いて回る人、人それぞれスタイルが有りますが遍路旅は「自分を見つめる時間を作る」ってところが根底に有るような気がします。
そんな意味では、歩いて登る山登りと意識感覚では共通する所も有るような気がしています。

四国八十八お遍路

2006年12月06日 | 建築・アート
この前の週末は義父母のお供で四国八十八ヶ所のお遍路旅であった。
彼等にとっては今年に入って3回目のお遍路旅であり、これまでで70ヶ所あまりを回ったことになる。
 実は数年前には西国三十三ヶ所も回ったことが有る。西国と四国で決定的に違うのは、西国の方がお寺が立派で有ると言うことだ。そしてまた、回る人の姿勢も大きく違っている。
 西国三十三ヶ所は殆どの人が車を使ってお寺を回っている。一方四国の方はと言えば、やはり殆どが車ではあるのだが、少なからず、徒歩や自転車で回っている人も居るのだ。そして又西国を回る人の多くが半分観光気分なのに比べて、四国を回る人の方はきちんと般若心教を唱えていてお参りの心が随分と違う様である。僕らは車で回っているのでやっぱり半分観光気分であるのだが、歩いて回っている人を見ると、何か心の中に想いや、何かしら人生の何かを背負っているような風情の人が多くて、なんだか頭が下がるおもいがするのである。そしてまたそういう所からか、お遍路を回る人に対して地元の人は御接待と称して色々と物を施してくれるのである。

 ボクはといえば最初は回る事に躊躇していた所も有ったものの、こんな風な四国お遍路を回る人のスタイルやそれが生活の中の一部になってしまっている四国の風土になんとも惹かれた気がしている。 
 宗教心が強くなったかどうかは分からない。だけど般若心教を無心になって唱えたりしていることに何かすがすがしさを感じ始めていることも事実である。何だか良く分からないけれども、心の持ちようが少し変わってきた気はするのである。

あと一回でこのたびも終わるが最後にどうゆう心になるのか、今から少し楽しみでもある。